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22 ゴーイング・ダウン

「――なるほど…そんな事があったんですか…」

鮎子先生の思い出話は、おおむねそんな内容だった。

昔。悠久堂にやってきた本郷さんに、鮎子先生が一本のギターを託した事。

そのギターを手にした本郷さんのライヴを観た鮎子先生が、そのギターを彼にプレゼントした事。

そして…本郷さんのバンド「ザ・フラットボード・カスケーズ」の名づけ親も先生だった事。

どれも鮎子先生らしさ、そして本郷さんらしさの溢れる内容だったと思った。

「…で…その後で、本郷さんは東京に出たんですよね」

「うん」

「その後の話は…御存じないんですか」

「噂くらいは知ってるよ。…直接、彼に聞いた話じゃないけど」

「噂…?どんな?」

「宗佑衛門さんの話だと、東京での活動は、最初は順調だった。地道な活動でファンも増えていった。小さなレコード会社だけど、レコード・デビューも決まったそうね。…ほら、無頼庵摂津屋で志賀くんも見たでしょ?壁に飾ってあったレコード・ジャケット」

「あ…ああ、ありましたね。覚えてます」

「あれがその時のレコード…になるはずだったんだ」

「なるはず…だった?」

「あのレコード・ジャケットには、中身が無いの」

どういう事だ?

「レコーディングも終わってジャケットの撮影も済んで。後は発売元の会社にマスター・テープを納品するだけだった…その時に」

「その時に…?」

「どうやら、あたしがあげたあのグレッチ、誰かに盗まれちゃったらしいの」

「ええっ…!?だってそのギターって、『幸運を呼ぶギター』だったんでしょ?」

驚く僕に、鮎子先生は溜息をついた。…どこか寂しそうな息遣いだった。

「…ね、志賀くん。キミは『幸運を呼ぶギター』なんて物が本当にあると思う?」

「え?で…でもカミサマがくれたギターなんでしょ?そのくらい…」

「実はね。それ、嘘なんだ」

はぁ…!?と、僕は思わず声を挙げてしまった。

「え…嘘って…」

「いくらカミサマでもね、『幸運』なんて曖昧なモノまではどうこうできないよ?」

「どういう事なんですか?」

「だってね、『幸運』なんてモノは、ヒトそれぞれ、受け取り方が違うもの。ある出来事が、あるニンゲンにとっては幸運になるし、また違うニンゲンにはそうじゃない事だってある」

…そういう物なのだろうか。

「納得できないかな?じゃあこんなお話はどう?――ある男の子は、とっても裕福な家に生まれて何不自由なく育ちました。彼はいい学校を出て、一流の会社にも就職できました。彼の人柄と才能に、そこの社長さんも惚れこんで、自分の愛娘を貰って会社を継いでくれとまで言われたのです」

「…何だか、絵に描いた様な幸せな人生じゃないですか」

「でも、娘との結婚式が近づくにつれ、彼の顔色は曇ってゆくばかりでした。なぜでしょう?」

…いきなりクイズみたいになってきたなあ。

「分かりません。僕はその男の子じゃないですし、…彼にも何か事情があったんでしょうか」

「…あはは。まあそんな所かな。答えは何だっていいよ?彼には幼馴染の恋人がいた、とか本当は就職じゃなくて他の道…ギター弾きでも画家でもいいけど…に進みたかった、とか」

「…つまり、本人が望んでいない事ならば、傍から見てどんなに幸せそうに見えても、それは『幸福』とは言えない…と?」

「そうだね。同じ事象でも、当事者しだいで受け止め方は違うから。…それはカミサマでも干渉はできないんだ」

「じゃあ…何で鮎子先生は、わざわざそんな嘘までついて本郷さんにギターを贈ったんですか」

鮎子先生は、もう一度溜息をついた。

「あれはね…わたしからの激励のつもりだったんだ」

「激励?」

「才能はあるのに、あと一歩先に踏み出せなかった本郷くんに、もっと自信を持ってもらいたかったんだ。ただの暗示みたいなもの」

…そういう所も鮎子先生らしいと思う。

それは僕も、文ちゃん先輩だってよく知っている。

この剣城鮎子先生と言う「カミサマ」は、怖れ多い事だけど、基本的にけっこうおせっかい焼きな所があると思う。

僕と文ちゃん先輩の中を、裏であれこれと画策して取り持ってくれたし、一人きりでギターを弾いていただけの僕に、ここまで「セカイ」を広めてくれたのも先生だった。それだけじゃない。先生は、文ちゃん先輩を幼い頃からずっと見守ってくれていたそうだし。

