23 ダスティー・ロード
ちょっとだけ悩んだりもしたけれど、木村さんのお誘いを、僕はその場で引き受けた。
引き受けた、というのはちょっと違うか。何といっても、僕はまだ、ステージという場所に立ったのはたった一度だけの駆け出しに過ぎないのだ。そんな僕にお声を掛けていただけるなど願っても無い事だった。
だからこれは「お誘い」。間違っても出演依頼などといったご大層な物ではない。それは十分に自覚しているつもりだった。いくら何でも、そこまで増長できるほど自分を過大評価していないつもりだ。
その僕のたった一度のステージを、木村さんは亡き本郷さんと共に見ていてくれたそうだった。最初は、1980年代に突入した今でもこんな古臭い音楽をやっている奇特な高校生のギター小僧がいたという驚きが大きかったそうだけど、師匠…本郷さんからの評価も高かったと木村さんは言ってくれた。今回、僕の所に白羽の矢が立ったのも、その時の師匠の評価による所が大きかったとも。
純粋に嬉しくもあり…そして心の中でこっそりと泣いた。
僕のギターを、鮎子先生に続いて評価してくれた本郷さん。
鮎子先生はもはや身内と言ってもいい立場だけれど、それまで全く面識のなかったヒトからいただいた評価は、本郷さんが最初だったんだ。
…その本郷さんはもういない。
出演イベントの名目こそブラッディーオーガのドラマー・ダーク氏の追悼ライヴという事だったけれど、正直言って僕は、彼を追悼するなんて気持ちはなかった。
ダークに限らず、僕はブラッディーオーガというバンドに好感なんて持ち合わせていない。
粗暴で暴力的で…それは彼らの「ステージ・パフォーマンス」と受け取ればいいのかもしれないけれど、僕にはとてもそうは思えなかった。
…あれは演出なんかじゃない。彼らの本性その物だ。
むしろ、彼らの暴力性を正当化するために「パフォーマンス」という口実を作っている様にも感じた。
街角で幼い兄妹に暴力をふるったザック。
ステージのスタッフとしてセッティング作業をしていた本郷さんを投げ飛ばして、怪我を負わせたダーク。
ヴォーカルのジョンソンは…言葉の暴力。他人を卑下して小馬鹿にするだけの厭らしい男。
残るギターのハッシュとやらだって、僕はまだ彼の凶暴性を見てはいないけど、仲間と共に本郷さんを侮辱していた姿は忘れないぞ。
ブラッディーオーガ。…「血まみれの食人鬼」、か。まさしく冷酷で残忍な彼ら自身に相応しい名前だな。
…そんな下卑た連中の「追悼ライヴ」だって?
繰り返すけれど、少なくとも僕は、あのダーク個人を「追悼」する気持ちなんてない。
もちろん一人のニンゲンとして、ヒトの死を悲しむ気持ちくらいはある。それはヒトとして当然の感情だ。でもそれは「哀悼」という物であって、「追悼」という行為とは別の物だ。
むしろ、僕が心ひそかに「追悼」したいのは本郷さんだった。
でもそれはまだ口には出せない。師匠の死を、僕はカミサマである鮎子先生から聞いてはいるけれど、世間的にはまだ本郷さんは「行方不明」という事になっているはずだ。
本郷さんが最期に立ったステージだからこそ、僕は師匠へのひそかな追悼の意を持って出演させてもらうつもりだったんだ。
それに…鮎子先生は言葉を濁したけれど、僕はまだ、本郷さんを殺めたのがブラッディーオーガの連中ではないかという疑いだって持っている。
あわよくば、同じステージに立たせていただくこの機会に、連中の尻尾を掴んでやろうかとさえ考えてもいた。
――証拠を掴んだらどうする?
もちろん、警察に突き出してやるつもりだ。ニンゲンの犯した罪は、ニンゲンの定めた法で裁かれるのが道理だろう。
でも…心の奥に引っ掛かる物もある。
本郷さんを殺めたのが連中だとしても、だ。じゃあその後、ダークが死んだのは何故だ?
