20 ランブリング・オン・マイ・マインド
目を覚ましたらまずは茶の間に顔を出して、親父の淹れてくれた緑茶で寝ぼけた頭をすっきりさせながら朝刊を読むのが、僕の日課だった。
読むのはもっぱら地元の地方紙。母方の叔父がここの記者をやっているという理由もあるけど、地域の記事が読みたいならば、やはり地元紙に限ると思う。
もっとも、そう思いはじめたのはつい最近の事だった。きっかけは、この間のふれあい公園でのコンサートの後。地域の方々との交流も大切…というよりも、実は、それが楽しくなってしまったのだ。
尺八奏者の吉澤社長や市女のアンサンブル・コンビたち、それにもちろん本郷さんと出会ってから、僕の考え方は一転してしまった。家や学校の屋上だけでギターを弾いているだけでは、あんな人たちと出会える事もなかっただろう。世の中でギターを弾いているのは、何も自分だけじゃないんだ。もっともっと多くの素晴らしいミュージシャンたちが、ごく当たり前の様にいる。そんな当たり前の事を、僕は理解していなかった…いや違う、いくら何でも、きっとそうだろうなくらいは想像していたさ。でも、理屈では分かった気になっていても、実感はなかった。凄いプレイヤーなんてのはテレビやラジオの向こう側の存在。無意識のうちに、僕自身も含めたアマチュアなんてのは有象無象くらいにしか意識していなかったのだと思う。
それが一人ぼっちのギター弾きの考える限界だった。
ところが現実は違った。実際に人様の前に出てみて、そして様々なプレイヤーさんたちと出会ってみたら、自分の想像力がいかに乏しいものかを実感させられてしまった。
凄いプレイヤーさんたちの演奏を目の当たりにして、「ああ、こんな凄い人たちが、僕のすぐ近くにもいたんだ…」と驚かされ、納得した。
狭い地元だと思っていたけど、意外に広いんだなぁ…と思ったんだ。それからは何だか地元の人たちにも関心がわいてきてしまい、地元新聞の小さな記事にも目を通す様になった。
今まで、こんなに地元の事に興味がわいたのは、県内各地に残る城跡探しに熱中して以来の事だった。過去の遺物にではなくて、「今生きているニンゲン」たちに興味がわいたというのは、この僕にしては画期的な事だったと思うぞ。
まあ、「おくやみ欄」なんてのも見るから、厳密には「今生きているニンゲン」だけじゃないんだけどな。
こっちは親父の影響かもしれない。戦前生まれで僕と歳の離れた親父は、新聞と言うとまずこのおくやみ欄に目を通しているみたいだ。僕が何で?と聞いたら「お前も歳を取れば分かる」と返された。…どういう意味なんだろうか。よく分からないや。
で、今朝。いつもの様に僕は新聞の誌面を開いた。最初に見るのは、以前はテレビ欄だったけど今は違う。僕だって少しは大人になったのだ。…あれ?
その記事の見出しは衝撃的だった。
「県内で活動のロック演奏家、工事現場で死亡」
え…まさか…?
内心かなりの不安を覚えつつ、僕は記事の本文を読んでみた。
『高崎市を中心に活動するロック・グループのメンバーが今月7日未明、渋川市内の工事現場で死亡しているのが工事関係者によって発見された。検死の結果、死亡したのはロックグループ“ブラッディオーガ”のメンバー仙田阿久光さん(31)と見られる。現場は人気のない町道の工事現場で、仙田さんがなぜここに足を運んだのかは不明』
よかった…本郷さんじゃなかった…って…え。ブラッディーオーガ?
『仙田さんはドラム担当で、「ダーク」の芸名で活動を続け、先日シングル・デビューを果たしたばかりだった。捜査当局は事故と他殺の両面から捜査を続ける見通し』
え…ダークって…本郷さんを放り投げた、あのモヒカンの巨漢か…え…あいつが…死んだ?
そういえば石村社長の所に行った夜、ジョンソンの奴が「ダークが見当たらない」みたいな事を言ってたっけ。記事の日付からすれば、ダークが死んだのはきっとその夜の事だ…
…どういう事だ?何があった?死んだ…?殺された…?だとしたら誰に…?
