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12 ディス・タイム・ザ・ドリームズ・オン・ミー

「どうかしましたか?」

玄関前のエントランスで合流した文ちゃん先輩は、僕の顔を見るなりそう聞いてきた。

「…え?どうか…って」

「何だか、とっても悔しそうな顔してますよ?」

「え…そ…そうですか?」

「ええ。とっても悔しそうな…それとも、何だか悲しそうな…何かありましたか?それとも、さっきの紳士から言われた言葉に、何か思い当たったとか…」

「…文ちゃん先輩」

「はい?」

「もう一度お聞きしていいですか?」

「何でしょう」

「さっきの…あのブラッディーオーガってバンド、どう思いました?」

「…うーん…まだ私には『ろっく』という物が良く理解できていませんけれど、正直に言って、私はあまり好きになれませんでしたけれど…それがどうしました?」

「…僕も文ちゃん先輩とおんなじ感想です…だけど…」

「だけど?」

「僕は、よく分からなくなってしまいました…実は…」

僕たちはノヴァ堂を後にして慈光通りを歩いて行った。

「なるほどー。あのバンドさんたちのレコード、そんなに売れていたのですか。意外です」

僕がレコード売り場で見た光景と、そこで率直に感じた疑問には、文ちゃん先輩も共感してくれたみたいだった。

「…でも、そういう志賀君だって、結局そのレコードを買われたのでしょう?」

文ちゃん先輩は、僕が手にしたレコードの包装紙越しにうっすらと見て取れる、あの「血まみれブラッディ」のジャケットを見ながら言った。

「はい…買ってみました」

「どうして?」

「はは…単純に、どうしてこんなのが売れているのか、ちょっと気になったんですよ。決して気に入ったって訳でもないんです」

「む?疑問に正面から向かい合うその姿勢は、私は素晴らしいと思いますよ」

「いや、そこまで大した事でもないかと…それとも、こういうのも文ちゃん先輩の影響、なんですかねえ」

「ま…そんな」

文ちゃん先輩は真っ赤になってしまった。うんうん。可愛いなあ。

「でもホント、文ちゃん先輩からは色々と影響いただいてますよ?」

「…頑固な部分も?」

「うーん…いただいてるかもしれませんね」

「むぅ…それは志賀君本来の部分ですっ」

「あはは。でも本当に影響いただいてますよ?『影響(インフルエンス)』でなく『影響(エフェクト)』を」

「『インフルエンス』でなく『エフェクト』…ですか」

同じ「影響」でも「インフルエンス」は悪い意味で、「エフェクト」はいい意味で使われるそうだ。

文ちゃん先輩とお付き合いをはじめてから、僕の「セカイ」はかなり広がった。

他人との接し方から物の考え方、取り組み方。もちろん勉強だってそうだ。根っからの文系男子だった僕がだ、理系科目にも面白さを感じはじめる事ができたのも彼女のお蔭。

それに…この世の闇に蔓延(はびこ)る「異形」どもの存在、そしてこの「セカイ」を生み出したという「カミサマ」の存在。

最後の方はちょっと宗教がかった感じもするけれど、まあいいか。実際、鮎子先生は「カミサマ」なのだし。

そう考えれば、僕の横で微笑んでくれている鬼橋 文というセンパイは、僕を「魔」の領域に導く巫女の様な立ち位置にいるのかもしれなかった。

魔に導く少女。…魔導少女、か。

ちょっと前に、この近くの駅ビルにある画廊で開かれたウチの美術部の部展用に、僕は一枚の水彩画を描いた。

深い森の中。ギターを手にした吟遊詩人が、一本の大樹を見上げている構図。

その樹の枝には小柄な少女が、夢見る様な、そして悲しそうな表情で腰掛けている。

少女は吟遊詩人を誘っているのだろうか。それとも、これ以上先に進んではいけないと警告しているのだろうか。

あの絵の題名は「スカボロー・フェア/詠唱」と名付けた。

大好きなサイモン&ガーファンクルの曲名からいただいた物だ。

あの曲の歌詞は、悪戯な妖精が、旅人に意地悪な質問をして、答えられないでいると妖精の国に連れ去ってしまう…というファンタジックな内容だった。

あの、異形と化した倉澤副部長の一件の後、僕は鮎子先生の口から文ちゃん先輩の「秘密」を告げられた後で、こう問われた。

『――それでも、君は文ちゃんとお付き合いできる?』と。

僕はもちろんです!と即答したけれど、内心まったく戸惑いが無かったわけでもない。

文ちゃん先輩、そして鮎子先生の抱えた「問題」は、一介の平凡な田舎の高校生に過ぎない僕には理解をはるかに超えた物だった。

そりゃあそうだろう?相手は何代も続いた魔導師の家系の、その中心にいる由緒ある魔女の名前を受け継いだ少女と、おまけにこの「セカイ」を生み出したという「カミサマ」ご本尊(?)だよ?この僕に何ができるというのか。

