第三十二話
そんな事件があってから二年が経った。
女性たちの間では、その話題が持ち切りになり、リディアリアにちょっかいを出してくるものどころか、近づくものさえいなくなった。そのせいなのか魔王城にきて二年も経つのに友達と呼べる存在は、鍛錬場でたまたま居合わせて仲良くなったルナというウルフの女の子しかいない。魔王城で気軽に話せる存在も、ライトニングを覗けば、二年前から一緒に鍛錬をするようになったディティラスくらいだ。
(なんだか自分の交友関係に泣けてくる……)
そう思いながらも、今日も鍛錬に励んでいた。そのせいあってか、この二年でライトニングが称賛するほど槍の腕が上達し、上級魔族として名を上げていた。
この頃にはすでにディティラスへ対する恨みは綺麗になくなっており、どちらかといえば兄のように感じていた。魔王であるディティラスに対して、この感情は失礼かもしれないが、ここ二年、ディティラスと鍛錬をしたりする仲になったせいで、上下関係があいまいになっているのかもしれない。本当は駄目なことであるとわかってはいたが、ディティラスの甘い言葉につられて今では公でない場所のみタメ口で喋っている。
初めて会ったときは、綺麗な偉い人、親を死なせた人、という印象だったのに、今ではその印象をガラリと変えた。話しやすく、親しみのある仲のいい兄のような友人だ。
そんな楽しい毎日を過ごしていたある日。
リディアリアの体調に異変が起こった。
朝、起きたときに体が重いとは思っていたのだ。最初はただの体調不良かと思っていた。けれどベッドから出ようとしたときに、それは違うのだと見せつけられてしまう。布団をめくったときに見えたのは、真っ白なシーツではなく、リディアリアの下半身を中心に赤が広がっていたからだ。
「月のモノ……」
年齢的にはいつ来てもおかしくはなかった。
本来であれば、リディアリアの母が教えてくれることだったが、母はすでに他界している。代わりにライトニングが教えくれたが、教えられてもやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。義父といっても、異性には変わりないからだ。それでもいわないわけにはいかない。
サキュバスは他の種族と違って、月のモノがくると、体がある変化を起こす。それは魔法の使用の有無だ。月のモノが来るまでサキュバスは魔法を使うことができない。なぜならば、己の体内にある魔力を感じ取ることができないからだ。理由は未だにわからず、ただそうであるということだけがわかっている。
現に、リディアリアも初めて感じたのだ。己の内にある膨大な魔力を。
ライトニングに教えてもらったやり方で月のモノを処理し、ライトニングの元を尋ねた。しかしこの頃には、脂汗を掻きまくり、立っているのもやっとの状態。ライトニングのいる部屋に辿り着いたのも奇跡に近い。
「ライトニング……」
「ついに来ましたか。しかし。これほどとは……」
ライトニングはリディアリアの汗を布で拭うと、厳しい表情でリディアリアをみた。
「魔力量は多いと思っていましたが。これは危険ですね。鍛錬場へ移動しましょう」
ライトニングから予め聞かされていた。魔力量が少ないものは発熱ほどで済むが、魔力量が多い者は耐え難い苦痛を味わい、稀に魔力の暴走を起こすのだと。
リディアリアの場合、後者に該当するのだろう。発熱で頭は上手く働かず、体中が魔力の暴走で悲鳴を上げている。このままでは魔力がリディアリアの管理下から外れて、体外で暴走するのも時間の問題だろう。
「でも、もう動けな……い」
おぼつかない足取りで鍛錬場に辿り着けるのか、怪しいものがある。
「大丈夫です。私が責任を持って連れていきますよ。こうみえても私はリディアリアの義父なのですから」
そういうとリディアリアの体を両手で抱きかかえ、不安のない足取りで鍛錬場へと連れていってくれた。まだ二年しか付き合いのないライトニングだが、リディアリアを抱きかかえる手はどこか本当の父親に抱きかかえられた時と似ていた。
鍛錬場につくと、そっと地面へとおろされる。
「ここなら誰もいませんし、多少魔力が暴走してもなんとかなります」
