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『どうもありがとう!』

本郷さんのステージが終わった。

さっきの紳士はああ云ったけど、会場の盛り上がりは素晴らしいものだった。

僕の周囲からも「今のよかったねー」なんて声も聞こえてきた。

そうだよ。こういう音楽こそ評価されるべきなんだ。

聴く人の心の琴線を震わせる事ができる音楽。

それはずっと限られた環境の中で演奏してきただけの、今までの僕には縁のないセカイだったけれど、今日、それを知った。知る事ができた。

それを教えてくれたのが、あの本郷信太郎さんと言う人の演奏だったのだ。

僕はこの感激に打ち震えて、いても立ってもいられなくなった。

…ああ、この感激をどう表せばいいのだろう。

背中をぽん、と叩かれた。

文ちゃん先輩だった。彼女は僕の気持ちを察してくれたかの様に微笑んでいた。

「…行ってらっしゃい」

その一言で十分だった。

僕は彼女の一言を理解できた。

あ…そうか。そういう事か。そうすればいいんだ。

とにかく、あの本郷信太郎さんに会ってみたい。直接お話ししてみたい。

僕は意を決して走り出した。あっと、その前に。

僕は振り返って、手を振りながら言った。

「ありがとう文ちゃん先輩!愛してます!!」

「!!…もう、莫迦ぁ」

そういう彼女の顔は、とっても優しい笑みを浮かべていた。

僕はそのまま、一目散にバック・ステージに向かった。

どうせ屋外の簡易ステージだ。バック・ステージと言っても、単なる衝立で仕切られているだけで、別に入場禁止とかになっている訳じゃない。

それに万が一、スタッフさんに注意されたら、「実は忘れ物しちゃって」なんていう言い訳もできる。こういう時はバック・ステージ・パス代わりの出演手続き書がある。ああ、最初は戸惑いもあったけど、今日ここに出てみてよかったと思った。

幸い、誰にも妨げられず、僕は裏手に回る事ができた。

えっと…本郷さんは…あ、あそこだ!

彼は、少し離れた場所でギターを拭いていた。自分も汗をかいているのに、まずはギターの手入れが優先なんだな。…なるほど、たしかに汗で濡れた指板を放置していたら、金属製の弦やフレットも錆びちゃいかねないし、ギターにとっていい事は何もないだろう。さすがはプロのギター弾きさんだ。そんな所も尊敬に値する。

僕は彼の元に駆け寄った。

「…あっ、あのっ!」

そこまでは良かったけど、その後が続かない。

すべてイキオイという物だけでここまできてしまったけれど、じゃあ具体的に何て言えばいいのかなんて考えてもいなかった。

いきなりやってきた間抜けな高校生を前に、当の本郷さんは怪訝な顔をしたけれど、すぐに、

「…ああ!『キャノンボール・ラグ』君だぁ!」

なんて言って笑いだした。

「あ…ど、どうも。そうです。お世話になります」

反射的にそう答えてお辞儀をしてしまったけれど、すぐに我ながら間の抜けたリアクションをしてしまったと気づいて、恥ずかしくなってしまった。

「あはは。君の演奏、なかなかよかったよ」

「え!ホントですか!?」

「本当本当。ちょっと驚いたけどね」

「おそれいります」

「会場入りして、午前中にもギター弾きの子が出るって聞いて、どんな子なんだろうなんて思いながら会場の片隅で見てたら、いきなりあの曲やりだすんだもの…いやぁ驚いたな。『えっ!?あの曲やっちゃうの?やられた~』なんて、ね」

本郷さんは屈託なく笑った。

「あ…どうもすみません…」

「いやいやいや。何で謝るのさ。僕はね、嬉しかったんだ」

「うれしい…んですか?」

「ああ、嬉しい嬉しい。あんな昔の曲なんて、今じゃ誰も見向き…いや、聴き向きっていうのかな?興味なんてもってくれないからね。僕の他にもああいうのが好きな子がいた、あんな若い子だって、いい曲ならば耳を傾けてくれるんだ!なんて自信がついたよ」

