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29 ローリン・ストーン

 慰撫と別れた後、僕は帰宅してそのまま寝床に潜り込んだ。

そのまま寝てしまおうと思ったけれど、色々な思いが頭の中に浮かんでは消え、また浮かんでは消えてゆくばかりで、なかなか寝付かれなかった。軽い興奮状態…というよりも、ある種の躁状態に陥ってしまったのかもしれない。

極度の落ち込みも、逆にハイになった時だって、自身の感情がコントロールできないという点では同じ様なものだと思う。

考えてみれば、疑問は最初からあったはずなんだ。

いくら本郷さんが異形と化した――それ自体が最悪の事実だったけれど――からといっても、ダークやザックの居所を的確に突き止めて出没したり、ましてや凶行に及んだ後に、その姿を誰にも見つからずに姿をくらませるなんて芸当ができるはずもない。そもそも、ザックの時なんか、大勢が往来する商店街の一角での騒動だったのだから、隠れていられる場所なんかそうそうないと思う。

今回の事態の元凶である「古代の象形文字」とかいう異形の姿は、僕も文ちゃん先輩が連中に取り憑かれていた時に、その異様な姿を目撃した事がある。僕はアレを「ステンドグラスの縁だけみたいな姿」と形容した覚えがある。とても小さな奴だった。「文字通り」、文字の形をしていた。あいつら自身が事件を起こしたのなら、闇に紛れて逃げる事もできるだろうさ。でも、慰撫が見たのは「一人の男」だったという。条件は変わってくるだろう。

…その男…仮に「ミスター・サンドマン」と名付けた異形。

かつては…僕が「師匠」と呼んだニンゲン。

一度「異形」と化してしまったニンゲンが、どんな姿になってしまうのかも、僕は知っている。今は亡き、哀れな倉澤副部長の姿が目に浮かんでしまった。それはまさしく「異形」と呼ぶしかない様な姿だった。「ニンゲン」だった事を根本から否定する様な、あたかも別の次元の存在と呼ぶしかない様な悍ましくて醜悪な姿だったんだ。冷たくて干からびきった皮膚には、口から吐き出した油彩絵具がデタラメにこびり付いていた。髪の毛はほぼ抜け落ちていて、その頭には目も鼻もなかった。ただ、ガチガチ不快な音を鳴らす歯の並んだ、そこだけ妙に「ニンゲン」らしさを遺した大きな口があるだけだった。でも何よりも悍ましかったのは、その頭が首の付け根から異常な長さで伸びた先に存在していたという点だった。

一番近いイメージを挙げるなら、昔の怪談噺に出てくる「ろくろ首」辺りだろう。でもあっちはまだ、それでも「ニンゲン」の顔をしているだけましだと思った。…何となくだけど、語りかければ言葉も通じるかもしれないし。でも、僕が見た「アレ」は、まったくもって異質な存在だった。アレは昔、僕の地元に出没したという「(うき)(くち)」という異形だそうだけど。

正直な所、僕はまだ「師匠」がどんな姿になってしまったのかは、慰撫からは聞いていない。

もしかしたら、その姿は、僕が知っている「師匠」のままなのかもしれない。そうであったら、どれだけ救われるか。

「師匠」がどんな姿になってしまったのかなんて想像したくもない。だけど…いくら異形とはいえ、神出鬼没という訳にもゆかないだろう。

…そう。その言葉が示す通り、その異形の後ろには「カミサマ」がいたんだ。

文ちゃん先輩によれば、このセカイは、深い海の底の神殿で眠る「カミサマ」が見ている夢の中に過ぎないという。いわばこの世を統べるカミサマがいるという事だ。そんな壮大なスケールの話なんて、一介の高校生に過ぎないこの僕には縁遠い出来事…だとは言い切れない。何となれば、僕はその「カミサマ」を知っているからだ。そう、とてもよく知っているさ。…いやいや、知っているなんてレベルじゃあない。その「カミサマ」はウチの高校で養護教諭を務めている。それどころか僕の弾くギターに合わせて歌を歌ってくれる。それも、僕の大好きなサイモン&ガーファンクルの曲をだ。

