16 スタート・ミー・アップ
「そうか。志賀君はここの生徒さんだったんだね」
ひと仕事終えたばかりの本郷さんは、タオルで汗をぬぐいながら笑った。
「はい!まさかここでお会いできるなんて…びっくりです」
「あはは。僕もだよ」
「でも本当に驚きました。あの…本郷さんってプロの人だと思ってましたから」
「あはは。これでも一応、事務所に所属しているけどね」
「え?…あ!失礼しましたっ!!」
「気にしなくてもいいさ。このご時世、ギター1本で食べてくのは難しいからね。こうやって日銭を稼いでゆかなけりゃならないからね」
そういう本郷さんの顔は、どことなく寂しそうにも見えた。
「おーい本郷君、ちょっと来てくンねえかー」
吉澤社長の声に、本郷さんがはーいと答えて立ち上がった。
「じゃあな志賀君。僕も君に会えて嬉しかったよ」
「はい!師匠!!」
「照れ臭いなあ。嬉しいけど。…ああそうそう。今度、また高崎のライヴハウスでやるから、その時は来てくれよな」
「もちろんですっ!絶対ゆきますっ!」
手を振りながら去ってゆく本郷さんの後姿を目で追いながら、僕は何だかとても充実した気分になった。それはそうだろう。だってほんの短い間とはいえ、憧れの人と、とても親しく話す事ができたのだから。…ああしまった!もっとギターのテクニックの事とか色々と聞いてみたい事があったのに、感激と驚きのあまりにすっかり忘れていた!!…せっかくのチャンスだったのになあ。まあいいか。今度のライヴの時にでも聞いてみようっと…って、痛っ!
突然、腕を思いっきりつねられた。
何事かと見ると、むくれた顔のまいはにーさんが僕の腕をつまみ上げていたのだった。
「…むー」
「どっ、どうしたんですか文ちゃん先輩」
「…しがくんのばか」
どうした事か、まいはにーさんは、どうもご機嫌斜めのご様子だった。
「…私にも今みたいに、もっと積極的に話しかけてくれればいいのに」
「へ?そんな事で?…っていてっ」
今度は向う脛を蹴られてしまった。
作業を終えた吉澤社長さんたちは、トラックに乗って撤収していった。
僕が手を振って見送ったら、本郷さんも窓から手を振り返してくれた。
それだけでとても幸せな気持ちになってしまう。
夕陽に赤く染まるトラックが次第に小さくなってゆく。はるか先の交差点を曲がって見えなくなるまで僕は目で追っていた。そのまま視線を空に向けたら、校舎の屋上に人影が見えた。あれは…鮎子先生?
鮎子先生は、僕がさっきまで向けていたのと同じ方角を見つめていた。
彼女の白衣が風になびいて揺れていた。
その日の下校時。僕はすぐに本屋さんに向かった。田舎町の悲しさで、僕の家の方角には本屋さんと言える様なお店は無かったので、家とは真逆の方角に向かわなければならなかったけれど。
愛車「自由の翼号」のペダルを漕ぐ足にも気合が入る。上州・冬の名物の空っ風も、そろそろ鳴りを潜めはじめる今日この頃、寒さも和らいできて、むしろ軽く汗をかくくらいだった。
学校から一番近いのは六区町にある「文身堂」というお店だ。本屋さんのくせにレコードとか玩具、さらに店内の片隅にはハンバーガーショップのコーナーまであるという至れり尽くせりのお店で、僕も時々、下校時には悪友森竹と一緒に、わざわざ家とは真逆のこのお店にきては道草を食っていたりもする。実際に食っていたのは草ではなく、ここのエビバーガーだったけれど。本屋さんの片手間のジャンクフードとと侮るなかれ。ここのエビバーガーは意外に美味しくて、僕たち万年はらぺこ学生たちには好評だったのだ。あまりに好評で、行ってみたら売り切れだった、という悲劇を経験したのも一度ならずあった。
でも、今日の目的はエビバーガーじゃない。…いや、あればそっちも買うけれど。
僕は雑誌のコーナーに向かった。そこの「音楽・芸能」の欄を探すと…あ、あった。
探していたのは「のあ。」というイベント情報誌の東京・関東版。とりあえずページを開いて目次を見る…「ライヴ・イベント情報」の「栃木・群馬」。…お隣の県と一緒くたにされてしまうのはちと悲しいぞ。田舎でこの手の情報が少ないから仕方ないけどね。
3月で…高崎のライヴハウスで…ああ、これだ。
本郷さんのライヴは今週末、市内中央通りにある「フューリーアレイ」というお店だそうだ。
ん…?またブラッディーオーガも一緒に出演するのか。どうしてだろう。もしかして同じ事務所…とか?
