第2話
こんなに集中しているのは、高校受験以来だろうと、琴美は思う。
今まで、色々なゲームをプレイしてきたけれど、その世界に入り込んだり、キャラクターの一言に心を動かされたり、そんなことは一切なかった。
だけど『君だけの執事』は違う。
スマートフォン越しの、簡単な操作をしているだけなのに、本当に、自分はこの世界の主人公で、彼らと恋愛しているのだという感覚に陥ってしまうのだ。
恋愛ゲームというのは、どれもこんな感じなのだろうか。
それとも、こんなにも心を奪われてしまうくらい、琴美は人生に疲れているのだろうか。
「母親の再婚相手が資産家だったため、主人公は、急遽、豪邸に住むことになり、そこに従事する執事との恋愛を楽しむ」という設定の『君だけの執事』には、全部で30人の執事が登場する。
その30人の中から、お気に入りの執事を1人選び、そのキャラクターとの恋愛をメインに、ストーリーを進めていくのだが、琴美が選択したのは、「タクト」という、見た目が美少年系の、誰に対しても気さくな執事だった。
執事たちの自己紹介画面を見たとき、恋愛ゲームは初めてだし、どのキャラクターのイラストも綺麗なので、誰を選べばいいのかと悩んだのだが、スマートフォンから流れてきた、タクトの声を聞いた瞬間、うろうろと迷っていた指が止まった。
「初めまして。タクトです。気軽に何でも言ってね」
(可愛いのに、なんて色気がある声なんだろう。聞いているだけでドキドキする)
一目惚れならぬ、一声惚れというやつなのかもしれない。
まだ、執事の自己紹介が、3分の1ほど残っていたが、琴美は、タクトが表示されている画面で、この執事で決定というボタンを押したのだった。
それにしても、ゲームを始めた時は、30人なんて、多すぎると思っていたのだが、世の中には、100人以上のお相手が登場する恋愛ゲームもあるらしい。全部クリア出来る日は来るのか、それ。
「もおーっ!タクト、かっこよすぎだよっ!」
毎度のことながら、スタッフルームいっぱいに響く独り言。
他人が、今の琴美を見たら、相当、痛い女性だと思うだろう。
でもいいのだ。
「MUSIC CASTLE」は、アルバイトスタッフの人数が少ないため、必ず1人ずつ休憩に入るので、他のスタッフとかぶることもないし、就職活動に苛まれている今、多少の痛い独り言くらいは許されるだろう。……恐らく。
「やば!もうすぐ休憩終わりだ!」
このゲームをプレイしていると、30分間の休憩が、30秒くらいに感じる。
オーバーな表現だと思われるかもしれないが、実際そうなのだから仕方がない。
琴美は、洗面台で口をすすぐと、鏡で服装の乱れをチェックして、スタッフルームを出た。
フロントに着くと、近くのカラオケルームのドアが開き、店長が出て来た。
「MUSIC CASTLE」の店長、神谷 武彦。
明らかに、元ヤンキーであろう、イカつい見た目なのだが、それに反して、性格は温厚。語尾を伸ばしたゆるい話し方で、いつもスタッフたちを癒している。
「天宮さーん。今日から新人くんが入るから、教育よろしくねー」
「え?新人くん?」
そういえば、よく見ると、ニコニコ笑う店長の少し後ろに、うつむき気味の男性が一人立っている。
「狩野 佑理くん。いずれはキッチンをお願いしようと思っているんだけどー、とりあえずホールから教えてあげてー」
店長は顔の前で両手を合わせ、お願いのポーズをした。
18歳の時から「MUSIC CASTLE」で働いている琴美は、今、働いているスタッフの中では、一番の古株だ。
そのため、バイトリーダーのような役目を任されていて、新人教育も、仕事の内だった。
店長が、琴美への挨拶を促すように、佑理の背中をぽんっと叩く。
「……狩野です。よろしくお願いします」
全く目を合わせず、あからさまに不機嫌そうな態度で、佑理は軽く頭を下げる。
「天宮琴美です」と返しながら、教えるのに、苦労しそうなタイプだなと、琴美は、苦笑した。
(あれ?でも、なんだろうこの違和感。私、この人と前にどこかで会ったことがあるような気が……)
琴美は、もう一度佑理の顔を見る。
いや、初めて見る顔だ。全く覚えがない。
凝視し続ける琴美に、佑理は、眉を寄せて「あの……何をすればいいですか」と呟いた。
その声で琴美は我に返り、
「あっ、ええっと。じゃあ、まずは、こっちに来てもらえるかな?」
佑理を連れて、裏口近くのパントリーまで歩き出す。
「僕は、今日、用事で深夜まで帰らないからー。後のことはよろしくねー」
後ろから、店長の声が響いてきたので、琴美は、振り向くと、両手でOKのサインを作った。
パントリーに入ると、他の従業員が、モップを片手に話し込んでいた。
それはそうだろう。今日は火曜日。そして今は14:00。
ド平日のこの時間は、ほとんどお客さんが入らない。
こんな日に、はしゃぎ盛りの若者が集まれば、しゃべり場状態になってしまうのも無理はない。
「みんな、今日から働いてくれる、狩野佑理くんです」
「どうも、狩野です」
琴美が、他のスタッフに向かって佑理を紹介すると、佑理は、琴美にしたように、うつむいたまま軽く頭を下げた。
「なんか、クール系だね!よろしく!狩野くん」
佑理が発する、寄るなオーラにも動じずに、握手を求めたのは、八雲 芽依。
「MUSIC CASTLE」のムードメーカーであり、琴美の大切な趣味仲間、そして、時には相談相手である。
さすがに、拒否をするのは失礼だと思ったのか、佑理は、うつむいたまま、芽依の手を握った。
「男性スタッフが増えて良かったー!よろしくな!」
芽依と佑理の握手シーンを見て、近づいても大丈夫なんだと安心したのか、伏見 光彩が、店長同様、佑理の肩をぽんっと叩いた。
光彩は、体育大学に推薦で入学したスポーツ少年で、力仕事ではいつも頼りになる存在だ。
「あ、でもこれで、男女半々くらいになったんじゃない?」
「ん?そうだっけ?まだ、男子のが少なくなかったか?」
芽衣と光彩が、アルバイトスタッフの男女比を確認し合う。
「狩野くん入れると、ちょうど、5人ずつだよ」
琴美は、2人の話に入りつつ、ちらっと佑理の顔を見たが、相変わらず、その表情に変化はなかった。