第5話 アノ子ヲ迎エニ
健一の祖母が息を引き取ってから間もなくして父が病院へと駆けつけた。
父は自分が一足遅かったのを知ると祖母の死体の前で泣き崩れた。その横で健一はただ立ち尽くすことしか出来なかった。
余りにも突然の出来事で、現実を上手く受け入れることが出来なかったのだ。祖母を見詰める健一の目は恐らく何も映ってはいないだろう。ただ、その虚ろな目から涙がとめどなく溢れていた。
「健一、家へ帰ろう。おばあちゃんと一緒に家に帰ろう。」
泣き崩れていた父が顔を上げ、不自然なくらい落ち着き払った声でそう言った。健一は父の言葉をよく理解しないまま頷いた。
――自宅――
家に着いて健一がまず始めにした事は、祖母が倒れた場所に散乱する食器の破片を片付けることだった。
大きな破片を手で拾っていると、祖母が昔のように箒と塵取を持って来て「健一、また皿割ってしまったんかいな。危ないからどいてろ。」と言って片付けを手伝ってくれるような気がして、と同時にそれはもう叶わない事なんだと気付いて健一は悲しい気持ちになった。
ようやく止まった涙がまた溢れてくる。耐えられないほどの悲しみに襲われ、健一はその場で声を上げて泣いた。
父が健一に「もう片付けはいいから部屋に戻りなさい」と言い、健一に代わって破片を掃除し始めた。
部屋へ戻ろうと階段を登る健一の寂しそうな背中に父が声をかけた。
「健一、大事な話があるんだが……いや、後でもいいか。通夜とか葬式とか一段落してから話す。父さんが話すの忘れてたら、お前が聞いてきてくれ。」
翌朝、今日から夏休みだというのに健一はいつも通りに目が覚めてしまった。
外は昨日の出来事が嘘だと思えるくらいの快晴である。健一は小さな窓から外の風景を暫くの間眺めていた。健一の目に映る窓の外は、こちら側とは別世界のように見えた。
「健一、起きてるのか?」
下の階から父の声がする。健一は返事をすると、部屋から出て階段を下りた。一階には線香の臭いが充満していて、昨日の出来事が事実だと言う事を雄弁に物語っていた。
「お婆ちゃんに線香をあげてきなさい。あとお水も。」
父は健一にコップに入った水を手渡した。健一はそれを受け取り、祖母の枕元に腰をおろした。
祖母の頭の所に置いてある台の上にコップを置き、その横に線香を立て、手を合わせる。祖母の顔には白い布がかかっているが、健一はそれを取る勇気が無かった。其処にある死体が祖母のものだと、顔を見たら認めざるおえない。健一は心のどこかにまだ祖母の死を認めたくない気持ちがあった。
しんと静まり返ってしまった健一の家とは正反対に、外の時間はいつも通り流れていた。
朝早いにも関わらず、昆虫採取に行く子供達の嬉しそうな声が聞こえ、遠くでは波の音と船の汽笛の音が聞こえていた。
―汽笛……?もしかして―
「なぁ、本土からの船って何時に着く予定だ?」
「んー、7時半。あと30分後か…」
健一は慌てて部屋に戻り港へ行くために支度を始めた。今日はあの子が来る日である。祖母の遺言をすっぽかすわけにはいかない。
「ちょっと港に行ってくる!!」
「ちょっと、健一!?」
健一は悲しみを振り払うかのように港へ向かって駆け出した。
健一が港に着く頃にはもうすでに船は来ていた。腕時計を見ると7時20分。走ってきたので20分で此処まで来れたが、船も予定より早く着いたらしい。
健一は船から待ち人が降りてくるのを待ったが、一向にその気配は無い。
―おかしいな、今日来るはずなのに……―
そう思ったその時、後ろから肩を叩かれ、まるでどこかの社長のような威厳たっぷりの声が聞こえた。
「健一君、今年も遅刻だねぇ。」
健一が振り返ると其処には誰も居らず、待ち人はいつの間にか健一の正面へとまわっていた。
「――なんちゃって。ふふ、元気にしてた?健ちゃん。」
「沙苗…さん!」
田村沙苗、田村苗の双子の姉である彼女は年に一度苗と入れ替わりでこの島へ来る。それ以外の日は本土で両親と暮らしているらしい。詳しい事は健一も知らない。
苗と双子と言う事は、健一と同い年だということであるが、何故か健一は毎年会ってすぐは敬語を使ってしまう。その度に、
「ほら、またそうやって敬語使って!久々に会ったからって余所余所しいわよ。」
と言われてしまう。
「あーあー、何か水臭いわねー。せっかく同い年の友達が出来たと思ったら毎年これでさ。」
「ごめん……。」
「あら、今年はやけに素直ね?」
いつもなら健一も色々と言い返すところだが、今回はそんな気にはなれなかった。
忘れられたくても忘れられない祖母の死、頭の片隅に追いやってもそれは一時的なもので、思考はすぐに‘祖母の死’という事実に占領されてしまう。
「どうしたの?さっきから黙り込んじゃって?」
「うるさい!」
健一の怒鳴り声に沙苗の動きが止まる。
健一はこの後、酷く後悔した。