24 ライヴ・アット・フューリーアレイ
「…どういう事です?」
「あのギター…昔、鮎子おねえちゃんのお店に置いてあった物と似ている気がするんです」
文ちゃん先輩は、ハッシュの手にしたギターを凝視したままそう言った。
「…グレッチのホワイト・ファルコンって有名なギターですよ。わりと有名なモデルですから、けっこう出回ってますし…」
言葉ではそうは言いながらも、僕は心の中で自分自身の言葉を否定していた。
「いえ…ほら、あそこ」
文ちゃん先輩は、グレッチのヘッド部分を指差した。
「あのギターの…竿の先の頭?…って言うのですか?そこに付いている糸巻きの、下側の方の竿側の…」
うーむ。ギターの素人さんの申される表現は難しいけど、たぶんネックの先のヘッド部分のペグの…ええっと、「下側の竿側」というと、きっと1弦(E)の事なんだろうな。
「…1弦のペグがどうしましたか?」
「えっと、その糸巻だけ、他の5個とは形と色が違うじゃないですか」
え…?あ、ホントだ。他のはゴールド・パーツなのに、1弦のペグだけ銀色で、しかも形状が違っている。
「…私、子供の頃、悠久堂のお手伝いをしていた事が何度もあって、ショーウィンドゥに展示されていた品物のお掃除とか、よくやっていたんです。その中にあれとそっくりなギターがあって、埃を払うたびに、何でひとつだけ形が違ってるんだろう?ヘンだなぁ…なんて不思議に思ったのを覚えているんです」
「‥‥」
「でもそのギター、鮎子おねえちゃんが、誰かにタダで譲ってしまったみたいですけど…」
ああ…そういえば鮎子先生から聞いた思い出話では、鮎子先生が本郷さんと出会ったその時に、まだ幼かった文ちゃん先輩も同席していたんだっけ。
でもどうやら、彼女自身はその時の事をよく覚えていないみたいだった。無理もなかろう。いくら文ちゃん先輩といえども、まだ7歳の少女が、たった一度しか会った事のないヒトの事なんて、そうそう覚えているものじゃない。…でも、彼女の言う通り、今、目の前にあるあのグレッチが、本郷さんが手にしていた「幸運を呼ぶギター」と同じ物なら…
「…そんなに…似ているんですか…?」
念を押す僕に、彼女はこう答えた。
「…後は…ボディの後ろ側に、けっこう大きな傷…というか塗装が剥げたみたいになっていれば…」
塗装が剥げた…?ああ、ベルトのバックルが当たってできる傷の事か。よく使い込まれたギターにできる傷だ。それだけ永くそのギターと接してきたという証みたいな物で、ギター弾きとしての勲章みたいな物だ。もちろん僕の愛機モーリスW―20の背面にも、その傷が生まれつつある。
「…その傷の形とか…覚えてます?」
「ええ。お店の中から、ショーウィンドゥをお掃除してましたから、あのギターの後ろ側はよく目にしてましたもの。…たしか鶴が羽根を広げている様な…そう、まるで群馬県の形みたいで、ちょっと面白かったな」
「鶴舞う形の群馬県」か。
僕たち群馬県民こと上州人なら誰でも知っている「上毛かるた」。群馬県の風物や歴史に名産、郷土出身の偉人たちを謳ったカルタだ。僕たち地元の子供たちは、幼い頃からこのカルタに親しみ、馴染む事で自然に郷土愛という物を育んでゆく。
「あ」は「浅間のいたずら鬼の押出し」。「い」は「伊香保温泉日本の名湯」。
「う」…「碓氷峠の関所跡」。「え」…「縁起だるまの小林山」。「お」は「太田金山子育呑竜」。…ほら、この僕だって、今でも諳んじる事ができてしまう。
