09 イン・ザ・ムード
僕たちは、再び城址ふれあい公園のステージの前まで戻ってきた。
公園の広場は、午前中とはうって変わって、大勢の人で賑わっている。家族連れの姿もけっこう目にすることができた。
お花見にはまだ少し早いけれど、こんな麗らかな日曜日に外に出ないというのは、どこかのギター好きな高校生くらいなのだろう。
どの人もいい笑顔だ。季節の移り変わりの節目の今日この頃、誰もが来たる春に希望を持っているかの様だ。そう。寒くて乾燥した過酷な冬ももう終わり。じきに短い春休みがやってきて、それが終わると僕も2年生。…先の学年末試験の結果ならば、この先憂き目を見る様な事はあるまい。
…ん?あ、そうか。新学期になれば文ちゃん先輩も3年生になるんだ。
…進路とかはどうするのかな。彼女の学力ならば国立大学も夢ではないだろう。やはり東京かどこかの大学に行ってしまうのかな。
「どうしたんですか?溜息なんてついちゃって」
当の文ちゃん先輩は、そんな僕の気持ちも知らずにご機嫌な模様。
「…あ?いえ、大した事じゃないです」
僕は愛想笑いするしかなかった。そうだ、それはまだ先の話。その時になって考えればいい。文ちゃん先輩自身がどう考えているのかも分からないうちに、あれこれと考えるのは馬鹿馬鹿しいと思う。
それに…文ちゃん先輩の決めた事ならば、どんな事だって僕は多分納得してしまうだろう。僕が信頼する彼女が決めた事に齟齬はないはずだ。
「信頼」という言葉について考えてみる。
信頼はまずその前に「信用」がないと成立しない。「信用」とは、相手を信じて任せる事だ。
で、「信頼」とは相手を信じて頼る事。
信じて任せられる様な相手じゃないと、頼る事なんてできない。
さっきの一件だってそうだ。あのスキンヘッドに絡まれた僕はこう言った。
『…あの、やめてもらえませんか?でないと…僕の横のまいはにーさんが黙ってないと思います』
文ちゃん先輩とお付き合いをはじめてまだ3ヶ月くらいだけど、彼女の一途で真っ直ぐな性格はよく分かっているつもりだ。「こういう時、彼女ならどうするだろう」なんて事も大抵は想像できるようになってきたつもり。そしてその想像は、大抵は当たっているのだ。
それでも、文ちゃん先輩という、このちょっと気難しい所もある1年年上のまいはにーさんには、まだまだ計り知れない部分が無いわけではない。いやむしろ、まだ僕の知らない面なんてかなり多いだろう。
彼女のご先祖様は、戦国末期に日本にやってきたスペインの異端派の宣教師だという。
彼らは、正道のキリスト教から外れた教義を旨とする一派ではあったが、決して邪悪な神を崇めていたという訳でもなかったらしい。むしろケルト文化におけるドルイド僧の様な、自然そのものを崇拝する原始宗教的な要素を持った物だったという。
紀伊半島、那智勝浦の山奥に居を構え、隠れ里の中でひっそりと暮らしていた彼女の一族・鬼橋家は、明治になって世の中の変化を受け入れた。一般社会にも顔を出す様になった。
そして大正期。一族の本家に、一人の女性が生を受けた。
「魔導」を知る一族の中でも極めて優れた能力を持ったその女性は、長じてゆくうちに「異形」の持つ歪みに感化され、徐々に精神を犯されてゆき…彼女もまた一人の「異形」となり果てた。
彼女の名は「鬼橋 文」といった。
彼女は故郷を去り、「帝都」と呼ばれた東京で夜な夜な邪悪な所業の数々を重ねたという。
その彼女の前に現れたのが、この「セカイ」を統べる「カミサマ」と存在を等しくするという不老不死の女性、剣城鮎子だった。
剣城鮎子に敗れて自我を取り戻した鬼橋 文は、以後、この「カミサマ」の守護者としての使命を受け持つ事になった。そしてそれは、半世紀を過ぎた今も変わらず――
と、ここまでは文ちゃん先輩と、「カミサマ」である当の鮎子先生に聞いた物語だった。
…一介の田舎のギタ―好きな高校生に過ぎない僕には、およそ理解のスケールを軽々と凌駕するレベルのお話だよな。
