10 ザ・マン・ウィズ・ザ・ゴールデン・サム
司会のお姉さんのコールと共にバック・ステージから登場してきた四人組の大男たちを見て、僕は驚いた。それは文ちゃん先輩も同じだったろう。
メンバーの中の一人が、ほんの少し前、僕たちに絡んできたあのスキンヘッドだったのだ。
今は眼鏡を外しているけれど、あの魁偉な風貌は間違え様がない。
そのスキンヘッドは、どうやらベース担当らしい。
他のメンバーも見てみた。
ドラマーはスキンヘッドをさらに肥大化させた様なモヒカン、ギターは今にも斬りかかってきそうな、異様な視線の持ち主だ。つねに周囲をきょろきょろ見回していて落ち着きがない。そして手ぶらの――おそらくはヴォーカル担当なのだろうが――男は、他の三人と比べればやや細身だけれど、ちょっと気取った様な、それでいてどことなく下卑た様な雰囲気の笑い顔が印象的だった。
どいつもこいつもでかい。おそらく、全員身長185センチ以上はあるんじゃないだろうか。体重だって、あのヴォーカル以外は100kgを超えていると思う。
まさしく「血塗れの食人鬼」というバンド名に相応しい様な風貌の持ち主ばかりだった。
「…あの男って…」
「ええ、さっき、私に対するありえない様な暴言を放った下郎ですね」
…うーむ。やっぱ根に持ってるんだな。
僕は文ちゃん先輩のちっちゃな所も、それに本当にささやかな胸も大好きなんだけど…あまりストレートにその話題に触れるのは避けておこう…と思った。
メンバーがステージ上に出揃うと、さっきの年配の裏方さんとヴォーカル氏は何やら打ち合わせしはじめた。きっと、マイクの音量とかいった細かい打ち合わせでもしているのかと思った矢先。
ドラム担当のモヒカンがその後ろに立つと、裏方さんをいきなり両腕で軽々と抱え上げてしまった。…まるで重量挙げのバーベルでも持ち上げる様に。
…え?何が起こった…?
あまりの突然の出来事に、会場中も、視界のお姉さんも、そして抱え上げられた裏方さん本人も驚いている。
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさとはじめさせろや!」
モヒカンはそう叫ぶと、裏方さんを放り投げた!
「うわぁぁぁぁ…!」
鈍い音がして、裏方さんの身体は地面に転がった。いくら地面が芝生の上でも、あれではかなり痛いだろう。事実、呻き声を挙げる彼は、起き上る事もできないでいる。
会場から悲鳴が起こった。
バック・ステージから何人かのスタッフが飛び出してきて、その哀れな裏方さんを起こして支える様に下がっていった。
『あー、驚きましたか?はは、これは演出ですよ演出』
ヴォーカル氏は、くすくす笑いながらそう言った。
え…そうなのか…?
『それにですねえ、彼はM男の変態ですから、こういうのが嬉しいんです』
会場の所々から笑い声が起こる。
…そうは見えなかったけどな。あの人、持ち上げられた時かなり驚いてたし、地面に叩きつけられた時はかなり痛そうにも見えたけれど…そういうのも演出なのかな。
『じゃあ1曲目だ!『血塗れブラッディ』!!』
ヴォーカル氏は何事もなかった様にワン・ツー・スリー・フォー…とカウントをはじめた。
ドン!ドン!ドン!ドン!と、地響きのようなバスドラムがビートを刻む。
そこに単純なベース・ラインが入ってきて、さらに歪み切ったギター・サウンドがコードを刻みはじめた。
な…何だこれ?
それは、お世辞にも上手い演奏とは言えない様な代物だった。まとまりも調和もない。
ドラムのビートは不安定だし、ギターだって、リズムに関係なくじゃかじゃかかき鳴らしている。あのスキンヘッドが弾くベースに至っては、右手のやたらとでかい拳で弦をぼんぼん叩いでいるだけだ。ネックを握るはずの左手は、もっぱら拳を突き上げる事に専念している。…もしかして、本当はベース弾けないのか?
会場中に響くのは爆音。そして不快な不協和音。
こ…このバンド、いわゆる「前衛系」って奴なのかな?見た目はパンク・バンドっぽいんだけど。
いいや、そうじゃないだろう。はっきり言って、ただ下手なだけなのだ。インパクトだけは十分にあるけれどね。…この人たち、本当にプロのバンドなのだろうか?
