神と怪獣としての世界 5
*
町では商店や遊興施設は駅前の道路沿いに集積していた。というか、今まで見たかぎりでは、店が集まってるのは駅前近辺だけで、イコール繁華街でもある感じだった。こぢんまりとした二階建てや三階建てくらいの店が、肩を寄せ合う感じで立ち並んでいた。広いエリアでもないから、雪とはいっても、一渡り歩くのは難儀しなかった。
ただ、羽前さんに言われた「ハンバーガー店」は無かった。MやLの文字をあしらった目立つ看板は何処にも無いようだ。
もしかしたら、市内の駅前のことだったのだろうか。あっちにはMやLの店が幾つもある。でも、だとすると、「ハンバーガー店」と言うだけでは分からないよな。
「ここです、祐一」
呼ばれ、振り向くと、ある店の二階のドアの所に、羽前さんが立ってた。こっちに向かって無機質な動作で手を振っている。
白い木造の店だった。よく見ると、一階はシャッターが下りていて、明かりは二階だけについている。一階と二階では店が違うらしい。二階への小さなラセン階段があり、僕はそこを上った。
白いドアの上には、白い看板があった。店の名前も営業時間も書かれていない。もちろんMやLの光る看板もない。一般的なハンバーガー屋ではないようだ。個人営業なのか。
「ハンバーガー屋って、ここ?」
「はい、町のハンバーガー店はここだけです」
と言って羽前さんはドアを開けた。
「いらっしゃいませ!!」
ちょっと驚いた。逆の意味で。
中は、ごく一般的なハンバーガー屋だった。
とびきりの営業スマイルを浮かべた女性店員がカウンターに並んでいて、息の合った挨拶を投げた。白黒のストライプの制服と、オレンジのタイトスカート、紫色のバイザーを着けていた。カウンターの上には、大きなメニュー表があった。厨房では銀色のフライヤーが煮えた油をたたえ、できたハンバーガーを明かりで照らす謎の機械があったりした。
つまり、一見してこの店は、大手ハンバーガーチェーンの模倣と思えた。訴訟されるレベルかもしれない。されていないとしたら、小さい町のために気付かれないのだろう。どこにも店の名前が書かれていないため、店の実体も掴みづらい。
メニュー表には、いかがわしげな名称が書かれていた。「うしバーガー」「いもバーガー」「ぬまえびバーガー」。ハンバーガーに牛を使うのは、当然じゃないんだろうか。あるいは、強調するような特別な高級な牛だろうか。「ハンバーガー」というメニューの下には「ふつうのハンバーガー」というのがあり、値段は二倍する。何が違うのだろう。
「ハンバーガー」を頼んだら半分に切られたハンバーガーが出てきた。
席は多くはなかった。テーブル席が二つに、窓際のカウンター席が五つ。
僕達はテーブル席に座った。
「やあ、ひさし――」
「24日ぶり、ということになるでしょうか」
羽前さんの挨拶が重なった。僕は日数を数えてなどいなかった。細やかな人なんだな。羽前さんは(ふつうの丸い)ハンバーガーを持ち、一口目を食む。充分に咀嚼し、ナプキンで口を拭った。
「来ていただいて嬉しく思います」
あいかわらず感情が分からない機械的な顔で言った。
「今日は、何をやるの?」
以前の話では、正義の味方の適性を見るとか言っていたような。
「やることは沢山あります。まず、正義の味方には基地があります。ですので、基地見学。さらに、設備の把握。対怪獣訓練。襲撃統計の暗記。等々々々」
「結構、大変そうな作業だね」
それに、地道だ。学校以外で暗記をやるとは思っていなかった。
「そうですね。正義の味方を学習していただく課程で、祐一の適性も見ます」
喋りながら、羽前さんは、トレイの上に塔のように積み上げたハンバーガーを粛々と崩していく。今度のハンバーガーは、包みをほどくと、甘いさつまいもの香りがやわらかく広がった。そういえば、この店は見掛けは微妙だが、味は意外なほど良かった。
「ところで、ほかの塾生との連絡はつながった?」
僕は何気なく訊いた。
こないだ、羽前さんは、候補者の卒塾生に連絡を取っている途中だった。だとしたら、今日までのあいだに、新しい協力者が見付かった可能性もあった。
「いいえ。残念ながら、なしのつぶてでして」
羽前さんは、ハンバーガーを口から離し、少し俯いて答えた。表情はいつもより、もっと機械みたいに強張った感じがした。羽前さんにしては悲しげな顔にも見えた。
まずい質問だったかもしれない。僕はわざと声を明るめにして言った。