そしてこの手札の「つ」が「鶴舞う形の群馬県」。群馬県の子供は、他所のどこの県の子供よりも、自分の県の「カタチ」を覚えていると思う。それもこれも、この「上毛かるた」のおかげなのだ。
そう。わが群馬県は、まるで羽ばたく鶴の様な姿をしていると昔から評されてきた。…もっとも、個人的な見解を述べさせていただけるならば、僕としては、鶴よりはむしろウルトラホーク3号に似ているよなぁ…とか思ってしまうけど。
文ちゃん先輩の証言を正しいとするならば、本郷さんから奪われたグレッチを、何でハッシュごときが持っているのだろうか…?まさか…
「…橋本くん。そのギターはどうしたんだ?キミが買ったのか?」
元ザ・フラットボード・カスケーズのドラマーだった冨澤さんも、僕たちと同じ疑問をあのギターに感じたみたいだった。本郷さんがあのグレッチを弾いていた時、それを一番間近で目にしていたのは彼だったはずだ。
「へ?ああ、コレですかい?こいつはウチの社長のコレクションのひとつなんだそうでさ。前に予備のギターが無いって言ったら、社長がこれを貸してやるって言ってくれまして」
ハッシュの態度からは、あまり後ろめたさみたいな物は感じ取れなかった。おそらくそれは事実なのだろう。…彼にとっては。
「…そうか…」
冨澤さんは、それ以上の追及はしなかったけど…気になる。あのグレッチのバック(背面)を見れば一目瞭然なんだけどなあ…残念ながらその部分は、ハッシュの腹部に隠れてみる事ができない。
「…じゃあ時間も押してるし、リハを再開しよう。…秦くーん?」
「へいへい」
冨澤さんの呼び声に応えて、ジョンソンが楽屋から出てきた。相変わらずやる気がなさそうなのが目に見えるようだった。ジョンソンはステージに戻ると、ハッシュのギターを目にして「あーオメェ、ソレ使うん?」なんて言ってた。彼にとって、メンバーがどんな楽器を使おうと気にはならないらしい。ただ、ジョンソンはそのグレッチをもう一度見て、ケッ!と舌打ちをしていたけれど。あのグレッチに、何か思う事があるのだろうか?
やがてザックもベースを手にして、リハーサルが再開された。
ブラッディーオーガの持ち時間が終わると、すぐに水嶋君たちヘビセンター…じゃなくてザ・スネイク・センターの出番となったけれど、彼らのリハは、ほんの1・2曲をやっただけで終了してしまった。
「へ?あれだけでいいの?」と聞いた僕に、水嶋君は一言「ロケンローはいつだって一発勝負っスから」なんて申された。うーん。カッコいいぞ。
で、僕の番がきたけれど、もう開演時間寸前になっていた。逆リハのメリットはもう十分に理解しているつもりだけれど、いざこうやって時間が押してくるとすぐに出番を控える立場としては緊張もひとしおだった。…だって、ほとんど時間もないリハーサルから、そのまま本番に突入しそうな有様なんだよ?まさに水嶋君の言う「一発勝負」そのものだったけど、僕には彼らの様な余裕なんてなかった。
緊張のあまりに手が震える僕に、水嶋君は「志賀サン?ロケンローっスよロケンロー!」
なんて肩を叩いてくれた。
…いや僕がやってんのはロケンローじゃなくてカントリーなんだけど…
気がつけば、いつの間にか店内にはお客さんの姿もちらほらと見受けられる様になっていた。あ…水嶋君の双子の姉の真子さんもいる。…うわ。今頃になって緊張してきちゃったぞ?
