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神と怪獣としての世界  8

 

 *

 

 週が明けて月曜。

 クラスに転入生が来た。

 可愛い女子や格好いい男子が突然転入してくる話はよく聞くけど、実際経験したことはなかった。転入生が来たこと自体、小学校から数えても一、二回しかなかった。

 クラスは微かにどよめいた。先生の隣に居る転入生に、みんなの視線が注がれた。

 可愛い女の子への、自然な反応だった。とくに男子の興奮は無言の空気の中でもわかった。

「羽前杏奈です。両親の仕事の都合で転校してきました。宜しくお願い致します」

 もちろん紹介文は嘘だと思う。

 というより、僕は別の意味で、視線が釘付けになっていた。

「羽前さん」の外見は、どう甘く見てもロボットだ。

 短い尻尾があるので、恐竜型のロボットと言えるのだろうか? 

 メタリックグレーの金属製。樽のような体形。短く太い手足。

 背は百六十センチくらいで、スタイルは五頭身。

 腕、首、足など至る所にボルトが沢山嵌められ、金属を継ぎ合わせた感が満載だ。喋ると黄色の目がチカチカと光った。

 ロボットの顔の横には羽前さんの顔写真でできたお面が貼られていた。証明写真を引き伸ばして貼っただけの物に思える。

 そんなロボットが、無理やり制服を着ていた。見るからにぱっつんぱっつんだ。特注の制服だと思う。

「羽前さん」は、がちゃがちゃと重い足音を立て、言われた席に座った。廊下に近い席で、僕の席からは離れている。

 どう見てもロボットである「羽前杏奈」さんを、クラスの人達は人間と認識している。

 可愛い女の子だとすら思っている。

 もちろん、羽前さん本人の仕業だろう。神の能力で身代わりのロボットを作り、送り込んできた。そんなところか。

 理由は、……正義任務のため、だろうか?

 

 羽前さんの噂はすぐに学年じゅうに広がった。もちろん、いい意味の噂だった。スポーツ万能で成績優秀。家は有数の資産家で実業家。おまけに美人。そんな噂の数々が既定事実レベルで語られた。学年じゅうから、畏れられ、敬われた。

 そんな特別な転校生の出現に面白くない女子とかも多いんだろうけど、表立ってやっかんだ顔をしたのは、委員長の関山さんくらいのものだった。もちろん関山さんも各種成績には覚えがあったからだ(ちなみに関山さんは容姿でも、S系のメガネっ娘を好む一部男子からは高い評価を得ているようだ)。

 というわけで、羽前さんは転入と同時に、物語の「ヒロイン」のような地位を手中にした。

 まあ外見はロボットなんだけれど。

 そういう不自然な環境変化は、羽前さんが神だから起こせるのだろうと思う。



 昼休み、僕は四階にある「規制委員会会室」という部屋に呼ばれた。

 部屋の棚には資料やファイルが無数にあり、長机が長方形に並べられていた。

 奥には一つだけ立派な椅子があり、そこに羽前さん(※ロボット)が座っていた。

「どうぞ、掛けてください」

 羽前さんの声で言った。鰐のような形をした機械の口から羽前さんの声がするのは変だ。

 僕は部屋にたくさんある普通の椅子に座った。

「おととい別れた時、することがあるって言ってたけど、このこと?」

 僕はロボットを指差した。

「はい。近くに居たほうが、連絡が密になりますから」

 やはり、正義任務のためらしい。たしかに、羽前さんとは連絡が疎遠になりがちだった。これなら頻繁に連絡を取ることができる。けれど、そのためにロボットなんて造ったのだろうか。

汎用機械ポータルは無いの?」

「あたしは過去の不登校時代が要因で友達も居ませんし、神の能力で生活環境も構成できますので、汎用機械ポータルは持つだけ無駄なのです」

「……ところで、きみは羽前さん本人とは違うよね?」

「遠隔操作です。4Rの七つほど前のプロトタイプを流用したのですよ。学校に置いておけば、いつでも祐一と連絡が取れますからね。あたしの本体は、現在、町内の基地に居ます」