ましてや、僕は基本的には「オカルト否定派」を自称している身でもある。
「オカルト否定派」ではあるが、彼女たちと知り合って以来、次から次へと降りかかってくる得体のしれない出来事や「異形」どもに、こうも振り回される様になってしまっては、その信念もぐらついてきてしまっているけれど。
僕の信条なんかにはお構いなく、次から次へと不条理で不可思議な出来事ばかりが起こる。
奇奇怪怪、もしくは荒唐無稽と称していい様な珍事件ばかりが。
ビリーヴ・イット・オア・ノット。「信じようと信じまいと」じゃ、まるで好事家ロバート=リプレイの著書じゃないか。
セカイは「異形」で満ちている、か。
その異形どもの根幹が、「カミサマ」の見ている夢の中の歪みだというのなら、全ての源は我が校の養護教諭にあるという事になる。
そんな存在の間近にいる以上、矢継ぎ早に事件が起きてしまうのもむべなるかな。
ばーい、天智天皇。なんちゃって。
化学の授業でも習ったっけ。「ガスの濃度は発生源が最も高い」って。遠く宇宙に想いを馳せても、銀河系の中心には星間物質が集中してるそうだしね。
ちょっと待った。
…おいおい冗談じゃないぞ?それじゃあ、ウチの高校は異形どもの巣食う人外魔境って事になるじゃないか。
まあ、だからこそ、と言っていいのかもしれないけど、「鬼橋 文」の名前を受け継いだまいはにーさんがこの田舎町にいる理由にもなるのだろう。
「鬼橋 文」。その名は「鬼=カミサマ」と「文=ニンゲン」の間に掛けられた「橋」という意味を与えられた存在が受け継ぐ名前なのだそうだ。
その今生の架け橋さんは、どうやら本日をもってロックンロールに目覚めてしまったみたいだけれど。
まったく、やれやれだ。こんな壮大な背景を前にして、これからの事を考えるだなんて、この僕風情にゃあ荷が重い。
荷が重いから、今はただ、文ちゃん先輩という稀有の彼女さんとの日常を謳歌してゆこうと思う。
ふとステージの脇を見ると、例のヘビセンター…いや、水嶋真悟君率いる高校生ロカビリーバンド、ザ・スネイク・センターのメンバーさんたちが、地面に座り込んで昼食を取っているのが見えた。
ああ、なるほど。彼らと一緒にいる女の子が、どうやら水嶋君の言っていた「ねーちゃん」なんだろうな。もう一人の年配の女の人は…お母さんかな?
あはは。クールなロックンローラーが、ご家族と一緒に仲良くお弁当をつつき合う図というのも何だかほのぼのとするなあ…って、あれ?あの女の子って…どこかで…?
「…む?」
僕の横にいた文ちゃん先輩も、どうやら同じ疑問を抱いたらしい。
向こう側も、僕たちの姿に気がついたらしく、その女の子がこちらに手を振っている。
「かーいちょ!それに志賀くーん!こっちこっち!」
いつもの様に、手を振るというよりはブン回す様な勢いの元気いっぱいなポニーテールの女の子は――
「しっ、真子!?」
僕より先に、文ちゃん先輩の口からその名前が飛び出した。
水嶋真子。鬼橋 文生徒会長率いるわが県立業盛北高校生徒会の栄えある書記さんだ。
文ちゃん先輩より1学年下、つまりは僕と同学年。クラスは違うけれど。
あ、そうか。「真悟」と「真子」。二人は双子の姉弟という事なんだな。
真子さんは向こうからこちらに駆けつけてきた。相変わらず忙しい子だと思う。
「真子?何でここに!?」
文ちゃん先輩は、どうやらまだ事態が呑み込めていないらしい。
「あ、今日は弟のライヴだったんですよ。真悟から聞いたけど、志賀くんも出たんでしょ?」
「あ、うん」
「初ステージなのに、なかなか凄かったんだって?」
「いやあ…それほどでもないけど」
「む…むむむ?すると、あのヘビセンターのギター氏は、真子の双子の弟君という事か」
「あれ?前にも言いませんでしたっけ?ウチの双子の弟は、前橋の私立に行ってロカビリー・バンド組んだって。たしか真悟って名前も言ったと思うけどなあ」
「わっ、私は最初から気づいていたぞっ!?」
