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幕間 2。…若しくは惨撃 1。

 ダーク――仙田(せんだ)阿久光(あくみつ)は酒癖が悪かった。

その日も、これからバンドの打ち合わせがあるというのにも関わらず、陽が落ちる前から馴染みの店に入り浸ってバーボンをあおっていた。

もっとも、今日に限っては、それは単なる仕事へのサボタージュというだけではなかった。

――どうしてこうなった――

アルコールが染み渡ってかなり鈍った頭ではあったが、この言葉だけは、脳裏に何度も繰り返し浮かんでは消えていった。

あの忌々しい男を殴ったのは、何もあの時が最初ではなかった。

あいつがウチの事務所にやってきたのは数年前の事だった。

歳は男の方がはるかに上だったが、立場的には自分たちの後輩になる。

年上の後輩。しかもあまり自己主張しないその男に、ダークたちはいつの頃からか優越感めいた感情を持つようになっていった。

使い走りの真似事からはじまったそれは、やがて自分たちのストレス解消の対象にも使えると気づいた。

気に入らない事があった時は、無関係のその男を殴って気を晴らした。

男がある程度の衝撃に耐えられると分かると、次第に力加減も図れる様になった。

シャドー・ボクシングと称して男を殴る。男はもちろん抗議してきたが、それはどうせ後輩の戯言に過ぎない。

「お前は頑丈だから平気だろ?頑丈に生んでくれたお袋さんに感謝しろよ?」

この冗談は周囲にウケた。一番笑っていたのはジョンソンだった。

――そうだよ。あいつは頑丈だったんだ。ついこの間だって、あいつを担ぎ上げてステージ上から放り投げたって起き上ってきたし、その後だって自分のステ-ジをこなしていたじゃねぇか。しかもあんなに盛り上げやがって――

ダークは男を軽蔑しつつも、男の実力には嫉妬を覚えていたのも事実だった。

今の事務所では後輩だと言っても、ミュージシャンとしてのキャリアを見れば、男の方がはるかに長かった。演奏の技術もあるし、何よりも客席の盛り上げ方は、ダークはおろかジョンソンすら及ばないだろう。それは地道にキャリアを重ねてきた男の経験からきた物だ。

自分たちの様に、事務所のプッシュだけで売り出してきた身ではかなう訳がない。

それは分かっている。しかし認めたくはない。それはジョンソンもハッシュも、ザックだって同じだろう。

認めてしまったら、自分たちは、もう男に優越感を抱けなくなってしまう。

デビュー・シングルのレコーディングの時の屈辱は忘れない。

スタジオに入ったものの、自分たちの演奏には何度もNGを出された。

たしかに自分たちの演奏は、お世辞にも上手いとは言えない。だがアマチュア時代は、それでも勢いだけでやりきってきたのだ。

派手なパフォーマンスが評判になって、石村社長にスカウトされてデビューが決まった。

これで俺たちもメジャーに進出だ!と喜んだのもつかの間。

東京から招いたプロデューサーからは、即座にNGをくらってしまった。

いわく、「演奏が未熟過ぎて使い物にならない」。

何度目かのNGを出した後、そのプロデューサーはスタジオの片隅にいたあの男の姿に気づいたのだった。

どうやら二人は旧知の間柄だったらしい。驚いたのは、プロデューサーが男に敬語を使っていた事だった。

さらに何度目かNGの後。プロデューサーはこう言った。

「もういいや。これじゃあいくら時間があっても無駄だから、先輩と俺でトラックを仕上げちゃいましょうか?」

結局、自分たちはブースから追い出された。

入れ替わりに男とプロデューサーが中に入り、プロデューサーがドラム・パート、男がギターとベースのトラックを仕上げてゆく。

各パートは、それぞれわずか1テイクで撮り終えた。しかも自分たちよりもはるかに複雑で魅力的なアレンジに生まれ変わって。

…そんなのおかしいだろう?俺たちの曲なのに。そんな馬鹿な事があるか?