ましてや、それまでの僕は、基本的には「オカルト」なんて物には懐疑的だった。

子供の頃こそ、テレビでよくやってたUFO特集とか心霊特集なんて番組には怖いもの見たさで夢中になっていた時期もある。

だけどいつの頃にか、そういった物が、実はとっても安っぽい、でっち上げの産物に思えてきたんだ。

たとえばよくやってたUFO特集で、あの番組の要所要所で鳴り響く、誰もが一度は耳にした事がある実にセンセーショナルな曲。最近になって知ったけど、あれは昔のテレビドラマ「ミステリー・ゾーン(トワイライト・ゾーン)」のテーマ曲を、バディ=モローってトロンボーン奏者がアレンジした物なのだそうだ。

あの曲のインパクトは好きだけれど、ナレーションで「重大な秘密」なんてのが語られた直後に「ジャジャジャーン!ジャジャジャジャジャーン!」なんてこれ見よがしに流されると、途端にそれが「さあ怖がってくださいよ!?」なんて煽られている様な気分になる。アレがまた、しつこいくらいに何度も繰り返されるんだ。もううんざりするくらい何度も。

人によっては、それが「お約束」だとか「様式美」なんて受け取れるのかもしれないけど、僕にはダメだった。安易な上にくどい。

「お約束」とか「様式美」なんてのは「水戸黄門」の印籠と、アントニオ猪木の「1、2、3、ダァーッ!」だけで十分だよ。

あっちはここぞ!という所で出るから「浄化作用(カタルシス)」という物があるんだ。

たとえば怪奇小説なんかのワン・センテンスごとの最後で必ず「どうだ!怖いでしょお?」とばかりに毎回煽られてもみろ?最初の内は驚きもするし、怖いなぁって感じる事もあるだろうけど、何度も繰り返されると、その内には慣れてしまうものだ。

怖いシーンは連発したら意味がない。

世にいうオカルト番組とかその手の雑誌なんかの手口は、いつもそうだ。

ああいうのって毎回、不安を煽って視聴者や読者を驚かせてくるけど、世の中に、そんなに得体のしれない物なんて数多くあるのだろうか?

火星の地表には本当に「涙を流す巨人の顔」があるのだろうか?

ネス湖の怪獣は本当にいるの?

終戦直後にアメリカの牧場にUFOが墜落して、宇宙人の死体が軍に回収されたのは事実?

…ツチノコなんてのは、獲物を呑み込んだ直後の普通のヘビじゃないのかなあ。

それに、この手の話で一番大きな奴と言えば。

「1999年7月、人類は本当に滅亡してしまうのか?」なんてのもある。

大昔のフランスの医者が予言した言葉だ。

…実を言うと、これだけは僕は安心していられる。人類は滅亡しない。

それは先日、「カミサマ」である鮎子先生が断言したからだ。

『私、そんな予定ないけど?』なんてね。

オカルトを信じるつもりのなかった僕が、その(きわ)みみたいな鮎子先生の言葉を信じるというのも矛盾した話だけれど、そう信じざるを得ないくらい、僕は鮎子先生と文ちゃん先輩に出会ってから様々な出来事に遭遇した。「未知との遭遇」どころの話じゃない。

うぃ・あー・のっと・あろーん。

そう、我々は独りじゃない。この世の闇の中には「異形」と呼ばれるニンゲン以外の存在が蠢いている事を、あの倉澤副部長の不幸な事件で僕は知った。

あんな小さな体で、そんな存在と対峙してきた鬼橋 文という少女。

僕は彼女の抱いた絶望に驚愕し、その絶望と正面から向かい合って生きてきた彼女の強さに惹かれたんだ。

それと同時に、そんな彼女の、意外なほどの健気で優しさに満ちた心の内側にも。

もちろん、彼女の容姿が僕のモロに好みだった、という部分も少なからずある。

小柄で、ちっちゃな胸が好みだというのも、鮎子先生に指摘されるまでもなく自覚しているのも事実だ。…決してロリコンという訳ではないよ?