腕組みをして小さな胸を張る文ちゃん先輩だった。
嘘だ。彼女とお付き合いしはじめてまだ3ヶ月だけれど、この一途で真っ直ぐで意地っ張りなまいはにーさんの考えている事くらい、何となく分かってしまうくらいにはなれたと自負している。もっとも、今の彼女の素振りを見れば、誰だって気づきそうなものだけど。
「あたし、お弁当作ってきたんですけど、かいちょもご一緒にどうです?」
「あー、いやすまない。たった今、私たちも昼食を済ませてきたばかりなんだ」
「あ、そうなんですか。でも、あたしのお弁当も、とっても美味しいんですよ?」
そういえば、真子さんの料理の腕前もなかなかの物だと、前に文ちゃん先輩も言っていたっけな。
遠くにいるヘビセンターさんたちを見ると、彼らもこっちこっちと手を振ってくれている。
「…文ちゃん先輩。せっかくですし、ご厚意に甘えて、ご相伴に預かりませんか?」
「む…そうですね。あそこにおられるご母堂にもご挨拶せねばならないし」
「へ…?お母さん?」
「ほら、あそこで弟君たちとお食事されている方だ」
「ほえ?あ…あれは…」
なぜか返答に戸惑う真子さんをよそに、文ちゃん先輩はぐんぐんとヘビセンターさんたちの所へ歩いて行ってしまった。
…もしかして、さっきの失態を取り繕おうとしているのかもしれない。
「ちょ、ちょっとかいちょ!」
僕と、どういう訳か狼狽する真子さんも彼女の後について行った。
「はじめましてお母様。業盛北高校生徒会長、鬼橋 文です。いつも真子さんにはお世話になっております」
多少は虚勢を張っているとはいえ、そこはしっかり者の文ちゃん先輩、きちんと礼儀正しくお辞儀をしたのだが、相手のお母さんはきょとんとしている。
…ちょっと疲れた感じの女性だった。歳は…そう、だいたい50代くらいかな。
「あの…かいちょ?その人はウチのお母さんじゃなくて…」
「あ、キミコっすか?これ、自分の彼女っス」
「「はぁ~~~~~!!??」」
僕と文ちゃん先輩の声は、それはそれは見事なハーモニーとなったのだった。
「い…え…?彼女さんって…歳の差とか…え?あれ?…むむむ…?」
あらま。文ちゃん先輩ってば、完全に混乱しちゃってる。まあ、僕も同じ様なものだけど。
「…そ…そうですよね…こんなオバサンが真悟君の彼女だなんて…おかしいですよね」
キミコさんは俯いてしまった。いけない、ちょっと失礼な事を言ってしまったかもしれない。
「何言ってる!キミコは俺の女だ!誰が何と言ってもそれは変わらねぇ!!」
水嶋君はそう言うと、公衆の面前にもかかわらず強引にキミコさんの唇を奪ってしまった。
すぐに頬を赤らめてうっとりとするキミコさん。そんなキミコさんの唇を塞いだまま、水嶋君は横目で僕たちを見ながら、グッド!と親指を立ててガッツポーズ。ウィンクもサマになってる。
うわー。さすがはロックンローラー。女性の好みから言動に至るまで、どこをとっても世間一般の「常識」から逸脱しておられる。
こ…これが「ロックンロール」というモノなのだろうか?だとしたら、僕の理解を超えている。ロックとは奥が深い。深過ぎる。
「『ろっくんろーる』とは実に奥が深い物なのですね。私、浅はかにも、もう理解したつもりになっていました。反省します」
横では愛しのまいはにーさんも、僕とおんなじ感想を抱いていたのだが、
「…いえかいちょ。真悟のはちぃーっとばかり特殊な例ですってば」
そのロックンローラーの実姉さんは、即座に否定していたけれど。
そんな時、ステージから耳心地のいい、穏やかなメロディーが聴こえてきた。
クラリネットをメインに、ホーン・セクションが優雅な雰囲気を醸し出す、誰もが一度は耳にした事がある曲。
「あ…この曲って…」
「グレン=ミラー楽団の『ムーンライト・セレナーデ』ですよね。私、この曲大好きです」
文ちゃん先輩も目を閉じて、うっとりしながら曲に浸っているみたいだ。
ああ、午後の部が始まったんだな。ステージには御揃いのジャケットを着た十数人の年配の方々が整列して、穏やかながらも情熱を感じる、古き良き名曲を演奏していた。