「いい曲はいい曲ですからね」

…しまった。またもヘンな物言いになってしまった。

「あはは!そうさ、その通りだよ。シンプルだけど、それが正解さ」

本郷さんは、僕の言いたい事をちゃんと理解してくれたみたいだ。

「カントリー・ギターに興味あるんだね」

「はい!…あ、でも、本格的にやろうと思ったのはつい最近なんです。それまではずっとサイモン&ガーファンクルのコピーばっかりやってました」

「へぇ!なるほどねえ。ポール=サイモンから入ったクチかぁ。分かるわかる」

本郷さんはそう言いながら、手にしたギターで「59番街橋の歌」を弾いてみせた。

「彼のギターってこうだもんなぁ。カントリーっぽいのもずいぶんあるし」

その、さりげないアルペジオひとつとっても、ぼくなんかとは全然違っていた。何と言うのか…そう、存在感が違うのだ。

爪弾く音のひとつひとつが、十分に個性を主張している。それでいて、無駄に出しゃばってもいない、絶妙のトーンだった。

「――で、いきなりチェット=アトキンスに行っちゃったんだ?」

「あ、はい。彼女を驚かそうと思いまして」

僕の一言に、本郷さんは爆笑した。

「そうかそうか!あはは。なるほどねぇ。『女の子を振り向かせるには、ただ向き合ってギターを弾いていればいい』んだもんね」

「あー、チェット御大の言葉ですね!」

「そうそう。嬉しいなあ。僕もこの道に入って永いけど、こういう若い後継者君が、やっと出てきてくれたんだなあ。感激だよ」

「え…後継者、ですか?僕なんてとてもとても」

「謙遜する事はないんだ。君は今のスタイルを追求してみるといい」

「あっ、ありがとうございます!僕も本郷さんみたいになれるでしょうか!?」

すると本郷さんは、ちょっと複雑な表情になった。

「…僕みたいになっちゃいけないよ」

「え、だって今、後継者だって…」

「うん。君は立派なカントリー・ギターの後継者になれる。保証する。でもね、僕みたいになっちゃいけないんだ」

本郷さんはそう言って、手にしたギターを再び磨きはじめた。

「それってどういう…」

「――おいM男の本郷ちゃん、いつまでくっちゃべってンだよ」

いきなり声がしたので振り向くと、さっきのブラッディーオーガのヴォーカル、ジョンソン氏が立っていた。

「まったく、いつもモタモタしてやがって、これだからM男は」

な…何だこいつ。さっきのステージの時といい、やたらと本郷さんを馬鹿にした様な口をきく奴だなあ。

「僕はM男じゃない」

本郷さんも、さすがにムッとした様だ。

「若い子もいるんだ。そんな根も葉もない言い掛かりは言わないでほしい」

「あぁ?オメェがM男なのは事実じゃねェか。現に今でも事務所に居座ってやがって…」

「やめろよ」

「イジメられンのが嬉しいんだろう?」

「そんな事はない。嬉しいはずもないよ」

「M男の言う事なんざ、誰も信じてねーけどな。おい小僧?」

ジョンソン氏は、そこでいきなり僕の方を見た。

「こいつが昔、何て言ってたか教えてやろうか?」

…昔の話?

「また古い話を。もういいだろう」

「『僕は海外デビューする~!』だとよ。ぎゃははは!恥ずかしい奴ゥ!」

「やめろと言ってるだろう!」

本郷さんは、俯いて怒気を含んだ口調で言った。そして僕を見て言った。

「…えっと、君は」

「志賀です。志賀義治って言います」

「じゃあ志賀君。恥ずかしい所を見せてしまったね。僕たちはこれから、機材の片づけがあるから…」

「あ…はい」

「こんな僕だけど、僕は君の才能は認めるよ」

「あ…ありがとうございます!僕も本郷さんにお会いできて嬉しいです!『師匠』って呼ばせてもらっていいですか?」

「あ…ああ。それは光栄だね」

僕と本郷さんは固い握手を交わした。

「へっ!何が師匠だ。チョーシこいてンじゃねェぞ?M男ォ」

ジョンソンはそう吐き捨てると、地面を一度蹴ってから去っていった。

「じゃあな、志賀君。その彼女さんにもよろしくね」

「あ…はい」

本郷さんは立ち上がろうとしたけれど、うっ、と呻いて脇腹を押さえた。

やはり、さっき投げ飛ばされた時に、打ちどころが悪かったのかな。

「あの…やっぱさっき怪我でも…」

「い…いや大丈夫。大した事は…ないよ」

そう言いながらも、本郷さんは脇腹を押さえながら、よろよろと歩いて行った。

…………。

僕は次第に遠のいてゆく彼の後姿を見て思った。

本郷さんはM男なんかじゃない、と。

それにしても、あのジョンソンって奴は何なんだ?