これには会場にいる観客たちも眉をひそめていた。
でもそれは、まだ序の口だった事を、僕たちはすぐに知る事になる。
ヴォーカル氏がマイクを握りしめて、低くドスの効いた声で歌いはじめた。
今夜オマエをブチ殺す
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
血の池地獄を見せてやる
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
オマエのはらわた 引きずり出して
生き血をすすり 引きちぎる
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
な…何だこの歌詞は?
い…いや、こんなダークな世界観を歌うバンドだって、他にもあるけれど…
オマエが悪い オマエが悪い オマエがオレにそうさせるのだ
生きてるだけのゴミクズが!
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
オマエが悪い オマエが悪い オマエは今夜 血マツリだ
血まみれブラッディ―――OI!!!!
(OI!OI! OI!OI!OI!!)
…いやはや何と言うか、酷い歌詞だなあ。
歌の中の「オマエ」とやらは、いったい何をしでかたんだ?
理由も告げずに、一方的に糾弾してるだけじゃないか。
そもそも「血まみれブラッディ」って何なんだよ?
「ブラッディ」って「血まみれ」って意味じゃないのか?
言葉が重複している。無駄があるぞ?
うーん…いやね、「こういう音楽」だって、あってもいいとは思うよ?
でも、それは「音楽」というか「楽曲」として成立している事が前提じゃないのか?
このバンドは、メンバー各自が好き勝手に演奏して、互いの音も聞いていないんじゃないだろうか…?そう思えるくらい、それはバラバラな演奏に過ぎなかったのだ。
「志賀君志賀君」
文ちゃん先輩が、両手で自分の耳を押さえながら、肘で僕を突っついてきた。
「はい?何でしょう」
「あの伴奏している方たちが何度も叫んでいる『OI』って何の事でしょう?」
「え…?ああ、たぶんコーラス…と言うか合いの手みたいな物じゃないでしょうか」
「ほほう。合いの手…ですか。忙しいですねえ。1番だけで30回も言ってますし」
「え、わざわざ数えてたんですか?」
「…むぅ。何だか無駄な事をしてしまいました。それにしても…」
「え?」
「それにしても、こういうのも『ろっくんろーる』という物なのでしょうか?」
「うーん…どうなんでしょうか。正直、僕はあまりいい印象持てませんけど…」
「…やはり志賀君もそうでしたか。私もそう思ってました」
文ちゃん先輩は顔をしかめた。
けれど、周囲を見回してみると、観客の反応は様々だった。
僕たちの様に不愉快な印象を持っている様な人もいれば、一緒にオイオイ叫んでいる若者もいる。…こういうのが好きな人もいるんだなあ。音楽は奥が深い。
ブラッディーオーガは、それからもおよそ40分間、その独特のダークな世界観をまき散らしていた。
さっきも思ったけれど、こういう世界観の音楽だってあっていいとは思う。
…いいとは思うよ?でも、バンドを名乗る以上は、最低限、演奏はきちんとやってほしい。
あれはただの不協和音。歌詞もだけど、主義主張の見えないのはただの自己中心的なパフォーマンスに過ぎない。
いやそれ以前に、裏方さんを放り投げる様な暴力は、それがたとえ演出だとしても、僕は「音楽」だなんて認めたくはなかった。
『じゃあ最後にメンバー紹介だ!ドラム、ダーク!』
モヒカンの巨漢が、どかどかどかどかとバスドラムをキックする。
『ベース、ザック!』
スキンヘッドはベースを弾かずに、拳を挙げてうおー!と叫ぶ。あいつ、ザックというのか。
『ギター、ハッシュ!』
ハッシュ氏はぎゅぃーん!とネック上の指をベンドさせた。彼だけは、まだ少しはまともな演奏ができるみたいだな。あのリズム隊だけじゃあ、そもそも音楽になってない。彼だって、けっして上手いとは言えないけれど。
『そしてオレがヴォーカルのジョンソンだ!』
うーむ。どう見ても典型的な東洋人顔なのに「ジョンソン」ですか。顔でかいし頬骨張ってるし。…そもそも横文字の名前名乗るのならば、せめて「血まみれブラッディ」なんて珍妙なタイトルの曲を歌わないでほしいと思う。
正直な所、僕はこのブラッディーオーガというバンドには、何ひとつ感激できるような部分は見いだせなかったけど、周囲の観客の中には、彼らのパフォーマンスをそれなりに受け入れた人たちもいたみたいだった。
…単に好みの問題なのかな。
『ど…どうもありがとうございました。ブラッディーオーガのみなさんでした』
メンバーが舞台裏に下がると、司会のお姉さんは、戸惑いながらも自分の役割を思い出したみたいだった。
『すごい迫力でしたねえ…で…では本日最後に登場するのは、超絶ギターテクニックのベテラン、本郷信太郎さんでーす!みなさーん、拍手でお迎えくださーい!では、どうぞー!』
ぱちぱちぱちぱち。
まださっきのブラッディーオーガの余韻が残っているのか、会場の空気には、まだ少し戸惑いが感じられている。
次はどんな人が出てくるのだろうという期待よりも、どこか白けた様な、あるいは何となくうんざりした様な気配すら漂っていた。
そんな空気のステージに、1本の古びたエレキギターを手にした男の人が登場してきた…って、え?
