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幕間 3。…若しくは惨撃 2。

 ザック――笠木英明は、その2m近い巨躯と普段の言動から粗暴な男と思われがちだが、見かけとは裏腹に、意外に繊細な内面も持ち合わせた男だった。

本郷信太郎をリンチした挙句に殺めてしまった事に対して、メンバーの中で一番動揺していたのも、実は彼だった。

前回のこの場所でのギグの後、自分たちは本郷を暴行した。それは単純に腹いせのつもりだった。そんな事は過去に何度もやっていた。彼らにとってみれば「余興」程度の認識に過ぎなかったのだ。殴る蹴るなど当たり前。それがあの夜に限っては、少し様子が違っていた。

いつもの様に放ったザックの蹴りが、偶々急所に入ってしまったのか、本郷は悶絶していた。暗くてよく分からなかったが、もしかしたら後頭部にでも入ったかもしれなかった。明らかに異常な本郷の様子にザックは異変を感じたが、他のメンバーは構わず暴行を続け…やがて相手は動かなくなった。

その時になって、やっと本郷の様子に気づいて動揺しはじめたメンバーたちに、ザックは正直呆れもしたが、騒ぎに気づいたらしい通行人らしき足音に気づいた彼は、慌てて仲間を促した。

「おい、誰かくる。はやく車に乗せちまえ」

 その後の事はよく覚えている。ぐったりとなった本郷の身体をワゴン車に運び込んで走り出したものの、この後どうすればよいかなどという事は思いつかなかった。

ハンドルを握るハッシュは「どうしよう…どうしよう…」と狼狽えるばかりだったし、ジョンソンは、ついさっき黒いTシャツの大男に痛めつけられた肩をしきりにさすっているばかりだった。その仕草が「自分は関係ないからな」なんて言っているように思えて、ザックは無性に腹が立った。

 気まずい沈黙が車内を覆っていた。

しばらくして、ダークがおもむろに口を開いた。

「…笠木先輩のせいっスからね」

「な…何だとぉ!?」

「だってこいつにトドメ刺したの、先輩のキックじゃないですか」

「!?…テメェ、言うに事欠いて!お…オレのせいかよ!?」

「…先輩、いつも自慢してるじゃねーですか。オレの蹴りは十分に人殺せるって」

「あ…ああ、確かに言ったぜ?でもなぁ…テメェだってよ」

「お…オレは見てただけっスから」

「フザケんなよこの野郎!」

「やめねぇかクソ共!!」

ザックがダークの襟を掴んで殴りかかろうとした時、ジョンソンが叫んだ。ヴォーカルを担当しているだけに、声だけはよく通る。

「…やっちまったモンは仕方ねェ。ここは社長の指示を仰ごうぜ…おいハッシュ、近くに公衆電話があったらそこに停めろ」

「あ…ああ…」

ワゴン車をデタラメに走らせているうちに、人気のない公園の近くで照明に照らされた公衆電話を見つけた時は、ちょっとだけ希望が見えた気がした。

ジョンソンは、ハッシュに命じてワゴン車を少し離れた場所に停めさせた。

「…オレが社長に事の次第を伝えっから、お前らはここで見張ってろ」

ジョンソンはそう言い残して車から降りていった。

車内には運転席でまだ狼狽しているだけのハッシュ、後部座席にはザックとダークが残された。元々、ワゴン車の後部座席は申し訳程度の広さに過ぎないが、巨漢二人が座るといっそう狭く感じられた。いまだに動かない本郷は、荷台に横たわらせて毛布を被せてある。