本郷さんをハナから馬鹿にした様な口調ばかり言いやがって。あんな下手くそな演奏のおまえらなんかより、本郷さんの方がずっと凄いじゃないか。…もしかして嫉妬してるのかな?うん、きっとそうだ。品のない奴だ。さっきのパフォーマンスだって…

 僕は文ちゃん先輩の待ってくれている広場の方に戻った。あれ?鮎子先生もいる。アユミ姐は…いないな。お店の方に戻ったのかな?

「お待たせしました」

「本郷さんとお話できましたか?」

「あ、はい!『師匠』って呼ばせてもらう様にお願いしてきました!」

「それは凄いですね!」

「はい!思った通りのいい人でしたよ」

「それはよかった」

「あ、鮎子先生!先生も今日はありがとうございました!」

「ん?そう?」

「正直な所、いきなり出演してみろって言われた時はどうしようかと思いましたけど…やっぱりここに出てみてよかったです」

「そう」

「それに、『師匠』って呼べる凄い人にも出会えましたし」

「ふーん」

あれ?何だか鮎子先生の様子がおかしいなあ。あまり気乗りのしていない様な雰囲気だ。

「…志賀君?」

「あ…はい?」

「君はさ、今まで独学でギターをやってきたよね」

「はい」

「…それでいいんじゃないかな。今さら『師匠』なんていなくてもいいと思うけど」

「いやあ、そんな事ないです!僕はもっと本郷さんみたくギターを弾きたいですし」

「あっそ」

あっそ、って…何だか鮎子先生らしくないなあ…

「君は…あの人には、あまり近づきすぎない方がいいよ」

「え?どうしてですか」

「…悲しい思いをしたくないなら…ね」

悲しい…思い?どういう事だ?

そう言ったのが、他ならぬカミサマとくれば、気にかかるどころの話じゃない。

「あーあ。わたし、ちょっと疲れちゃったなぁ。…文ちゃん?」

「はい?」

「せっかく久しぶりに街の方に出てきたんだし、わたしねえ、これからちょっと、なじみのお店に寄って呑んで帰るから」

「…あまり呑み過ぎないでくださいよ?」

「はいはーい」

じゃねー、と言って、鮎子先生も夕暮れの街の中に消えていった。

鮎子先生を見送ってから、僕たちも会場を後にする事にした。もちろん水嶋君をはじめとするヘビセンター…いや、ザ・スネイク・センターのメンバーさんたちとも握手を交わして。

今日は色々な出来事があったけれど、不思議と疲労感はなかった。

緊張もしたし、ヘマもやらかしたけれど、それ以上に様々な出会いがあった。セカイも拡がった。そして何よりも、生まれて初めて「師匠」と呼べる人に出会えた。これは凄い。

まさに「僥倖」と言っていいだろう。

僕は舞い上がっていた。

舞い上がっていたから、鮎子先生がふと漏らした言葉なんて、すっかり忘れてしまったのだった。軽く考えていたんだ。

『あの人には、あまり近づきすぎない方がいい…悲しい思いをしたくないなら…ね』

――それはこの世を統べる「カミサマ」のお言葉、だったのに――

「志賀君はこの後どうします?お食事でもしてゆきましょうか」

文ちゃん先輩が聞いてきた。

「あ、そうですね!トンキーのお昼と水嶋さんのお弁当食べたから、まだそんなにお腹も減ってない…」

…ぐぅ。

え?この音って…?

見ると、文ちゃん先輩が顔を真っ赤にして俯いていた。あ、そちらでしたか。

「…やっぱ食べてゆきましょうか」

「…うん」

「何にします?カツはさっき食べたから…今度は麺類でも…」

「今日は暖かかったから、そろそろ冷やし中華とか食べたいですね」

「さすがにまだないと思いますけど」

「むぅ…」

何だかショボくれてしまった。そんなに食べたかったのか。

「あ、そうだ。文ちゃん先輩?」

「何でしょう」

「ご飯食べる前に、ちょっと寄りたい所ができたんですけど、いいですか?」

「いいですよ?それくらい。でも、どこですか」

「ちょっと…レコード屋さんに寄ってみたくて」

…そうさ。さっきの紳士に言われた、あの言葉が気になったんだ。

『私の意見が間違っていると思うのならば、後でレコード屋にでも行ってみるといい』

僕たちは、市内で一番大きな「ノヴァ堂」というレコード屋さんに行ってみた。半地下の1階が書籍、2階はレコード・コーナー、そして3階は楽器コーナーになっていて、ここには貸スタジオもある夢の様なお店だ。

本とレコードと楽器!