しかし、出来上がったマスター・テープを聴き比べてみれば、その差は歴然だった。

こうして世に出たのが、自分たちブラッディーオーガのデビュー曲「血まみれブラッディ」だったのだ。

思えば、あの男に対する苛立たしさが増したのは、この頃からだった。

以前にもまして、あの男に手を挙げる事が多くなったと思う。

社長に怒られた腹いせは、あの男の腹に一発入れる事で気を晴らした。

ライヴでウケなかった夜は、あの男のセッティングが悪かったからだと足蹴にした。

それでもあの男は、その度に起き上ってきたじゃないか。

――そうだよ。あの男は頑丈なんだ。それなのに、何であの時に限って――

あの夜だって…フューリーアレイでの、ほんのちょっとした揉め事があった夜だって。

自分は、いつもの様に…そう、いつもの様にあいつの後頭部を殴っただけなんだ。なのに、何故かあの夜に限って、男は悶絶していた。昏倒して苦しむだけだった。

正直、これはおかしい、いつもと違うとは思ったさ。しかしザックの奴が男を何度も踏みつけて…そしたら男が動かなくなって…

気がついた時には、男は呼吸ひとつしなくなっていた。

「まさか…死んじまうなんてなあ…」

カウンターに突っ伏した口元から、思わず、そんな言葉が漏れた。

自分たちは人を殺してしまった。日頃から血まみれだの血マツリだのとかいった内容の暴力的な曲をプレイしているし、実際に気に入らない奴はブン殴る事もある。だが本当に人を殺してしまっては洒落にもならない。

とはいえども、自分が本当に人を殺してしまったという実感もわかない。何だか悪い夢を見ている気もする。

「…え?仙田さん?今何か言いましたか?」

顔なじみのバーテンが聞いてきた。

「何でもねえよ…もう一杯持ってこい」

「…呑み過ぎですよ?これから打ち合わせなんでしょう?」

「うるせえな!いいから早く持って来いっつってんだろ!!」

ダークは手にしたコップをカウンターに叩きつけた。

奥に去ってゆくバーテンの後ろ姿を目で追いながら、ダークはもう何度目になるか分からないその言葉を口にした。

「ちくしょう…どうして…どうしてこうなっちまった…」

その時。どこからか聴き覚えのあるメロディーが聞こえた様な気がした。

“BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM…BAM,BAM,BAM,BAM,BAM…”

それは誰かの口ずさむハミングだった。

“BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM…BAM,BAM,BAM,BAM,BAM…”

このメロディー…どこかで聞いた覚えがある。

シンプルな上昇・下降を繰り返すフレーズだ。一度聞いたら忘れ様がない。

どこだったか…思い出せない。

しかしこのハミングはたしかにどこかで…いいや違う。前に聞いたのは、ハミングではなかったはずだ。そう…ハミングなんかじゃなくて…あの時はギター……

そこまで思い出した時、ダークの意識は途切れた。


 身体が妙に温かい。

まるで温泉の様な、身体にまとわりつく様な温もりで目が覚めた。

「…いけねぇ…いつの間にか眠っちまってたか…」

まだ酒の抜け切れていない頭を横に振ると、意識が次第にはっきりとしてきた。

気がつけば、周囲は真っ暗になっていた。

何だ、また店じまいまで寝ちまってたのか。バーテンの奴、さっさと帰っちまったのかよ。

客を置いてけぼりにするバーテンの態度には腹が立ったが、まあ考え様によってはただ酒が飲めたという事でもある。

何となく儲けた気になったダークは、とりあえず帰ろうと思い立ち上がろうとして…その時になってはじめて、自分が身動きひとつできない事に気づいた。

その間にも、身体に奇妙な温もりを感じている。

狼狽したダークは、改めて自分の周囲を見渡して――

自分の首から下が、乾いたコンクリートの池の中に埋められている事に気がついた。

「なっ、何だこりゃあ!!??」

混凝土、いわゆるコンクリートは、セメントの粉体に水などを重合させる事で硬化する。

この時には溶質が溶媒内に拡散してゆく過程(水和反応)により発熱を起こす。

ダークが先程から感じていた温もりの正体がこれだった。

何で自分がこんな所に…?

酔いも一気に醒めてしまった。

よく見れば、周囲は平坦ではなく、かなりの急勾配になっている。

最初は、酔った勢いで自分がどこかの工事現場で転んで落ちたのかとも思った。しかしそれにしても、この状況は不自然過ぎる。そもそも、ここはどこだ?

“BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM,BAM…BAM,BAM,BAM,BAM,BAM…”

その時、闇夜の中から、またあのメロディーが流れてきた。

今度はずっとはっきりと。

間違いなく、誰かがこのメロディーを口ずさんでいるのだ。

その声は、はるか上の方から聞こえてくる。

コンクリートの地面から首だけ出した自分よりも、はるかに高い位置から。

カッ!!

