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04 キャノンボール・ラグ

…エラい事になった。

『――だからね、もうそろそろ、街角でプレイしてみてもいいんじゃない?』

鮎子先生のそのアドバイスは、僕にとってはあまりにも衝撃的だったのだ。

そりゃあね、僕だって妄想の中ではスポットライトの照らし出すでっかいステージに立って、カッコよくギターを弾く自分の姿を思い描いた事だって一度や二度じゃないよ?

それはギター弾きなら、誰もが一度は頭の中に描く事だ…そうだろ?

でもね、実際に人前でギターを弾いてみたいなんて事は、およそ考えた事がなかった。

クラスメイトに「弾いてみせてよ」なんて言われて腕前を披露した事くらいはあるけれど、それだって、基本的には自分自身の意思による積極的な物ではなかったし。

僕にとってギターとは、弾くこと自体が楽しい物だった。左手のフォームと、弦を爪弾く右手の息がぴったり合った時に生まれる、鈴の様な美しい音が出せた時の官能。

何度も何度も繰り返して、初めはぎこちなかったフレーズを、流れる様に弾ける様になった時の達成感。

最近は、自分の弾くギターと己が口元から漏れ出たメロディが溶け込んで、ひとつの「歌」になる喜びも覚える様になってきた。

…それらはあくまでも自分のための物だった。やがて文ちゃん先輩と出会ってからは、彼女に捧げてみたいと思う様になった。鮎子先生の歌との共演は、僕のギターをもっともっと高い次元に導いてくれる道標(マイルストーン)

多少、セカイが広まってきたとはいえ、僕のギターは、あくまでも自分を含めて最大三人だけのための物だったのだ。

井の中の(かわず)が、いきなり大海に出てみろと言われた様な物だ。

鮎子先生が言ったのは「大海」ではなく「大会」だったけれど。

毎年春先になると、市内の城址ふれあい公園で、地元のアマチュア・ミュージシャンたちのフリー・コンサートが開催される。参加費は無料。鮎子先生は、そのイベントに参加してみたら?と声を掛けてくれたのだ。

「…もちろん、鮎子先生もヴォーカルで参加してくれるんですよね?」

狼狽した僕の問いに、セカイを統べる大いなるカミサマはかくの如く申されました。

「や」

…たった一文字。シンプルで非の打ち所もない、完全で完璧、疑い様もなく究極の完膚無き拒絶でございましたわな。

「わたしはね、志賀くんの晴れ姿を観客席で観たいもの」

無慈悲なカミサマは、信者を生温かい眼で目で見守ってくださるとの事でございます。

ど…どうしよう…いきなりそんな事言われても、心の準備が…ね。

「ちなみにエントリー申請は、一昨日(おととい)出しておいたよ」

…何と用意周到な事か。どうやら先生は、この計画を以前からこっそり企んでいた様だ。今日の顛末は、彼女の企みにとっては格好の試金石になってしまったらしい。

意識しないうちに、僕はみすみす鮎子先生の思惑に乗ってしまったのだった。

ああそうか。そう考えれば、あの「託宣」だって、今にしてみれば巧妙な誘導だったのかもしれないよな。僕が文ちゃん先輩の前でギターを弾いてみせる様に。

もちろん、僕と文ちゃん先輩の間で起きたチェット御大への見解の相違までは、さすがの鮎子先生とはいえ予想してはいなかったろう。でも、迂闊にも鮎子先生に「お祈り」なんてしてしまった僕の心の声を、「じゃあいっその事」なんて多分軽いノリで利用してくれやがったのではないだろうか。

「あは、よく分かったね」

当のカミサマは、僕の推理を全肯定してくれやがったのだった。

どうやら僕は、鮎子先生にとって「優秀な信者」になってしまったらしい。

…「信者」という物は、カミサマに滅私奉公、無償でご奉仕するのが(なら)いという大前提においての話だけど。

…今の僕にできる事は、当日が大雨になって、イベントが雨天中止になってくれる事を祈るだけだった。

…もちろん、我が校の誇る美人養護教諭・剣城鮎子先生「以外」のカミサマにね。

 とはいえども。

もうひとりの重要なファクターである文ちゃん先輩は、鮎子先生の申し出を問答無用で大絶賛していた。してくれやがっていた。

「それ!いいですね!志賀君!!ぜひやりましょう!キミのギターは!もっともっと!多くの人に聴いてもらっても!いい!と思いますよ!!」

さて問題です。彼女のこの一言に、感嘆符はいったいいくつ含まれているでしょーか?