文ちゃん先輩から聞いた話だけど、そもそも、異形に取り憑かれた初代・鬼橋 文を救った事が、鮎子先生と鬼橋家の出合いだったそうだし。

そうだ。この「剣城鮎子」というカミサマは、何かとニンゲンの面倒をみてくれる気のいい存在なんだ。

「…そうでもないけどね」

しまった。またも心の中を読まれてしまったみたいだ。でも悪い気はしないな。

「…志賀くんは、わたしを買いかぶり過ぎだよ。厚意が結果としてヒトを傷つけちゃう事だってあるもの」

「そうでしょうか?」

「言ったでしょ?『幸運はそのニンゲンの受け止め方次第』だって」

「でも…カミサマのご加護…なんでしょう?事実、本郷さんはデビューできた…」

「…話の途中だったね。本郷くんは、結局デビューできなかったんだよ」

あ…そうだった。先生は、あのレコード・ジャケットには中身が無いって言ってたっけ。

「ギターを盗まれた本郷くんは、血眼になってギターを探したらしいの。でもその間に、さらに不幸が訪れた」

…さらなる不幸…?

「完成したデモ・テープを納品した会社の工場が火事に遭ってね。マスター・テープも焼失してしまった。これが原因で契約も破棄、バンドのメンバーとも意見が合わなくなって解散」

本郷さんに…そんな過去があったんだ…

「最悪なのはね――」と、鮎子先生は空を見上げながら話を続けた。

「こんな不幸が続くのは、あの『幸運を呼ぶギター』を無くしてしまったからだ――本郷くんが、そう考えてしまった事…」

不幸が続くと、誰だってそこに何らかの原因を探したくなるものだ。それは分かる…気がする。たとえ現実逃避と言われようとも。

「…彼はあのグレッチに依存し過ぎちゃったんだね。それを嘆くばかりの彼の元からは、バンドのメンバーも、そして恋人も離れていったみたい…彼を、そう思い込む様に仕向けたのはわたしだった…」

何故だろう。いつも飄々としている鮎子先生の顔が、妙に普通のニンゲンっぽく感じられる。

…そう、ごく普通の、どこにでもいる、悩み多きニンゲンの女のヒトみたいに。

「全てを失った本郷くんは、その後も何年か東京で失意の日々を過ごしていたみたい」

「鮎子先生は、それから一度も本郷さんに会わなかったんですか?」

「うん。彼がこっちに帰ってきた頃って、ちょうどわたしも、教員免許取るためにこっちと東京の大学を往復していたからね。…すれ違いになったまま。後で宗佑衛門さんに聞いたんだけど、彼も、こっちに戻ってからも摂津屋にも、悠久堂にも寄りつかなかったみたい」

まさに不幸の連鎖(カスケード)…か。

鮎子先生は「幸運はヒトの受け止め方次第」だというけれど、じゃあ「不幸」の方はどうなのだろう。…やはりこっちも受け止め方次第なのだろうか。

よく「せっかくの幸運に気付かないでチャンスを逃した」なんて話は聞く。

…でも「不幸」は違うだろう。

「気づかない不幸」なんて物があるのだろうか。そうは思えない。

「不幸」って奴は、獲物を見つけた猛禽類のごとく、鋭い爪で襲いかかってくるのだ。

貪欲で無慈悲な、希望を奪い取る凶悪な爪で。

この痛みに気づかない者なんていないだろう。

「幸運」には気づかなくとも、「不幸」は思い知らされるのだ。

そういう意味では、「幸運」は不公平で、「不幸」は平等だとも言えよう。

誰もがその「不幸」に嘆き、苦しみ、絶望に喘ぐ。

「幸運」はヒトによって異なるけれど、「不幸」は誰もが忌み嫌う。

中には「ヒトの不幸は蜜の味」なんて言う奴もいるけれど、そんなコトを抜かす輩を、僕は心から軽蔑する。

「…でも、鮎子先生は…悪くないと思います」

「…そうかな」

「だって…だって鮎子先生は、一度は本郷さんに希望を与えたじゃないですか」

「…その先に不幸が待っていても?」

「…鮎子先生は…予知能力もあるそうですよね?もしかして、それも承知の上だったんですか」

「ううん。それはないよ。わたしが見えるのは漠然とした未来図だけだもの。それにわたしが予知した所で、ニンゲンがどう動くかによって、未来線なんてどうにも変わっちゃうもの」

「自然現象とか地震の方が、よっぽど予知しやすいよ」、と鮎子先生は言った。

「だから――本郷くんがどうなったかは分かっても、これからどうなるのかは分からない」

あ、そこだ!