おそらく40代半ばくらいのその人には、見覚えがあった。
ついさっき、あのダークとかいう巨漢のモヒカンに投げ飛ばされた裏方さん、その人だったのだ。その事に気づいた何人かの観客も、一様に驚いた様な顔をしている。
文ちゃん先輩もおんなじ表情してるな。たぶん、僕も似た様な顔になっていると思うけどね。
さっきは白いTシャツ姿だったけれど、今はその上にちょっと洒落たジャケットを羽織っている。手にしているのは、レス=ポール・モデルというギターだった。
この人が本郷さんなのか。
さっき裏方に徹していた時は、どことなく冴えないような印象があったけど、それは今も変わらないままだ。
「サマにならない、万年ヒラの中年サラリーマン」。
それがこの本郷信太郎さんと言う人への、僕の偽らざる第一印象だった。
でもそれは、すぐに訂正せざるを得なくなってしまった。
本郷さんは、ステージの中央に自分でパイプ椅子を持ってきて座ると、ギターのチューニングを確かめてから一度、うん、と頷いた。
『はーいみなさん!ハーゥ・ディー!?』
は…はう・でぃー…?何の事だ?
他の観客もぽかーんとしたままだ。
『あはは。もう一度、ハーゥ・ディー!?』
「はーう・でぃー」
今度は、はーう・でぃーと応える声がちらほらと上がった。
『うーん…まだ声が小さいなあ。…ハウディー!』
「ハウディー!」
『ハウディー!!』
「ハウディー!!」
『ハウディー!!!!』
「ハウディー!!!!」
『あはは。元気出てきたねえ。上々、上々』
本郷さんは満足そうに微笑んだ。
…凄い。白けた空気を一瞬で変えてしまった。
『今日はお忙しい所をようこそ…って、あっと、今日は日曜ですよね。しかも午後だ』
会場から笑い声が起こる。
『せっかくここに足を運んでくださった方々、もうちょっとだけお付き合いくださいね』
本郷さんはそう言うと、何の前触れもなく、いきなりギターを弾き出した。
かなりテンポの速い、中華風のイントロ。
あ、この曲、「チャイナタウン・マイ・チャイナタウン」だ!
しかもチェット=アトキンス御大のカヴァーしたヴァージョンじゃないか!
元々は大昔、戦前のジャズの歌だけど、様々なミュージシャンがこの曲をカヴァーしてきた。もちろんチェット御大も、ギターのインストへと見事にアレンジしたのだけど、彼のギャロッピング奏法の中でもかなり高度なテクニックを必要としている超難曲だ。
僕も先日コピーしようと思ったけど、そのあまりにも高い難易度に、早々に音を上げてしまった苦い経験があった。
それをあの本郷さんというギター弾きさんは、苦も無く華麗に弾いてみせている。
まさに流れる様なメロディーの下で、ベース・ラインも聴こえてくる。
それが、たった1本のギターからすべて生み出されているのだ。
僕は…いや僕だけじゃない、会場の観客の目と耳が、彼の生み出すギターのトーンに吸い寄せられている。
凄い凄い凄い!!
水嶋君は、本郷さんのギターは僕のスタイルと似ていると言っていた。
たしかしそうかもしれないけれど、レベルが違う。
たった1本のギターのトーンが、その場の空気を変えてしまう。
…これこそがプロの凄さなのだろう。
1曲目が終わる頃には、会場は熱気に溢れていた。
『どうもありがとう!さあ、どんどん行きますよー?』
本郷さんは再びうん、と頷くと次の曲に入った…って、ええっ!?
それは、午前中にこの場所…このステージで僕も演奏した「キャノンボール・ラグ」だった!
