ヴァイオリンと管弦楽の為のアダージョ ホ長調
燃え盛る炎の中、俺は地に這いていた。
転生したせいだろうか、足が麻痺し思うように動かせない。
必死に起き上がっても、転び、また地に胸をつけた。
辺りを見回しても火が音を立てながら、家の戸や、看板、ベンチを蝕んでいるだけで、
人はいない。助けを求めたが、「パチパチ」と炎が返事をしただけだった。
額に汗を流しながら、芋虫のように地を這う。
這って這って這って這いつづけるも、炎は追ってくる。
「ガシャン」と金属音が聞こえたかと思うと、瓦礫は俺に向かって落ちてきた。
瓦礫は体に直撃し、痛みのあまり悲鳴をあげる。
だが悲鳴に同情できる奴はここにはいない。
いるのは広がり続ける炎と度々落ちてくる瓦礫のみだった。
体が地面に吸い込まれてゆく。どうやらここでくたばりそうだ。
体を仰向けにして空を見る。暗く濁り切った空だった。
ため息をすると、目を静かに瞑る。 2回目の死はいったいどんなものだろうか。
1回目の死の記憶もないわけだが。
炎の音に耳を澄ますと、
うねるような炎の音だったり、木をパチパチと呑み込んだり
まるで炎は意思を持っているようだ。
こんな音に堂々しさや虚無感を感じる。
不思議と怖さはなかった。逆に楽しさを覚える。
この音が音楽というものかもしれないと思った。
死に際に音楽について考えるのは変だが、記憶がない以上致し方ない。
力を抜いて、死ぬ準備をする。
ん? どこからか馬が駆ける音がする。しかもこちらに向かって。
「おーい! 逃げ遅れた奴はいるかー!」
女の声だ。ここで炎が成す音楽を聴くのも悪くないが、
まだ死にたくない。俺は大声で返事をした。
「よし! 待ってろよ!!」
目を開けると、目の前に馬に乗る女の姿が見える。
女は馬から「ひょい」と軽々しく降りると、
横たわって動くことのできない俺を馬に乗せてくれた。
「けがはない?」
「いや大丈夫だ」とだけ伝えた。転生や音楽について話すのはまだ早い。
俺は女のことを何も知らないし、異世界だ。
何が起こるか分からない世界で、信用に値するかどうか見極めなければならない。
だが彼女の陽気な声や笑顔でそんな心配はいらないかもしれない。
そう馬に上下に揺さぶられながら考えた。
そうこうしているうちに、馬の力強い蹄で駆けだすと
炎から抜け出した。音楽について考えられたのはよかったが、
もう2度と地に這うようなことはしたくないな。
▼
だいぶ移動しただろうか。
あの村の姿はなく、辺りは木々に囲まれていた。
耳を澄ますと、森の豊かさが聞こえてくる。
小鳥は鳴き、風が葉と葉の隙間を抜ける音が聞こえた。
道中、馬を走らせてくれている彼女に名前を聞いてみた。
彼女は元気な明るい声で、名を「アンナ」だと教えてくれた。
アンナに俺はどこに向かっているのか聞いてみた。
「君は大丈夫と言ったが、傷を負っているから手当をしたいんだ。
だから今は僕の小屋に向かっている」
そういえば道中に疲労で少し眠ってしまっていた。
アンナの優しさに少し甘えることにした。行く末もないし、アンナに
何か聞いといたほうが賢明だと思えた。
またしばらく馬を走らせると、少し開けた地に小屋と畑があった。
きっとあれがアンナの小屋だ。
「着いたよ」
アンナは馬をリードにつなぎ、小屋に入っていった。
「ほら君も入った入った!」
言われるままに俺も小屋に入った。
アンナは俺を椅子に座らせて「ちょっと待ってて」そういって廊下に消えた。
椅子に深くもたれ掛かる。テーブルの向こうに鏡を見た。
鏡に写る俺の姿は茶髪に焼け焦げている洋服。
そして傷だらけの腕。なんて酷いざまだ。
自分の姿の記憶もない俺にはこの姿が俺であると信じるしかない。
記憶といえば俺の記憶を奪った観察者の姿を思い出す。
奴らの目的とは。考えても答えは掴めない。
そして音楽とはいったいなんなのか、記憶のない俺にとっては
広い砂漠でオアシスを探してさ迷っているようなものだ。
そういえば転生した地の炎が成す音は心地のいいものだった。
もしかしたらあれが音楽かもしれないな。
「おーい 傷薬を持ってきたぞ」
アンナが救急箱を持ってきた。アンナは徐に俺の腕にてきぱきと
薬を塗り包帯を巻いてくれた。多くの人を助けてきたような手つきの良さだった。
「そういえば君の名前を聞いてなかったな」
俺は記憶がないことを正直に告げた。アンナは少し驚いた様子だったが、
励ましの言葉を投げかけてくれた。アンナの顔は太陽のようにまぶしい。
アンナの顔は見れば見るほど美しい。顔つきはとてもよく、ほんのり温かい火のような
明るい赤髪。アンナは俗にいう美人だった。
アンナにどうして村は炎に呑まれていたか聞いた。
アンナは眩しい笑顔から少し悲しそうにつぶやいた。
「戦争だよ」
俺は詳しくは聞かないようにした。アンナは戦争への話を好んでいないようだったからだ。
俺が転生した村は、戦った跡はない。いかにも攻め込まれたような形だった。
少し沈黙が続いたがアンナは明るく「紅茶出すよ」とにこやかな笑顔で言った。
明らかな作り笑顔だった。俺はそのことに気づかないふりをして感謝の言葉を述べた。
他に俺はアンナについて詳しく聞いた。
するとアンナは旅をしていること、今は空き家に住んでいるということ
燃える村を見つけ、急いで駆け付けたということが分かった。
そして淹れてくれた紅茶を飲みながら、俺が今一番知りたい事、音楽について聞いた。
帰ってきた返事は「ごめん分からないや」だけだった。
どうやら本当に音楽のない世界らしい。
だが炎の中聞いた音を形にしたいと強く思っている。
あの興奮をアンナにも聞かせてやりたい。
アンナに音の出るものはないかと聞くと、
すぐに糸が張ってある木製の長い板のようなものを運んできてくれた。
「これは、動物をおびき寄せるための楽器だよ」
そういうとアンナは楽器を手に取り、糸の張った弓を持ち、糸と糸をこすり合わせた。
すると「キューキュー」と動物が鳴いているような音を出した。
俺はその楽器というやつに興奮したが、何か違和感を覚える。
深い記憶の奥底で楽器の本当の使い方を知っているようだった。
アンナに楽器を鳴らしてもいいかいと聞くとすんなりOKしてくれた。
楽器を手に取り、炎が成す音楽を思い出す。
俺は楽器を「弾ける」と確信した。使い方は微かな記憶が教えてくれる。
「すう」と深呼吸をし、弓を手に取る。
俺が奏でる音楽は炎の冷酷さではなく、あの炎からアンナの住む森への移り変わりを
イメージして奏でる。しみじみとした美しさを引き立たせるように。
糸をこすり合わせるたびに、木々や川の流れを創り上げる。
そして目の前に森が広がるような雄大さを醸し出させる。
ああ何だったかな、この楽器の名前を俺は知っている。
ああそうだ、これはヴァイオリンだった気がする。
俺はヴァイオリンを弾いているのだ。
アドバイスお願いします!