様々な考えが頭の中を飛び交ってしまう。
…僕たちがあそこの事務所を訪れていたちょうどその頃、ダークが死んだ。
先日の倉澤副部長の時もそうだったけど、顔見知りの相手が亡くなるというのは衝撃的だ。
たとえそれが、大嫌いな奴であっても。
その動揺は、登校してからもまだ心の中で渦巻いていた。
教室に入ってみると、クラスメイトの間でも降って湧いたこの地元ミュージシャンの死が話題になっているみたいだった。どうやらブラッディーオーガのファンはそこそこいたらしい。
正直、僕はあまりその話題には関わりたくなかったので、彼らとは距離を置いていたのだが。
「なあ義治、知ってるか?今朝の記事」
我が悪友森竹の方から、そのネタをふってきやがったのだった。
「…市内のバス運賃が値上がりするって奴だろ?知ってるよ」
僕はトボけてみせたのだが、これが返ってわが悪友サマの意識を刺激してしまったらしい。
「違うよ!ほら、何トカってバンドのドラマーが死んだ奴」
…ほらやっぱり。
「え…ああ知ってるよ。今朝の新聞で読んだ。事故死だったって話だろ」
「どうやら、そうじゃねぇんだなあ」
森竹は勿体ぶった口調で否定してきた。
「え?あれ事故じゃないのか」
「おうよ。ありゃあどう見ても『事件』だねぇ」
「何でそんな事を知ってる。そうかお前が下手人か」
「ばっ、馬鹿野郎!何でそうなる?俺の従兄が、たまたまそこの工事を請け負ってた会社にいるんだよ。そのアニキから聞いたんだ」
森竹が聞いたという話はこうだった。
遺体が発見されたのは渋川市内から西の吾妻町方面に向かう県道の工事現場だったという。森竹の従兄氏が早番で問題の工事現場に足を運んだところ、現場に置いてあったはずの重機が、乾きかけのコンクリートが流し込まれた穴の中に突っ込んでいるのに気がついたそうだ。
たしかにキーを抜いておいたはずなのに…おかしい。急勾配の場所だから、まさかブレーキが緩んで動いてしまったとか…?
いずれにせよ、このままでは作業にも支障があるし、損害にもなりかねないと従兄氏が慌てて重機を移動させたところ。
…穴に突っ込んだその重機…ロードローラーの下敷きになった男の遺体が発見されたのだという。
「…アニキの話じゃあ、その何とかってオッサン、コンクリにはまって身動きできない所にロードローラーが突っ込んだらしくてさ…首から上が…その…ええと…ぐしゃぐしゃ…?」
「そこの所をくわしく」
「うわほぅ!?」
突如どこから現れたのか、やたらと目を輝かせて顔を近づけてきたのは、案の定、ホラー大好き塚村いのり嬢だった。僕と森竹はそろってのけ反ってしまった。
「ぐちゃぐちゃ?でろでろ?血はどばー?どれともびしゃびしゃ?」
…ええいこのスプラッタ娘が。眼鏡越しにも分かるほど瞳を輝かせるんじゃあない。
…だからわざわざメモ取るな…って、ご丁寧にも話を聞きながら現場のイラストまで描いてやがる。…描くか普通?なまじ絵が上手い物だから、想像でしかなかった現場のイメージがありありと思い浮かんでしまうではないか。
彼女がノートに描いたイラストは、首から上が押し潰された死体だった。…趣味が悪い。
しかしそのイラストには、不思議に説得力があった。それはこのイラストが想像上の物ではなく、現実に起こってしまった残酷な事態を基にした物だったからなのかもしれない。
…うわぁ…こんな死に方だったのか…こんな死に方だけはしたくないな…もし意識があったとしたら、こういう時はどんな事を考えるんだろうか。…一瞬でも痛みは感じるのかな。
最悪なのは、一瞬じゃなくて、じわりじわりと押し潰されてゆく事かもしれない。
…うわぁ…そんなのは考えたくもないぞ。
少しばかりイっちゃった目を輝かせながら、鉛筆でノートに悪趣味なイラストを描いてゆく塚村さんとは対照的に、僕と森竹の気分は滅入ってゆく一方だった。
あ。塚村さんってば、鼻歌まで歌い出してやがる。
「な…なぁ義治?」
「な…何だよ」
「美術部ってさ…こういう人ばっかなワケ?」
「こういう人とは…?」
「塚村さんとかお前みたいなの」
「…。一緒にするなよ」
「すまねえ。今のはさすがに俺が悪かった。訂正しよう」
その時、始業のチャイムがが鳴って、僕たちは席についた。
昼休みになって、お腹を空かせた僕は屋上に向かった。
いつもではないが、文ちゃん先輩は時々、僕のためにお手製(!)のお弁当を作ってきてくれるのだ。前に僕がパンを買い損ねてしまった時におにぎりを分けてくれて以来、彼女は育ち盛りの僕のお腹の具合を何かと気に掛けてくれているのだった。愛しきカノジョのこんな有難い気遣いに、僕が感激しないわけがない。二重否定は大肯定なのだ。
さて今日の献立は何かなー。