だけど、僕なんかとは比べ物にならないくらい、そこには「迫力」があった。
親指にはめたサム・ピックで弾くベース・ラインもはっきりとビートを刻んでいる。
一音一音がはっきりと聴き取れるのだ。
本郷さんの親指は、スピーディーに、しかも正確にビートを刻んでいる。
こ…これが本物のカントリー・ギターなのか…!
僕はいつしか我を忘れて、彼の爪弾くサウンドを一音たりとも聴き漏らすまいと集中していたのだった。
演奏を終えると、本郷さんはマイクを手にして、
『どうもありがとう。今の曲は、午前中にも高校生の男の子が演奏してましたね』
…え?それって僕の事?
『かなり古い曲ですが、僕の他にもこういう曲をプレイしてくれる若者がいたなんて、ちょっと感激してます』
うわーうわーうわー。プロの人にそういってもらえるなんて、何だか嬉しいぞ。
ちょんちょんと、僕の肩を突っつく感触に驚いてみてみると、文ちゃん先輩が親指をぐっ!と立てていた。あはは。照れますよ。
本郷さんは、その後も歌モノを交えながら数曲を演奏してくれた。
「たしかに、志賀君と似てますよね」
文ちゃん先輩が微笑んでそう言った。彼女も本郷さんの演奏を気に入ってくれたらしい。
「いやあ…僕なんかとは比べ物にならないです。凄すぎます」
「――そんなに彼は凄いかね?」
僕の後ろから、いきなり声を掛けられた。
「え?」
声の主は、背広姿の初老の紳士だった。
「あ…はい!凄いです!聴き惚れちゃいます」
「そうか」
「会場のみんなだって、ほら、こんなに盛り上がってますし」
「なるほどな。たしかにこの盛り上がりは凄い。演奏も素晴らしい」
「ですよね!」
「――だが、ビジネスにはならない」
「え…?」
「こういうジャンルなんて、しょせん金にはならないんだよ」
紳士は、ステージの方を見てそう言った。
「そんな…」
「…このひとつ前に出たバンドはどうだったかな?」
紳士は、やけに興味ありそうな顔で僕に聞いてきた。
「うーん…正直、あまり好きになれませんでした。演奏は…その…お世辞にも上手いとは言えませんでしたし、ちょっと暴力的で…あ!」
そういえば本郷さんは、ついさっきあのモヒカンに地面に叩きつけられてたんだった。怪我は大丈夫なのかな。
そう思って注意してみると、ステージ上の本郷さんは、時々顔をしかめながらギターを弾いているみたいだった。…やはりどこか怪我しているのだろうか。
「…ハ!ハハ!こりゃあ手厳しい!」
僕の答えに、紳士は予想外だとばかりに大げさに驚いてみせた。
「そうかそうか。君はそう思うんだな。でもなあ、あんな古臭い音楽なんて、もう流行らないんだよ」
紳士の物言いには、不快感を覚えた。
「そうでしょうか?こんなに上質な音楽です。ずっといつまでも残ってゆくのではないでしょうか?」
「上質な音楽だって?ハハ、それは認めようじゃないか。でもね、しょせんはそれだけだ」
「それだけ?こんなに盛り上がっているのに?」
「キミはまだ若い。世間という物を分かってないみたいだな」
「どういう…事ですか」
「いい音楽?なるほどなるほど。たしかに盛り上がっているねえ。でも、それだけなんだよ」
「だからどういう意味…」
「ここにいる観客なんて、しょせんはタダで音楽を聴けるから集まってきただけだろう?そんな客相手に、何を真剣になっているんだか」
「そんな言い方って…」
「ここにいる客なんて、演奏が終われば、あーよかったで終わり。後には何も残らない」
「…残らない…ですか?」
「そうとも。何のヒネリもない、古臭い音楽なんかじゃあ、今時はすぐに忘れられてしまうんだよ。インパクトがなければいけないんだ」
「インパクトって…さっきの連中の、暴力的なパフォーマンスみたいな?」
「その通り。そっちの方が、良くも悪くも客の印象には残るものなんだ」
「それじゃあ…まるで演奏なんて、二の次みたいんじゃないですか!」
「その通りその通り。金にならない音楽なんて価値がないんだよ」
この紳士が何者なのかは分からない。でも、音楽をただ金儲けの材料としか考えていない様なその物言いには腹が立ってきた。
「ん…?私の意見はお気に召さないかね?」
紳士は、僕の顔色が変わった事に気づいたみたいだった。
「キミはまだ若い。世間という物を知らない。私の意見が間違っていると思うのならば、後でレコード屋にでも行ってみるといい」
紳士はそう言い残して、僕たちの前から去っていった。