奴の死に方は無残な物だったそうだ。もちろん、酒に酔っての事故だったという見方もある。
でも、それにしてはあまりにも「出来すぎた」様な印象があった。
渋川市内で呑んでいた奴が、どうしてそこからけっこう離れた所にある事故現場に足を運んでいたのか?それに…酔って足を踏み外したのが、たまたま流し込んだばかりのコンクリートの池というのも出来すぎだ。それに、コンクリートが硬化しはじめるまでそこに浸かったままだったというのもおかしい。ましてやそこに重機が突っ込むなんて…
そう。「不慮の事故」と断定するには出来すぎている印象だった。もちろん、こんないち高校生の考えている様な事は警察だって把握しているだろうけれど。
いずれにせよ、僕のライヴハウス・デビューは波乱に満ちた物になるだろうという気持ちはあったんだ。
そんな事を考えていたら、いつの間にかその当日がやってきた。
僕はその夜、「ブラッディーオーガ・ダーク追悼ライヴ」に出演するために、高崎市内のライヴハウス「フューリーアレイ」に足を運んだ。
「これはダークなんかじゃない、本郷さんの為の追悼ライヴなんだ」という気持ちと共に。
せっかくのソロ・ステージだったけど、ほとんど誰にも声は描けなかった。打ち明けたのは文ちゃん先輩と鮎子先生だけだ。
僕の顔色に何かを感じる所があったのか、文ちゃん先輩は一緒についてきてくれた。
彼女愛用の魔法槍「ファッチ棒」を懐に忍ばせて。
前回…本郷さんの最期のステージとなったあの夜。彼女も僕と一緒にこの場所にいたのだ。
本郷さんのステージを妨害するブラッディーオーガの連中の下卑た行いに、我らが文ちゃん先輩の堪忍袋がキレた。もっとも彼女自身は何も手を出していない。突進してきたザックが自滅しただけだ。後は無頼庵摂津屋の宗佑衛門さんの物凄い貫禄で、事は片付いてしまったのだけれど。
どうやらあの一件以来、彼女の中では「ライヴハウスは物騒な場所」という認識がすっかり出来上がってしまったらしい。ファースト・インプレッションって大事なんだな。
彼女に言わせれば「あんな物騒な場所に、志賀君をひとりで行かせるわけにはゆきません!」との事だった。
「心配してくれるんですか?」って聞いたらば。
「ええ、もちろん心配です。…だって志賀君が何をしでかすか分からないじゃないですか」
という、信用されているのかいないのか、ちょっと微妙なお言葉をいただいてしまった。
本郷さんの死に、彼女も少なからぬ憤りを感じているのは間違いなかったみたいだ。そしてもちろん僕自身も、その気持ちは同じだった。
…僕としては、むしろ、またキレた文ちゃん先輩が何をしでかすか不安だけど。
何と言っても、彼女は大魔導師「鬼橋 文」の名を受け継いだ少女なのだ。小柄な彼女とはいえ、その気になればあいつらくらいは簡単に殺傷できてしまうだけの力を持っている、それはかつて、僕自身が命懸けで理解した事でもあった。
放課後。僕たちは生徒会室で待ち合わせた。いつもの見回りは生徒会書記の水嶋さんにお願いしたら、「あ、今夜のライヴ、あたしも行くからね」なんて言ってくれた。
てっきり文ちゃん先輩が宣伝してくれたのかと思ったら、実は彼女の双子の弟、ザ・スネイクセンターの真悟君たちも、今夜のイベントに参加するからとの事だった。なるほど。
彼らと会えるのは、先の城址公園ふれあい広場でのフリー・コンサート以来だ。
本郷さんが僕の最初の「師匠」なら、彼らは僕にとってはじめての「同世代の音楽仲間」だった。こんな時だとは言え、会えるのは嬉しい。
なお、生徒会副会長の鉄ヶ谷先輩は都合で来れないそうだ。何でも春休みに一度、利根村の実家の方に帰る用事があるそうで、その準備に追われているとの事だった。おまけに、
「私…夜が弱くて。午後9時を過ぎると起きていられないのですよ」
とのお言葉が返ってきた。むう。さすがは湯元のお嬢様。
ああ、そういえばもう一人…というか一体、僕らにはオマケがくっついてきた。
言うまでもない。文ちゃん先輩の「使徒」、生き人形の慰撫・弐式だった。
文ちゃん先輩から事情を聞いたらしいあの魔人形は、自分もついてゆくと言い張った。
…ついてゆく?憑いてゆくの間違いじゃないだろうか?
