26 第三の声…?
ザックの姿が見えない――?どういう事だ?
だってあいつ、ついさっきまで…ここにいた…よね?
うん。間違いない。少なくとも、僕がステージに上がっていた時、客席にいたのは覚えているぞ。だってあいつ、ジョンソンたちと一緒に下卑た野次を飛ばしてきたもの。
途中からは演奏に集中するあまり、そんなのも気にならなくなってたから分からないけど、あの時までは確かにここにいた。
たぶんその後で中座したのだろうけど、自分たちの出番が迫っているのに、まだ戻ってこないというのはいくら何でもおかしい。曲がりなりにも、プロを名乗る奴のする事じゃないと思う。
関係者でもない僕が戸惑うくらいだもの、バンドのメンバーたちが動揺しているのは明白だった。
「――トイレは?」
「誰もいません」
「そこいらで煙草でもふかしてンじゃねーっスか?」
「外にもいなかったぞ?」
スタッフさんたちの動揺が、客席の僕たちにも伝わってくる。
「…弱ったな」
プロデューサーのトミーさんが頭を抱えていた。心中お察しします。
「あいつの事だから、ビビって逃げたンじゃねーっスかぁ」
自分のバンド・メンバーの所在が分からないというのに、ヴォーカルの秦ジョンソンの口調は関心なさそうだった。
「秦君、君は心配じゃないのか?」
「ま、元々、あいつのベースなんか当てにしてませんしねぇ。そもそも、ベース、弾いてませんしぃ~。あひゃひゃひゃ」
ジョンソンが下卑た笑い声を上げた。…何だこいつ。今日はお前の所のメンバー追悼ライヴだろうに、こういう時こそチームワークとかが大事なんじゃないのかよ。
狭いライヴハウスの事、その異変と異常な空気は瞬く間に場内に広まった。観客たちはこういう雰囲気には敏感だ。今夜のメイン・ステージを楽しみにしてきたファンだっているだろう。もちろん、死んだダークのファンだって。あいつ、そんな人たちの事はどうでもいいのかよ。
「秦君…!」
さすがのトミーさんも、ジョンソンのこの一言にはキレそうになった。しかし彼は一度大きく深呼吸…いやあれは溜息か…をつくと、おもむろにこう言い放った。
「もういい。そこまで言うのなら、このイベントはここで中止しよう」
トミーさんの口調は、極めて落ち着いた物だった。それだけに、その言葉の間に見え隠れする、隠しきれない内心の憤りが伝わってくる様な重みが感じられた。
この言葉には驚いた。いや僕だけじゃない。張本人のジョンソンも意外だったみたいだ。
「ひぇっ!?じょ…冗談でしょお…?」
「冗談じゃないさ。大事な出番に穴をあけた笠木君も笠木君だが、君のその態度は、お客様からお金をいただいて演奏を聴いていただくプロフェッショナルとしては、あまりにも礼を欠いた物だと感じた。石村社長には申し訳ないが、僕が君たちのプロデュースを担当するのは今夜で最後にしたい」
「そ…そんなぁ…」
ジョンソンは、ついさっきとはうって変わった情けない顔になる。ギター担当のハッシュ氏はガタガタ震えているだけだ。
「あ…ああ、はい!分かりましたっ!今の撤回します、しますから、それだけはご勘弁!」
ジョンソンの奴、トミーさんがここまで言いだすとは思わなかったのだろう。…想像力という物を持ち合わせていないのだろうか?
