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雌蝶の夢  作者: 土干士工
第一部
1/8

Préludes

「私と一緒に世界征服を目指しませんか?」

 それが彼女にかけられた、最初の言葉だった。

「世界征服? ってあの、秘密結社とかがやるあれ?」

「はい。秘密結社とかがやるあれです」

 緩やかなウェーブがかかった亜麻色の髪を微かに揺らし、無邪気な笑顔で彼女は答える。その甘く澄んだ声にはまだ少しあどけなさが残っていて、悪意や暴力の気配は微塵もない。

「何故そんなことを?」

 我ながら間の抜けた質問だ。けれど他に言葉が出なかった。

 彼女の瞳はあまりにも綺麗なエメラルドグリーンで、遥か彼方を見透かしているかのように妖しく美しい。それはまるで天使か悪魔の微笑。そうでなければ神に愛されているかのような、特別な人間にだけ許された表情。ただの痛い子には見えなかった。

「幼い頃からの目標なんです」

 彼女は答える。左右の五指をぴたりと合わせて、やや恥ずかしそうに。

「世界征服が?」

「はい」

 満面の笑みだ。

「本気なのか……」

「ええ」

「沙汰の限りだな」

「いけないことでしょうか」

「この際、善悪の問題じゃない。どう考えたって不可能だろう」

「あら、分かりませんよ? 世界は常に変化を続けていて、絶対なんか絶対になくて、偶然と不思議に満ち溢れているんですもの。それって素敵なことだと思いません?」

 彼女はきっと、夢を見ているのだ。生半可な痛みでは決して覚めることのない、大きな夢を。

 愚かと断じてしまえばそれまでである。身の丈に合わない野望を抱いた若者が、身の程を知らずに敵を作り、力及ばず敗れて倒れ、奈落の底にて死んでゆく。いつの時代でも、どこの国にもある話。

 世界は、現実は手強い。そう簡単には変わらない。良くも悪くも。

 大なり小なり、みんなが知っている。だから我々は安全な生活の代償として理不尽にも耐える。いや、目を逸らす。そんな暴力に立ち向かうよりは長いものに巻かれ、犠牲を忘れ、それなりの日常を生きる方が賢いとされているから。だから転覆を志す者はなべて秩序を乱す悪とされ、容赦ない排撃を受けるのだ。たとえその秩序が、誰かにとって最悪のそれであったとしても。

 しかし万一、彼女が世界征服を遂げたら? 少女の夢が現実となったら?

 勿論、彼女の悲願が叶えば今より良い時代が訪れるなんて保証は、実際のところまったくない。残念ながら。より悪い方へと向かうかもしれない。遺憾ながら。

 それでも上述の仮定は抗い難く蠱惑的で、終ぞ味わったためしのない、異様な興奮を与えてくれるのだ。

 その魔力は定めし、少女自身の魅力あってこそなのだろう。この少女になら託してもいい。如何なる激闘も迫害も耐えてみせよう。縦しんばその夢が、酸鼻を極める失敗に終わったとしても。

 そう臍を固めさせるだけの自信が、気概が、貫禄が、その瞳に宿っているのだから。

「質問を変えよう。世界征服の方法は?」

「長い話になりますので、我が家にてお茶でもいかがでしょうか」

 迷いはなかった。

 蝶のごとく優雅なその物腰に誘われ、危険も背徳も顧みず、大きな夢の待つ場所へと足を運んだ。

 自らの高鳴る胸に芽吹いたその感情が、野心ではなく、使命感でもなく、支配欲でもさえもなく、少女に対する恋情であるとは、まだ気付かずに。


 ところで、この会話も誰かの夢ではないと、果たして誰が言い切れるだろうか。

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