 この人も泉さんと同じで学校には来ないらしい。最近の女子は学校に行かない人が多いのか。

「学校には来ないの?」

「暇がありません。基地の仕事が忙しいものですから」

 羽前さんは自分のバッグからペットボトルの水を出した。片手でボトルを持ち、片手を蓋に被せると、キュイイインと巻き上げ音がして蓋があいた。

「どうぞ」

 ボトルが机に置かれる。

 僕は羽前さんと顔を見合わせる。水を飲み、もう一度見る。出来のいい恐竜型とは言えない。製作の途中で精魂が尽きたのを示すように、鼻先が潰れて曲がっている。もっとも、だからプロトタイプなのだろうけれど。性別はあるのかな。ブレザーとスカートだから、一応は女なのか。

 この無骨な恐竜型ロボットを本物の羽前さんと勘違いするわけがない。転入当日に「最高のヒロイン」のキャラが確立されるに至っては、もっとあり得ない。

 だけど、それは現実に起こっている。生徒たち全員の既定事実となっている。 

「君をみんなが人間だと信じ込んでるのは、たぶん、神の力だよね?」

「ええ、そうですね」

「どうしてこんな集団催眠みたいな事ができるの?」

「それは、民衆は有能な集団被催眠者だからですよ」

 羽前さんは黄色の細長い目をチカチカさせ、喋る。電球が内蔵されてるらしい。ギミックが細かい。光の刺激か、やや脳がクラクラする。

「学校があるから来る。授業があるから出る。テストがあるから受ける。部活があるからやる。誰かが男女交際しているからする。ただあるからやる。受け入れる。これらのどこに、厳密な論理性があるのですか? もとから催眠に掛かっていると言えるのではありませんか?」

「なるほど、言われてみると、それはそうかもね」

 ふつうの生活が催眠的であることは、考えたこともなかった。

 というよりも、考えないでも流れていくものが、ふつうの生活だと思った。だからまあ、催眠的と言われてみれば当然のことか。

「あたしがやった事は、催眠の方向性と度合いを少しばかりチューニングした程度です。夢を見ている人間に夢の続きを見させることほど容易なことはないのです」

 たしかに、それはそうだ。理屈としては良く理解できる。

 けれど、実際に技術的に可能かというと、話はまた別だ。

「そんなこと、できるの?」

「言ったでしょう。この町は基地の基盤となっています、と。町全体が神の力を極めて通し易い構造体となっているのです。通称を『MECCS(メックス)』と呼ぶシステムです。神そのものである人間や、『塾』に関わったような特殊な人間でないかぎり、通用します」

 基地というのは、羽前さんの神の力が具現化したデバイスだ。

 つまり、この町全体が、羽前さんの基地の影響を免れないということらしい。事実、今日のできごとを見る限り、そうなっているように思える。

「『MECCS』っていうのは、また、『IB(イキアタリバッタリ)法』みたいな略称?」

「いいえ。Multiple Endralling Crazy - Clawling System の頭文字を繋げたのです」

「今度は複雑なんだね」

 やっぱり謎めいたセンスだ。

「ところで、正義任務の件ですが。訓練の進捗具合はいかがですか?」

 訓練。

 あのシートの暗記のことだ。

 言いにくいけど、全然手をつけていない。シートをもらってから、見返しすらしていなかった。泉さんとX山に行ったりしていた。しかも、その帰りを見られるなど、良い話はできない。ロボットの顔が、迫力を増して見える。

「ええと……。ごめん。まだ、あんまり」

「そうですか。あたしとしては、今日からでも基地に泊り込んでいただきたいところでしたが」

 ロボットは正面を向き、机に機械の手を組む。指は四本なんだな。親指が無いんだ。

 羽前さんは、泉さんと一緒に居た事には触れなかった。遊んでる暇があったら訓練して下さい。そう言うつもりなら、言えただろう。でも、見かけの態度ではいつもと変わっていなかった。