朝の事件のいきさつと、それに続く塚村さんの奇行にはドン引きさせられたけど、そんなのは成長期の心身ともに健全な16歳の少年が抱える空腹感には劣る。というか優先順位という物が違うのだ。
北側校舎の渡り廊下を抜け、階段を登る。3階には(一応)僕も所属している美術部の部室がある。その向かいは音楽室で、いつもなら、この時間には軽音楽部か吹奏楽部の誰かがここで練習しているものだけど、今日に限っては誰もきていないのか、静かな物だった。
屋上に出た。
ほんの数ヶ月前。僕はこの場所で鮎子先生や文ちゃん先輩と初めて言葉を交わし、親しくなった。それから異形と化した倉澤副部長に命を狙われ、危うく転落しかけた事もあった。
あの事件の後、ここはしばらく生徒の立ち入りが禁止されていたけれど、今はそれも解除された。…文ちゃん先輩たち生徒会の働きかけもあったと聞く。
それからは、この屋上は僕の…いや、文ちゃん先輩や鮎子先生を交えた僕たちの憩いの場所となっている。
…まあ、彼女たちと親しくなるずっと前から、放課後になるとここでよくギターを弾いていたから、そういった意味も含めてこの屋上は、僕にとって校内で一番馴染んだ場所と言ってもいいと思うけど。
そういえば、最近はだいぶ暖かくなってきた。
春麗らかな…とはまだまだ言えないけれど、それでも日差しに温もりを感じられる様になってきたなあとは思う。
文ちゃん先輩はまだきていなかった。僕は給水槽の下の壁に寄りかかって腰を下ろした。
意外に、といっては恐縮だけど、わが愛しき彼女様の手料理は美味しい。彼女の持ってきてくれるお弁当箱を開けると、そこにはいつも必ず、ちょっとした驚きがある。
うわーこれ手が込んでるなあとか、これどうやって作ったんだろうとか見ているだけで楽しくなってしまう物ばかりだ。その上、きちんと僕の好みの味付けになっている辺りが泣かせてくれるじゃないか。文ちゃん先輩、あなたきっといい奥さんになれますよ…って、そのいい奥さんを娶るのは誰でもない僕自身なのだぞ!なんて自信を持って言い切って…みたい…よなあ。いやホント。
その彼女様はまだやってこない。
…どうしたんだろう。いつもなら僕より先にやってきていて、可愛らしい縁起達磨柄のランチョンマットを広げて待っていてくれるのにな。
それにしても、今日は暖かいなあ。…ちょっと気が緩むと…何だか眠く…
…………。
…だらしなく前に出した脚の辺りに、何かが置かれた感触で目が覚めた。
ああ、いかんいかん。いつの間にか、うたた寝していたらしい。
見ると、僕の脚の上には、見慣れた柄のランチョンマットに包まれたお弁当箱があった。
「あ…ああ…ごめんなさい文ちゃん先輩。僕、寝てました?」
「うん。とてもよく寝てたよ。この世の終わりが来ても気付かないんじゃないかってくらい」
そう答えた声は、僕の彼女様の物ではなかった。
「へ…?鮎子先生?」
「おはようヨシハル君。さて今回のキミの使命だけど、その文ちゃんお手製のお弁当を綺麗に平らげる事にあるんだよ?健闘を祈ってあげる」
いきなり何を言い出すのだこのカミサマ代行は。そもそもカミサマ自身がお祈りをしてどうするというのか。
「あはは、そりゃそうだね」
「…僕の心を読まないでください」
「なおこの私は自動的に消滅するぅ…どろん」
そう言いながら、本当に身体のどこからか煙をたなびかせて、鮎子先生の姿は次第にぼやけていった。カミサマともなると、つまらないギャグひとつとっても仕込みのレベルが違うみたいだ。
「あーちょっと待ってくださいっ!」
放っておくと、この前みたいに床とか壁を抜けていってしまいそうだったので、僕は先生を呼び止めた。
「…なに?」
鮎子先生は瞬時にまた実体化した。やっぱこういう所はニンゲン離れしているよな。
さすがはカミサマ…という、もはや口癖になりつつある言葉が口から漏れそうになったけど、同時にまいはにーさんの顔が浮かんだので、それを何とか押しとどめた僕は、代わりに文ちゃん先輩は、今日はどうしたんですかと聞いてみた。
「ああ、文ちゃんはね、ちょっと本家の方から急に連絡があったとかで早退したんだ。だからわたしがお弁当預かったんだ」
「え…本家って…たしか和歌山の?」
「そうだよ」
「もしかしてあっちでご不幸でも?それとも…その…何か『鬼橋 文』としてのお役目とか?」
「ううん。ちがうちがう」
僕の反応が可笑しかったのか、鮎子先生はくすくすと笑った。
「実はね、春休み明けの新学期から、文ちゃんの従妹がこっちに引っ越してくるんだって。今日はその連絡とか手続きがどうとか…あはは、わたし、そういうのよく分かんないけど」
…ううむ。カミサマといえども、事務手続きは不得手なのか。それにしても…従妹?