いけない、頭が真っ白になってる。ええっと…1曲目は何だっけ…?何やるつもりだったんだっけ…?やばいやばいやばいやばい。
どうしようもなくなって、僕は思わず客席の最前列に座っている文ちゃん先輩を見た。
すると彼女は立ち上がって、楽器やアンプが雑然と並ぶステージの中央で硬直している僕の元にやってきた。
彼女は無言でにこ、と微笑むと、僕の手のひらに自分の小さな手を重ねてきた。温かい。
彼女はそのまま、瞳を閉じてちょっとだけ僕の側に寄り添ってくれた。
「え…文ちゃん先輩?」
「くす」
僕の問いには何も答えず、彼女はそのまま、また自分の席に戻っていった。
時間にすればほんの十数秒、いや実際はもっと短かったかもしれないけど、愛しのまいはにーさんのそんな仕草は、ガチガチに固まっていた僕の緊張を一気に解してくれたんだ。
わずかな時間とはいえ、リハーサルを終えた僕は、文ちゃん先輩の隣の席に腰を下ろした。
文ちゃん先輩は何も言わなかった。でも、僕の手を握って、そのまま僕の肩にもたれてきた。
…かわいいなぁ。でも彼女のこういう仕草は、後々、真子さん辺りにネタにされそうだな。まあいいか。今はこの心地よさに身を委ねよう。
…そうでもしてないと、また緊張がぶり返してしまいそうだ。
そしていよいよ、「ブラッディーオーガ・ダーク追悼ライヴ」は始まったのだった。
まずはプロデューサーのトミーさんがマイクを手にして壇上に上がった。
『みなさんこんばんは。今夜はブラッディーオーガのドラマー、ダーク君の追悼ライヴにご来場いただき、誠にありがとうございます。彼もきっと、天国で喜んでいる事でしょう。申し遅れましたが、私は彼らのデビュー・シングルをプロデュースさせていただいた、FBCレコードの冨澤浩二と申します。残されたメンバーも、今夜は盟友の為に心からのアツいプレイを聴かせてくれる事でしょう。また、今夜は地元の前途ある若手ミュージシャンたちも集まってくれました。今夜はみなさんも楽しんでいってください。それがダーク君へのたむけになる事でしょう』
会場からは拍手が起こった。
…大人の挨拶、なんだなあ。でもトミーさん。申し訳ありませんが、今の僕にはダークの奴なんかを追悼する気持ちなんてありません。それが正直な僕の心境ですよ。僕が本当に追悼したいのは本郷さんだ。師匠の死がまだ公になっていない以上、それを口にする事はできないけれど。
そのひそかな決意を胸に、僕はあの夜師匠からいただいたウェスタンハットを目深に被った。まだ少しアルコールの匂いが残っている。今となっては、これが師匠の形見となってしまった。
『ではその一番手!カントリー・ギターの若きホープ!志賀義治君です!みなさん、拍手でお迎えください!』
再び拍手が起きた。その音に乗って僕は席を立ってステージに上がった。さすがに僕ごときは緞帳上がって舞台袖からご登場、なんて立場じゃあない。客席から直接ステージに上がるのだけど、考えてみれば、これこそ「今の僕の立場」そのものじゃないか。
そうだ。僕は「聴く側」から、今まさに「聴かせる側」になりつつあるのだ。
僕はステージ中央に用意されたイスに押しかけ、愛用のアコースティック・ギター、モーリスW―20を手にした。先日悠久堂で買った銀色のストラトキャスター…のレプリカモデルは持ってきていない。僕はまだエレキ・ギターの感触に慣れていないのだ。
このアコースティックには、専用のピックアップを取り付けている。これにシールドをつなぐ事によって、アコースティックでもエレキ・ギターの様にギター・アンプにつなげる事ができるのだ。
「STAND BY」モードにしていたアンプのスイッチを入れる時に気がついた。
…ああそうか。このローランド・ジャズコーラスには、あの夜、本郷さんがギターをつないでいたんだっけ。師匠の最期のプレイの音を出したアンプに、今こうして今度は僕が自分のギターをつなぐ…というのも感慨深い。まるで、師匠の遺志を僕が継いだみたいな気持ちにもなるじゃないか。
さっきとは逆の意味で気持ちが高ぶってきた。感極まったその思いは言葉となって、ごく自然に僕の口から漏れ出でてきた。
「は…はーいみなさん。はっ、はーぅ・でぃー?」
「…………」
思わず出てしまった師匠の口癖。しかしその言葉に会場は無反応だった。…さすがに僕では、まだ師匠の様にはゆかないか。
「ギャハハ!何だよガキ?それ、本郷のモノマネかぁ?」
ジョンソンが、僕を小馬鹿にした様な口調で野次を飛ばしてきた。うるさいな。
会場からは失笑が起きた。くそう、本郷さんも、何年もこんな嫌がらせをされ続けていたのだろうか。
「…はっ、はーう・でぃーっ!」
野次に負けじと、文ちゃん先輩が一生懸命に声を張り上げて僕に応えてくれた。ありがとうございます。後でぎゅっと抱きしめてあげたいけど…怒られちゃうかな?