 正直、羽前さんがロボットの外見に変わっても、雰囲気的には違和感が無かった。

「では、基地に来る目途は、いつ立ちますか?」

「うーん。ちょっとまだ」

 シートを見てもいないから、今すぐ基地に行っても何にもならないのは確実だった。

 あのシートの量だと、一夜漬けを続けても一週間は掛かるだろう。いや、一週間でも完璧には暗記できないだろう。どうせ百%の仕上がりが難しいなら、一週間だろうと三日だろうと、似たようなものかもしれない。

 たぶん、暗記と同じくらい、実際にロボットを操縦することも大事になると思う。楽譜だけ見ていても楽器は弾けないように、実践の場で失敗と調整を重ねて仕上がる動作もあると思う。

「あと四日、待ってくれない?」

 僕はタイムリミットを四日に決めた。シートの演習の時間は実質三日間になる。締め切りを設けないと、勉強はしないものだ。あまりダラダラとのばしても利点は多くない。冷静に計算すると五日は欲しかったけれど、シートを忘れて泉さんと山に出掛けた罪悪感が短くさせた気がする。

「四日、ですか。しょうがないですね。わかりました」

 ロボットは立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。

「話は、終わりです」

 ちょうど予鈴が鳴った。あと五分で昼休みは終わる。羽前さんは「規制委員会会室」の鍵をかけた。

 クラスが同じなので、自然に僕達は一緒に戻ることになった。並んで歩いてるだけで廊下の視線が集まる感じがあった。

 教室に入った時、羽前さんが言った。

「では、四日後、きっと泊まりに来てくださいね」

 クラスの視線が集中した。

 羽前さんは自分の席に戻る。いや、彼女はロボットのわけで、実質的に注目を浴びてるのは僕だけだった。たぶん羽前さんは確認しただけのつもりだろう。けれど場面が良くない。この学校では、羽前さんは「ヒロイン」とされている。色々な種類の注目が集まる。ふつうの一生徒の僕は、「ヒロイン」からは特別なセリフを掛けられてはいけない。僕は黙って自分の席についた。

「ふっ」

 北東君が「全て知っている」というような深みを湛え、笑った。

 これからの学校生活が、ちょっと思いやられる。

 

 

 昼休み以後、僕はふつうより多くの視線を浴びた気がした。授業中、ふと顔を上げると、知らない人に見られてたりした。大半は好奇の目で、たまにとげとげしい目。

 放課後。

 羽前さんはまた、僕のところに来た。

「先に帰ろうと思います」

「う、うん。ところで、なんでわざわざ?」

「あなたに挨拶せずに帰るのはどうかと思いまして」

 ざわ、と教室が波立った。

 言ってることは正しい。羽前さんの実質的な知り合いは、ここでは僕だけだ。知り合いに挨拶しないよりは、したほうがいい。そういう意味だろう。けれど、教室で言われると、違う意味に取られる可能性がある。

 いや、昼休み以後、既にそうなっている感じもある。

「訓練の件、よろしくお願いします」

 ざわめきが増す。クラスの人達の囁きが聞こえる。訓練……? なんの訓練? なんであいつが? あの羽前さんが、頭下げた。

 ふつうの人に羽前さんがどう映っているのか、僕には知りようがない。制服を着てお面を貼った五頭身のロボットに大真面目に話し掛けてるようにしか映らないのだから。どんな超絶キャラクターに設定されてるのか知らないけれど、できるものなら、神の力を加減してほしかった。ふつうに会話するだけで注目されるのは、僕にとっては有益な点は無かった。

