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結 サッド・レター

 これで、僕と師匠――本郷信太郎さんの物語はおしまい。だから、ここから先はその後日談という事になる。

 あの惨撃の夜。気がついたら僕は自分の部屋のベッドに横たわっていた。どうしてここにいるのかは分からなかったけど、きっと鮎子先生が連れてきてくれたのだろうと思う。

石村興業で起きた惨劇は、翌日の地元新聞に大きく掲載された。

『渋川市内の興行会社で社長殺害』

そんな見出しだったと思う。記事によれば、バンド解散を巡って石村社長とジョンソン――秦 正好が口論となり、逆上した秦が石村社長を殺害、その後屋上に出たところに落雷で事故死した…という顛末に落ち着いたらしい。

僕と、当日同行したトミーさんの痕跡は皆無だった。後でトミーさんに電話して確認したけれど、彼は当日の事はまるで覚えていなかった。いや、僕と会った事は覚えていたけれど、彼が言うには、その夜は僕と二人で食事をして別れたという。僕と本郷さんの思い出話で盛り上がったそうだ。彼はそう言っていた。その口調に不審な印象は感じ取れなかった。

 落雷で焼け爛れたジョンソンの死体と凶器のジャングルナイフ以外、あの屋上からは何も発見されなかったという。きっと…いや間違いなく鮎子先生が裏で何かしたのだろう。

 異形――本郷さんの遺体は、その数日後、別の所から発見されて、こちらも新聞の記事になった。

『行方不明のギター演奏家、下水道で遺体となって発見、先の興業会社社長殺害事件との関連も?』

 本郷さんの遺体――その一部だけだったけど――は、僕たちの高校にほど近い下水道の中で発見されたという。そこは彼がブラッディーオーガの連中に殺されて遺棄された場所、僕たちの高校にほど近い下水道の中だった。その後の警察の捜査で、こちらもブラッディーオーガのメンバーの凶行だった事が白日の下に晒された。

本郷さんのお葬式は高崎市内の斎場でしめやかに執り行われ、僕と文ちゃん先輩はもとよりトミーさん、吉澤老人やフューリーアレイの木村さんたち、そしてザ・スネイクセンターの水嶋君たち師匠に縁ある多くの方々が参列した。喪主は師匠のお母さんだった。喪服姿のお婆さんが、気丈に参列者に挨拶していたのを覚えている。

 ブラッディーオーガが遺した唯一のシングル「血塗れブラッディ」は、バンドのメンバーが次々と怪死した事で、皮肉にも「呪いのレコード」として一部の好事家たちに知られる様になった。何年か経っての事になるけど、テレビの怪奇特集番組でこのレコードが取り上げられていたのを観た事がある。プロデュースを担当したトミーさんも取材に応じていたけれど、「自分は委託された仕事のひとつという以上のコメントはありません」とコメントを遺しただけだった。ちなみに唯一の生き残りとなったハッシュも、事件の数ヶ月後に病院内で自殺したそうだ。その数日前から、彼は時々ハミングしてはクスクス笑い出したりしていて、正気を失っていたとも聞く。自らの命を絶つ数時間前には「ノー・ヴェカンシィ」という言葉を呟いていたとも噂されている。

 以上がこの事件に対する世間の反応。続いて身内の事について話そうか。

後で聞いた話だけれど、変わり果てた慰撫の姿を見た文ちゃん先輩は、最初かなり取り乱したそうだ。当の生き人形自身はいたって平然としていたそうだけど。もっとも、文ちゃん先輩の手ではとても修復不可能なので、近くあいつの制作者である和歌山の鬼橋本家の従妹さんがこちらにやってきてくれるそうだ。『それまではお茶も飲めません!これも愚かなヨシハルさんのせいですわっ!』なんて憎まれ口をほざいていた所を見ると、うん、まああいつも大丈夫…なのだろう。

今回の事件は、僕と文ちゃん先輩、そして周囲の心に大きな傷を遺した。

目を閉じれば、師匠の屈託のない笑顔が思い浮かぶ。

彼――本郷信太郎さんは、ほんの数日だけだったけれど、間違いなく僕の「師匠」だった。

ギターだけじゃない、気高い心の在り方、逆境にも耐えて真摯に生きようとする、その飄々とした姿に僕は心打たれた。師匠は『僕みたいになっちゃいけないよ』って言ってたけど、僕は彼の様な心の在り方を追って生きてゆこうと思う。

師匠のお葬式の数日後、無頼庵摂津屋のご主人、善養寺宗佑衛門さんが僕の家にやってきた。蕎麦好きの僕の親父は彼とも昔から面識があったらしく、僕がいつの間にか彼と親しくなっていた事に驚いていたみたいだった。

宗佑衛門さんは打ち立てのお蕎麦と、1本の古びたギターを持ってきてくれた。それはあの日、フューリーアレイでの最期のライヴで本郷さんが使っていた、レス=ポールのコピーモデルだった。彼が言うには「お葬式でお前さんの事を知った信太郎ちゃんのお母さんがな、息子の遺品としてこのギターをぜひお前さんに受け取ってほしいってさ」との事だった。

