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08 ストリート・ファイティング・ウーマン

 城址ふれあい公園の南側の通りを東に歩いてゆくと、すぐにお濠端の交差点に出る。

目の前にはクスランデパート。地元民にとってのファッションから嗜好品、玩具、食料品にいたるまで、日常のありとあらゆる物が並んでいる夢のお店だ。

僕も中学の頃は、毎週日曜の朝になると、当時流行していた某ロボットアニメのプラモデルを買いに、このデパートのドアの前に並んだものだった。子供の間の情報ネットワークと言う物は意外に侮りがたいもので、週末が近づくにつれ、「何月何日に、どこそこの店にどの模型が入荷するぞ」なんて情報が仲間内で(まこと)しやかに囁かれはじめる。こういった情報を耳にするや、僕らは日曜の朝になると仲間内でつるんで、汗をかきながら自転車を漕いで、そのお店に突進していったものだ。

悪友の森竹や、今はよその学校に行った小木曽君たちは、みなその当時からの仲間だ。

ところがそういった「情報」を入手したのは、必ずしも僕たちだけではなかったと見えて、開店前、まだ開かないデパートの玄関の前には、いつも複数組の「ライバル」たちが(たむろ)していたものだった。

…もしかするとお店の発注者自身が、販促の為にあちこちの子供にリークしていたのかもしれない。

僕らはお互いに会話する事もなかったが、誰もが「目的」をひとつにしていた事は明確だった。それは午前10時の開店アナウンスが近づくにつれ、周囲に緊張感がみなぎってゆく事からも明らかだったのだ。

僕らは開店を告げるアナウンスを聞き逃すまいと、息を潜めてただその時を待つ。

ガラス越しの向こう側には、店員のお姉さんたちが待機していたのが見えたけれど、彼女たちの目には、僕たちはきっと映画に出てくる餓えたゾンビたちの群れのごとく映っていただろう。

そして午前10時ジャスト。

『お待たせいたしました。本日も当デパ-トにご来店いただき、真にありが…』

自動ドアが開いて、店内に待望の開店アナウンスが流れはじめるけど、事ここに及べばそんなの誰も聞いちゃいない。

小中学生の姿をしたゾンビどもの群れは、堰を切った様に店内になだれ込む。

彼らが向かうのはエレベータかエスカレータ。

このどちらを選ぶかという選択が、そのまま当日の釣果に直結する。

己の脚力に自信のある者ならエレベータ一択。玩具売場のある6階まで、もちろん3段飛ばしで猛ダッシュ。各階の折り返しでは、エレベータのベルトを掴んでターンする猛者までいたと聞く。風聞に僕の知人の一人は、その後陸上部のエースとなって、県大会のレコードを塗り替えたそうだ。

一方、エレベータ派。

開店と同時に、2碁あるエレベータは、どちらも平均年齢12~14歳の男子ゾンビどもで埋め尽くされる。彼らの目的地はどうせ一緒なのだし、途中の各階で止まる事などないから、順調にゆけばこちらの方が速い。

人力より電動、しかも対角線上移動に対して垂直移動。こちらの方が「合理的」なのである。

ただし。こちらには「素人」が陥りやすい盲点がいくつかあった。

開店と同時に、我先にとエレベータになだれ込むのは場数を踏んでいない素人だ。

先に飛び込んだ連中は、後から来る連中に押されてエレベータの一番奥に追いやられてしまう。そうなると、目的の階に到着した時、今度はエレベータから脱出するのが一番後になってしまうのだ。だから心得たる者、要領のいい者は一番最後に乗る。もっとも、ここで見極めを誤ると定員超過でブザーが鳴ってしまう。1秒を争うこの熾烈な戦いの中で、1本乗り過ごすというのは致命的な敗因になってしまうのだ。

 目的の玩具売り場がある6階までは、無気味なくらいの沈黙が続く。誰もが目的の為に全神経を集中させているのだ。己が目的のためだけに、すべてを排してただただ集中する。それは、ある意味では武道の精神に通じる物であった…かもしれない。

