婚約者というものは
愛しい婚約者から婚約破棄という名目の手紙を頂いた。彼女にしては珍しい淡いピンクの封筒を使っていた。そして彼女が使っていない、苦手な種類の花の匂いがしていた。
「バカだなあの女も」
私の愛おしい婚約者は私的な手紙を送る時、何の飾り気もない封筒を使う。そして文字を書いた手紙ではなく魔力を使って声を吹き込んだ手紙を届けたい相手にだけ届けるのだ。風の魔法を使ったという。私も使ってみたが、普通より小さめの声で送られるソレはとても緻密な魔力コントロールが必要だった。もう二度と自分の声で起こされるなんて遠慮したい出来事である。受け取った彼女は斬新と笑っていた。その時の彼女の可愛さは言うまでもない。
そもそも私が彼女と縁づくことが出来たのも彼女の父君が行った新しい施策を知りたくて、彼女の領地に単身で乗り込んだ結果だと言える。彼女の領地は農主体の領地で私の領地は物主体だったため真似することは出来ないからこそ父君は苦笑いしながらも手解きをしてくれた。お礼に新しい物を渡せば父君は娘に渡しても良いかと聞いた。新しい施策は父君が考えたのではなく娘の考えだと言った。娘の考えでも良いものは良いと発言する彼は尊敬に値する人であった。けれど父君は亡くなった、彼の施策を妬む心無き者の手によって。
その時の彼女はとても儚く脆かった。掌が傷つく事を恐れず拳を握りしめ父君の亡骸に「わたしのせいですね」と零した彼女をとても愛おしく感じていた。彼女が欲しいと思った。彼女の兄君に彼女を守って欲しいと頼られ、兄君の嫁からは女の幸せについて手紙を受けた。あの時の手紙も淡い色をした封筒で花の匂いがしていたと記憶している。
尊敬する人の娘と婚約するなんて名誉あることだった。「君の知識の全てが欲しい」なんて色気のない愛の言葉を紡いでしまったのだと愕然としてしまった。私が欲しいと思った新しい物にはあの手この手と熱い言葉を紡ぐことが出来たのに、彼女の前に立ってしまうと柄にも無く緊張して舞い上がるのだ。彼女に飽きられない為に必死だった。そして彼女の知識の深さにはひたすら感動を覚えた。実行したいという姿でさえ美しかった。彼女が憂うことがないように手を尽くし協力した。初めて愛の言葉を贈った時の彼女は誰にも見せたくなかった。
私は確かに新しい物好きで、目新しい物があれば軽い腰が更に軽くなり、領地を離れ、自ら馬車を操る事も多い。貴族らしくなく傾奇者と言われても仕方がないとも思っている。けれど自分が欲した物が奪われ壊されようとするならば貴族らしく、領主らしくある事を選ぶ。
馬車が二台。彼女はどちらに居るか楽しみにしながら、彼女を迎える為にエントランスへと足を進めた。