第二十三話
いつ魔物が暴れ出してもいいように戦闘態勢を維持しながらも、固唾を飲んで見守る。
初めて行う魔物を魔族へと戻す治癒に、ライトニングも緊張しているのだろう。その横顔にはいつにもなく、たくさんの皺が刻まれていた。魔力も大量消費しているのがわかるほど、その両手からは直視するには難しいほど眩しい青の光が放たれていた。
(頑張って……)
ここからはライトニングだけが頼みの綱だ。治癒魔法を使えるのはヒーリィであるライトニングしかいない。心の中で何度も何度も頑張れと言い続けた。
「リディアリア様!」
唐突にルナに名前を呼ばれ、振り向く。するとそこには想いが通じたかのように黒い靄が徐々に白くなっていっていた。白くなった靄はルナへの攻撃を止め、魔力の持ち主の元へ戻ろうと、ふわふわと空中を漂いながら、魔物の元へ向かってくる。
白くなった靄に対して、警戒を怠ることはないが、それが魔物を魔族へ戻す手がかりとなるのなら、邪魔をしない方がいい。白い靄の進行を妨げないように、リディアリアは魔物から一歩下がって、行く先を見守った。靄の相手をしていたルナも、リディアリアの横へと歩いてくる。
ライトニングの魔法によって、魔核は元の場所に徐々に戻りつつあった。魔核が少しずつ戻るたびに、醜かった姿がどんどん変化していく。魔核の周辺から、真っ黒だった醜い皮膚が剥がれていき、スノウマリーのような真っ白な肌が現れた。
白い靄が青い光に誘導されるかのように、魔核の中へ入っていく。するとそれがさらに魔族へ戻るきっかけとなったのか、一気に醜い皮膚が剥がれ落ちていった。まるで蛹が羽化するような光景に、ほうっと息をつく。
まだ両足は切断され、両手には二本の槍が刺さったままではあるが、そこにいるのは魔物ではなく魔族の少女だった。
スノウマリーを幼くしたかのような瓜二つの顔に、真っ白なさらさらとした長い髪。魔物で無くなると同時に意識を失ってしまったので、その瞳は閉じられたままだったが、とりあえずは成功といってもいいだろう。
ライトニングも長い息を吐き、安堵をしていた。それでも魔族の少女、スノウリリィの体を治すことが先決であるため、まだ魔法を使用し続けていた。リディアリアもそれを手伝うために、ライトニングが腹の傷を治している間に切断された両足を拾いライトニングが治療しやすいように近くへ置いた。ルナも二本の槍を両手から抜き取っていた。
スノウリリィの体に傷が残らないよう、ライトニングは時間をかけて傷を治していった。
数十分後、その傷が完全に癒えると、ライトニングはようやくスノウリリィから両手を放した。
魔物になっていたせいか、全裸のままだったので、リディアリアは自身の着ていた上着を上からかけてあげることにした。
「お疲れさま、ライトニング」
労いの言葉をかければ、ライトニングは額に掻いた汗を拭いながら頷いた。
「これで一先ずは様子見ですね」
「そうだね。ルナ、ライトニングとここにいてくれる? 私は近くにいるスノウマリーを呼んでくるから」
「わかりました」
魔物がいなくなった以上、もうこの森に驚異となる敵はいない。ルナは渋ることもなく、送り出してくれた。
スノウマリーが隠れる場所は予めリディアリアたちの方で決めていたので、軽く走りながら、二キロほど先のところへ隠れているスノウマリーの元へいった。十五分ほどかけてたどり着くと、スノウマリーは大きな木の根元に警戒するように座っていた。手元からは冷気が流れている。すぐに魔法が撃てるよう対処していたのだろう。声をかけずにスノウマリーの肩を叩けば、その手にある魔法をリディアリアに撃ってくるに違いない。リディアリアはそれを避けるために、スノウマリーを発見した時点で声をかけた。
「終わったよ、スノウマリー」
肩をびくりと揺らして、声が聞こえた方へと振り向く。赤の瞳がリディアリアを映すと、明らかにほっとした表情を見せた。
「スノウリリイは……?」
ほっとしたのも一瞬のこと。すぐに妹であるスノウリリィの心配をしてみせた。