目的地までの、およそ1分間の沈黙。

チーン、というチャイム音と同時にエレベータのドアが開く。

そこから出没するのは、まさにジョージ・A・ロメロ監督の、あのホラー映画のあまりにも有名なシーンの再現だ。

この連想は、我ながら妥当な物だと思う。僕を含めたこの連中(ゾンビーズ)の渇望していた物が、人肉なのかプラモデルなのかというだけで、そこにはさほどの違いはなかったし。

店内に群がったゾンビどもは、一目散に目的のプラモデル・コーナーに疾走してゆく。

目指す物は、この際、あのアニメのシリーズ関係の物ならばどれでもいい。目についた物をがっし!と掴んで、そのままレジまで突進。お目当てのモデルは、後で仲間内で交換すればよいのだ。まずは「ブツ」を確保するのが最優先事項。

開店からわずか数分間の過激な攻防戦。聞けば、一時期は都内のデパートでも同じ様な事態が頻繁に起こり、ついには怪我人まで出てしまったそうだけど、わが群馬はそれに比べればまだ牧歌的だったのか、それとも自転車で鍛えられた上州っ子の尋常ならざる脚力がモノを言ったのか、そういった事故の話は耳にしなかった。

 …そんな過日の己が思い出を胸に、僕は交差点に立ってデパートのビルを見上げた。

あの頃の熱い思いは今も覚えている。

そして今。過日とはまた違った熱い思いがこの胸の中で高鳴っていたのだ。

いいや、ベクトルが変わっただけで、僕のこの思いの質そのものは変化などしていないのかもしれない。

その思いは、背中に背負ったギターに集約されていた。

手にするのがニッパーとかセメダインのチューブから、ピックとか音叉に変わっただけ。

いったん夢中になると、とことんのめり込むのが僕の気質。最近では、僕みたいな奴の事を一部で「オタク」なんて呼びはじめたみたいだけど。

「…どうしたんです?急に立ち止まっちゃったりして」

横に並んだ文ちゃん先輩が、不思議そうに僕の顔を見上げた。

「…あ、いや、色々と感慨深い物がありまして、考え込んじゃいました」

「くす。ステージ・デビューしちゃったんですものね」

「あー、ひと段落終わったら、何だかお腹減っちゃいましたよ。文ちゃん先輩は、トンキーには行った事あります?」

「ありますよ。あそこのかつ丼、とっても好きなんです」

かつ丼を頬張る文ちゃん先輩か。何だかイメージしにくいけど、可愛いだろうな。

僕たちは一方通行の車道の脇の歩道を歩いていった。

右側には、最上階が円筒形の展望台になっているビルがある。

あそこは、かつてはレストランになっていて、市内を一望しながら食事ができたけど、ビルのオーナーである某デパートの経営が傾いて撤退してからはどうなっているのか。

その特異な外見だけは昔のままだ。

文ちゃん先輩も、僕と並んでビルを見上げていた。彼女にも、何か思い出があるのだろうか。

「…ここ、昔お父さんとママがデートした場所そうです」

「あ、そうなんですか」

文ちゃん先輩のお父さんには、まだお会いした事がない。何でも地元新聞の記者さんで、今はずっと京都支局の方に単身赴任されているそうだ。僕の叔父も同じ新聞社にいるから、今度会ったら聞いてみようかな。

