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14 アー・ユー・エクスペリエンスド?

 その後。文ちゃん先輩とも別れて家に帰ってきてからも、気持ちは昂ったままだった。

無理もない。今日は色々な事があり過ぎた。様々な出会いがあったし、多くの経験をした。

コミュニケーション能力って奴が、人様よりちょっとだけ欠落しているのは自覚している。そんな僕にとっては、いささか過負荷(オーバーロード)気味な一日だったと言ってもいいくらいだ。

慣れない経験ばかりで、いささか疲れた。

でも、それは決して不快な感覚じゃなかった。

今まで「トモダチ」って奴が数えるくらいしかいなかった事に、寂しさみたいな気持ちを抱いた覚えはあまりなかった。

一人っ子だったし、子供の頃は、外で遊ぶよりも、家でテレビを観てばかりいた気がする。

「ウルトラマン」なんかに出てくる怪獣の名前を覚えたい一心で、3歳にして独学でカタカナを覚えてしまったのは誇れたものかどうか分からないけれど、思えばあの頃から、僕は何か夢中になれる物さえあれば、それでよかった。別に、わざわざ意識して他人との距離を縮めようとか言った努力は怠ってきた様に思う。

…いやいやそうじゃない。努力を怠ったのではなく、努力する必要性すら感じていなかったのだと思う。

むろん、共通の話題で盛り上ったり気が合ったりした「トモダチ」だって皆無というわけでもない。同じ美術部の塚村さんなんて、僕のヒソカな趣味である少女マンガに関しては、性別を超えて互いに認め合う同好の士だし、悪友森竹に至っては、奴が小学3年の時に転校してきて以来の腐れ縁だった。趣味も違えば得意科目も、いやそもそも社交的なあいつと内向的な僕…と共通する部分なんてほとんどないのに、あいつとだけは不思議と気が合った。6年生になってから、あいつの紹介で小木曽君とも仲良くなったし、その小木曽君の歳の離れた従妹のアユミ(ねえ)とも縁ができたんだっけ。

今では高崎悠久堂って骨董品屋さんの店長をしているアユミ姐は、昔はそれはそれはおっかない存在だった。一人っ子だった僕の前に突如現れた年上の女の子(当時)。彼女は、いわゆる「お転婆娘」って存在だったのだ。

どういうわけか、僕は彼女に気に入られてしまった。何かと言うと彼女に引っぱり回されっぱなしだったんだ。

その、ささやかなる一例のエピソードを挙げてみようか。

フリスビーなんてのが流行した頃は、彼女が投げる円盤を一日中追いかけさせられた。特に冬場の陽の短い時期なんて、それはもう大変だったよなあ。

「ねーアユミ姐、もう暗くなっちゃったから、そろそろ終わりにしようよお」

「え、何?もうそんな時間?」

「とっくに5時過ぎてるよお」

お腹も空いていたし、第一、すでに広場の外灯だって点灯している頃合いだったのである。

ずっと付き合わされて、疲れきった弱々しい声で僕は訴えた。

「あ、そーか。言われてみれば、周りも少し見えにくくなってきたねえ」

「でしょお?だからもうそろそろ…」

「…ぬっふっふ。ならば、いよいよコレを出す時がきたかあ」

アユミ姐は、まったく疲れを感じさせない様な元気な声でそう言うと、自分のスポーツバッグから何かを取り出して、それを自慢げに天にかざしてみせた。

「ジャーン!こんな時のためのマストアイテム!新発売、買っててよかった蛍光塗料ヴァージョン!!これで二十四時間戦えるっ!」

…そんなのが出たなんてのはCMで観た覚えがあったけれど、よもや実物をこの目で見る羽目になるとは思わなかった。ましてやそれがアユミ姐という不沈空母、ノンストップ・プレイヤーの手にあるという事実には心の底から驚愕した覚えがある。