「無事だよ。魔物から魔族に戻った。でもまだ目は覚ましていなから、今後どうなるかはライトニングの腕と本人の気力次第ってところかな」
大方こんなところだろう。
ライトニングにはこれからも頑張ってもらわなくてはならない。これが成功すれば、リディアリアが半年以上を生きていける可能性が上がるのだから。
スノウリリィが元に戻った。よほどその事実が嬉しかったのだろう。スノウマリーは、瞳から溢れた涙を拭いもせず、嬉しそうに妹の名前を呼び続けた。スノウリリィの魔核を包むためにハンカチを使ってしまったため、スノウマリーに渡すハンカチを持っていなかったリディアリアは己の指で涙を拭ってあげることにした。
「泣くのはそれくらいして、妹の元へ行ってあげたら? それに、スノウリリィの無事な姿を見た方がもっと安心できるでしょう?」
拭っても拭っても、涙はどんどん溢れてくる。リディアリアの指はスノウマリーの涙でびしょびしょになってしまった。それに苦笑しながら、拭うのをやめてスノウマリーの両手を掴む。リディアリアの方が頭三つ分ほど小さいからか、両手を持って立たせようとしても、その足が立つことはなかったが、スノウマリーはリディアリアのやろうとしたことを理解したのか、そのまま自分の意志で立ってくれた。
そのままスノウマリーの手を自然と離して、元来た方角を指さした。
「さあ、行こう。妹の元へ」
「ええ。……あの、リディアリア、様」
(おや?)
先頭を切るように歩きだしたリディアリアに、スノウマリーがおずおずと話しかけてきた。
サキュバス、としかリディアリアのことを言ってこなかったスノウマリーに、目を丸くして振り返る。そこには照れからくるのか、頬を赤く染めたスノウマリーがいた。
「今まで申し訳ありませんでしたわ」
サキュバスとずっと呼び続けたことや、魔王の妃の座を狙おうとしたことを指しているのだろう。
今回、妹であるスノウリリィが少なからずとも魔物から魔族へ戻ることに成功をした。この功績から、リディアリアのことを多少なりとも実力を認めた、ということだろう。
(といっても、両足切断と両手を槍で串刺しにしたことは伝えない方がいいに決まってる)
そんなことが知れたら、せっかくのいい関係が崩れそうだ。それに、その傷はとっくにライトニングが魔法で治している。
「うん、気にしてないからいいよ」
心の中でごめん、と謝りながら笑顔を作る。時にはこういう秘密も必要なのである。
「ありがとうございます、リディアリア様」
実際こうやって接してみれば、決して悪い魔族ではないことがわかった。むしろいい魔族だ。歩幅が明らかに違うのに文句も言わず、ゆっくりと付き従ってくれる。リディアリアの姿についても詳しく問い詰めることはない。まさに侍女向きだ。
そう思ったとき、あることをふいに思いつく。
(そうだ。スノウマリーとスノウリリィを私の侍女にすればいいんだ)
幸いといっていいのか、十年も眠っていたせいで、リディアリアには信頼のおける侍女がルナくらいしかいない。一応ディティラスの信頼がおける魔族数名をつけてもらってはいるが、やはりこういうのは自身の目で確かめた魔族がいい。
それにスノウマリーとスノウリリィを侍女として採用すれば互いにメリットがいくつか存在する。リディアリアは優秀な人材を確保でき、スノウマリーとスノウリリィは魔王の妃の侍女としての地位を得ることができる。七貴族や上級魔族のような確立された地位ではないが、それでも半人半魔であることを指さされなくなる程度にはなるはずだ。もし指を刺されることや、悪くいう者がいれば、自身の侍女であればその魔族を諌めることもできる。
スノウリリィが働くにはまだ早すぎる年齢ではあるが、侍女見習いということにすれば問題ないはずだ。優秀な魔族を己の手元に早めに囲っておく魔族はこれまでに何人もいた。リディアリアがそれを行ったとしても、きちんと両親の許可さえ取ることができればいいだけの話。
まさにウィンウィンな関係である。
「スノウマリー、貴女、妹のスノウリリィと私の侍女をっ……危ない!!」