…考えてみればトンデモない話だ。正確には、僕が知っているのは「そのカミサマと存在を等しくする」という人物だけど。

 ふぅ…肝心な事そっちのけで、ずいぶんと遠回りな事を考えてしまった。やはり認めたくはない事実に直面してしまうと、ついつい余計な事を考えてしまうな。僕の悪癖だ。

慰撫から聞いた話は、僕を混乱させるに十分過ぎる内容だった。

まさか…鮎子先生が裏で手を引いていたなんて…

にわかには信じがたい。しかし思い当たる事が多過ぎてしまうのもまた事実だった。

鮎子先生なら、空間を渡ってどんな場所にも行けるだろう。まさに「神出鬼没」だ。

でも何故、鮎子先生が異形に手を貸したりするんだ?…いやそれ以前に、あの異形の目的は何だ?何でブラッディーオーガの連中をつけ狙う?

……。やはり「復讐」なのだろうか。僕が師匠と最後に会った後、やはり師匠は奴らに殺されてしまい…それを知った鮎子先生が…師匠を異形にして復讐させた…のか?

ああ…そういえば、鮎子先生は前にこんな事も言ってたっけ。

《わたしね…実はもうひとつ、本郷くんに『贈り物』をしたんだ》

《わたし自身が贈ったわけじゃないよ。…結果としてそうなっただけ》

そうだ。本郷さんが…既にこの世に「存在しない」と告げたその口で、鮎子先生は確かにそう言った。

鮎子先生は、基本的に嘘をつかない。それは、僕がこれまで経験してきた異形絡みの事件で何度も思い知らされた事だった。

本郷さん…師匠という「ニンゲン」は「異形」と化した。異形になったから「本郷信太郎というニンゲン」は存在しない。

今回だって、鮎子先生は最初からひとつの「事実」だけしか言わなかった。そこに嘘はない。

…じゃあ、鮎子先生の言う「贈り物」って何だったのだろう?殺された?本郷さんに「象形文字」を憑依させて異形にさせた…という事か?

《わたし自身が贈ったわけじゃないよ。…結果としてそうなっただけ》

「結果としてそうなった」…?

どういう事だ?本郷さんが異形になったのは、偶然だったとでもいうのか?

「そうだよ。君はいつも核心に迫ってくるね」

僕の目の前に鮎子先生が立っていた。

もう、「さすがはカミサマ」なんて驚かない。どうせまた、僕の心の声を聞いて、空間を渡ってやってきたのだろう。

「どういう事ですか」

「…驚かないね?」

「何がですか」

「わたしが、こんな真夜中に、君のお部屋にやってきた事」

「先生は神出鬼没ですからね。もう慣れっこです」

「くすくす。いい傾向だね」

慣れっこというのも嘘ではないけれど、今の僕は不思議に冷静だった。これも興奮状態にあるらしい心理状態のせいなのだろうか。興奮しているのに冷静なんて、それこそが不思議だとは思うけれど。

