第二話
「リディが《魅了》を人族全体に使用したところまでは覚えているか?」
「うん」
《魅了》とはリディアリアの種族でもあるサキュバスの種族魔法で人類、魔族、全て問わず自身に意識を向けさせ、伝えたいことを心へ直接訴えかけるることができる便利な魔法だ。難点としては同性に効きにくいということだが、魔力量を増やせば同性にも同様の効果が期待できる。
魔族にとって大切なモノを、人族が奪おうとしたことから勃発した戦争で、人族の意識を全てリディアリアに集めるにはこの魔法が最適だった。しかし戦争を望む人族全ての意識をリディアリアに向けるにはどうしても魔力が足りなかった。
そこでディティラスに無理を承知で魔法を使わせてもらったのだ。
「サキュバスの種族魔法《吸収》と私の固有魔法《蓄積》を使ったのも全て覚えてる」
《吸収》とは、色事を介して魔力を他者から吸収して、自身の魔力にすることができる魔法だ。サキュバスの種族魔法として人族にも広く知れ渡っている魔法でもある。
そして《蓄積》。これはリディアリアの固有魔法である。固有魔法とは、誰にも使えない、自身だけの魔法のことを指す。リディアリアのこの固有魔法は、魔核の許容量を一時的に超えて魔力を蓄えることができるという、なんとも出鱈目な魔法だった。しかしそれだけメリットが大きいということは、必然的にデメリットも存在する。それは身体への負担が大きく、蓄えた量によっては、身体を癒すために深い眠りにつくこともあるということだ。
今回リディアリアが長い眠りについていたのには、これが関係してくる。
自身の魔力だけでは補えない魔力を補うために、魔王であるディティラスから《吸収》で限界までディティラスの魔力を奪い、《蓄積》で魔核と呼ばれる魔力を生成する器官へ強制的に留まらせ、人族に《魅了》を放ったのだ。
もちろん、魔核には相当な負担をかけることになる。なにせ魔族の王であるディティラスの魔力を一身に背負い、それを一気に魔法としてリディアリアの魔力とともに放出させたのだ。命の保証すらないに等しい。
最初はディティラスを筆頭として誰もが反対をしたが、あの時戦争を止めるにはこれしか方法が思いつかなかった。魔族も人族も誰もが疲弊しながら、戦い続ける日常。それがリディアリアには耐え難かった。
魔族は長寿命で子供が生まれにくい分、なによりも互いを大事にする。だからこそ、リディアリアが命を失うかもしれない選択に、揃って反対を示した。それでもこうして魔法を使えたのは、魔王であるディティラスが決断を下したからだ。あの時のディティラスの辛そうな顔は一生忘れることはないだろう。
「あの時は魔法を使わせてくれてありがとう、ディティ」
「違う。礼をいうのは俺の方だ。一人の男としてならば、絶対にリディにあんなマネさせたくはなかった。だが……」
「うん。ディティは魔王様だから。……だから、あの決断は正しいよ」
一国の王として、決断を下すのならばリディアリアに命を賭してでも魔法を放てと命令するのが一番正しい。それに提案をしたのはリディアリアだ。だからリディアリアはディティラスに礼をいうのは当たり前だと思っていても、謝られるのは違うと思っている。
けれどディティラスの枷となるのならば、それは解いてあげるべきだ。
「ディティ、あれから何年経ったの?」
「十年だ」
人族にとっては一生の十分の一以上占める年月であっても、魔族ならばあっという間の年月に過ぎない。
「そっか。ねぇ、ディティ。人間にとっては長い年月でも、魔族にとっては短いたった十年だよ。それだけの年月で私は目覚めることができた。もうそれだけで充分じゃないかな?」
「だがっ……!! その十年で人族と魔族の仲は驚くほどの変化を見せた。壊れた建物も元に戻り、戦争で命を落とすこともなくなった。そんな長い年月の十年を俺はリディから、……リディから奪ったんだ!!」
後悔してるといわんばかりに、ディティラスの口から次々と言葉が溢れてくる。
「ディティ」