やっと見えてきたゴールが、一気に地平線の彼方に消えた様な心境だった。

その頃から横山光輝の「三国志」を愛読していた僕は、諸葛孔明がよくしたという「縮地の術」を使えれば、とあの時ほど渇望した事はなかった。

結局、それからさらに1時間ほどの延長戦に疲れ果ててへたり込んだ僕を、アユミ姐は「うん。よく頑張った。上々、上々」と屈託のない笑顔で起こしてくれたのだった。

それでも不思議と恨みがましい感情がわかなかったのは、やはり彼女の人徳という奴なのだろうか。

そういう部分が、僕には呆れるほど欠落していると思う。アユミ姐の様に強引に人を引っ張ってゆく様なリーダーシップはないし、森竹の様な人なつっこさも持ち合わせていない。

でも、これまでの僕は、そんな自分に対してネガティヴな感情はなかった。

昔から本を読みはじめたら周囲の事なんて気にならなかったし、ギターを手にしてからは、弾いてさえいれば満足だった。それだけで十分楽しかったんだ。一人でいる事に孤独なんて感じた事はなかった。――去年の暮れまでは。

 去年の暮れに、僕には「文ちゃん先輩」という、過分に過ぎる彼女ができた。

最初こそちょっと苦手意識はあったし、それから自分の価値観を覆す様なトンデモない出来事に巻き込まれたりもしたけれど…命を狙われたりもしちゃったけど、僕たちは相思相愛って奴になれた。

 生まれてはじめてできた彼女。

価値観も生まれた環境も、背負った物もまるで違う、ましてや異性の相手とのっぴきならないお付き合いをするというのは当初、はっきり言えば抵抗があったのも事実だった。

どう付き合ってゆけばいいのか、どんな事を話したらいいのかなんて、まるで見当もつかなかった。だけどお付き合いをはじめてから数か月、僕は…僕たちはそれなりにうまくやってこれたと思う。

自分と異なった存在と身近に付き合ってゆく以上、そこには当然意見の相違もあれば対立もある。実際、文ちゃん先輩とは何度か口喧嘩もしたけれど、後で気づけば、僕の価値観はその都度広がってきた様に思う。

喧嘩って、自分独りだけでは絶対にできないんだものな。

時には過剰に彼女の心を傷つけてしまった事もある。そんな時は、後で決まって物凄い自己嫌悪に襲われた。何であんな事言っちゃったんだろうとか明日どんな顔して彼女に会えばいいんだろうとか、そんな事で頭がいっぱいになって眠れない夜もあった。で、その後彼女に平謝りしたり、時には彼女から謝ってくれたりもして、僕たちはお互いの気持ちの距離を縮めてきたんだ。とにかく試行錯誤の連続。そのおかげか、今では彼女が何を考えているか、なんて事もそれなりに分かる様になってきた。

心の距離は縮まってゆくのに、価値観は逆にどんどん広がってゆくという、この不思議な感覚は新鮮だった。

それもこれも、あの日彼女に出会わなければ、今の僕はなかっただろうと思っている。

そんな文ちゃん先輩に対して抱いている様な感情を、あの同じ日の夕方、学校の屋上ではじめて身近に会話を交わした鮎子先生にも抱いている。

ただし、こちらは恋愛対象ではないけれど。

その正体がこのセカイを統べるカミサマ(と存在を同じくする?)だという点は、この際大胆にも除外してしまうけれど、彼女は僕にとってよき相談役であり、頼れる「お姉さん」でもあり、人生の「道標(マイルストーン)」でもある。

そこはカミサマだけに、時には何を考えているのか、僕のごとき凡俗には計り知れない所もあるけれど。

『そんな事もないんだけどねー』

…む?いかん。またぞろ、どこからか天の声が聞こえてきた様な気がしたから、この事を考えるのはよそうか。

ま…まあ、これだけは言える。僕は文ちゃん先輩と鮎子先生には感謝しているんだ。

彼女たちと出会えたからこそ、今の僕があるんだ。もしも以前のままの僕、彼女たちに出会わなかったままの僕がそのまま大人になったとしたら、きっといつか、自分の置かれている孤独な状況に気づいて絶望していた事だろう。

でも今の僕ならば、もうそんな絶望を覚える事もないと思う。

僕は他人…いいや「仲間」の大切さに気づく事ができたから。

そして今日。僕の「セカイ」は、さらなる広がりをみせてくれた。

水嶋君たちヘビセンター…じゃなくてザ・スネイク・センターのみんなや吉澤老人、市女のアンサンブル・コンビたちとの出会いは楽しい物だった。もちろんあの不埒なブラッディーオーガにだって批判的ではあるものの、僕とは全く異なった価値観…セカイを見せてもらったしね。