「…それはね、核心に迫った事で、君の心が今、研ぎ澄まされつつあるからなんだよ」

鮎子先生は、またも僕の心の内を読み取った様だった。鮎子先生は嘘はつかないけれど、僕も隠し事はできそうもなかった。

「君は学者さんか探偵さん向きだね。…それとも作家さん、かな?」

「そんな事はどうでもいいんです。先生、真相を教えてください」

「うん。いいよ」

鮎子先生は、思いの他あっさりと頷いた。

「でも、どこから話そうか?」

「まずは…師匠…本郷さんを殺したのが誰なのか。それを教えてください」

「君の想像通りだよ?犯人は」

「ブラッディーオーガ…」

「そう。君が最後に本郷君と会った、その直後の事だった」

「…それを知っていて、師匠を助けてくれなかったんですか?」

「助ける?」

「鮎子先生なら、こんな最悪の事態に陥る前に、師匠を助ける事ができたはずです」

「最悪の事態?」

「師匠がニンゲンでなくなった…あんな異形になってしまった。…最悪じゃないですか」

「最悪…なのかなあ」

鮎子先生は、さも不思議そうに首を傾げた。

「最悪ですよ」

「でも彼は、自らの手で無念を晴らそうとしているよ?とっても頑張ってる」

「復讐…」

「そう。そしてそれは誰にも止められない」

「そんな!?だって、師匠を異形にしたのは鮎子先生じゃないですか!」

「違うよ」

「え…?」

「本郷君を異形…ここは君が名付けた“ミスター・サンドマン”って呼ぼうか。彼を異形にしたのはわたしじゃない」

「どういう事ですか」

「君だって思ったじゃない。彼が異形になったのは『偶然』だったって」

「え…いやだって…古代の象形文字が…」

「うん。そうだね。彼に取り憑いた異形は、前に文ちゃんに取り憑いていた連中の残党。わたしが処分したはずの連中…の融合体」

「融合体…?」

「あの子たちを処分する時、わたしは保健室に置いてあった濃塩酸を使ったんだ」

ああ、その辺りは文ちゃん先輩からも聞いた。何でも…それを水洗い場に流した…とか。いくらなんでも、あまりにも不用意な行為だって彼女も怒ってたっけ。

「あの子らはね、放っておけばそのまま死に絶える…消滅するはずだったんだ」

「でも…生きて…いた、と」

「そう。あの子らは、『消滅したくない』という、その執念だけで存在し続けていた。執念…いや、あれって本能なのかなあ」

「……」

「そこに、君の言う『偶然』が起こった」

「偶然…?偶然、ですか」

「存在を渇望していたあの子たちの前に、絶好の『依代』が提供されたの」

「それって…まさか師匠の…」

「そう。瀕死の状態で打ち捨てられた、本郷君という存在が…ね」

「え…じゃあ、その時はまだ、師匠の息があった…?」

「うん。そだよ。『消滅したくない』というあの子たちの渇望と、『死にたくない』という本郷君の無念が、その時に融合してしまったんだ」

「え…ええ…だ…だって、そんな…」

何という事だ。言葉が見つからない。

「ええっと…」

「その結果、生まれたのがあの異形。ミスター・サンドマン」

「あ…あの…鮎子先生」

「何?」

「鮎子先生は…それを見ていたんですか」

「うん。見てた」

「…!じ、じゃあ、何でそれを止めなかったんですか!?」

「彼の心の叫びが聞こえて、その場に駆けつけたけれど…間に合わなかった。すでに彼の身体と意識は、あの子たちとひとつになりつつあったんだ。わたしにできる事は、ただそれを見ているだけだった…」

「…融合した部分を、分離できないんですか」

僕の質問に、鮎子先生は溜息をついた。

「…君は、一度混ぜた粉石鹸と水を、また元通りに分離させることができる?」

「…できません」

「例えるならそういう事。アレはもう『本郷信太郎』でも『象形文字』でもない。『ミスター・サンドマン』という固有の存在になってしまったの」

「…そんな…」

「…だからね、わたしにできるのは、彼の無念を消してあげるお手伝いくらいしかないの」

暗闇の中で、鮎子先生の溜息だけが、やけに耳についた。

「そ…そうだ、鮎子先生!」

「何?」

「鮎子先生は、前に言ってましたよね?『悲しい思いをしたくなければ、本郷さんには近づくな』って。あれは預言だったんですか?」

「うん。そうなるね。結果的には」

「じゃあ、こうなる事も予知できたんじゃないですか?」

鮎子先生は、ちょっと困った様な顔になった。

「それは無理。だって、彼はずっとわたしを避けていたもの」

「避けていた…?」

「いくらカミサマだってね、自分を遠ざけようとするニンゲンの未来なんて、漠然とした事しか分からないよ。彼はいずれ不幸な末路を迎えるだろう…そんな事しか見えないんだ」

「でも…だって師匠は、ずっと先生に会いたがっていた…」

「そうかな」

「そ…そうですよ!」

「そうかもしれないね。でも、同時に彼は、わたしと会うのを怖れてもいたみたい。あのギターを失ってしまった事への自責の念で…ね」

かつて鮎子先生がプレゼントしたという「幸運を呼ぶギター」。それを何者かに盗まれてから、師匠の人生は大きく変わってしまったという。

…あのグレッチ・ホワイトファルコンを…あ…そうだ!

「鮎子先生!」

「何?」

「鮎子先生は、あのギターを盗んだ犯人って分からないでしょうか?」

「さあ。…でも見当くらいはついているけど」

「だ…誰ですか」

「君も知っている男よ」

「だ…誰なんです?」

「えっとね、たしか秦 正好とかいった子。ほら、今はジョンソンとか名乗ってるじゃない」

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