だから、リディアリアにはその口に自身の人差し指をあてた。
「駄目だよ、魔王様がそんなこといっちゃ。私は死んでいないし、こうして眠りから目覚めることができた。戦争も終わって人族との仲も良くなった。全てがハッピーエンドじゃん。私が後悔していないんだから、ディティが後悔しちゃ駄目。そんなことしたら、私……怒るよ?」
「リディ……」
「それにね、ディティの口からそんなこと聞きたくないな。もっと楽しい話を聞かせてよ」
「リディがそう望むのならば」
「望むよ。たくさん望む!!」
「そうか」
子どもっぽく大げさにいえば、ディティラスが声を漏らしながら笑った。目覚めてようやく見れたディティラスの笑いに安心をしながら、ディティラスの話を聞いていく。
魔王城を中心とした街がとても綺麗で観光地としても有名なこと。
人族と魔族の戦争が終戦し、和解をしたこと。
もう二度と同じ過ちを繰り返さないように、人族と魔族の国の中心に学校を建て、そこで多くの人族と魔族が共に勉学を励んでいること。
そして最後に、リディアリアが最も戦争に貢献をしたとして、魔王の妃になっていること。
「へえ、街に行ってみたいし、学校とかも楽しそう……じゃなくて! え、ちょっと待って」
「街には一緒に行こう。学校もリディアリアが完全に回復したら、見学をすればいい」
「ちょっと待って。私のこの動揺を軽く無視しないで」
「ああ、魔王城の中にも小さな庭があってな。こじんまりとはしているが、庭師が綺麗に整えてくれているんだ。体力が少し回復したら、そこで一緒にお昼寝でもしようか」
「だから無視しないでってば。ねぇ、最後の情報、あれなんだったの? 魔王の妃ってなに? え、私いつの間にディティのお嫁さんになったの!? まだ恋人同士だと思ってたよ。周りに反対されるの覚悟で、一緒になろうっていってた十年前のあれはなんだったの!!」
息も絶え絶えに言葉を捲くし立てると、ようやくディティラスが視線を合わせてくれた。
「そんなに話すから、疲れるんだ」
「いやいや、疲れさせてるのディティだからね……?」
まるで仕方ない子だとでもいうような視線は止めてほしい。
「仕方ないだろう? リディは目覚めないし、周囲の者たちは妃を早く娶れとうるさい。だからこうするしかなかったんだ。最初は反対されたが、リディが素晴らしい功績を残したおかげで、こうして公認の仲になれたんだ。リディは嬉しくないのか……?」
嬉しいか、嬉しくないかと聞かれたら、もちろん嬉しい。けれどそれとこれとは話が別だ。
「大丈夫だ、徐々に妃として慣れていけばいい話なのだから」
ディティラスはそういいながら、リディアリアの唇に自身の唇を落とした。合わせるだけの軽いキスなのに、ディティラスの想いがキスを通してたくさん伝わってくる。
会いたかった。
ようやく話すことだができた。
その瞳にやっと映ることができた。
もう離したくない。
そんな想いを感じてしまったら、もう怒るに怒れなくなってしまった。
仕方ないな、とキスを返せばもっと深いキスが返ってきた。
何分キスをしていたのかもわからない。ただ、キスを通していつの間にかディティラスの魔力を吸い取っていたらしい。気付くと体が元の成人した体に戻っていた。
「あれ? どうして……」
「魔力が関係しているのか? 体の負担になっていなければいいが……」
「ディティは心配しすぎだよ。明日ライトニングにも相談してみるし、なにかあればすぐにディティにもいうから」
今のところ戻ったからといって、不調は見られない。
「わかった。とりあえず、今は体を休めろ、いいな?」
「うん」
今度は額に軽くキスをされ、頭を優しく撫でられる。
久しぶりに会話をしたせいなのか、体を動かしたせいなのか。ずっと眠っていたはずなのに、眠気はすぐに訪れた。
眠りに落ちても、違うのは真っ白な空間ではないとうこと。ディティラスによって誘われた眠りは、温かくて漆黒の優しい闇に包まれた穏やかな眠りだった。