 羽前さんは僕を凝視して言った。

「楽しみにしています」

 ざわめきが止まった。クラスの人達の熱気が上がったのを感じた。僕はその反応に恥ずかしくなった。クラスの人達には「美人の転入生の意味ありげな言動」に見えているのかなあ。色々と間違ってる。まず、意味のないことを言っても意味ありげに思えるのが美人というものだ。もっとも羽前さんの場合は完全に逆で、意味のあることしか言わない人なのだ。伝えたいことだけを簡潔に伝えるのが羽前さんの仕方だ。簡潔すぎて説明不足の感を与えることもあるし、知らない人には意味ありげにも聞こえると思う。

 背中に裏拳を捩じ込まれたような鈍痛がした。

 振り向くと、その通りだった。関山さんが僕の背中に手の甲を押し当てている。

「さっさと移動しなさいよ? 今週は教室じゃないわよ」

 僕が話を掴めないでいると、関山さんはギュッと顔つきをきつくした。掃除の話かなと気付く。僕は全般に関山さんに目を付けられている。とくに掃除は脱け出した前科があるから厳しく監視されてる。

 関山さんは、今度は羽前さんに向き直り、冷笑を込めて言った。

「あなたも、どんな人間と付き合おうと私は興味も覚えないけど、学校生活の日常の流れを乱すことは謹んでもらいたいわね。『規制委員会部会長さん』? せっかくの肩書きを自分の言動で貶めるような真似はしないことね」

 関山さんの目は険しかった。二人は無言で対峙した。教室は冷や水を浴びせた雰囲気だった。関山さんは本気で怒っていて、羽前さんが何か言えば論戦は必至の空気だ。

「規制委員会」って何だろう。昼休み、羽前さんに呼ばれた場所が、その委員会の部屋だった。関山さんが属する何だかの委員会とは別か、敵対関係なのか。もしかすると上の組織か。関山さんが不快に感じているのは間違いない。高く強い地位と肩書きを、羽前さんは超絶キャラクターの一部に織り込んでいる。関山さんが鼻先をくっつけるように恐竜型ロボットと見詰め合う構図は異常に微妙で、僕はあまり見れなかった。

「――了承しました。学級委員長、そして、風紀委員副委員長の、関山夏実さん。あたしが反風紀的存在と映ったならば、謝らなければなりません」

 羽前さんは反論せず、機械的に答えた。機械だけど。

 学校内のどんなことにも、生徒の口にするいかなることにも、羽前さんは意味を見出してないはずだ。だから、受け流す。現状そのままを「保存」する。

 彼女に意味があるのは、怪獣と戦う事業、ただ一点だけ。

「ところで、訂正しておきますが、あたしは部会長ではありません。参与です」

「どうでもいいわ、そんなこと! 知るわけもないわ。そっちの常識がどこでも通用するなんて思わないでよね!」

 関山さんは呆れたように怒鳴った。

「では、帰ります」

 羽前さんは早急に回れ右をし、出口へと向かう。ガシャ。ガシャ。ガシャ。あの足音が、クラスの人達には、全然聞こえていない。

「往くか。ユージ」

 北東君の重厚な声が響き渡った。僕は前方の壁を見た。今週の当番は音楽室だ。四階の端だから遠い。僕は北東君の歩幅に合わせ、早足で歩き始めた。

 

 *

 

 学校の掃除なんて手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。けれど僕達の班にはその選択は無かった。

 関山さんは僕たちが不真面目に生活することを嫌悪していた。僕たちの学校生活が正常に運ばれるよう、目を光らせていた。

 関山さんは正しい人だ。言うこともやることも全部、彼女くらい正しい人は見たことがなかった。風紀委員(羽前さんの指摘で初めて知った)だからなのか。それとも、正しいから風紀委員なのか。とにかく、関山さんの正しさは異常なくらいに徹底してて、授業中、説明を端折ったり板書を間違えた先生に、挙手して注意することもよくあった。

 関山さんは、僕らが正常の生活から逸脱しないか、いつも神経を尖らせた。彼女の静かな気迫は、同じ班の僕たちにも伝わっていた。気に留めていなかったのは、北東君くらいのものだ。

