第2話 幼子ノ記憶
「ただいまー。」
「はい、おかえりなさい。」
健一が気だるそうに玄関の戸を開けると、土間で祖母が草履を編んでいた。健一は、祖母の横を通り、バタバタと自分の部屋へ向かう。
「こら、健一。履物はちゃんと揃えなさい。それともっと静かに歩け。」
厳しいが、優しい口調で祖母がそう言うと、健一が踵を返し祖母の隣に戻ってきて履物を揃えると、祖母はうんうんと頷いた。
「父さんは?」
「まだ帰ってない。本土の方に米の買い付けさ行ってる。」
健一の住んでいる島――稲櫛島では米が採れない。
土地が悪いのか、気候のせいなのか、米を栽培しようとしても上手く育たず、僅かしか採れない。しかし、この島の住人の苗字には皆「米」という字が入っている。色々な説があるが、苗字に「米」という字を入れて、米の有難さを常に意識するようにしていたというのが有力な説である。
そんなわけで、健一の父は本土に行き、島民の為に米を仕入れる仕事をしている。それ以外の時は、本土の会社に勤めており、休日手が空いているときは島の漁師の手伝いをする。人柄もよく、近所の人からも評判が良い。そんな父を健一は尊敬していたし、誇りに思っていた。健一が「父のようになりたい」と思うのは必然的であろう。
「ふーん、そっか。じゃあ帰りは遅くなるんだね。」
祖母が答える前に、健一は鞄と、卓袱台の上にあった煎餅の袋を持って、2階にある自室に向かった。
健一は自室に入り、鞄を床に放り出すと煎餅の袋と一緒にベットに寝転んだ。煎餅を齧りながら、手元にある漫画本を読みだす。勉強机には一応参考書などが積んであるが使っている様子は無い。とても受験生とは思えないが、それもその筈である。何故なら健一は学校推薦がもらえる事になっていた。その関係で本土の私立校には確約がとれていたので、極端に言ってしまえば受験とは無関係なのである。
健一は漫画本を読みながら、いつの間にか眠ってしまった。
「あ、お父さん」
それは夢の続き。少年の後ろにはいつのまにか父が立っていた。大きな手で少年を抱き上げる。
「何をしてたんだい?」
「んーとね、かくれんぼ!」
まだ、あどけない口調で少年が言うと、父はにっこりと微笑んだ。「そうか、もう友達が出来たのか」と言って、少年の頭を撫でる。
「お父さんは何してたの?」
少年の問いかけと同時に強い風が吹いた。木々がざわざわと揺れ、父の声がよく聞き取れない。
風が止んで視界が開けると、そこに父の姿は無く、少年は一人その場に残された。
あの祠と赤い鳥居と一緒に――。
「おーい、健一。晩飯だぞー。」
今度は1階から大声で呼んでいる祖母の声で健一は目を覚ました。
もうそんな時間なのかと、目をこすりながら居間へ向かう。そこには祖母と、そして父の姿もあった。
「お、寝坊助が起きてきた。」
健一の眠そうな顔を見て、父はそう言った。祖母はそれを聞いて遠慮なく笑う。
「まぁ、健一の歳じゃ育ち盛りだ。よく食べて、よく寝ることが基本だべ?」
「そりゃそうかもしれないけど、勉強もしないとなぁ?いくら高校が決まったも同然だからといって、寝てばっかりじゃ…なぁ、健一?」
健一は無言のまま黙々とご飯を食べる。勉強してないと言われると、正直耳が痛い。余程勉強が好きな人で無い限り、「勉強」の話題を出されて嬉しい人はいないだろう。ましてや自分があまり勉強していない時に言われるのなら尚更だ。
そんな健一の心中を察してか、父と祖母は話すのを止めた。
暫し無言。
「あのさ……」
沈黙を破ったのは健一であった。
「今日、同じような夢を2回見たんだよね。夢って言うより、うん。昔行った事ある場所のような気がして。」
「ほぅ?どんな場所だい?もしその場所が実在していて、気になるのなら行ってみるかい?」
「きっと、この島にある山だと思うんだけど。あそこにある神社じゃなくて、もっと奥に小さな祠みたいなのなかったっけ?」
一瞬だけ空気が凍りついたようにしんと静まり返った。
しかし、それが気のせいであるかのように、話は明るい雰囲気で再開された。
「へぇ?そんな場所がこの島にあるのかい?」
「わたしゃ聞いたこと無いねぇー。」
二人は健一に遠まわしに其れはただの夢であると教えた。しかし、健一は自身の記憶のような夢の事をただの夢と言われても納得がいかず、更に先程の違和感のある間も、彼の疑いに拍車をかけていた。
何かを隠されている気がする。健一はこの時はっきりとそう思った。
けれども心のどこかで期待をしていたのだ。
勘違いであってほしい――と。
健一は知らない。彼の疑問が核心に迫っているという事も、これから起こるであろう悲劇も、まだ何も知らない。いや、知る由なんて今はまだ無いのだ。