それにしても、普段エラそーにしている奴に限って、自分よりも立場の強い人には諂うというけれど、本当なんだなあ。…僕は決してあんな大人にはなるまい。
「…笠木君の事は仕方ない。とりあえず、ステージだけはきちんとこなしてほしい」
「わ…分かりました…了解です…」
言葉に無駄があるな。おんなじ意味の言葉が重複してる。プロデューサーさんから三下り半みたいな言葉を突きつけられて、よっぽど動揺しているのだろう。
「…とにかく、今はベースレスでゆくしかないな。橋本君、君のギターだけでできるか?」
「…ひえっ!?」
いきなり話を振られて、ハッシュ氏は素っ頓狂な声を上げた。…こっちもこっちだ。こうなればそうなる、なんて想像力がないのか、こいつらは。
「お…おおそうだ!そこのガキ!」
ジョンソンが、いきなり僕の方に近づいてきた。な…何だ?
「おいオメェ、オメェ、ベース弾けるか?」
「弾けません。ベースなんて弾いた事も、触った事もありませーん」
せっかくのお誘いですが、僕は謹んでお断わりのお返事をさせていただいた。
いきなり何を言い出すのかと思えば。溺れる者ですか貴方は。
僕の横では文ちゃん先輩が堪え切れずに吹き出していたけど、焦りまくるジョンソンには、それも目に入っていない様だった。奴はケッ!と舌打ちすると、今度はヘビセンターのベーシスト、ええっと…新貝君にもおんなじことを聞いていた。もちろん彼にも、「俺、弾くのは生涯ロケンローだけって心に誓ってるっす」とにべもなく断られていた。はは、こういう時に、普段の態度がモノを言うのだよ?
ザックはとうとう姿を見せなかった。予定時間を大幅に過ぎていた事もあって、ザ・ブラッディーオーガのステージは、トミーさんの言う通りベースレスで始ったのだった。
『あーみなさん、色々とお騒がせしちまってすみませんねえ。ザックの奴には、後できつーく叱っておきますんで』
場内から失笑が漏れた。
いつも人を見下している様なジョンソンも、トミーさんの前ではそうそう大口を叩くわけにもゆかないらしい。いつもの様な横柄な態度は、どこかに置き忘れてきたみたいだ。
『…ええと…今夜はダークの為に集まっていただいてありがとうございます…こんな大事な時に、ザックの奴はどこにいっちまったんだか…まったく』
…またもザックの名前を口に出した。よっぽど話題が無いのかな。
客席に向かって話しながらも、ジョンソンの目線は、後ろのドラムセットに座っているトミーさんを気にしている様だった。さっきの一言がよっぽど堪えたらしい。
『…あー、ザックの奴はですねえ…』
…スタン!
なおもしつこくザックの名前を出そうとするジョンソンだったけど、トミーさんが叩いたスネア・ドラムの音がそれを遮ってしまった。驚いたジョンソンが振り向くと、トミーさんは無言で頷くだけだった。僕には、それが「御託はいいからさっさとはじめなさい」という、トミーさんの一喝の様に思えた。
『…じゃあ1曲目はいつもの“血塗れブラッディ”だ…です』
おいおい。あいつ、本当はかなり小心者なんじゃないのか?
