Préludes
「私と一緒に世界征服を目指しませんか?」
それが彼女にかけられた、最初の言葉だった。
「世界征服? ってあの、秘密結社とかがやるあれ?」
「はい。秘密結社とかがやるあれです」
緩やかなウェーブがかかった亜麻色の髪を微かに揺らし、無邪気な笑顔で彼女は答える。その甘く澄んだ声にはまだ少しあどけなさが残っていて、悪意や暴力の気配は微塵もない。
「何故そんなことを?」
我ながら間の抜けた質問だ。けれど他に言葉が出なかった。
彼女の瞳はあまりにも綺麗なエメラルドグリーンで、遥か彼方を見透かしているかのように妖しく美しい。それはまるで天使か悪魔の微笑。そうでなければ神に愛されているかのような、特別な人間にだけ許された表情。ただの痛い子には見えなかった。
「幼い頃からの目標なんです」
彼女は答える。左右の五指をぴたりと合わせて、やや恥ずかしそうに。
「世界征服が?」
「はい」
満面の笑みだ。
「本気なのか……」
「ええ」
「沙汰の限りだな」
「いけないことでしょうか」
「この際、善悪の問題じゃない。どう考えたって不可能だろう」
「あら、分かりませんよ? 世界は常に変化を続けていて、絶対なんか絶対になくて、偶然と不思議に満ち溢れているんですもの。それって素敵なことだと思いません?」
彼女はきっと、夢を見ているのだ。生半可な痛みでは決して覚めることのない、大きな夢を。
愚かと断じてしまえばそれまでである。身の丈に合わない野望を抱いた若者が、身の程を知らずに敵を作り、力及ばず敗れて倒れ、奈落の底にて死んでゆく。いつの時代でも、どこの国にもある話。
世界は、現実は手強い。そう簡単には変わらない。良くも悪くも。
大なり小なり、みんなが知っている。だから我々は安全な生活の代償として理不尽にも耐える。いや、目を逸らす。そんな暴力に立ち向かうよりは長いものに巻かれ、犠牲を忘れ、それなりの日常を生きる方が賢いとされているから。だから転覆を志す者はなべて秩序を乱す悪とされ、容赦ない排撃を受けるのだ。たとえその秩序が、誰かにとって最悪のそれであったとしても。
しかし万一、彼女が世界征服を遂げたら? 少女の夢が現実となったら?
勿論、彼女の悲願が叶えば今より良い時代が訪れるなんて保証は、実際のところまったくない。残念ながら。より悪い方へと向かうかもしれない。遺憾ながら。
それでも上述の仮定は抗い難く蠱惑的で、終ぞ味わったためしのない、異様な興奮を与えてくれるのだ。
その魔力は定めし、少女自身の魅力あってこそなのだろう。この少女になら託してもいい。如何なる激闘も迫害も耐えてみせよう。縦しんばその夢が、酸鼻を極める失敗に終わったとしても。
そう臍を固めさせるだけの自信が、気概が、貫禄が、その瞳に宿っているのだから。
「質問を変えよう。世界征服の方法は?」
「長い話になりますので、我が家にてお茶でもいかがでしょうか」
迷いはなかった。
蝶のごとく優雅なその物腰に誘われ、危険も背徳も顧みず、大きな夢の待つ場所へと足を運んだ。
自らの高鳴る胸に芽吹いたその感情が、野心ではなく、使命感でもなく、支配欲でもさえもなく、少女に対する恋情であるとは、まだ気付かずに。
ところで、この会話も誰かの夢ではないと、果たして誰が言い切れるだろうか。