「ふふ。ちょうど今の私たちみたいだったのかなあ…」

文ちゃん先輩は、はにかむ様に言った。

あ、そうか。これだって傍からはデートにしか見えない、かもしれない。

「私たちも、あそこでお食事ができればよかったのですけれど…」

「ですね」

僕たちは、しばしの間、ちょっと素敵な想像に浸っていた。だから、その突然の事態

への対処が遅れてしまったんだ。

僕は突然、腹部に衝撃を覚えた。

「うわ?」

その衝撃自体は大したものではなかったけれど、あまりにも突然の出来事だったので、僕は何事かと動倍してしまった。

何事かと見ると、小さな男の子が僕に抱きついてきたのだった。

「な…何だい?」

その男の子は泣きそうな顔で、

「怖いおじさんが…」

と訴えてきた。

「怖いおじさん?」

男の子の目線の先を辿ってゆくと…あ。

そこには、威圧的な巨漢の男が、こちらに向かってくるのが見えた。

やたらと筋肉質で、デカい。さっき知り合ったばかりの水嶋君だって僕より背が高かったけれど、あの男は横幅もデカかった。

おまけにスキンヘッド。腕にはタトゥー。

水嶋君のはマーカーの手書きだったけど、こいつのはどうやら本物みたいだ。

その魁偉な容貌には不似合いな黒縁の眼鏡を掛けているのも、かえって不気味さを増していた。なるほど、こりゃ怖いわ。

スキンヘッドは男の子の姿を見つけると、こっちに走ってきた。

「おぅ、小僧。そのガキはテメェの連れか?こっちによこせや」

目の前に立ちはだかられると、予想以上にデカいな。

「…この子がどうしたんですか?」

「あぁん?そんなコト聞いてどうする」

「事情が分からなければ、お答えしようもありません」

「このクソガキ、俺様の足をいきなり蹴りやがったんだ」

「嘘だ!」

男の子は震えながらも抗議した。

「先にオジサンが、僕の妹を突き飛ばしたんじゃないか!」

「そんなコトしねえよ」

「嘘だよ!」

男の子は必死に訴えていた。その表情はとても嘘を言っている様には見えなかった。

「どういう事?おねえちゃんにも話してくれないかな?」

文ちゃん先輩は、男の子を刺激しない様に穏やかな口調で語りかけた。

「…あのね、この先の角で妹と信号待ってたら、横にいたこのオジサンがたばこふかしてて、その灰が妹に降りかかって妹がむせたんだ。だから僕がこのオジサンに、たばこやめてよって言ったら、何だって言っていきなり妹を張り飛ばして…」

「…その妹さんは?」

「近くにいたおとなの人が起こしてくれた。だから僕はこいつを蹴ったんだ」

「それは本当?」

「嘘なんかつくものか!」

「うーん…それは確かに、君だって怒りたくなるよなあ」

僕は、まだしがみついたままの男の子の頭を撫でてやった。

「あぁ?てめぇ、このガキの味方するのか!?」

「いや、味方も何も、悪いのはあなたの方みたいですし…」

「何だとぉ!?」

スキンヘッドは僕の胸ぐらを掴んで威圧してきた。

「…あの、やめてもらえませんか?でないと…」

「あぁ?でないと、何だ小僧?」

「…僕の横のまいはにーさんが黙ってないと思います」

「あぁ?何だそりゃ」

スキンヘッドは僕の横にいる文ちゃん先輩を見降ろした。

「…この胸のないチビガキか?」

あ、いけない。文ちゃん先輩にとって最も禁忌のキーワードだよそれ。

…ん?文ちゃん先輩、笑ってる?

これは怖い。

「とってもダンディーなおじ様?ちょっとちょっと」

文ちゃん先輩は、スキンヘッドを手招きした。

「何だガキ」

「ちょっとお耳を貸してくださいません?」

スキンヘッドは、その大柄な体をかがめて、文ちゃん先輩に身を寄せた。

「何だよ」

「んー、もうちょっと近く」

「あぁん?」

スキンヘッドは文ちゃん先輩のすぐ前に顔を差し出した。そこに渾身の一撃!

うん。アレは伝説の格闘家・李 小龍がよくしたという幻の「ワンインチ・パンチ」って奴だよな。いい感じで力が乗ってる。

至近距離からの、目にも止まらない速さの拳の破壊力たるや恐るべし。

文ちゃん先輩ってば、いつの間にマーシャル・アーツの秘技なんかを体得したんだろう。

小さな小さな拳とはいえ、鼻の頭への直撃とくればコレは痛かろう。

堪らず、スキンヘッドは僕の胸ぐらを掴んでいた手を放して翻筋斗(もんどり)打って倒れた。

「ひょおぉ~」

なぜか中国拳法っぽい型を構える文ちゃん先輩。あ、やっぱ親指で穴の下を撫でてる。

でも、あの型はテキトーに違いない。

しかし次の瞬間には、スキンヘッドは再び立ち上がってきた。

「なっ、何しやがるチビ!」

あーあ。オジサン、それを言っちゃあオシマイだよ。

ズレた眼鏡を直すのも忘れて、スキンヘッドは再び文ちゃん先輩の前ににじり寄った。

しかし文ちゃん先輩は少しも慌てず、スキンヘッドの目の前に両のてのひらを差し出すと、ぱん!と手を打って呟いた。

「――(シツ)

