27 アフター・ミッドナイト
悲鳴を耳にするなり、僕たちは駆け出した。
二重になっているお店のドアを抜け、地上への階段を駆け上がろうとしたけれど、すでにそこはお客さんたちでごった返していた。身動き取れない僕は、どうしようかと隣の文ちゃん先輩を見たら、彼女はうん、と小さく頷き返してきたかと思うと突然、僕の背中に飛びついてきた。
あ…まさか…?
僕の予想は当ってしまった。文ちゃん先輩は、僕の肩を踏み台にして飛び上ると、あろうことか階段脇の壁を横走りに駆けていった。
彼女の身体能力ならば、こんな事はできて当然…というか、それはかつて彼女にこうやって追いかけ回された事のある僕自身がよく知っている。経験則と言う奴だ。でも…今の、誰にも気づかれなかったろうな?
その懸念は杞憂に終わったみたいだ。もちろん彼女のスピードも尋常ではなかったけれど、それよりも。
この場にいる誰もが、そんな事に気づけるほど冷静ではいられなかったのだろう。
壁走りして先行していった彼女に遅れる事、十数秒。
人ごみに揉まれながら階段を上がって、アーケードの商店街に面した出口までたどり着くと、その周囲にはすでに人だかりができていた。階段の渋滞の大元はこれだったのか。
「やだ…本当に死んでるの?」
「け…警察…警察呼べ!」
僕の周囲からは、そんな声が聞こえてくる。まさか…やっぱり…?
何とか人だかりの間を抜けて、前に出てみた。
人だかりの中心部には無数のゴミ袋が散乱していて、そして。
見覚えのあるスキンヘッドの大男が、大の字になって倒れていた。
言うまでもない。行方が分からなかったザックだ。
ザックの身体は、どうやら階段脇の所にある小部屋…ゴミ置き場?から、何かの拍子にゴミ袋と一緒に飛び出してきたみたいだった。
息をしていないのは明白だった。だって…
「…志賀君…」
文ちゃん先輩が、僕の腕にしがみついてきた。
「文ちゃん先輩…」
何と言えばよいのか分からず、僕は彼女を見返したけれど、彼女の視線はザックの死体に向けられたままだった。
僕も改めて死体を見た。…間違いなく死んでるよこれ…
だって、眼を大きく見開いたままの顔は血まみれで…顔中に無数の針…いいや、あれは五寸釘か?突き刺さったままになっているんだ。
まず連想したのは、針鼠みたいだなんて事だった。
そんな連想が浮かんだくらい、無数の釘がびっしりと顔から生えていた。
もちろんそんなはずはない。どう考えても、これは無理やり打ち込まれたのだ。
一般的な五寸釘という奴は、長さは150mm、太さは5.2mm程度だそうだ。それくらいは僕でも知ってる…というか、前に親父が鉢植えの棚を作るのを手伝ってた時に、そんな情報を聞いた事があった。
でもその釘も、顔の表面には、どれもその1/3程度しか出ていない。という事は、隠れた100mmくらいは頭部の中に打ち込まれているわけで…うえっ…
思わず吐き気を催したけれど、何とか堪えた。
「さんじゅういっぽん…」
文ちゃん先輩が、ぽつりと言った。
「え…?」
「顔に打ち込まれている釘の数が…31本なんです」
その時の彼女の言葉の意味に、僕はまだ気づいていなかった。
やがて警察がやってきて、ザックの遺体の周囲には「立ち入り禁止」のロープが張られた。鑑識らしき方々が遺体の周りであれこれと調べていて、写真も撮っていた。それはまさにドラマのワンシーンみたいな光景だった。
でもこれは現実。
ザックが死んだ。
まずダークが死んで、次にザックも死んだ――殺された。
こうなると先のダークの死も、あれは事故などではなく、何かの悪意…あるいは狂気が纏わりついていたのかもしれない…なんて気もしてしまう。
そう考えたのは、何も僕だけではなかったみたいだ。
遅れてやってきたジョンソンとハッシュの狼狽っぷりは、やはり大きかったのだろう。