文ちゃん先輩による誤った認識を無条件にうのみにしてしまったらしい魔人形は、
『マスター・アヤを危険に晒す訳にはゆかないのですわ』などと殊勝なお言葉を申された。
その後に『…ヨシハルさん如きではマスターを守れるはずがありませんもの』などと至極的確なご指摘もなされましたけれども。うるさいなこの安ピカ人形。そんな事は僕だって自覚してらあ。
さすがに、こいつを大っぴらにつれてゆく訳にもゆかないので、文ちゃん先輩の大きなリュックザックに詰め込んで持ってゆく事にした。…ええい贅沢ゆーな。お前みたいな生意気異形にはこういう場所が相応しかろ。
バスに揺られて僕たちが会場についたのは午後6時頃。商店街の片隅にある階段を降りて、地下にあるお店のドアの前に立つと、扉を隔てた向こう側から、すでに賑やかなサウンドが漏れ聴こえてきた。
恐る恐るドアを開けると、その音圧は数倍になって伝わってくる。
「きゃっ!」
こういう場には不慣れな文ちゃん先輩は、思わず両耳を押さえた。人並み外れた聴覚を持つ彼女には、こんな狭い空間に響く轟音はキツいのかもしれない。
僕たちの姿に気づいたマスターの木村さんが、会釈して迎えてくれた。
「あ…こんばんは。今日はお声を掛けていただいてありがとうございます」
「いやいや。こちらこそ急な話で申し訳ない。今夜はよろしく頼むよ」
「はい!」
僕は深々と頭を下げてお礼を言った。
客席ではリハーサルの順番を待っているザ・スネイクセンターの三人がいた。
「あ、志賀サン!お久しぶりっス」
長身の水嶋君が、腰かけていたイスを軸にして、まるで器械体操の鞍馬の様に、長い脚を華麗にしならせて飛び越えてきた。むむ、さすがはロックンローラー。やる事為す事ひとつひとつが無駄にカッコいいぞ。
「あ、こんばんは。今夜はよろしくお願いします」
そういう僕に、水嶋君は無言で親指立ててニカッと笑った。カッコいい。僕にはとてもマネできない。というかトラウマができた。つい最近、学校の屋上で。
店の奥のステージ上では、今まさにブラッディーオーガのリハーサルの真っ最中だった。
いつもは時間にルーズな連中も、さすがに自分のバンド・メンバーの追悼ライヴとあってはきちんとリハーサル時間を守ったみたいだな。
あ…そういえばダークの代わりはどうするのだろうと思ってステージ最奥のドラムセットを見たら、はじめて見る人がスティックを捌いていた。…へえ…この人が新しいメンバーなのかな?うん。ただの力任せだったダークなんかよりもずっと上手い。グルーヴにウネリがある。
…あれ?このリズム・パターンってどこかで聴いた覚えが…
その時、急に演奏が中断した。
「あ、すいませーん。弦が切れちまって…」
ギターのハッシュ氏がドラマーさんに頭を下げた。珍しい事もあるもんだね。けっこう偉いヒトなのかな、このドラマーさんは。
「替えの弦はある?」
「ああ…ウチの社長から借りてる、予備のギターがありますんで。楽屋に行ってちょっと持ってきまさあ」
ハッシュ氏はそのまま、ステージ脇の楽屋に下がっていった。
「…仕方ない。ちょっと休憩しようか…あ、秦くん?」
「へ… なンすかトミーさん」
ポケットから出した煙草をくわえてライターを点けようとしていたヴォーカルの秦ジョンソンは、急に名前を呼ばれて振り向いた。
「キミ、もうちょっと歌の音程を意識した方がいいぞ?それにただガナっているだけじゃ、ステージの後半には声がもたなくなる」
「…へい。ありがとうございます」
トミーさんと呼ばれたドラマーさんの忠告には素直に返事するジョンソン。普段の彼奴の態度からは想像もつかない低姿勢だ。
ジョンソンはそのまま、何度か頭を揺らせながら、気だるそうに楽屋へ消えていった。
トミーさんは、今度はベースのザックに向かって言った。