…息継ぎ全てに感嘆符入れないでほしいです。せめてその半分くらいは句読点でもよろしいのではないのでしょうか。

何たるプラス思考。何という前向きな姿勢である事か。

彼女の目を見ると、その中には意欲らしき物が爛々と燃え(たぎ)っていた。いかん、一度こうなってしまった「鉄血宰相(アイアンメイデン)」の意思を曲げる事は事実上不可能に近い。誰かいい方法があったなら、すぐに教えてほしい。ご連絡お待ちしております。

…まあ、麗しのまいはにーさんに、こうまで期待されてしまうのも悪い気はしない。

しゃーねぇ、いっちょやったりますか、と僕は再び練習三昧の日々に戻ったのだった。

演奏するのは、今までずっと練習してきたサイモン&ガーファンクルの曲の他に、今回新たに覚えたチェット=アトキンスのナンバーなんかも入れてみる事にした。

チェット御大の様なジャンルは「カントリー・ギター」という分野にカテゴライズされているらしい。

「カントリー」などと言うと、カウボーイ・ハット被ってアコースティック・ギターを

抱えたオジサンが、にこやかに「ハイホー♪ハイホー♪」とか歌ってるイメージがあったけれど、どうやらそれは違ったみたいだ。

そういったハイホー的なのは「カントリー&ウェスタン」なんて言うらしい。暴論になるかもしれないが、「アメリカ版演歌」みたいな物だと想定してみた。

これに対して、チェット御大の様な分野は、むしろロックやジャズに近いみたいだ。

御大はザ・ベンチャーズやエルヴィス=プレスリーの曲を、彼独特の「ギャロッピング奏法」でアレンジして、見事なインストゥルメンタルに変えてしまう。

わが国にも「寺内タケシ」さんというギターのカミサマがいるけれど、チェット御大も彼に匹敵する20世紀のギター・ジャイアンツの一人だった。

彼について調べてゆくうちに、色々なエピソードを知る様になった。

彼のデビューは1947年。日本で言えば昭和22年だ。

50年代には御大はエルヴィス=プレスリーとも共演していたそうで、その演奏はエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」で聴く事ができる(この時はアコースティックの方を弾いていたとの事だったけど)。

その後はカントリーの聖地ナッシュビルのプロデューサーとして腕を振るいながら、地元のミュージシャンたちとの交流を深めていった。

1975年には有名なピアノ曲「ジ・エンターテイナー」のギター・アレンジでグラミー賞も受賞している。

余談になるが、文ちゃん先輩が好きな「スコット=ジョプリン」というミュージシャンは、この「ジ・エンターテイナー」を作曲した、戦前に活躍した黒人のピアニストなのだそうだ。

この曲は映画「スティング」のテーマ曲としても広く知られている。そっちの方は僕も聴いた事があったくらいだし。

ああそうか。文ちゃん先輩はこの曲つながりで、チェット御大の事をピアニストだと誤解していたんだな。

『い…いえ、でも原曲と聴き比べると、ピアノの音が全然違うかなーくらいは思っていたのですよ?』

などと本人は弁明していたけれどね。

いつの間にか、名前に「御大」を付けて呼ぶ様になっていたチェット=アトキンスを皮切りに、僕は次第にこの「カントリー・ギター」という特異なジャンルのギターに傾倒する様になった。敬愛するポール=サイモンだって、こちらからの影響を受けているみたいだし。

チェット御大が見出した天才ギタリスト兼カントリー歌手のジェリー=リード。彼はまた映画俳優としても有名で、バート=レイノルズ主演の「トランザム7000」では助演と主題歌を担当している。

それにチェット御大が多大な影響を受けたという、マール=トラヴィスという大昔のギター弾きの事も知った。

この辺りのマニアックな方々までくると、さすがに日本国内の、ましてや群馬の田舎町ではレコードを探すのも難しい。

ところが、天の計らいとでも言うのか、たまたまFMの番組でその辺りの特集があると知り、僕はカセットを準備して録音し、ギターを手にしてそれを何度も何度も聴き直しては曲を覚えていった。

天の計らい、などと言うと、最近ではついつい鮎子先生の思惑とか働いているんじゃないか?と思ってしまう様になったけれど。

…まあそれでもいいか。おかげで僕は、新しい分野に手を伸ばす事ができる様になってきたのだから。

…僕にとっては新しいけれど、時代で言えばどんどん逆行してゆく己の嗜好。

僕ぁ、本当に高校生なのだろうかと自問自答してしまう。

 そんな曲の中でも、とりわけ僕の心を掴んでしまった曲があった。

「キャノンボール・ラグ」。

直訳すれば「砲弾ラグ」とでもいうのだろうか。先にも触れた、マール=トラヴィスの代表曲だ。アルペジオ奏法によく似た演奏法だけど、とにかくテンポの速いビートでグングン押してゆく迫力に、僕は夢中になった。

彼の場合はギャロッピングではなく、「トラヴィス・ピッキング」と呼ぶ事も知った。

…やはり自分の名前を冠した奏法を持つギター弾きは違うよな。

つい先日まで没頭していた学年末試験の勉強の数倍のエネルギーと情熱を費やして、僕はこのカントリー・ギターに没頭したのだった。

うん。やっぱこっちの方が僕らしい…と思う。

…世間的な評価は知らないけど。

チェット御大やマール=トラヴィスは、主にエレキ・ギターを使っていたけれど、残念ながら我が校では、これはご法度だ。

何でも「エレキ・ギターとかバイクは不良の第一歩!」なのだそうだ。

まったく、いつの時代の話なのか。バイク禁止というのは、交通事故の問題もあるだろうし、百歩譲ってまあ理解はできるけれど、どうしてエレキ・ギターその物が問題になるのだろうか。分からない。まったくもって理解できない。