あまりの事に、ジョンソンは呆けた様な顔になっていたし、ハッシュに至っては、遺体を見るなり奇声を発して腰を抜かし…あろう事かその場で失禁してしまっていた。
現場にいた関係者という事で、僕や文ちゃん先輩、水嶋君たちヘビセンター、トミーさんやマスターの木村さんたちも一応、事情聴取を受ける羽目になったので、僕は知る限りの事を刑事さんたちに話した。もちろん、行方不明のままの本郷さんの事も含めて。
もっとも、異形がどうの、太古の象形文字がこうのなんて事は抜かしたけれど。そんなオカルトめいた話をしても信じてはもらえまい。
僕としては、本郷さんを手にかけたのがザ・ブラッディーオーガのメンバーではないか?という疑いを立証できる手掛かりになれば、とのつもりだったんだ。
奴らが怪しい、とは言わなかった。だって僕が刑事さんたちと話しているその横では、ジョンソンが僕たちを睨んでいたしね。
あいつの視線に漂っていたのは、暗い情念だった。
一方のハッシュは、もうこの場にはいなかった。発狂して会話もできる様な状態でなかったあいつは、とっくに救急車に乗せられて行ったから。
僕たちはそのまま、帰宅を許された。
思いのほか遅くなってしまったので、マスターの木村さんがタクシーを手配してくれた。
帰りの車の中では、僕と文ちゃん先輩は終始無言だった。僕はともかく、彼女だって口にこそ出さないけれど、まだ戻ってこない自分の使徒の事も気がかりなのだろう。
先に彼女の家に着いて、簡単な挨拶を交わして彼女は車を降りていった。
後は僕一人。
タクシーが再び走り出すと、急に心細くなってしまった。さっきまで彼女が座っていた隣の席を見ると、余計に不安を覚えたので、僕はギターケースを抱きしめたまま、家に着くまでずっと窓の外に映る夜景を見ている事にした。
家の近くの四つ角の信号は、すでに赤の点滅に換わっていた。
よほど疲れていたのか、帰宅するや否や、僕は寝床に転がり込んで熟睡してしまったみたいだ。
この夜の事件は、翌日から地方紙の紙面を賑わせた。そこの記者をやっている母方の親戚のおじさんまでやってきて、僕はまたもや、根掘り葉掘り聞かれてしまったけど。
学校に行っても、悪友森竹をはじめとして質問攻めに遭ってしまう。いい加減うんざりしてしまい、僕はいつも以上に独りでいる事が多くなった。
とは言っても、校内ではそうそう身を隠せる様な場所もない。結局、僕は授業中以外の時間をいつもの屋上で、寝転んで過ごすだけだった。
そんな数日が過ぎた放課後。
いつもの様に屋上で寝転んだまま、何をするでもなくぼーっと過ごしていた僕の所に、小さな来客があった。
『流石に落ち込んでいる様ですわね』
そいつは、僕の顔に覆い被さる様に立っていた。とはいえ身長60cmの相手だ。その顔は僕のすぐ真上にあったのだけど。
「落ち込んでなんていないさ」
『嘘ばっかり』
「嘘じゃないよ。ただ気が抜けてただけだ」
僕はそう言って上半身を起こし、そいつの腰に手を回して抱え上げた。
『いっ、いきなり何をしますのっ!これだから庶民は!』
慰撫は文句を言ってきたけど、そんなの知るか。
「その庶民にだっこされてるお嬢様は、今までどこで油売ってたんだよ。あの夜だって、結局帰ってこなかったじゃないか。文ちゃん先輩も心配してたんだぞ?」
『失礼な!わたくしはきちんとお仕事をこなしましたわよ?あの大男の死体だって、ヒトの目に付き易い様に、汚らわしいゴミ置き場のドアを開けて、外に晒したのですもの。…この高貴なわたくしが、ですわよ?おお何と汚らわしい。後で何回手を洗った事か』
…お前かい。あいつの死体を引っ張り出したのは。
もっとも、非力なこいつの事だから、きっとあのゴミ置き場のドアを開けただけなのだろう。後は遺体とゴミ袋が、バランスを崩して勝手に転がり出したに違いない。