ギターには、一通の手紙が添えられていた。


 志賀義治様


   突然、こんな手紙を差し上げてしまい恐縮です。

先日は息子の葬儀に参列していただき、誠に有り難うございました。

生前、息子は永く不遇の日々を送っておりましたが、その人生最期の数日間は

とても充実していたと私は感じております。

何かいい事でもあったのかと尋ねると、「母さん、こんな僕を『師匠』なんて

呼んでくれる子がいるんだよ」と楽しそうに話していたのを覚えております。

志賀さん、貴方と出会えた事が、息子の人生の最期を彩のある物として幕を引く

事ができたのです。

息子はその四十二年の生涯を不幸な形で終える事となりましたが、きっと幸せな

気持ちで天国に旅立っていってくれたと信じたいです。

 息子が逝去した今、遺されたのはこの老齢の身独りとなってしまいました。

息子の遺品を整理していると、在りし日の姿ばかりが思い出されて、身を引き

裂かれる思いです。

手元に置いておくと辛くなるばかりですので、恐縮ですが息子のギターをお受け

取りいただければ幸いです。

自分に親しんでくれた方の手元にあった方が、亡き息子も喜んでくれると

思います。

誠に勝手なお願いで申し訳ありませんが、独り遺された老婆の、せめてもの

お礼とさせてくださいませ。

最後になりましたが、子を思う一人の母親として、貴方のご厚意には深くお礼を

申し上げます。


本郷志乃


とても哀しい手紙だった。

本郷さんのお母さんの今後の人生が、少しでも明るいものになってほしいと思う。

もう少し落ち着いたら、お礼もかねて一度、本郷さんのご実家を訪ねてみようかな。

手紙を読み終えた僕は、チューニングを済ませて形見のギターを弾いてみた。

アンプを通さなくとも、充分に鳴ってくれるボディ。

オリジナルよりも若干細く、日本人の手にフィットする様に設計されたネック。

コピーモデルとはいえ、とてもいい出来だ。

さすがは師匠の選びし逸品。

何を弾いてみようかなと考えたら、最初に頭に浮かんだのは、やはり「キャノンボール・ラグ」だった。そう、僕と師匠を結びつけたあの曲を弾いてみたくなった。

僕はサム・ピックを指にはめ、すぅ、と深呼吸すると、一気呵成にこの曲を弾きはじめた。

無心で弾いていたつもりだけれど、プレイしているうちに次第に感情が昂ってきてしまい、まさかこんな所でと思える様な所でトチってしまった。


《あはは。そこは、もうちょっと力を抜いた方がいいかもね》


え…?

楽しそうに笑う師匠の声がした様な気がして、僕は思わず周囲を見回した。

もちろん、部屋にいるのは僕一人きり。ただの幻聴に過ぎなかった。

でもそれは、こんな陰惨な事件がなかったら聞けたかもしれない言葉、あり得たかもしれない光景かも…しれなかった。

でも、そんな日はもうやってこない。永遠に。

僕はサムピックで6弦を鳴らしてみた。

ぽーん。

とても寂しい、哀しいトーンだった。


ジャン!

ゴキゲンなロケンローのビートが響いて、オーディエンスの楽しそうな拍手が鳴り渡る。

春休みも迫った3月下旬の日曜日。フューリーアレイでは本郷さんの追悼ライヴが開催された。

『どうもありがとう!期待の高校生ロックンロール・バンド、ザ・スネイクセンターのみなさんでした!彼らに惜しみない拍手をどうぞ!』

司会のトミーさんの声も弾む。

狭いライブハウスの中は、プレイヤーたちと観客が一体となって、熱く楽しい気分に包まれている。

『さあ!今は亡き本郷先輩の追悼ライヴも、いよいよ次で最後の出演者です』

「いよいよですね、志賀君」

文ちゃん先輩は周囲を見回すと、素早く僕の頬にキスをしてくれた。

「え…?」

何という電撃的な一撃である事か。…当のまいはにーさんは何事もなかったかの様に明後日の方を向いているけど…あはは、視線がちらちらと僕を見ているのがバレバレですよ?

あ…目が合ったら頬が赤くなった。この大胆さんめ。

『本日のヘッドライナーは、本郷先輩が唯一、我が弟子と認めた逸材、若干16歳の若きカントリー・ギターのホープ、志賀義治君です!』

店内が再び拍手に包まれた。

師匠からいただいたウェスタン・ハットを目深に被る。まだ少しアルコールの臭いが抜けないけど、気になるほどじゃない。

今日の僕はサテンの茶色いジャケット、首には文ちゃん先輩お手製のスカーフを巻いて、ちょっと洒落てみた。

師匠から受け継いだレス=ポールモデルを手にステージに上がる。

中央に置かれた椅子に腰を下ろすと、傍らのジャズ・コーラスにシールドをプラグインさせる。ステージに上がる前にチューニングは済ませているけれど、念のためにもう一度、軽く確認してみる。うん、いい感じだ。問題ない。

そして僕はこほん、と咳ばらいをひとつすると、目の前に立てられたマイクに向かってこう語りはじめるのだ。

『ハーイみなさん、ハーゥ・ディー?』


異形セカイのカポタスト・作品No.3

≪残叫遅延の惨撃連鎖カスケード≫ 完


2016.12.30 21:53脱稿

瑚乃場 茅郎:著

 みなさんこんばんは。瑚乃場茅郎です。

…1年2ヶ月もかかってしまいましたが、何とか本作も完結させる事ができました。

途中、何度か挫けそうになったり、病気してみたり、お仕事が忙しかったりして中断する事もありましたが、最終的にはいつも「この物語を書き上げたい!自分でも読んでみたい!結末を知りたい!」という気持ちがプライム・ムーヴァーとなりました。

この物語は本当に書きたい事が多くて、気がついたら23万文字を超える長編になってしまいましたわさ。わさわさ。


 すでに次の物語のプロットもできております。

題名は「氷結瀑布の失楽園ディストピア」。

水着回と並ぶ、シリーズ物の二大お約束、温泉回だっ(笑)


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