そして…本郷さん。本郷信太郎さんという、僕が「師」と仰ぐ事のできる、素晴らしき人生の先達と出会えた事は、これまでの僕の人生の中でも一番…あ、やっぱ一番は文ちゃん先輩との出会いにしておこう…二番目の僥倖だった。

あの人の爪弾くギターは、まさに僕が目指しているギター・スタイルの[理想像]だった。

「あんな風にギターを弾いてみたい」と思えるギター弾きさんを「ギター・ヒーロー」と呼ぶけれど、僕にとっての本郷さんは間違いなくヒーローその物だった。

これまでにもポール=サイモンやチェット=アトキンス御大みたいなギター・ヒーローはいたけれど、彼らは海の向こう、地球の裏側に鎮座ましましている遠く遥けき、やんごとなき方々だった。レコードなどでその演奏に接する事はできても、もちろん直接教えを乞うなんてできるはずもない。せめてその演奏を間近に見る事ができればなあ…と思う。

米国滞在中にサイモン&ガーファンクルの生演奏を観れたという鮎子先生を、心底羨ましく思うよ、いやホント。

こんな北関東の片田舎、群馬県は高崎の、これまた片隅の田舎町に生まれ育った僕なんて、そういった点では実に辺境の地にいるに過ぎない。

何年か前に観た「スター・ウォーズ」の冒頭シーンを思い出して、あの映画の主人公ルーク=スカイウォーカーみたいに、この田舎でずっと過ごすのか…なんて思った事もある。

それでも僕は、めげずに独学でギターを学んできた。この時にさっきちょっとだけ触れた、「何か夢中になれる物さえあればそれでいい」なんていう、少々厄介な己の性分が幸いした…というのは皮肉だったけれど。

でも、今日出会えた本郷さんは違う。

あの人のプレイは、まさに僕の目指す姿そのものだった。バック・ステージでそのプレイを目の当たりにして、その想いはいっそう強くなる一方だった。

目の前に、自分の理想とする様な存在が現れた、なんていうのは、これはもう奇跡と言ってもいいと思う。

文ちゃん先輩に続いて本郷さん。

その立ち位置はまったく違うけれど、僕の「理想」さんたちと、こんなにも身近になれる僥倖が続いてくれるというのは、これはもうやはりこの世を統べるカミサマ鮎子先生のご利益、という物なのだろうか?

…………。

僕はしばらく耳をすませて、また「天の声」が聞こえてくるかと身構えてもみたけれど、今回は何も聞こえなかった。…ちぇっ。

でも。

…だけれども、そんな素晴らしい本郷さんのステージは、観衆の人たちの記憶にはあまり残らなかったみたいだった。

…ヘンだ。そんなのっておかしいよ。

だって、本郷さんのステージは、あんなにも盛り上がったじゃないか。

観客席の人たちだって、みんなあんなにも絶賛の拍手を送っていたじゃないか。

――あの時会った紳士の言葉を思い出した。

『ここにいる客なんて、演奏が終われば、あーよかったで終わり。後には何も残らない』

『何のヒネリもない、古臭い音楽なんかじゃあ、今時はすぐに忘れられてしまうんだよ』

『インパクトがなければいけないんだ』

インパクト…?本郷さんの演奏だってインパクト十分だったじゃないか!

あの繊細にして正確なフィンガー・ピッキング。

時にはうねる様な、時には流れる様な変幻自在のフレージング。

たった1本のギターだけで、まるでバンドかオーケストラの演奏を再現してしまうかの様な神技ギャロッピング奏法。

演奏だけじゃない。時々口にするトークだって、観客をあれだけ沸かせてくれたよな?

――今度は、ノヴァ堂で会った市女アンサンブル・コンビの言葉を思い出した。

『うーんとね、何と言うか普通。よかったけど』

『えー、覚えてないよおそんなの』

…彼女たちに悪意があったとかいうわけじゃない。

ただ…インパクトが…印象が薄かった…って事なのか?あんなにも素晴らしい、非の打ち所もないステージだったのに…?