…まるで僕の為に存在するかの様な錯覚に陥ってしまいかねない。

「じゃあ、私は1階の本屋さんに行ってますから、志賀君もごゆっくり」

そう言う文ちゃん先輩と正面玄関の前で別れて、僕は一人で階段を登っていった。

店内からは、流行りのアイドル歌手の歌が聴こえてくるけど、それが誰かは知らない。

そういえば、この店に来るのも久しぶりだなあ。前は、よくサイモン&ガーファンクルのアルバムを探しに来たものだけど。

…LP盤を買って帰る時、自転車を漕ぐのは大変だったよなあ。

お店の袋には取っ手口が開いていたから、そこにハンドルを通してぶら下げたけど、風が強い日なんかは空気抵抗が大きくて苦労させられたものだ。

…直径30センチのビニール盤を入れるためのジャケットがもたらす空気抵抗をナメてはいけない。

下手にコケたりでもしたら、大枚3,000円をはたいて買ったお宝に傷が付いてしまう。

心の中に渦巻くその恐怖と闘いながら、およそ15キロの距離を黙々と、ただひたすらに急ぐ強行軍。

そうした苦労、艱難辛苦を乗り越えて得た至高の音楽だもの、そりゃあ夢中になって聴くし、ギターだってコピーする気にもなるってモンだ。

それにしても、さっきの謎の紳士の言ってた事は何だったのだろう。

僕は何気なく、レコードの並べられている棚を見て回ったけれど、紳士の言葉の意味は分からなかった。

色々と見て回って、最後に「邦楽:ロック」のコーナーに行ってみたら、平積みされているシングル盤があるのに気づいた。

「へぇ…『注目盤!』かあ。どれどれ…あ!」

そこには、蛍光色のマーカーで書かれた、こんな文言があった。

『注目の新星!日本のロックの歴史を塗り替える硬派バンドデビュー!!』

そしてそのボードの前に並べられていたシングルのジャケットには、僕も知った――知ったのはついさっきの事だけど――バンドの名前と曲名が印刷されていた。

『THE BLOODY ORGE:血まみれブラッディ』

…あいつらのデビュー曲か。

こんなの誰が買うのかと思ってもみたけれど、どうやらこのシングルは、そこそこ売れているらしい。

実際、僕が見ている前でも、このシングルを手にしてレジに持って行く人はけっこういた。

…本人たちが直前に近所でライヴをやったから、いい宣伝になったのだろうか?

何で会場でも販売しなかったのかな、と思ったけど、あのコンサートって市の主催だから、あまり大っぴらな商業活動はできないのかもしれない。

それにしても、だ。あんな下手くそで品のないバンドのレコードも、売れるモンなんだな。

…ちょっと驚いてしまった。

そこにまた二人連れの女子高生がやってきて、「血まみれブラッディ」のシングルを手にした。

「あーこれこれ!見つけたよー」

「よかったぁ。売り切れちゃったかと思ったよー」

その二人は、僕の前に演奏していた市女のアンサンブル・コンビだった。

「や…やあ」

僕は彼女たちに声を掛けてみた。

「あ!『ただのギター弾きさん』だぁ!?」

「どうも。今日はお疲れ様でした」

『お疲れ様でしたー!』

二人の声がハモって返ってきた。

「えっと…キミたち、そのバンドのシングル買うの?」

「ええ、買いますよ?それが何か?」

「…ええっと…さっきのこのバンドの演奏、どう思った?」

「うーん…いいんじゃかなあ。凄かったし」

「最初はびっくりしたけど、カッコよかったしねー」

「ねー」

二人は楽しそうにけらけらと笑った。カッコいい?あんなのが…?

「えっと…それじゃあ、このバンドの後に出てた人はどうだった?」

「うーん…よかったよ?」

彼女たちの答えに、僕は何だかほっとした。

「でしょ?」

「うん…よかったけど…普通だよねー」

「うん。普通」

「え…普通って…どういう意味かな?」

「うーんとね、何と言うか普通。よかったけど」

「普通って…それだけ?」

「ああ、別に悪く言ってるわけじゃないよ?演奏上手かったし。でも、何て人だっけ?エツコ、あんた覚えてる?」

「えー、覚えてないよおそんなの」

二人はそのまま、じゃあまたね、と言って、レコードを手にレジの方に歩いて行った。

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