「「「ハウ・ディー!!」」」
文ちゃん先輩に続いて水嶋君たちザ・スネイクセンンターのメンバーと真子さんも応えてくれた。よっし!さぁやるぞ……って、へ?
「…ハゥ…ディー…………」
彼らの声援に交じって、どこからか…そう、まるで地の底から聞こえてくるかのような、低くて小さな声も聞こえた…様な気がした。
…気のせいかな?でも、その不気味な声は、どことなく懐かしくさえ思えた。…あんなに不気味な響きだったのに。
気を取り直して、僕は大きく深呼吸した。そしてうん、と頷くと、1弦と2弦同フレットのハーモナイズド・フレーズを弾きはじめる。
映画などで耳にする、よくある様な中国っぽいフレーズだった。その後一瞬のブレイクを挟んで、ハイテンポのギャロッピング奏法に突入。
「チャイナタウン・マイ・チャイナタウン」という古い曲のチェット=アトキンス御大アレンジ・ヴァージョンだ。
1曲目にこの曲を選んだのは、そのイントロのフレーズが、誰でも一度は耳にした事のありそうなフレーズだったからだ。
まずはツカミ、というか、オーディエンスに「おっ?」と思わせる所からはじめるのが効果的だと考えた結果のセレクトだった。
1コーラス目はメロディと同時にベース・ラインを弾くオーソドックスなギャロッピング奏法。2コーラス目はうって変わったゆったりとしたメロディー・ライン。こんな短期間では御大の奏でる独特なトーンの謎(ハーモニックス奏法?)は解読できなかったので、僕はこの部分をオクターヴ奏法に換えてみる事にした。そして3コーラス目は再びギャロッピング奏法に戻る。チェット御大アレンジの黄金パターンだ。
基本的には1コーラス目と同じメロディー・ラインだけど、ちょっと変化する部分もある。
コピーしていて、この部分で、僕はSKDだかタカラヅカみたいな派手なミュージカルのシーンを連想してしまった。ほら、お尻に大きな羽根飾りがくっついた、キンキラキンのせくすぃーな衣裳を着たおねーさんたちが、ずらーっと並んで決めポーズを取る様なシーンってあるでしょ?ああいう奴。
まさかチェット御大の曲で、そんなイメージが浮かぶとは思わなかったけど、とにかく派手で目立つ軽快な雰囲気を持つ曲だ。
「ギャロッピング奏法」を知らないお客さんたちは、さすがに驚いたみたいだ。ふふ、ギター1本でもこういう事ができるのですよ?コレがチェット流…いいや、ここ群馬県高崎市界隈では「本郷流」のギターなんだ!
わずか2分間の演奏は、嵐の如く過ぎ去った。やってるこちらは無我夢中。さぁ、反応は?
最後のトーンの余韻も消え去らぬうちに、客席からは拍手が巻き起こった。
先のデビュー・ステージの時の様なお義理の物じゃない。僕のプレイを心から楽しんでくれているのが伝わってくる様な拍手だった。よっしゃ!
続けて「ハートエイクス」。元々は1932年リリースと言うから…うわ、半世紀も前の曲だ。この切ないバラード(…と言っても、僕はオリジナル版は聴いた事もないけど)を、Fのアルペジオ風フレーズでアレンジした物だ。チェット御大のセンスには本当に頭が下がる思いだわ。
後半は、粒揃いの速いパッセージの音の奔流。フレット上を指が流れる様に縦横無尽に動いてゆく、見た目にもインパクトのある曲だ。
「ウィンディ・アンド・ウォーム」「レインボー」、そして僕と師匠を結ぶきっかけとなった「キャノンボール・ラグ」。僕は己の内なる情熱を師匠へのリスペクトも込めて夢中で弾き続けた。そうだ。今夜の僕のプレイには、全て本郷さんへの追悼、そして鎮魂の想いがこめられていた。
本郷さん…本郷さん…本郷さん本郷さん本郷さん…!!!!
僕は心の中で師匠の名を叫び続けながら、一音一音を刻んでいったんだ。
…後になってこの時の事を振り返ってみたら、僕のその想いこそが、「彼」をこの場所に呼び寄せてしまったのかもしれない。
「彼」…「ミスター・サンドマン」を。