エレキ・ギターは人を殴る凶器になるでも言うのだろうか?冗談ではない。

そういえば何年か前、テレビの音楽番組で特集してた、海外の何だかエッチな名前のバンドのメンバーで、短い髪の毛を逆立てた細身のベーシストが、腰まで下げた自分のベースで観客を殴ってたのを観た覚えはあるけれど、アレは特殊な例だと思う…というか、そのシド何とかって奴は、どうやら本当はベースが弾けなかったそうだし。

…まさか、「電気を使うから感電して危険」だとでも?…はは、まさかな。そんな事を言う人は、電気カミソリとか電熱アイロンだって危ないから使うのを控えた方がよろしいかと存じますよ?

 「エレキ・ギター・イコール・ロック。ロックは不良の音楽だから、そんなのを持つ事自体が好ましくない」?何をおっしゃいますか。エレキだろうがアコースティックだろうが、しょせんギターはギター。構造は全く違うし、その用途もまた異なっているとは思う。前にその事で、文ちゃん先輩と大ゲンカしてしまった事はあるけれど。あの時は彼女を悲しませてしまった。それがあの「ご乱心事件」の発端になったのかもしれない。反省はするけれど、その事だけは今でも考えを改めるつもりはない。エレキとアコースティック、共にギターではあるものの、まったく別の楽器なのだ。

でも、そうはいってもギターはギター。別にどのギターを使ってどんな音楽をやってもいいと思う。エルヴィスの様に、アコースティックでビートをガンガン刻んでゆくロックだってあるのだ。逆にフォークのカミサマ吉田拓郎さんや井上陽水さんは、最近のアルバムやステージではエレキ・ギターを手にしているしね。

それに、先にも触れた寺内タケシさんなんて、エレキでクラシックの曲をやっているぞ?聞けば寺内御大も、似た様な批判をされて「じゃあ、批判してくるPTAのご父兄サマたちや学校の先生にも納得してもらえる音楽をやればいい」と開き直ってのスタンスなのだそうだ。「レッツゴー運命」。第9回レコード大賞の編曲賞を受賞したあの曲に、おカタイ先生サマたちは、いったいどんなご感想を下さっているのだろうか。

…考えれば考える程、憤りはキリがないけれど、悪法も法なり。とりあえず、現時点の僕はソクラテスになろう。毒杯をあおるつもりまではないけどね。

というわけで、一応、当日は永年愛用してきたアコースティック・ギターを持って行く事にした。先日、アユミ姐のお店「高崎悠久堂」で買ったエレキ・ギターも持っているけれど、これはまだ公には出せない。生徒会長の文ちゃん先輩には黙認してもらったけれど、下手に学校に持って行って、あの頭のおカタいクラシック至上主義者の大柳センセ辺りに見つかってしまったら没収どころの騒ぎじゃなくなってしまう。

 僕はアコースティックでカントリー・ギターのテクニックを覚えていった。でも、結果的にはこの方が良かったのかもしれない。

アコースティックという物は「嘘」のつけない楽器だ。

電気的に出力をアップさせるエレキ・ギターならば、ちょっとくらいのミスは誤魔化せてしまう。弦の振動をピックアップで拾って電気信号に変換し、さらにアンプで出力を増加させる過程で、指の微妙なタッチの違いは、取るに足らないくらいレベルの物になってしまうのだ。

ましてやアンプやエフェクターで音を歪ませたりすれば、ブーストされた音の粒のバランスなんてほぼ均等化してしまう。悪く言えば、エレキは「誤魔化し」ができるのだ。

 一方、アコースティックはそうはゆかない。ボディに大きく開いたサウンド・ホールで増幅されるとはいえ、基本的には「原音」のままだ。弾いた通りの音しか出てくれない。ちょっとでも押さえ方が悪かったりしても、その違いははっきりと音に現れてしまうのだ。それでもコード・ストロークでジャカジャカ弾く分にはいい。アレはビートを刻むのが目的、むしろ打楽器的な意味合いになっているから、リズム感さえあれば十分に聴くに堪える演奏ができるのだ。けれども、僕が目指している様なフィンガー・ピッキングの場合はそれこそ一音一音、音の粒を揃えながら、同時に緩急も際立たせながらに丁寧に弾いてゆく必要があるのだ。

こんなシビアな条件の上に立って練習していれば、それより条件の甘いエレキを持っても余裕で弾けてしまうと思う。それにアコースティックの弦の方が太くてテンション(張力)も強いから、普段からそっちに慣れていれば、いざエレキを弾いても力加減にゆとりを持つ事ができるのだ。

エレキの曲をアコースティックで練習する。これはギターを手にする方々みんなに、ぜひとも推奨したい。その方が、絶対にギターの腕前は上達する。断言する。

 練習の日々を黙々と過ごし、やがて僕は、その当日の朝を迎えたのだった。

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