「…先輩、社長に怒られますよぉ?」

下卑た顔でダークが笑った。こいつはまだ、自分は無関係だと言い張る気なのか。

「何だとてめぇ!」

「だってそうじゃないですかぁ!」

「あぁん?もっぺん言ってみろよ、ぁぁあ?」

ザックはまたダークの襟を掴んだが、狭い車内の事、殴ろうにも拳を振るいきれない。

「や…やめろよ…」

ハッシュがか細い声で間に割って入った。

「…とにかく、今は社長の判断を待とうぜ…な?」

「けっ」

ザックはダークの襟から手を離した。ここで下手に手を出したら、後でダークが社長に何を言い出すか分からない。

ダークは何かぶつぶつ言いながら、乱れた自分の服の襟を直していた。

やがてジョンソンが戻ってきて、車に乗り込んだ。

「しゃ…社長は何て言ってた?」

ハッシュが早口で問いかけた。

「…この件に関しては、社長は知らねェとよ」

「そんな…」

「それと…」

「それと…?」

「本郷の死体は…誰にも見つからない所に処分しろ、だそうだ」

車内に動揺が走った。しかし仕方ない。このままでは自分たちの立場も危うくなる。

一同で話し合った結果、死体は校外にある学校の近くの下水道に放置する事にした。

あそこならば、そうそう見つかる事もあるまい。

ザックたちの乗ったワゴン車は、深夜の県道を北上していった。


 ザックはダーク――仙田阿久光――という2歳年下の後輩が嫌いだった。

彼とザックは同じ高校の先輩後輩の間柄だった。懇意というほどの事でもなかったが、校内で顔を合わせた事くらいは何度かあった。

高校卒業後、勤めていた工場が閉鎖してしまい、生活の為に就いたアルバイト先でダーク――この時はまだ本名の仙田だったが――と再会して、何となくツルむ様になった。

仙田はタカり上手で、よく一緒に酒を呑みに行ったものだが、いつも勘定は自分が払う事になった。

「先輩ですし…ねぇ?ここはお願しますよ」

それがいつもだった。文句を言おうにも、すでに仙田は酔いつぶれた挙句、店内で暴れ出すものだから、いつも自分が勘定を払って店から逃げ出す様に退散するパターン。

何度かそんな事が続き、いい加減文句を言おうとした時、仙田はおもむろにこう言った。

「…実はオレ、バンドのドラムやってるんス」

「それがどうした」

「そのバンド、ちょっとした事務所に入ってて、いずれレコード・デビューする事も決まってるんスけども」

「で、それがどうしたってンだよ?」

「そのバンド、ベースが抜けちゃったんス。…でセンパイ、ウチのバンドに入ってくれませんかね。そうすればお金も稼げますし…どうっスか?」

何となく話題を逸らされた気もしたが、金になるというのは悪い話ではなかった。…しかし。

「でもオレ、楽器なんて弾けねえぞ?」

「あー、そんなのど-でもいいんスよ。先輩はベース持って立っててくれれば」

「…そんなのでいいのか?」

「先輩ほどの存在感がありゃ、演奏なんてどーでもイイんス」

こうして笠木英明は、ザ・ブラッディオーガの「ベーシスト」ザックになった。

ダークの言う通り、そのバンドは演奏よりもパフォーマンスに力を入れたバンドだった。

そこにおけるザックの役割は、馬鹿デカい声で咆哮する事だった。ヴォーカルの(はた) 正好(まさよし)――ジョンソン――の歌に合わせて「OI!OI!」とシャウトすればよかった。一応、ベースも覚えようと試みたものの、こちらはさっぱりだったが。弦が4本もあると、どこを押さえていいかまるで理解できなかったが、それはダークの言う通りどうでもいい事だった。

バンドが「ザック」に求めていたのは「凶暴な獣の如き巨漢」に過ぎなかったから。ザック自身は、己に与えられたキャラクターに不満はなかったものの、自分を引き込んだダークの、人を小馬鹿にした様な態度には腹が立った。言葉遣いこそ後輩らしいものだったが、その腹の内では「こいつは所詮、お飾りだから」とか考えているのが明白だった。

だからあいつが死んだ時は、ざまあみろとしか思わなかったのも事実だ。無論、今日の追悼ライヴだって、「ザ・ブラッディーオーガのベーシスト・ザック」としての役割を演じるだけのつもりだった。それ以上の義理も情も持ち合わせていない。

しかし不安は残る。

いつ、自分たちの犯行が明らかになるかという恐怖はもちろんだが…そもそも、ダークは何故死んだ?事故死?だとは聞いた。酒癖が悪かったとはいえ、いくら何でもあんな死に方をするか?セメントの池の中で、ロードローラーの下敷きだと?

ザックは、そこに得体のしれない「悪意」の様な物を感じていた。

――誰かが、オレたちに悪意を向けているのではないか?――

一度そんな考えに捉われてしまうと、何もかもが恐ろしくなった。もちろんベースの練習など手に付かない。もっとも、彼はこれまでもロクに練習などした事などなかったが。

 本郷の「弟子」とかいうあのガキの、自分に対する刺す様な視線が恐ろしかった。その横にいる小学生みたいな小娘にだって、これまで二回も酷い目に遭わされたが、あいつだって、何やら得体のしれない力でも持っている様で恐ろしい。

それにこの場所は、本郷が最期にいた場所だ。会場のどこからか、あいつの亡霊が睨んでいる様な気がしてならない。他の連中は、よく平気でいられるなとさえ思う。

そんな不安だらけのザックの耳に、「ハウディー」という本郷がよく口にしていたあの言葉が飛び込んできた。驚いてステージの方を見ると、それを口にしていたのは、ステージに上がってギターを手にしたあのガキだった。