突然点灯した強烈な光で、ダークの目は焼かれた。

「な…何だぁ!?…だっ、誰だてめぇは!?」

眩しさと、それに伴う目の奥の痛みに呻きながら、ダークが吼えた。

するとその声に応えるかの様に、目を焼く光源が若干弱くなった。

まだ痛む目を凝らしてみる。

どうやらハミングの主は、何か建物の様な上に腰かけているらしい。

やや細身で、闇夜に溶け込むそのシルエットは、どこか歪な形をしていた。

「おいてめぇ!てめぇが俺をこんな所に連れてきやがったのか!?」

「…………」

相手はハミングを続けているだけだった。

「おいてめぇ!てめぇったらてめぇ!!何とか言いやがれ!」

するとハミングの主は歌うのを止めて、建物の上で立ち上がった。

「……。ハイ、ミスタ・ダーク。ハァァァァァァァァァァァァァァァァァァァウ・ディィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!」

狂気を孕んだ、ニンゲンとも獣ともつかない咆哮が闇夜に響き渡った。

「なっ…!?」

「アァン?…リピィト・アフタ・ミィ。ハァァァァァァァァァァァァァァァァァァァウ・ディィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!」

「誰だてめぇ!?」

「…アハァ?」

狂気の声が返ってくる。

「…ハゥディ?」

「ふざけてんのか!?」

「はぁーうでぃぃぃぃぃー…」

「はうでぃしか言えんのか…ん?ハゥ…ディ…?」

ハウ・ディ。そんな珍妙な言葉を口にする男には心当たりがあった。

「てめぇ…もしかして…」

「はうでぃ?」

そうだ。間違いない。こいつは…あいつだ。よく聞けばその声にも聞き覚えある気もする。

あの夜。俺たちが殺したはずの…?

何だ、あいつ結局生きてやがったのか。

ダークの心の片隅に残っていた罪悪感が消え去った。残されたのは、こんな仕打ちに対する憤りだけだった。

「てめぇ!ふざけンなよ!?さっさと俺をここから出しやがれ!」

ダークは、頭上の男を睨みながら叫んだ。

「さっさとそこから降りてこいや!!…あぁん…?」

目を凝らして、相手の位置を確かめてみる。

次第に目が慣れてきた。相手が腰かけている建物の輪郭も見えてきて……あれは建物なんかじゃない?乗り物…車…?それにしては大き過ぎる…?

相手が急に立ち上がった。そのまま、歪な形に曲がった右手を天に突き上げる。

「イッツ・ア・ショォォォォォォォォタァァァァァァイム…!」

相手は運転席らしき場所に座って、何かの動作をしている様だった。

キュルルルル…バルルルルルル…!!

闇夜にエンジン音が響いた。その時になって、ダークは目の前にある巨大な物体の正体を理解した。

巨大な車体の前面に取り付けられた大きな筒状の金属の塊が、ライトの光に照らされて鈍く輝いている。

ロードローラー。

道路工事で使う、地面を平坦に慣らすための重機。

あの怪人は、ロードローラーの運転席にいたのだった。

そしてその重機は、急勾配…自分よりも坂の上でアイドリングしている。

「や…野郎…!!何考えてやがる…!?ささっと俺をここから出せ!出せったら…!!」

相手はどうやらサイドブレーキを解除したらしい。巨大な車体は、ゆっくりと坂を下りはじめる。

「あ…おい…待てったら待て…!あ…あ…あああ…」

ダークは何とかこのコンクリート池から抜け出そうと足掻いてみたものの、既に硬化しはじめているセメントは、彼の手足の自由を奪っていた。

身体が埋められてから、まださほど時間も経過してはいないだろう。しかしよほど大量の乾燥促進剤を入れたのか、彼の身体を拘束するセメントは、その自由を奪うには十分すぎるくらいに固まりつつあった。

硬化したコンクリート本来の硬度を引き出すには、「養生期」と呼ばれる保護期間を設けなければならない。彼をこのコンクリート池に埋めた相手に、どれだけの知識があるかは分からなかったが、少なくともこの養生期など、気にもかけてはいないだろう。

ダークが足掻く間にも、坂を下ってくるロードローラーのスピードは次第に加速してゆく。

「あ…ああああああ…ああああああああああ…!!!!」

回転する巨大なローラーが、目の前に迫ってきた。

「ああああああああ…ああああ…!!!!?????」


ぐしゃ。


何かを押し潰した音がして、ロードローラーが止まった。

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