トミーさんがスティックでワン・ツー・スリー・フォー…とカウントを取った。続いて地面を揺るがすバス・ドラムの重低音が響きはじめる。よく見ると、トミーさんはいつの間にかドラム・スティックを片手に二本ずつ握っている。この曲はバス・ドラムの後からスネア・ドラムが入ってくるのだけど、トミーさんは左右合計四本のスティックを自在に振るっていた。…ああそうか、こうする事でドラムの音量はデカくなるし、それぞれのスティックがドラムの皮にヒットするタイミングが微妙にずれる事によって、独特のグルーヴ感も出せるのだろう。ベースが不在な分、バンドの音の厚みが薄くなってしまうから、こうやってカヴァーするという事なのか。さすがはプロの音楽プロデューサー、こんなトラブルを補う手段も、ちゃんと心得ているんだな。
リズム・パターンの手数だって、ダークごときとは比べるのが申し訳ないくらい多彩だった。
うん。これが本当の「プロフェッショナルの手遊び」という物なのだろう。このドラムだけでも、今夜のステージを観にきた価値はあるという物だ。
…だがしかし。その後で入ってきたハッシュのギターが、全てを台無しにしてしまった。
ただでさえリズム・キープもできていないハッシュだけど、今夜のギターは輪を掛けて下手糞なプレイだった。トミーさんの刻むビートに圧倒されてしまって、それについてゆく事すらできないでいる。メンバーの突然の失踪にビビっているのかもしれない。せっかくのグレッチ・ホワイト・ファルコンが泣くぞ。
もしもあのギターが、仮に文ちゃん先輩の言う通り「幸運を呼ぶギター」その物だったとしてもだ、その幸運はハッシュごときには降りてこないらしい。…まあそれもそうだ。あんな奴には、カミサマだって力を貸す気にはならないだろうさ。
イントロだって、本郷さんが弾いたスタジオ・ヴァージョンでは、複雑で特徴的なリフを刻んでいたけど、ハッシュはただのパワー・コードでジャカジャカ弾くだけ。これでは曲の持ち味も半減してしまう。
その、無駄に不愉快で苦痛を伴いそうなイントロの後は、あの「OI!」という、これまた品のないコーラスが続く。
『OI!OI! OI!OI!OI!!』
いつもなら、ここはザックの無駄にデカいダミ声が聞こえてくるのだけど、今日はその声がない。そこでジョンソンとハッシュもコーラスに加わっているけど、コレがどうにも迫力に欠ける。…ああ、あのザックも、それなりに必要だったんだなあ、このザ・ブラッディーオーガというバンドにとっては。
…いなくなって分かる、そいつの価値って奴だな。さすがに同情するよ、いやホント。
「…いやー、いつにもまして酷いですね」
僕はそう言って、隣の席の文ちゃん先輩を見た。
「…OI…OI…OI…OI…」
ところが驚いた事に、彼女は真剣な表情で、バンドに合わせてコーラス・パートを口ずさんでいたのだった。それはとても小さな声だったけれど。
「…文ちゃん先輩?」
「あ…はい?何ですか志賀君」
「珍しいですね」
「何がでしょう?」
「文ちゃん先輩が、あいつらに合わせて一緒に歌うなんて」
「え…私、歌ってました?」
「ええ」
「…そうでしたか…でも、そうではなくて…あの…」
彼女の目が、いっそう険しいものになる。それはいつもの「文ちゃん先輩」ではなく、すでに「鬼橋 文」の瞳だった。
「何か…ヘンな所でも?」
「三人」
「三人…?」
「三人の声が聞こえるんです。このコーラス部分」
僕はステージを見た。ヴォーカルのジョンソンとギターのハッシュ氏が、二人で問題のコーラス・パートをガナっている。…間違っても歌っているとは言い難い出来栄えだ…って、二人?!
二人の背後でドラムを叩いているトミーさんは、われ関せずといった風体で黙々とリズムを刻んでいるだけだ。僕は耳をすませて声を聞き分けようとしたけれど、大音量と混ざったダミ声は、何度聞いても二人分の物だった。
最初は文ちゃん先輩の聞き間違いかとも思ったけれど、彼女の聴覚は常人よりもはるかに優れているはずだ。もしかしたら、僕たちには聞き取る事のできない「もうひとつの声」を、彼女の耳は捉えたのかもしれなかった。
歌がはじまった。
今夜オマエをブチ殺す
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
血の池地獄を見せてやる
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
オマエのはらわた 引きずり出して
生き血をすすり 引きちぎる
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
「やはり…コーラスになると三人分の声がしますね…ここにはいないはずの、第三の声が」
ザックが悪い ザックが悪い ザックがオレにそうさせるのだ
ケツまくったゴミクズが!