とりあえず、僕が一番知りたいのは、本郷さんが今どうしているかという一点なのだ。

「鮎子先生?」

「ん…?」

「…本郷さんは…生きているんですよね?」

僕の問いに、鮎子先生はまっすぐ僕を見つめてこう言った。

「はっきり言うね。『本郷信太郎というニンゲン』は、もうこの世には存在しない」

それはこの世を統べるカミサマの断言だった。

この話を切り出した時の鮎子先生の態度から、覚悟はしていたつもりだった。

ああ。覚悟はできていた…つもりだった。

…できていたつもりだったんだよ!

それは認めたくもない、最悪で最低の「答え」だった。

だからこそ、僕は覚悟していたつもりだった。

でも、実際に、それも一番信頼できるヒト…カミサマからの断言は、やはり僕にとっては少なからぬ衝撃だった事は間違いない。否定なんかできる者か。

あ…ダメだ。目頭の奥が熱くなってきた。

「死んだ…死んじゃったんですか…何で…どうして…」

「本郷くんは何者かに襲われて…命を落としたみたい」

「ちっくしょう!誰だ!?まさか…あのブラッディーオーガの連中が…」

「志賀くん」

僕は急に、鮎子先生に抱きしめられた。豊かな胸の膨らみの感触が、頬を伝わってくる。

不思議と、動揺とか劣情めいた感情とかはなかった。

ただ、心が癒されて落ち着いてくる。これこそがカミサマの包容力と言う物なのだろう。

「…恨みの感情なんて持っちゃだめ。心の闇からは、異形だって生まれちゃうんだよ」

異形…異形、か。

思えば、この数ヶ月の間、僕は様々な異形どもと遭遇した。してしまった。

オカルトなんて信じなかった僕だけど、こうもありありと連中の蠢く様を見せつけられれば、宗旨替えだってせざるを得ない。

「ね…志賀くん?」

「何でしょうか」

「わたしね…実はもうひとつ、本郷くんに『贈り物』をしたんだ」

「贈り物…ですか?」

「ううん。わたし自身が贈ったわけじゃないよ。…結果としてそうなっただけ」

「…結果として…?」

どういう事だろうか。しかし鮎子先生は、今度は僕の問いかけには答えてくれなかった。

「あの…鮎子先生?」

「…………」

鮎子先生は、しばらく何も言わず、僕をただ抱きしめていた。

僕の涙が止まる頃になって、鮎子先生はやっと重い口を開いた。

「…ねえ志賀くん。…過ちは…正さなければいけないよね…」

それは、果たして本郷さんを殺めた連中へ向けた言葉だったのだろうか。

…なぜか、僕にはそうは聞こえなかった。

 重い気持ちを引きずって、僕は家路についた。

最悪の気分だった。

僕が「師匠」とまで呼んでいた本郷さんは。

もういない。

死んでしまったんだ。

彼の、水が流れる様な美しい旋律のギターはもう聴けない。

あの、穏やかだけど頼りがいのある笑顔はもう見れないんだ。

本郷さんは死んでしまった。殺された。

ちくしょう…ちくしょうちくしょうちくしょう!!

鮎子先生は「恨みの感情なんて持つな」なんて言ってたけど…無理だよ。

犯人は分からないけど…どうしても心に浮かんでしまうのは、あのブラッディーオーガの連中の顔しかない。それだけの事を、あいつらはやってきたんだ。それはきっと、僕が目にした事だけじゃないだろう。…本郷さんは、あんな仕打ちを何年も…何年も耐えてきたのだろう。きっと辛かったに違いない。でも本郷さんは挫けたりしなかった。自分の音楽を、ただまっすぐに追い求め続けていたのだ。ただひたすらに、真っ直ぐに。

…その終着が…非業の死だなんて悲しすぎる。

帰宅したら、母が僕の顔を見て驚いていた。何かあったの?と聞かれたけど、そんなに変な顔をしていたのだろうか?