 ただ、関山さんが考える「正常」のラインは、ふつうの人が考えるそれとは合っていないんじゃないかと思える。

 掃除もその一つだ。関山さんが目指す掃除のクオリティは、毎日学校でする掃除の水準を明らかに超えていた。その自覚が無いのは北東君と本人だけだと思う。

 北東君は何というか生活を武道の修行みたいに捉えてるところがあって、ものの見方がふつうとは違うので論外だから置いておこう。

「自分の部屋だったら手抜きして掃除しないわよね?」

 最初の掃除の時、僕たちを前にして、関山さんは語った。

「学校だからって手を抜いて掃除するような人間は、人生の大事な場面でもきっと手を抜くわよ。それは卑怯者よ。周りにそんなやつらが居ると思うと気色悪いわ」

 僕は、自分の部屋はだいぶ大雑把に掃除しているけど、それは言わなかった。

 関山さんが言うことは正しい。反論を寄せ付けない正しさがある。ふつうの生活も、正しくやると、関山さんのようになるのかもしれない。

 そして、関山さんが同じ班に居る日常は、僕にとっての、ふつうの生活だった。

 音楽室は広いから、掃除もまた大変だった。みんなは掃除機をかけたり水拭きをしたり、北東君は背を生かして窓を拭いていた。たまたま関山さんの近くに居た僕は、ゴミ捨てを指示された。

 ゴミ置き場は校舎から離れた場所にある。外に出ると、吹雪いていて結構大変だった。外を進む除雪車の黄色い光がかろうじて視認できた。四階の音楽室に戻る頃は、体に着いた雪が水になってしまった。

 関山さんだけが居て、ピアノを拭いていた。

 表面の脂汚れが消えるまで熱心に乾拭(からぶ)きをしていた。

「ちょっと、水、(こぼ)さないで。そこに立っていなさい。ハンカチぐらい携帯しなさいよね」

 関山さんは僕の所に来て、ゴミ箱を取り上げた。

 僕は訊いた。

「みんなは、どうしたの?」

「一通り終わったから帰らせたわよ。今日は雪も一段と凄いし……。こういう日は」

 言い掛けて、関山さんはふと窓を見る。

「あんたなら、こういう捨て方をやると思ってたわ。もう一回、やり直し」

 僕はゴミ箱を突き返された。関山さんはゴミ箱の底にこびり着いたホコリの塊を示した。

 何と言ったらいいか。うちの班ではよくある事だった。

 再度外に出ると、何台目か知らないけれど、また除雪車の黄色のランプが通って行った。どこかのスピーカーから、いつもの不協和な音楽がたなびいている。

 そういえば、何となくネットの質問サイトのログを漁ったら、あの音楽の種類が分かった。「PPM」……プログレッシブ・プログレッシブメタル、という音楽らしい。近来、爆発的な人気の兆しを見せるジャンルだと書いてあった。代表的なバンドの名前とかも書いてあったけど、詳しくは読まなかった。

 完全にゴミ箱を空っぽにし、手を洗ってから音楽室に帰ると、誰も居なくなってた。関山さんも帰ったようだ。乾拭きしていた雑巾が絞られ、干してあったから。

 教室へと戻っている途中、学校では初めて聞く音が鳴り渡った。

 怪獣警報、だった。

 外で聞くものと同じだったけど、外よりもひどくけたたましい。ボリュームが調節されていなかった。それとも、内側からは調節できないようにされてるんだろうか。

 

 ゴ注ゴ注ゴ注意注意注意クダサクダサクダサクダサイ。。。 ――――


 何重にも反響して気持ちが悪くなる。もう校舎には用は無いし、早めに帰ることにしよう。

 いやまてよ。怪獣が出たら困るから、校内に居た方が安全なのか。

 ところで、正義業務はどうするんだ?

 僕は一応正義の味方の側。ということは、避難するんじゃなく、怪獣に対処する側のはずだ。

 でも今の状態では役に立たない。シートの暗記もまだ始めていない。羽前さんも今は学校には残っていない。ということで、正義の味方として実施できることは何も無かった。

 ……ん?