スキンヘッドに何が起こったのか。

それを分かっていなかったのは、誰でもないスキンヘッド自身だったろう。

「やっ、やろう!どこに行きやがった!?」

スキンヘッドは周囲をきょろきょろと見回している。僕たちが目の前にいるのにもかかわず。

「逃げンのか!あぁ!?どこに行きやがった!?出てきやがれ!!」

「さ、行きましょ志賀君。そこの男の子も」

「あ、はい」

「う…うん」

喚き散らすスキンヘッドの姿に周囲の人々が何事かと驚く中、僕たちはそそくさとその場を後にしたのだった。

「おねーちゃんすごーい!どうやったの?」

男の子は、喜々として文ちゃん先輩に話しかけてきた。

「あ、あれね?あれは『猫だまし』っていう奴。ほら、おすもうさんもよくやる奴」

「へー、そうなんだ」

嘘だ。またこっそりとお得意の魔法を使ったのに違いない。

少し歩くと、何人かの大人に支えられた少女が待っていた。ああ、この子が妹さんなんだな。

「頼子!怪我はないか?」

「う…うん、だいじょうぶおにいちゃん…おにいちゃんこそだいじょうぶだった?」

「あ、おれはだいじょうぶだよ。このおねえちゃんが助けてくれたから」

「お…おねえちゃん、ありがとうございます」

妹さんはぺこりと頭を下げた。礼儀正しいいい子だな。

僕たちはそこでこの兄妹と別れた。去り際に何度も手を振ってくれたのが嬉しかった。

すると文ちゃん先輩は、いきなり拳を天に突き上げて、

「いぇーい!ろっくんろーる!」

なんて叫んでいた。

はは。やっぱ、さっきのヘビセンターさんのステージに感化されてるよ、このやたらと影響を受けやすいまいはにーさんは。

いつもと違って、やたらと好戦的だったのも道理だわ。

ちょっとしたトラブルはあったけど、僕たちはトンキーにやってきた。

もうずいぶんと前からこの場所にある、老舗のトンカツ定食屋さんだ。少し厚めのコロモがカリッとした食感で、何度食べても飽きてこない。

まだ正午よりちょっと前のせいか、意外にお店は空いていて、僕たちは待つこともなく席につく事ができた。

僕は子供の頃から何度も食べ慣れているかつ丼を注文した。文ちゃん先輩は上州名物・ソースカツ丼。挙げたカツを独特の甘辛いソースに漬けた、風味豊かな逸品だ。

僕たち上州人には馴染みのあるメニューだけど、このソースカツ丼という奴は、他所ではあまり知られていないらしい。このメニューは、どうやらここ群馬県が発祥らしいとも聞く。

もっともその元祖は高崎ではなく、お隣の県庁所在地前橋市にある「西洋亭」ってお店なのだそうだ。

僕だってソースカツ丼は大好物だけど、久しぶりにこのお店に来たら、子供の頃に父に連れられて食べたかつ丼の味の方が懐かしくなってしまったのだ。

しばらくして出てきた、とっても懐かしい味に舌鼓を打って、僕たちはトンキーを後にした。

うん。美味しかった。またこよう。

さあて。午後はプロのみなさんの演奏を堪能させていただこうじゃないか。きっと凄いプレイが聴けるんだろうな。それに水嶋君の言ってた、本郷信太郎さんって人のプレイも楽しみだし。…僕と同じ様なギター・スタイルか。どんな感じなんだろう。

ついさっきの騒動も忘れて、僕の足は自然に軽やかになっていた。

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