僕は別に何もないよ、疲れただけとだけ言って部屋に戻った。

何もすることが無いのでギターを手にしてみたけれど、今日に限っては何を弾いてもいいトーンにはならなかった。中途半端でまとまりのない、ばらつきばかりのトーン。

…やはり落ち込んでいる時に弾くギターは、落ち込んだトーンにしかならないんだな。

そのうちにギターを手にするのも億劫になってしまい、僕はギターを放置して天井を見上げた。

 しばらくして電話の鳴る音が聞こえたかと思うと、母が部屋にやってきた。

「義治?文ちゃんさんから電話だよ」

いまだに文ちゃん先輩の事をそう呼ぶ母に若干の抵抗を覚えつつ、僕は電話に出てみた。

「…もしもし?」

『こんばんは、文です。今日はお弁当、直接渡せなくてごめんなさい』

「あ…ああ。ご馳走様でした。美味しかったです」

『うふ、喜んでもらえて嬉しいです。お塩、ちょっと強かったですか?』

「…いいえ。僕好みのお加減でした」

『…志賀君?』

「あ…はい。何でしょう」

『どうしたのです?ちょっと元気がないみたいですけれど…』

うーむ。さすがはまいはにーさん。電話越しの声だけで僕の気分も分かってしまうのか。

「…実は…」

僕は鮎子先生から聞いた話を、そのまま伝える事にした。別に隠す事じゃない…というよりも、こんな事を相談できる相手と言えば、鮎子先生以外には彼女くらいしかいないのだ。

『…本郷さん…やはり亡くなられていたのですか…言葉もありません。志賀君、どうか気持ちをしっかりと持っていてください。私でよければ、どんなお力にもなりますから』

「あ…うん…ありがとうございます」

今は彼女の気遣いが、純粋に嬉しかった。

『…でも、気になりますね。おねえちゃんの言葉が』

「…どういう事です?」

『鮎子おねえちゃんは”本郷信太郎というニンゲンは、もうこの世には存在しない”って言ったんですよね?』

「あ…はい。そう言ってました」

『念を押してしまいますけど、”亡くなった”とか”殺された”ではなく?』

「はい……って、あ!?」

気づいてしまった。あれは鮎子先生の独特の言い回しだったんだ。

倉澤副部長の時もそうだった。

倉澤副部長が、無残にもあの異形に喰い殺された時、彼女を「復活」させた鮎子先生はこう言った。


《生き返らせてはいないよ?『元の姿』に戻しただけ》


僕たちは殺された倉澤副部長を、鮎子先生がカミサマの力で生き返らせてくれたのだとばかり思っていたんだ。ところが現実はそうではなかった。鮎子先生はこうも言った。


《わたしがやったのはね、ばらばらになった倉澤さんのパーツをつなぎ合わせて、肉片に残っていた記憶の断片から、『倉澤由美子』という人格を再構成しただけ、そういう意味では、彼女は『生き返って』はいないんだけど》


鮎子先生は、最初から嘘なんてついていなかった。そして哀れな倉澤先輩は…。

今回の言葉だって、文ちゃん先輩が言う通り、考え様によっては深い意味を持っている様にも思えてくる。そしてこういう場合、たどり着く先にあるのはいつも…

「異形」。

そうなのだ。鮎子先生だって言ってたじゃないか。

《心の闇からは、異形だって生まれちゃうんだよ》

…イヤな予感がする。いいや、もうそんなのはとっくに通り過ぎてしまった。

この先、絶対に何かが起こるんだ。間違いなく。

それは確信だった。

文ちゃん先輩はもう一度、「気を落とさないで。私もお力になりますから」と言って電話を切った。彼女の声は不思議だ。聞いていて、心が安らいでゆく。

僕は本体に戻した受話器を握ったまま、しばらく考え込んでしまっていた。

…異形絡み…か。僕はまたもや異形どもと関わる事になってしまうのだろうか。

異形…異形。ニンゲンとは絶対的に相容れない異質な存在。

今回はどういった形で関わってしまうのだろう?…もしかしたら、本郷さんを殺したのが異形なのか?だとしたら、僕はどんな手段でも復讐してやる。…いいや、もしかしたら、現実はもっと最悪の方向に向かっているかもしれない。それは本郷さん自身が――

ジリリリリ!

「うわ…!?」

いまだに握りしめたままの受話器から、突如けたたましいベルの音と振動が伝わってきて、僕は驚きのあまりに受話器を取ってしまった。条件反射と言う物なのだろうか。

「もっ、もしもしっ!?」

『もしもし?ああ、やっと繋がった。お話し中でしたか。夜分に失礼します。わたくし、市内で”フューリーアレイ”という小さなライヴハウスを経営している木村という者ですが、志賀義治さんはご在宅でしょうか』

その声を聞いて、僕はまた驚いてしまった。本郷さんが出演されていたライヴハウスのオーナーさんが、この僕に一体何の用だというのだろうか。

「あ…ああ、木村さんこんばんは。先日はお騒がせしました。あの…義治本人です」

『おお、君だったか!本人なら話は早い』

「どういったご用件でしょうか?」

『うん…実はな、ブラッディーオーガのドラムが亡くなった事は知っているかい?』

「あ…はい」

『実はね、彼らの事務所が、亡くなったダーク…仙田君の追悼ライヴをウチでやる事にしたんだが、今その参加者を募っていてね。…君も参加してくれないかな?』

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