第10話 何モ言ワナイ、ソシテ言エナイ
「思ったとおりだ。この島は稲櫛島の‘暗黒史’てなわけか。どーりで隠したがるはずだぜ。」
悠樹の声で健一は我に返った。いや、現実に引き戻されたと言うべきだろう。悠樹の言うとおり、この島での出来事を稲櫛島の人々が隠しているのだとすれば、これを知った自分たちはただでは済まないのではないか、と。島民の中でも一部の人間しか知らない事実を知ってしまったのであれば――
「悠樹、帰ろう!今すぐに!!」
その先は考えたくなかった。そう言うや否や走り出す。悠樹も同じ考えに至ったのか、頷くと同時にボートの泊めてある方向を目指して一目散に走り出した。
風のように通り過ぎる景色の中で、健一はあるものを目にした。それは夢の中でみたような真っ赤な鳥居であった。
あの場所から二人は逃げるように立ち去り、無事に稲櫛島へと帰ってきた。どうやって此処まで辿りついたのか二人は記憶が無い。それほど焦っていたのだ。しかし、不幸中の幸いというべきか、二人が港に着いた時、港には昼間だというのに誰一人居なかった。これでボートを無断で乗り出し、あの島へ行った事もバレないと二人はほっと胸を撫で下ろした。
「今日はもう帰ろうか。なんかどっと疲れちまったし。」
「お、おう。じゃあな。」
二人は足早に帰路についた。まるで二人で居た事を隠すかのように……。
健一が家に着くと、父はまだ帰ってきておらず家の中には誰も居なかった。健一は約束を破った事が父にばれていないと、またもや胸を撫で下ろした。
にも関わらず、得体の知れない恐怖と不安が健一の中で渦巻いていた。自分はとんでもない過ちを犯してしまったのではないかという不安に囚われ、父の不在も仕事以外の何か他の理由で帰ってこないのではないかと、ますます不安になる。
あの夜から父のことなど知るものかと思っていたが、今はそんなことを言う気にはなれなかった。その得体の知れない感情を振り払うかのように、健一は自分の部屋に入ると布団にもぐりこんだ。
「お母さんが、亡くなった…?」
健一は父から知らされた母の訃報をこの時よく理解できなかった。これは健一の祖父が亡くなってから丁度1年後の話。本土から戻ってきた父は健一にこう告げた。健一は暫くの間理解できず、ぼーっとその場に立ち尽くしていた。
父が背を向け、立ち去ろうとした時、健一はやっとの思いで言葉を発した。
「お母さんに会いたい。」
父はその言葉にゆっくりと振り返った。「駄目だ」と否定するその声はどこか弱々しく、顔面は蒼白であった。
「今のは…夢?」
夢から覚め、健一は伏せていた顔をあげた。時計は午後七時を告げている。生々しいくらいリアルな夢……それは夢ではなく過去にあった出来事だった。
祖父が亡くなった1年後に母が亡くなった。どんなに父と母が喧嘩をして自分も辛い思いをしても健一にとって代わりの無いたった一人の母親だった。健一は母の顔を永遠の別れの前に一目見たかった。にも関わらず父はそれを否定し、自分も会いに行こうとしなかった。健一はこの時、初めて父に対して怒りを感じた。今と同じように暫くの間父と口を利かなかった。
「父さんはいつだってそうだ。」
健一の大きな声での独り言。
「父さんは、いつだって肝心な事は何も言わずに隠してるんだ。」
ふと、‘父’という言葉が引っ掛かった。時計は午後七時を指している。つまり父がとっくに帰ってきている時間である。にも関わらず1階からは人の気配も物音も何もしない。
心配ではあったが、変なところで意地を張り健一は知らぬふりをしていた。
それから、2時間が経過しても父は帰ってこなかった。時計の針は9時を指している。港に船は着いている筈なのに父が帰ってこないという状況に、健一は次第に不安に、そして心配になった。
―港に様子を見に行こう―
そう思い、部屋から出て、玄関へ向かい、そこで靴を履いている、ちょうどその時であった。
ガラガラガラ!!
勢い良く玄関の戸が開いたかと思うと、そこには父が立っていた。
その顔は夢に見た父の顔より蒼白であり、具合が悪そうであった。
「な…と、父さん…どうしたんだよ。」
「おま…え……や…そ…く…破…たな……」
そう言って父は健一の上に倒れこんだ。健一は慌てて父を支えた。そして、父の後ろにはずぶ濡れの沙苗が立っていた。雨が降っているわけでもないのにずぶ濡れ…そして父の具合、何かがおかしい。
「どうしたんだよ、沙苗!一体何があったんだよ!!」
「……た…わね」
その声は小さく、震えていて良く聞き取れない。
「今なんて…」
「約束を破ったわね!!!」
その声は静寂の中突如響き渡る雷のようであった。