何だ脅かしやがって…とは思ったが、見ればあのガキは、あの夜本郷が最期にここに上がった時に被っていた帽子を身に付けていやがった。

意識しまい、とは思いながらも、ザックにはそれがどうしても本郷に見えてしまう。

――あの夜。オレたちが嬲り殺しにした本郷信太郎の姿に。

 限界だった。いたたまれなくなって、ザックは一度会場の外に出てみる事にした。

二重になっているドアの防音効果は絶大だ。自分たちの様な大音量でプレイするならまだしも、ドアを閉めさえすれば、ギター1本くらいの音ならば、籠った不明瞭な音になり下がってくれる。

 やっと安堵できて煙草を口にしたザックの耳に、どこからかメロディーが聞こえてきた。

“BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM…BAM,BAM,BAM,BAM,BAM…”

「何だ…歌…?」

急激に眠気を覚えたザックの口元から、まだ火も点けていない煙草が漏れ落ちた。


 気がついた時、狭くて真っ暗な場所にいた。

周囲には吐き気を催す悪臭が漂っている。

指を伸ばすと、中身の詰まったビニール袋の様な物に触れた。それはひとつだけでなく無数にある。春先の温かさで腐敗が進んでいるのか、いくらか発熱による温みも感じられた。

「臭ェ…ゴミ置き場…か?」

微かにバンドの演奏が耳に入ってくるところを見ると、ここはフューリーアレイからそう遠くない場所に違いない。

とにかくこんな場所からはさっさと退散したい。そう思ったザックは重い腰を上げようとして、今更ながらに自分が身動きできない事に気がついた。

自分は、首だけを出した姿で、積み上げられたゴミ袋の中に埋もれていたのだ。

「な…何だよこれは…おーい!誰か!助けてく…!」

そう叫んだザックの口を、誰かの手が押さえた。

「…!?」

その手も悪臭に塗れていた。おまけにどろどろした、生理的に受け付けない嫌な感触が唇に触れてくる。どうやら相手は包帯を巻いているみたいだったが、そのどろどろした感触は、包帯の隙間から滲み出ていたのだ。

「○×△!○×凸…!!」

ザックは必死に抗議しようとしたものの、相手の力は強力で引き剥がせない。

「…ハァイ、ミスタ・ザァァァァックゥゥゥゥ…ハァウ・ディィィィィ…」

しわがれた声で、その相手は語り掛けてきた。

「サァイ…ノォー・モアァ…ハァウゥゥゥゥ…ディィィィィ…」

ハウディーって…こいつ…まさか本郷…か!?

そんなはずはない。あいつは間違いなく、あの夜に死んだはずだ。

「サァイ…ノォー・モアァ…サァイ…ノォー・モアァ…」

相手は意味不明な、そんな言葉を繰り返すばかりだった。

ふと、その相手は、ザックの口元から手を離した。

やっと自由に首を動かす事ができるようになって、ザックは相手を見た。

そいつは全身を包帯で包まれた、ミイラ男の様な姿をしていた。その包帯の上に、ボロボロの粗末なコートを羽織っている。どこか歪な体型なのは、怪我でもしているのだろうか。特に右腕が不気味に曲がっている。

顔も、もちろん包帯だらけだ。その隙間から覗くのは真っ赤な眼。

その眼が、まっすぐこちらを見つめている。

その狂気に満ちた視線に、ザックは戦慄した。

不用意に何か抗議でもしようものなら、すぐに殺しにくるだろう…そんな狂気と殺気に満ちた視線だった。

重苦しい沈黙が続いた。

静寂の中、微かにまた演奏の音が聞こえはじめる。

あ…この曲…?

よくは聞き取れなかったが、それは聴き間違えようもない自分たちの曲「血まみれブラッディ」だった。

ああ…もうオレたちの出番だったのか…

演奏を聴いたら、不思議なくらい妙に落ち着いてきた。

ああ…イントロだ…その後でオレのコーラスから始まるんだよな…

そんな事を考えていたザックの目が、恐怖の色に染まる。

相手は、右手にハンマーの様な物を握っていたのだ。

ロードローラーで頭部を潰されたダークの死に様が脳裏をよぎった。

「テメェ…まさかそれでオレを…」

「…ァハァ…?」

相手は何を言うのかとばかりに首を傾げた。…違うのか?

微かに聞こえてくる演奏は、いよいよ自分のコーラス・パートになろうとしていた。

それに合わせて相手が動いた。

左手には…五寸釘…!?

最初の1本目が、彼の額に打ち込まれた。

「おぅぎゃぁぁぁ…!!!!」

ザックはその激痛に絶叫する。

間髪入れず、リズムに合わせて次々と釘が打ちこまれてゆく。

その度に絶叫するザックだったが、その声は誰の耳にも届く事はないだろう。

無情にも演奏は進んでゆく。

ザックが絶叫したのは、何本目の釘までだったか。


やがてそこには、顔から無数の釘を生やした男の死体だけが残された。

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