僕は、買ったまま、まだ封も切っていないブラッディーオーガのファースト・シングル「血まみれブラッディ」のレコード・ジャケットを見てみた。

あの口汚いジョンソンなるヴォーカルに視線の定まらないギターのハッシュ。

あろうことか出演前の本郷さんを投げ飛ばしたモヒカン巨漢のダーク。

そして街中でも出会った、凶暴なスキンヘッド、ザック。

ジャケット写真のどのメンバーも、見るからに凶悪な顔つきだよな。

…うん。たしかにインパクトだけはあると思う。インパクト「だけ」は、ね!

だけどあの演奏といったら何だ!?まるで素人以下じゃないか。

あんな見てくれだけのバンドが「カッコいい」?

ましてやあんな程度の演奏でレコード・デビューできちゃうのか?

僕には、どうしてあんなバンドの方がウケたのか、まるで理解できなかった。

馬鹿馬鹿しくなって、僕はベッドの上にレコードを放り投げてしまった。

…………。

ま…まあ、それでも買ってしまったのは仕方ない。たった500円だったけれど、それでも貧乏な高校生のお小遣いとしてはけっこう痛い出費だった事でもあるしなあ。

文ちゃん先輩にも言われたけれど、疑問には正面から立ち向かう姿勢が大切だと思うし、一度くらいは聴いてみようかな。

僕は宝物であるオーディオ・コンポーネントのターン・テーブルにシングル盤を置いて、注意深く針を下ろした。開封したての塩ビ盤特有の匂いを感じる。これだけはどんな内容の音楽のレコードでも変わらない。

ドッ・ドッ・ドッ・ドッ・ドッ・ドッ…という、地響きの様なバスドドラムのビートが聴こえてきて、僕は慌ててボリュームを絞った。もう、決して大音量で音楽を鳴らせる様な時間帯じゃない。

続いてザックの不安定極まりないベースが…あいつ、本当はベース弾けないんじゃないかって…あれ?

25W×2のスピーカーから聴こえてくるのは、うねる様なベースのフレーズ。

時々16分音符を交えた、ちょっと複雑なベースのフレーズが地を這う蛇の様にドラムに絡みついてくる…?

へ…?上手いじゃん、このベース。

間髪入れず、ハッシュの歪みきったギターのカッティングが…えええ?何だこれ?

使われているコードこそ単純だけれど、時々オブリガートも入れちゃったりして、なかなかに凝ったリフだ。しかもただ歪ませているだけじゃない。そのトーンには「ワウワウ・ペダル」ってエフェクターも掛けられていたりする。

これはギターとアンプの間にセットする、足で踏むペダル型のエフェクターだ。このペダルを踏み込めば高音が極端に強調された音に、ペダルを戻せば逆に低音が極端に強調されて、まさしくギターの音が「ワウ・ワウ」なんて人の声みたいに聴こえてしまうという、ちょっとユニークな装置だ。

たしかジミ=ヘンドリックスとかエリック=クラプトンが使ってた様な奴だ。VOXとかJENなんて海外のメーカー製の物が有名だ。国産の物も出てきたけど、いずれにせよ高校生のお財布には縁遠い機材だった。

…あのハッシュって奴、こんなにも凝ったギター弾いてたっけな?

今日のステージでは、ただコードをジャカジャカ弾いてただけだったと思ったけど…

少なくとも、ペダル踏んでる様には見えなかったぞ?

イントロが終わり、あのジョンソンのヴォーカルがはじまった。

…何だ。あいつの歌だけはステージと同じくガナってるだけか。ヘンな話だけれど、僕は少し安心してしまった。

…それにしても、どういう事なんだ?

このレコードは、ヴォーカル以外は「普通に聴けてしまう」くらいの十分なクオリティを持っていた。少なくとも、あのステージの生演奏の様な不快感を感じる事はなかった。

ステージではあんなにも下手くそだったのに。

…もしかしたら、あいつらも僕みたいに、本番じゃあ緊張してしまうプレイヤーなのだろうか?そう思うとちょっとだけ親近感もわくという物だけど…それにしては、あいつらのステージはエラそうだったなあ。…本当に緊張してたのか?

僕はまた分からなくなってしまった。

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