 違和感を覚え、立ち止まる。

 クラクラ。

 建物が軽く、揺れていた。

 気のせいか? 僕は額に手を当てる。自分のめまいではない。

 クラクラクラクラクラ。

 揺れが大きくなっている。今はもう、揺れているのがちゃんと分かった。地震の震度が増す感じだった。うちのような木造の古い家なら強風で揺れることはあるが、学校では不自然だ。

 グラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラ。断続的に揺れていた。震度は2くらいだろうか。強まる気配は感じないが、収まる気配もない。怪獣警報が鳴って、そして、この揺れだ。強くはないけれど、鳥肌が立つような、いやな揺れだった。僕は骨が絞まるような緊張感を覚えた。

 ――震源が遠くない場所を這っているような感覚。

 もしかすると、震源は怪獣だったりするのか? 

 いや、でもまさかね。

 僕は教室に急ぐことにした。よくわからないけど、バッグを取ったら家に帰ろう。そう決めた理由は謎だったけど、とにかく帰ることに決めたから、急ぐことにした。

 

 

 

 第五高校の長い廊下を早足で歩いている少年が居た。

 窓の外では、嵐のように雪が乱舞していた。よく見ると、黒いビルのような巨大な影が流れるように動いていた。

 影は自動車よりは遅く、だが少年が歩くよりずっと速い動きで、景色の外へとフレームアウトした。

 

 

 

 階段を降りる途中、違和感に気付いて、僕は足を止めた。

 光と音が漏れていた。

そこは、二年生のフロアだ。

 違和感は、階段のすぐそばの教室かららしい。僕は静かに、教室へ近付いて行った。

 ……あ。

 違和感の正体はこれだ、と分かった。

 濃厚な紅茶の香りがした。

 湿気と温かみを帯びた匂い。なのに、乾燥した茶葉の凝縮された香りも、そのまま出ている匂い。

 教室の引き戸は最初から開いていて、ゆらりと長い髪が横切ったのが見えた。

 その金髪を見た記憶が蘇ったのは、ドアのところでその人を確認したタイミングと、ほとんど同時だった。

 その人は独りで教室に残っていた。

 入学して間もない時、校門のそばですれちがい、道を訊かれた人だ。

「あら、あなたは」

 耳に心地良い声がした。

 その人は、お茶を淹れているところだった。部屋全体にいい匂いが充満している。教室の殺風景さを忘れるほどだ。

 そういえば、この教室では怪獣警報が鳴っていない……。

「こ、こんにちは。すみません。音がしてたので」

 息が切れる。早足で歩いていたのと、覗き見たような戸惑い。

「それはおそらくわたしくですわね。幽霊は存在の相が違うから、ここに居たとしても、ふつうの人間には音が届かないでしょうし」

 先輩はティーポットを置き、僕に近付いて来た。

 そのまま出て行ってしまった。

 廊下を折れて、姿が消えた。

 僕は、狐につままれたように、教室に立っていた。

 机に置かれた湯飲み――ティーカップではなかった――からは、とても芳醇そうな紅茶が湯気を昇らせている。窓の外、轟々と吹雪いている天気とは全然違う。別の空間みたいだ。

 教室からすると、あの人は二年生らしい。幽遠な笑みや半透明とも思える白い肌は、どこか人間を超越したような空気を演出している。すると、たおやかな長い金髪も狐のようにも思えてくる。この教室にも妖術が掛かってるようにも見えてきて、狐に「包まれてる」感じがした。

「どうぞ飲んでいってくださいな。給湯室から持って来ました」

 唐突に声がして、湯飲みを捧げ持ったその人が立っていた。

 うわ、びっくり。

「怪獣警報も鳴っていることですし、出ないほうが良いかと思いますよ?」

 机の向かい側に椅子をひとつ置き、言った。仏像のような普遍的な笑みが、心をほんわかと落ち着かせてくれる。たしかに急いで帰る理由は無いことに気付いた。提案に甘えさせてもらうことにした。