「わかった。ありがとう、ライトニング。でも、もし魔力が暴走したらライトニングも巻き込んじゃう。だから、鍛錬場の外に出ていていいよ……?」
「いいえ。私にはこれくらいしかできることがありませんので。せめて義父として傍にいさせてください」
「……わかった」
月のモノがきて、どれくらいの時間が経ったのだろうか。丸一日経ったような気もするし、まだ数時間しか経っていない気もする。それくらいに体の痛みは激しく、リディアリアの意識を混濁とさせていた。
「大丈夫か?」
そんな中、ふと誰かに声をかけられた。それはライトニングのものではない。苦痛で歪む顔を上げれば、そこには心配そうな表情をしたディティラスがいた。いつものように鍛錬場へきたら、苦しむリディアリアがいて驚いたのだろう。
大丈夫なわけがない。そうは思いつつも、気が付けば無理に笑顔を作って大丈夫と口にしていた。どうしてなのか、背中をさすってくれるディティラスに、心配をかけたくはなかった。
苦痛を隠そうとするリディアリアをどう思ったのか、ディティラスは傍にいるライトニングに食って掛かっていた。
(ライトニングは悪くない。ただ私がサキュバスだから苦しんでいるだけ)
口に出して事実を伝えたいのに、痛みが増して体がいうことを聞かない。そうこうしている間に、ライトニングがディティラスへ簡潔にリディアリアのことを教えていた。月のモノのことを話されていることに恥ずかしさを覚えた。同時に話してしまったライトニングに怒りさえ覚えた。
(あれ、なんで?)
そこでふと疑問を覚える。
別に、サキュバスとしての情報だから、魔王であるディティラスが知るのは当然だし、状況を把握したいなら尚更伝えるべきだ。リディアリアもそのことは承知している。ではなぜライトニングに怒りを覚えたのだろうか。
内心疑問に思っていると、その疑問は思わぬところで答えを得た。
「リディアリア、キスをしてもいいか?」
「……はい?」
ディティラスの表情は、どこにも冗談をいっているようには見えなかった。それどころか、今まで見てきた中で、一番真剣な表情をしている。
「この痛みを和らげる方法が一つあるのを知っているだろう」
「……っ」
我慢をする以外に一つだけ方法がある。
それは、他者の体内へ口づけを通して魔力を流し込むこと、だった。
まだ好きな男性が出来たこともなければ、キスだって誰ともしたことがない。異性で親しい魔族といったら、ディティラスだけなのだから当たり前だ。
ディティラスとキスをする。想像をしたら、恥ずかしくてなんだかとても幸せな気持ちになれた。けれど同時に暗い感情が心を渦巻く。
(どうして?)
疑問を持つと同時に己の気持ちに嫌でも気づかされてしまう。
(私はディティラスが……好き、なの?)
答えがでると同時、胸の中になにかがストンと落ちていった。
「好きな、方以外とは……したくない」
だから、リディアリアはディティラスとのキスを拒否した。
ディティラスから見れば、リディアリアは歳の離れた可愛いの妹。その妹が苦しんでいるのなら、助けようと思うのが当然なのだろう。けれどリディアリアは違う。意識をしてしまったからだ。兄ではなく異性として。
「好きなやつがいるのか」
正直に頷いた。するとディティラスはその赤い瞳に怒りを宿した。まるで嫉妬をしているみたいだ。
「それは俺の知っているやつなのか」
知っているもなにも、ディティラスだ。再びコクリと頷く。
「……俺じゃ、駄目なのか? 俺は、リディアリア。お前が異性として好きだ」
思わず流れでコクリと頷きそうになった。頷きを途中でやめ、呆然とした顔でディティラスを見つめてしまう。
「それは、本当に?」
「魔王の名に誓って。だから俺の気持ちに応えてほしい」
(ディティラスが私を好き?)
先程自覚したばかりの気持ちが両想いだと知った。一瞬痛みよりも嬉しさが勝った。
「……も、好き」
「もう一度いってくれ」
「私も、ディティラスが好き」
「そうか」
だから恥ずかしさがあっても、気持ちを口にしたかった。意を決して伝えれば、ディティラスは花が綻ぶように笑った。次いで、その顔をリディアリアに近づけてきた。
リディアリアはそれに応えようと、瞼を閉じる。
初めてのキスは痛くて、甘くて、柔らかかった。