それにしても、汚らわしい汚らわしいとこいつが喚く対象は、遺体なんかじゃなくてゴミ袋だという辺りが何だかな。流石は異形。ニンゲンとは感性が違い過ぎる。
「…で、それからどこに行ってたんだ?文ちゃん先輩にはちゃんと連絡したのか?」
『…こんな薄汚れた格好で、マスター・アヤの前に出られる訳がありませんでしょお?』
慰撫はむくれてしまい、ぷいと横を向いてしまった。
なるほど、言われてみればちょっと泥だらけだな。ご自慢の洋服もボロ雑巾みたくなってる。
でも僕の前ならいいのかよ。
『当然じゃありませんの!ヨシハルさん?まずはわたくしのお洋服を綺麗にお洗濯して、わたくしもお風呂に入れさせなさい』
だっこされたまま上目遣いの癖に、何と言う上から目線。えいくそぅ、下から目線と呼んでやろうか。
「分かったよ。じゃあ洗面器に水汲んで持ってきてやるから、服はそこに脱いでおけよ?石鹸ってどこにあるのかな…家庭科室かな?面倒だからキッチン用の液体洗剤でいいかなあ」
ぱぱぱぱぱ、と小さな平手打ちが飛んできた。
やれちゃんと適温のお湯にしろだとか、ボディソ-プは低刺激性でないとダメだとか、シャンプーとコンディショナーも用意しろだとか服は洗濯だけじゃなくてきちんとアイロンも掛けろとか何かと口喧しいご令嬢の言う事なんか、いちいち聞いていられるか。
「いい加減にしろこのド腐れ生意気生き人形」
『庶民が黙りおろ!』
だっこされたまま、慰撫は僕を睨んできた。よし受けて立つぞこの野郎。
「志賀君…?慰撫…?慰撫なの…?」
気がつくと、近くに文ちゃん先輩が立っていた。
「へ…?文ちゃん先輩」
「ま…マスター…?」
「慰撫…貴方ってば、本当に今までどこに…」
文ちゃん先輩は駆け寄ってくるなり、小さな使徒の身体を抱きしめた。
『あ…あのマスタ-・アヤ?わたくし、今ちょっと汚れていて…』
「いいんですっ!いいの!貴方が無事に戻ってきてくれたのですから」
慰撫を抱きしめる文ちゃん先輩の瞳に、涙が浮かんでいた。
僕たちはそのまま下校して、文ちゃん先輩の家に寄る事にした。
薄汚れた慰撫は鬼橋家のお風呂に浸かって、洋服も文ちゃん先輩のお母さんの唯さんが用意してくれた新しいのに着替えてすっかりご満悦。
今は文ちゃん先輩の部屋で、彼女の淹れてくれた紅茶とケーキを口にしている。はー、いい笑顔だなこいつ。僕の前とは大違いじゃないか。
『やあっぱり、マスター・アヤの御心尽しは最高ですわぁ…どこかの庶民さんと違って』
うるさいよ。お前なんか、本来はヤカンでお湯沸かして、そのままじゃーって頭の上からかけるだけでもいいじゃないか。ホント、文ちゃん先輩の心遣いに感謝しろ…って、図らずもこのド腐れ生意気生き人形と、意見が会ってしまったじゃないか。
その慈愛の人文ちゃん先輩は、まだ心配そうな顔で自分の使徒を見つめていた。
つい先日、お互いは殺し合った間柄だというのに…いったい何がこうも二人…というか一人と一体の絆を深めたというのだろうか。まったく、女心という物はよく分からない。
「本当に貴方ったら心配を掛けて…本当に大丈夫でしたか」
「はい…御免なさいマスター・アヤ。わたくしともあろう者が、配慮が足りませんでした」
親しくなる程、その相手には敬語を使ってしまうのは文ちゃん先輩の癖なのだが、それはこの異形に対しても変わらないらしい。慰撫もそれに応えて、きちんと「使徒」としての立場を弁えている。これで、僕に対しても礼を踏まえた態度を取ってくれるならいいのだけど。
「それで…あの後、貴方はどうしていたのですか?何があって、何を見たのですか」
「はい…実はマスター・アヤからのご下知を頂いた後、わたくしは…」
生き人形慰撫・弐式は俯きがちに瞳を閉じて、淡々と語りはじめたのだった。