「ありがとうございます。じゃあ」

 僕は床にバッグを置いて椅子に座る。

「でも、この教室は警報は鳴ってないですね」

「ええ。教室の警報はスイッチで切れるんですよ」

 その人は前方の壁にあるボリュームツマミを示した。

「わたくし、引込完(ひきこみあまね)と申します。どうぞ」

 ティーポットから注いだ紅茶を湯飲みに淹れ、渡してくれた。

「いただきます」

 僕は一礼してから飲む。旨い。紅茶の味は知らないけど、旨かった。酸味と渋味と枯れた香りが、縒り合わされて喉を抜ける。想像した以上の細やかな香りが脳をほぐしてくれる。

「あ、と、僕は伊福部、祐二です」

 最近は自己紹介の時も誤ることは少ない。異変後の名前を言うのも慣れた。

「ほんとうですか?」

「え?」

「……なんでもありません。言ってみただけ。気にしないで」

 引込さんは訊き返した。ふわふわの微笑は、いたずらっぽさじゃなく、羽根のような軽さと透明さだった。

 もしかして僕の本当の名前を知っているんだろうか? でも、どうして? それに、どうやって知るんだろう? 僕はそう考えてみた。けれど、僕の名前なんか知ることに意味があるとは思えなかった。引込さんは浮遊感に満ちた笑みで自分のお茶を飲んでいる。その様子は、ほんとうに「ただ言ってみただけ」にしか見えなかった。

「この時間の学校って、人が適度に居る感じが魅力的と思いませんか?」

「はあ」

 適度……かな。

 誰も居ない気もするんだけど。

 ただ、引込さんとお茶を飲める時間については、間違いなく魅力的だと思う。雰囲気に裏表が無いのが、すごく特徴的だ。こだわりや自意識がこんなに少ない笑顔をする人は、めずらしいと思う。

 ついでに言うと、もう少し大きかったら目のやり場に困るほど胸が大きい。

 一対一で相手をしてもらえたなんて、僕はラッキーだ。感謝と同じぐらいに、恐縮だったけど、それも何となく愉快に思えて。

「よく学校に残ってお茶を飲むんですか?」

「お茶はよく飲みますわ。でも、残ってるわけではありませんよ? 最初からお茶のために来ているのですから。わたくしは引き込もりなのですわね」

 引き込もり? たしかに出不精になる心理は解る。毎日、雪なのだから、登校するのが億劫な時もある。引込さんに最初に会った時は放課後だった。たしかに、その時間に登校して来た雰囲気があった。

「今年度になってからは、授業の時間に教室に居たことは一度もないですね」

「はあ」

 なにげなくお茶を啜ってから、どこかおかしいと気付いた。

 それって真性の引き込もりじゃないか。億劫とかいうレベルじゃない。

「それは冗談ですか?」

「冗談は言いませんよ。冗談は世界じゅうに溢れていますもの。だからわたくしだけでも事実を伝える者でありたいと、そう願っていますわ」

 そうですよね。

 最初から、引込さんは冗談を言いそうな人には見えなかった。

 ……とすると、真性の引き込もりである事実に対し、僕はどう反応したらいいのか?

「それって、単位取れるんでしょうか?」

「それが取れたんですわね。一年生の単位についてはね」

 とりあえず、興味があったから、ふつうに訊いてみた。引込さんはふつうに答えてくれた。参考になった。

 さて。

 引込さんはほんとうにお茶のために学校に来てることが判った。

 道理で、旨いわけだ。

「……二杯目、いいですか」

「まあ。喜んで」

 いかにも茶飲み話という、朗らかな空気が、ここにはあった。

 引込さんの紅茶は、幸福な香りがした。

 

 