僕はポケットから折りたたんでおいたパンフレットを取り出してみた。
「利根川ジャズ・オーケストラ…かあ。こういうのもいいなあ」
パンフレットの解説によれば、このバンドは、どうやら前橋市在住のセミプロの方々の有志による楽団らしい。結成は昭和46年で、現在は総勢17名との事だ。
商業ベースではないものの、県内や近隣の県でイベントがあると、依頼を受けて演奏しているみたいだ。
平均年齢は40~50代。どの方にもキャリアを重ねてきた貫禄という物が感じられる。
手にする楽器こそ違えど、僕もいつか彼らくらいの年齢になっても、音楽に対する情熱という物を持ち続けていたいな。
ステージから聴こえてくる、嫌味もなく純粋に心地よい良質の音楽。
2曲目の「イン・ザ・ムード」では、僕の周りの誰もが曲に合わせて体を揺らせていた。
「茶色の小瓶」に「チャタヌガ・チュー・シュー」もいい。「ペンシルヴェニア6-5000」では、コーラスの部分を僕たち観客も一緒に「ペンシルヴェニア・シックス・ファイブ・オー!オー!オー!」なんて合掌していた。
僕たちは芝生の上に座り込んで、曲に聴き入っていた。
気がつくと、文ちゃん先輩が僕の肩にもたれてきて、瞳を閉じていた。
彼女も聴き入ってるのかな、と思ったのだが、耳を澄ますと、すやすやという可愛らしい寝息が聞こえてきた。
春まだき。うららかな午後に、彼女とこうして良質な音楽に浸りきるのも悪くないな。
僕はすやすやと眠る文ちゃん先輩の肩をそっと抱いた。
心なしか、文ちゃん先輩がかすかに笑った様にも見える。
およそ1時間、約15曲の演奏項目の最後は、こちらも優雅な「サンライズ・セレナーデ」だった。
「月の光」にはじまって「朝日の煌き」で幕を閉じるなんて、何と洒落ている事か。
曲が終わり、初老のダンディなバンド・マスター氏が無言で一礼すると、会場からは割れんばかりの拍手。
当然の如く湧き上がるアンコールの声。
するとバンマス氏はまたも無言で頷くと、それを合図に再び「イン・ザ・ムード」がはじまった。
『本日はどうもありがとうございます。ではここでメンバー紹介を…』
バンマス氏はここで初めて口を開いた。外見にふさわしい、渋いいい声だった。
各パートのメンバーさんは、それぞれ名前をコールされるとにこやかに一礼。
こういう所にも貫禄を感じてしまう。
…いくら今日が初めてだったとはいえ、僕の終始オロオロしっぱなしだったステージとは大違いだ。
再び割れんばかりの拍手を背に、メンバーさんたちが退場してゆく。
『利根川ジャズ・オーケストラのみなさんでした!』
司会の新人声優さんの声も弾んでいた。
うん。いい時間を過ごさせていただきました。僕も心からの拍手を贈らせていただいた。
『はーいみなさーん!次はうって変わって硬派のロック・バンドの登場でーす!』
ほほう。次も楽しみだなあ。
ステージの後ろから、何人かのスタッフさんらしき方々が登場してきて、機材をセッティングしたりマイク・スタンドの高さや角度を調整している。
その中には、ちょっと年配の、どこか冴えない様な風貌の人もいた。それでも年配さんはかなり手慣れた様子で、マイク・スタンドや数々のケーブルを配置してゆく。
こういう手際も凄いなあ。こういった裏方さんも、プロのミュージシャンたちの演奏を支えているんだな。
自分の両親も含めて、僕は「職人」という方々には敬意を持っている。
それがどんな職種でも変わらない。人よりもはるかに優れた、専門的な技術を習得するまでに費やしたであろう、多大な時間と労力には、純粋に頭が下がるのだ。
ややあって、どうやらセッティングも終わったらしい。年配さんがOKのサインをしてみせると、司会のお姉さんはマイクを手にした。
『ではみなさん!お待たせしました!先日デビューした、超強力な新人バンド、『ブラッディーオーガ』の登場でーす!』