ジョンソンは歌詞の一部を、ここにいないザックの名前に換えて歌っていた。
…何でも人のせいにするんだな。もっとも、この歌って元々そんな感じではあったけど。
「あ――聞こえなくなりました」
曲の途中で、ふと、文ちゃん先輩が言った。
「え?」
「第三の声、急に聞こえなくなったんです」
「どういう事です?」
「最後の一回は…まるで断末魔みたいでした」
「断末魔…?」
「はい。その後はもう、まったく聞こえてきません…」
「もしかして、遅れてきたザックの奴が、この会場のどこかでこっそり歌っていたのかもしれませんね」
「だといいのですが…気になります。…慰撫?」
文ちゃん先輩は、リュックの中に潜んでいる忠実な僕に声を掛けた。
『何ですの、マスター・アヤ』
「さっきの象形文字らしい気配も気になりますし…ちょっと付近を見てきてくれませんか」
『かしこまり!ですわっ』
そう言うと、小さな異形の生き人形は、リュックから飛び出して暗がりに紛れて姿を消した。あまりに素早い動きだったせいか、観客の誰にも気づかれる事なく。
「…志賀君」
「はい?」
「私、嫌な予感がします…とても嫌な予感が…」
「……」
僕は何も答える事ができなかった。
だってそれは、常人の及ぶ領域からずっと遠い所にいる、魔導師の言葉だったから。
代わりに僕は、彼女の小さな手のひらに、自分の手のひらを重ねた。
彼女の手は、微かに震えていた。それが彼女を苦しめた、あの忌まわしき象形文字の気配に対する怯えだったのか、あるいは彼女だけが聞き取る事のできた、謎の「第三の声」に対する動揺だったのかは分からなかったけれど。
結局、その夜のザ・ブラッディーオーガのライヴは惨憺たる結果に終わった。トミーさんという手練れの助っ人が参加してくれたにもかかわらず。
そのトミーさんは、見るからに不機嫌そうだった。最後の曲の後、彼は予告もなくいきなりドラム・ソロをはじめた。…きっとこのライヴの出来に一番満足できなかったのは、プロデューサーである彼だったに違いない。
出来損ないだったこのステージの中で、唯一の聴き所は彼の素晴らしいドラミングだけだった。トミーさんにしてみれば、この素晴らしいドラム・ソロは、お金を払って足を運んでくれたお客さんに対する、せめてものお詫びのつもりだったのかもしれない。しかしそのプレイは見事な物で、白けていた観客たちの間にも、少しだけ熱がこもった。
ぱち…ぱち…ぱちぱちぱち。
最後の最後で、観客席はやっと盛り上がった。シェイクスピアではないが、「終わりよければ全てよし」なんて言葉を思い出した。
トミーさんはセットから立ち上がると一礼して、そのまま無言でステージ脇の狭い楽屋に引っ込んでしまった。慌ててジョンソンとハッシュ氏が続く。
観客たちに対する感謝の言葉もなく、ザ・ブラッディーオーガのステージが終わった。
店内にBGMが流れはじめる。
「あーみなさん。今夜は本当にありがとうございました。お気を付けてお帰りください」
マスターの木村さんが、誰もいなくなったステージに上がって挨拶した。自分のお店が、二回続けて支離滅裂な顛末の舞台となってしまったその心中、お察しいたします。
次々とお店を出てゆくお客さんたち。僕も自分のギターや機材を片付けはじめる事にした。何気なくお店の片隅に目をやると、あの夜、本郷さんが最期に手にしていたエレキ・ギターが、壁際のギター・スタンドに立てかけられたままになっていた。
ああそうか。あの夜、本郷さんはこのギターを置き忘れたままだったんだ…
今となっては、僕が「本郷さん」を感じる事ができるのは、この置き去りになったギターと、形見となってしまったこのウェスタン・ハットだけになってしまった。
この世は、何でこうも残酷で虚しくできているのか。
思わず涙が滲んでしまう。
僕は涙を拭って、自分のギターをケースにしまおうとした。
その時だった。
お店の外から悲鳴が聞こえたのは。