「そうだ、祐二さん、あなたには会いたいと思っていたんです」

 引込さんは静かに手を叩き、席を立った。

 均整がとれたスマートなスタイルが明確になる。輝くような迫力を感じると言ってもいい。骨格も肉付きもバランスがいいんだと思う。美術品が生命を吹き込まれて動いたら、こんな感じという気がする。

 引込さんは、自分の机らしき場所から、薄ピンクのクリアファイルを持って来た。

「あら……。三枚あったはずなんですけど。落としちゃったみたい」

 そんなことを呟き、傍に立ってる引込さんは、思ってたよりずっと小さい。スタイルが良くコンパクトな体をしている人なのだ。

「二枚しかないですけど、よかったらお友達と行って?」

 長方形の紙を二枚、渡してくる。

 僕は紙を手に取ってみた。

 こう書かれていた。

【SNOWBLOOM live at Dreamtheater】

 これは……チケット? 

 ライブのチケットだ。

 SNOWBLOOMというバンドの名前は見た覚えがある。町のBGMのジャンルをネットで調べた時、PPM(プログレッシブ・プログレッシブメタル)の有名バンドが列記された欄に、このバンドの名前もあった気がした。だとしたら、有名なバンドなんだろう。

 たぶんチケットも高額で貴重なはずで、もらうわけにはいかない。第一、僕がもらういわれがない。

「こないだのお礼です。あなたにあげるつもりで用意していたんです」

「お礼って……。僕は何かしましたっけ?」

「もちろんですわ。道を教えてもらいました」

 道を教えた? ……いや、学校の敷地で学校の場所を訊かれただけで。教えられるのも当然だ。

「だけどこれ、引込さんのだったんじゃないんですか?」

「気にしないで。わたくしの分はありますし、あなたにあげたかったんです。道を教えてもらった時、わたくしはとっても嬉しかったんですよ。取るに足らない行動が、他人には思い掛けない親切になることもあるのです。ですから感謝を形で表したかったんです」

 それなら受け取ろうと思った。人に感謝されるのは、ふつうに嬉しいものだ。これ以上断るのも失礼に当たる。

「じゃあ、ありがたく頂きます」

「わあ、ありがとうっ」

 引込さんは肩を縮こめて、軽く跳ねるような動作をした。弾みで、あり余る胸の質量がぎゅっと押し付けられ、頭の中で火花が散った。

 がちゃ、がちゃ、がちゃ、がちゃ、がちゃん。

 機械的な音が近付いて来た。

 羽前さんが、教室に駆け込んで来た。

 もちろん、ロボットのほうだ。

 頭のてっぺんや制服には、雪が積もっている。

「羽前さん? どうしてここに?」

 先に帰ったはずだ。戻って来たということか。急いで走って来たようだ。稼働率を示すように目がびかびかと明滅していた。肩のパーツは上下し、口や接合部からは蒸気が噴き出していた。熱を逃がす仕組みだろうけど、人間っぽくも見える。

「警報が鳴ったので戻って来ました。祐一が学校に残っていたと思いまして」

 引込さんは突然の出来事に僕達を見回した。

 しばらく羽前さんを見てから、言った。

「羽前杏奈さん、こんにちは。この教室に何かご用?」

「――いえ。用はありませんが、祐一を探していたら、学校にはそぐわない臭気を感知したので。ところで、あたしを知っているのですか?」

「ええもちろん。あなたは、有名人ですから。もちろん、いい意味での、ね。二年生にも広く知られていますわ」

「――そうですか」

「祐二さんとあなたは、お知り合いのようね。よろしければ、お茶でもいかが?」

「せっかくですが、あたし達は用事がありますから、失礼したいと思います。行きましょう祐一」

 羽前さんは僕の腕を掴み、引いて行く。ロボットだから力は凄いものがあった。

「あの、それじゃ、ありがとうございました」

 僕は慌ててバッグを肩に掛けた。逃げるように挨拶をして、教室をあとにした。

 引込さんは紅茶の湯気のようにやわらかに手を振ってくれた。

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