文ちゃん先輩の…従妹?
どんな人だろう。容姿とか似てるんだろうか?そういえば、文ちゃん先輩は同い年の従妹さんがいるなんて言ってたっけな。
「…どんな方なんですか?」
「えっとね…志賀くんに一番馴染みやすい事だと、あの“慰撫・弐式”の作者ってコト、かな」
…うげえ。
あの高慢ちきで慇懃無礼でクソッタレなな生き人形の作者サマでございましたか。それを聞いただけで僕はうんざりしてしまった。
うん。この件については、これ以上は踏み込むまい。その方が賢明だ。好奇心は猫を殺すのだ。
触らぬカミに祟り無し、とも言うしな。
「…わたし、そのカミサマなんだけど」
「うわ、そうでした!…って、また勝手に人の心を読まないでください!」
「あはは、ごめんね?それよりも、せっかくの文ちゃんのお弁当だよ?食べちゃいなよ」
「あ…はい」
言われるままに、僕はお弁当箱を手に取って蓋を開けてみた。
へー、今日はハンバーグじゃないか。しかもチーズハンバーグ。いい香りだ。よくは知らないけど、こうやって冷めてからも美味しそうな香りを保てるという事にも、きっと何らかの手間とか工夫があるのだろう。
そしてその味は、この香りに劣らないものだった事も特記しておかねばなるまい。
ごちそうさまでした。
僕はこの場にいないまいはにーさんに、心からの感謝の念を贈らせていただいたのだった。
はぁぁぁ…やっぱ美味しかったなあ、文ちゃん先輩のお弁当は。
「あはは。ようやく笑ったね」
「へ?どういう事ですか」
「だって最近の志賀くん、何だか思いつめた顔ばっかしてたもの」
「そりゃそうですよ!何たって僕の師匠が行方不明で…あ!」
「どうかした?」
僕は鮎子先生に、色々と聞きたい事があったのだった。
「…鮎子先生?」
「何?」
「…ちょっと…その…お聞きしたい事があるんですけど…」
「本郷くんの事?」
鮎子先生は、何の躊躇いもなく、目下失踪中の僕の師匠の名前を口にしたのだった。
それはまるで、例えば今日の朝ご飯は何を食べましたか?なんてつまらない質問に答える様な、そんなごく自然な口調だった。
でも驚きはしない。だって僕の前で微笑んでいるこの養護教諭は、この世を統べるカミサマと存在を等しくする者――なのだから。
きっと僕の心を読んでいるか、あるいはそうでなくとも、僕の聞きたい事なんて、きっとお見通しなのだろうさ。
「…はい。鮎子先生。先生は本郷さんをご存知ですよね?」
「うん」
「じゃあ教えてください。昔、先生と本郷さんとの間にあった事…とか」
「別にいいよ?隠す様な事でもないし…取るに足らない、つまらないお話だけど」
「それでも僕は知りたいんです…それに」
「それに?」
「本郷さんが…今どうなったのか…も」
「ふぅん………。そうなんだ?」
今度は少しの間、沈黙があった。
彼女のその反応で、僕は覚悟する必要があるんだなと悟ってしまった。
「えっとね…」
どこか遠くを見る様な目をしながら彼女が語ったのは、こんな内容だった。
「あれは…もう10年前くらいになるのかな――」