ブラッディーオーガの連中はどうでもいい…いや、そうでもないか。実際のステージでの下手くそでいい加減な演奏と、レコードでの纏まりの良さとのギャップはちょっと気にはなるけれど、それよりは本郷さんだ本郷さん。日時は…よし、覚えたぞ。
その後、立ち読みを続ける僕に対する店員さんの視線が怖かったので、僕は「のあ。」を1冊買ってお店を後にした。
追記。エビバーガーは売り切れていた。ちくしょう。
家に帰った後。入浴して夕飯も済ませた僕は、自分の部屋に戻ってギターを手にした。
中1の頃に初めてギターを手にして以来、早い物でもう三年が過ぎた。
中学の三年間はずっとサイモン&ガーファンクル一筋だったけれど、この一年間…あ、いやまだ一年なんて経ってないか。わずか数ヶ月の間に、僕の音楽性はかなり幅が広がったと思う。特に「カントリー」という分野に出会えたのは良かった。このジャンルのギターこそ、僕が理想としていた音楽…というかギターの理想形だったみたいだ。この分野の曲をやってみようと思い立ったものの、ここ日本ではあまりメジャーな音楽ではないらしく、楽譜を探すのもまず無理だったから、僕は雑誌の片隅でひっそりと特集される小さな記事を参考に、後はラジオから録音した音源を頼りに、これを何度も何度も聴き直してはギターで音を拾い、聴き直してはギターで音を拾い…をひたすら繰り返す事で覚えていった。いわば、生まれて初めてギターを弾き出した頃の追体験をやった様な物だ。だから練習するのも新鮮だったし、そうやって覚えていったテクニックは忘れる事がない。
僕のギター・テクの「引き出し」って奴は、中身がどんどん増えていったんだ。
そして。僕は本郷さんと言う人と出会った。
あの人こそ僕の理想。そして目標。
これまでの僕は、ずっと独学でギターを覚えてきた。直接教えてくれる人もいなければ、共通の話題で盛り上がれる様なギター仲間もいなかった。
僕がやっているのは薄っぺらい物じゃない。ずっと高尚な物なんだ――ずっとそう思ってきたんだ。
でもそれは、今にしてみれば単なる思い込みに過ぎなかっただけだと思う。
入学式が終わってしばらくした頃、僕はフォークソング部から勧誘を受けたけど、断った。
彼らがやっていたのはニュー・ミュージックなんていう、昨今の流行の曲ばかりだったし、僕がやりたいのはもっと本格的な、もっと高度なテクニックを要する物だったと考えていたからだ。
…なんて思い込みの激しい、了見の狭い奴だったと我ながら呆れるばかりだ。
今日、あそこの工藤部長さんと話してみたら、なんだ、彼だって僕と同じくサイモン&ガーファンクルが好きだったそうじゃないか。
もしもあの時。変なプライドなんかに捉われずに、僕もあそこに入部していたらどうだっただろう。
そりゃあ、最初はぎこちないかもしれないけど、次第に打ち解けていって…もしかしたら文化祭で、あの部のいちメンバーとして参加していたかもしれない。
でも、僕はそうしなかった。
意固地になって加入を拒絶した挙句、安易な気持ちで美術部に入って、結局そこでも居場所が無くなって、ふらふらしていただけだ。
…それも違う。居場所が無くなったんじゃない、自分から失くしてしまったんだ。
気楽に絵でも描いていようかなんて考えていたのは僕だけ。他のみんなは誰もが真摯に「絵画」という物に向かい合っていた。