「キミもキミだ。…全然練習してなかったろう?」
「そっ、そんな事はねー…ですけど…」
はは。あの大男がお説教されてショボクレてる。珍しい物ばかり見れるな、今夜は。
トミーさんは首に掛けていたタオルで汗を拭うと、僕たちの方にやってきた。
「やあ、みなさんが今夜のスペシャル・ゲストさんたちですか。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
僕とヘビセンターの三人組は、直立不動の姿勢であいさつした。つられてなぜか文ちゃん先輩も僕たちに倣う。
「はじめまして。私は彼らブラッディーオーガのプロデュースを担当している、冨澤浩二という者です」
トミーさんこと冨澤さんは、僕たちの様な高校生の小僧たちにも礼儀正しかった。
「あ…冨澤さんって…」
水嶋くんは、その名前に思い当たる節があるみたいだった。
「あの…有名なヒト?」
「何言ってンすか志賀サン!いくつもの有名なバンドをプロデュースしている、売れっ子のプロデューサーさんっスよ」
「ほら…ボゥイズとかミクスチャーズとか…」
恥ずかしながら、僕の知らないバンド名ばかりだった。
「ごめん…邦楽ってあまり聴かないからわからない」
正直に白状した僕に、冨澤さんはハハハと笑った。
「あっははは。そういう所も本郷センパイにそっくりだね、キミ」
突然、師匠の名前が出てきたので、簿は驚いて冨澤さんを見た。
「あの…師匠…本郷さんのお知り合い…ですか?」
「ん…?ああ。僕は本郷センパイと同じバンドにいたからね」
「それって…ザ・フラットボード…カスケーズ…」
「ああ。私はそこのドラマーだったんだよ。…この店に出させてもらうのも久しぶりだ」
あ…ああ、そうか。冨澤さんのリズム・パターンに聞き覚えがあるのも道理だ。
僕も買ってしまったブラッディーオーガのデビュー・シングル、あのレコーディングは、実はメンバー本人の演奏ではなく、ギターが本郷さん、そしてドラムはプロデューサーさんの手による物だったと聞いた。
…つまりあの音源は、ここにいる冨澤さんの叩いたドラムだったという事か。
「キミの話は、電話で本郷センパイから聞いてるよ?『リトル・キャノンボール・ラグ・ボーイ』」
「あ…どうも…って、本郷さんが、ですか?」
「ああ。えらく興奮していてね、『僕の後継者に会えたよ!』なんて言ってた」
うわぁ…うわぁうわぁうわぁ。師匠がそんな事を…
「…なあ、キミ」
感激している僕の耳元で、冨澤さんが囁いてきた。
「は…何でしょうか」
「本郷センパイ…今どこにいるか分からないかな」
「…!?」
急に、心臓を鷲掴みにされた心境だった。
冨澤さんの質問に、僕は答えられる。
答えられるけど、応える事はできない。本郷さんがもうこの世のヒトではない事は、まだ一般には知られていないのだ。
「……。存じません。僕だって師匠にもう一度会ってみたい…です…けど…」
僕は嘘をついた。でも後に続けた言葉は、僕の偽らざる心境でもあった。
「そうかぁ…ホント、どこ行っちゃったんだろうな、センパイは…」
「すんませーん。お待たせしましたぁ」
その時、新しいギターを持ったハッシュ氏が戻ってきた。
「こんなオンボロで申し訳ないンすけど」
彼が持ってきたのは、年代物の白いフルアコのギターだった。…へぇ、グレッチかあ…
え?白いグレッチ…!?
あれってたしか…ホワイト・ファルコン…グレッチ社が1958年から製造している、誰の目をも奪う、世界で最も美しいと言われるG6136という名前のギター。僕はそれを肉眼で見た事はないけれど、何だか腑に落ちない気がした。
冨澤さんの表情も堅くなる。
横を見ると、文ちゃん先輩もじっとステージ脇を見つめていた。
「…あの…志賀君。あのギター、前に見た覚えが…」