ともあれ、だ。最初の頃こそ、僕は彼女に対して苦手意識を持っていたし、一時は命を狙われた事だってあったけど、僕は…僕と彼女はそれらすべての障害を乗り越えて、今こうして肩を寄り添って歩いていられるのだ。

SFなんかによく出てくる「並行セカイ」なんてのが、もしも本当にあったとしたら。

…もしかしたら別のセカイの僕たちは、どこかでその壁のひとつを乗り終える事ができずにいたかもしれない。

あの冬の日。別のセカイでは、僕は学校の廊下で、彼女の手にしたフェッチ棒で胸を突かれて命を落としていたかもしれないのだ。

…そんな事を考えてしまうのも、今の僕たちが幸せだからなのだろう。

あの絵を描いた頃は、僕の心にも、まだわずかながら戸惑いがあったと思う。それがそのままあの絵の中に染み出してしまったんだ。

でも、あの絵を描いた事で、何か吹っ切れた気もする。

戸惑いは全部、あの絵の中に掃き出してしまったのかもしれない。

こういった経験は、何もあの時がはじめてでもなかったし。

生まれてはじめて出くわした「泥口(うきくち)」という異形の姿を、絵の中に描いて封じる事で僕は恐怖心を克服した事があったんだ。

美術部員のくせに「絵心」という物を持ち合わせていない僕にとっては、「絵を描く」という行為は「通過儀礼(イニシエーション)」って奴に相当するのかもしれない。

とにかく今の僕は、この文ちゃん先輩という彼女が愛おしい。

自然に手が伸びて、彼女の小さな肩を抱いた。

不意な僕の行為にも動じず、彼女もまた自然に僕に寄り添ってきた。

それはまさに、ごく自然な恋人たちの姿だった。

 僕たちは、そのまま駅の西口近くまで歩いて行った。

この慈光通りという街道は、西から東に向かって真っすぐに伸びた後、鷹島屋デパートの間で駅前通りに突き当たる。道の両側には様々なお店が立ち並んでいて、いわば高崎市内で一番華やかな一角だ。

この突き当りの角を左、つまり駅とは逆の方に曲がると、いきなり人通りが減ってやや寂れた雰囲気になる。

…たしか、前にこっちにきた時に見た覚えがあったんだけどなあ…って、ああ、あった。

このお店だ。

おそらくは築数十年は経っているだろうと思われる、(ひな)びた佇まいの建物。

それでも造りはしっかりしているらしく、どこか風格があるお店だった。

昔、親父から聞いた事がある。

「高崎の駅の近くにゃ、うンめぇ蕎麦屋がある」なんて話だった。

あの蕎麦好きな親父の言う事だから、よほど美味しいのだろう。

実は一度、物は試しとやってきた事があったのだけど、あの時は残念ながら定休日だったのか、お店は閉まっていたのだった。

うん。今日はちゃんと暖簾が出ているな。

「…無頼(ぶらい)(あん)摂津屋(せっつや)?このお店ですか」

文ちゃん先輩が、暖簾に染め抜かれた店名を読み上げた。

「ええ。父が前に、ここのお蕎麦は美味しいぞって言ってたのを思い出したんです。実は僕も、中に入るのははじめてなんですけど」

「冷やし中華はありますか?」

「…ないと思います」

「しゅーん」

なぜそこまで冷やし中華にこだわるのだ?まいはにーさんは。

まあ、文ちゃん先輩が、そんな淡い期待を持ってしまうのも無理はない。

このお店の暖簾の布は真っ赤な生地だった。これではまるで中華料理屋みたいではないか。

普通、蕎麦屋の暖簾と言えば紺か藍色だと思うけど。

僕たちは、その暖簾をくぐって店内に入った。

古風で純和風な外見にもかかわらず、店内は意外に小奇麗だった。

というかむしろ洋風で、まるでカウンター・バーみたいな雰囲気さえあった。

…僕は未成年なので飲み屋さんとかの事には疎いけれど、きっとそうなのだろう。

というか、前に映画でこういう感じのお店を見た覚えがある。

邦画でなく洋画、それも西部劇だったけれど。

ここは本当にお蕎麦屋さんなのだろうか?

「ごめんくださーい」

「らっしゃーいって、わお、ホントにやってきたぜ?鮎子さんよ」

お店のご主人らしき男の人が言った。

へ…鮎子先生?

「やっほー」

「おねえちゃん…?!」

われらがセカイを統べるカミサマにして我が校の養護教諭、剣城鮎子先生は、コップ酒を掲げて会釈してきたのだった。

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