あのトボけた塚村さんだって、イラストを描く時には真剣な顔になる。一度、それを茶化したら三日以上口ひとつ聞いてくれなかった事もあった。
居場所を無くした…いや失くした僕はがたどり着いたのは、誰もいない放課後の屋上しかなかったんだ。
無謬の数ヶ月をそこで過ごして――僕は文ちゃん先輩と、そして鮎子先生と出会った。
そして――はじまった。僕の周囲の全てが動き出したんだ。
そこで――もう一度振り返ってみる。
「もしもあの時。変なプライドなんかに捉われずに、僕もあそこに入部していたらどうだっただろうか?」
…きっと、それなりに楽しい時間を過ごせたことだろう。でも。
…でも、もしもそんな時間を過ごしていたら、僕はたぶん文ちゃん先輩とは出会えなかったと思う。
あの可愛くてまっすぐで、少しだけ意地っ張りな1学年先輩は、きっと今でも「生徒会長の鬼橋先輩」以上の存在にはなり得なかったと思うんだ。
鮎子先生だってそうだよ。男女を問わず大人気、全校生徒の憧れの的の美人の養護の先生。
一部の連中みたいに積極的になれない僕は、もしもあの時に先生と話していなかったら、きっと先生の事をずっと遠目にみているだけで卒業してゆく事だろう。
文ちゃん先輩と初めて言葉を交わしたのと同じ日。その直前に鮎子先生とも初めて身近に話す事ができた。…あの時は舞い上がったよなあ。そのすぐ後に、僕はトンデモない出来事に直面する羽目にもなったけれど。
…まさか「完全無欠の鉄血宰相」、「疾風怒濤のアイアンメイデン」たるわが校の生徒会長が魔導師で、美人の養護教諭に至っては「カミサマ」だったなんて思いもよらなかったな。
おかげで「オカルトなんて信じない!」という僕の心情も、実にあっけなく崩れてしまったけどね。
彼女たちと付き合いだしてから、この土地に古くから棲みついていたという異形には襲われるし、美術部の先輩はその異形になっちゃうし、人類の進化を陰で操ってきたらしい古代の象形文字には振り回されるし…ロクな目に遭っていない。有体に言えば惨憺たる有様だ。
でも。それでも僕は、そんな文ちゃん先輩と鮎子先生との出会いを大切にしたいと思う。
あの二人と出会えた事で、僕のセカイは間違いなく拡がったのだから。
考え方も変わった。人と接するのも難しいとは思わなくなった。
よくよく考えてみれば、無駄な肩の力を抜いただけなのかもしれないけれど、そうさせてくれたのがあの二人だったから。
そして――本郷さんとの出会い。
これだってあの時、鮎子先生が強引にアマチュア・コンサートにエントリーしてくれなければ、僕は本郷さんには出会えなかった。
まさに天の配剤、カミサマのお導きって奴だ。
まあ、鮎子先生は本当にカミサマだけれども。
《君は…あの人には、あまり近づきすぎない方がいいよ》
《…悲しい思いをしたくないなら…ね》
唐突に、そのカミサマのお言葉を思い出した。
あれはどういう意味なのだろう。
文ちゃん先輩は、鮎子先生の「予言」は当たるという。
予言――この場合は預言なんだろうか。…託宣?
カミサマのお言葉。それは決して軽んじていい物じゃない。
そういえば、無頼庵摂津屋の宗佑衛門さんの言葉も気になった。
《何と言っても、『ザ・フラットボード・カスケーズ』の名付け親だもんなあ、鮎子さんは》
こっちの言葉も気になった。
鮎子先生と…本郷さんは…知り合い…な…
そんな事を考えているうちに、いつしか僕は微睡んでいったみたいだった。