「……あ、でも。まだ連絡してない人とか、繋がってない人も居るよね? これからも見付かるかもしれないよ」
「――ええ、そうですね。期待したいと思います」
羽前さんは頷き、しばらく机を見ていた。
ふと、僕に視線を向けた。
いつもの無機質な感じじゃなくて、冷たく真剣な目に見えた。
「ところで、祐一。言っておきますが、……」
何かを決意したような口調。
僕は思わず、息を詰める。
ヴウウウウウウウウウウ――――――――――――
けたたましい音が聞こえた。思わず店内から鳴っていると思うほどのハッキリした音だけど、何度も聞いた音だった。
怪獣警報だ。
店は二階にある。電柱のスピーカーの音が、地上よりもダイレクトに聞こえてくるんだ。
ビイ、ビイ、ビイ、ビイ、ビイ、――。カウンターの向こうからも、調理器具の非常動作を知らせるような音が響いた。女性の短い悲鳴、トレイを落とすような音がした。警報に驚いたのか、厨房もごたごたしていた。
「警報ですね。話の続きは後にしたいのですが」
「あ、うん、それは構わないけど」
羽前さんは椅子から立ち上がった。避難でもするんだろうか。
「出動しましょう」
「え?」
「怪獣が出現するかもしれません。『正義の味方』として出動しましょう。仕事や設備を学んで頂けます」
「出動って……いきなり?」
「はい」
「実地で怪獣と戦うっ……てこと?」
「そうなるかもしれません。これから基地へ向かいます。その後、出動します」
背筋に緊張が走った。
まずは座学的なオリエンテーションから入るものと思って、油断していた。
考えてみれば、座学が終わってから怪獣が襲ってくれる保証はない。
予想よりもハードかもしれない。いや……。僕の予想がぬるかっただけかも。
羽前さんは、素早く外套の中を探った。そして細長い黒い布を取り出した。
「目隠しです。これを着けて頂きます。あなたの適性はまだ見極めていません。基地への道を知られないためです」
「なるほど」
よくある方法だ。基地の設備を見せれば、後で悪用される危険性もあるから、道は教えない。あたりまえだけど、僕は羽前さんに信頼されていないようだ。
「考えるに、目隠しだけでは不充分かと」
「え?」
目隠しを受け取った僕に、羽前さんが言う。
羽前さんはハンバーガーのトレイを手に持った。
そして僕の視界は黒一色になった。
……羽前さんの力は予想以上だった上に、トレイは重い金属でできてたらしいんだ
―――――――――――――――
*
目を開けると、僕は狭い空間に座っていた。
隣に、というか、ふつうに密着した状態で、羽前さんが座っていた。
羽前さんは寝ているのか、目を瞑っていた。僕は羽前さんに寄り掛かるように眠っていたらしく、普通の布とは思えない、外套の重い感触が頬に引っ掛かった。
枯れた花のお香を焚いたような、どこか蒼然とした匂いがした。そんなことより僕は自分の手が明らかに羽前さんの太腿の内側に置かれているのを知って、慌てて立ち上がった。すると、この上なくしたたかに、天井に頭を打った。目が白黒した。
本当に、狭い空間だった。立ち上がれる高さは無い。座ることしかできない。二人用には狭目だけど、一人用には広い程度の、革張りのシートが置かれていた。いや、据え付けられていた。天井は異様に低く、色々なツマミや配管やダクトのようなもので凸凹していた。
「――ん、起きましたか。起きるのを待ってました」
羽前さんは目を開けた。
僕を眠らせたのは君だけどね。けれど、そのへんの自覚は無いらしい。至って平常な顔付きをしている。
「ここは、どこなの?」
「中です。4メートルロボットの」
羽前さんは、たまに、反応できないことを言ってくる。
4メートルロボット。
それは、ロボットの名前なのだろう。
つまりここは、ロボットの中。
いわゆる、コックピットという所か。
……これはまた、突拍子も無い場所だなぁ。
「祐一をLRによって基地まで運搬しました。しかるのち、基地の4R(4メートルロボット)に搭乗し、怪獣出現予測エリアに出撃しました。そして現在は待機中と、そういう訳です」
羽前さんは諳んじるように言った。正直、さっぱり分からないが、分からなくても影響は無いような気もしたので黙ってた。
天井にはスピーカーのような部分がある。そこからは無線なのか、ノイズ混じりの男の呟き声が時々流れてきた。基地との交信設備だろうか?
「祐一が起きたので、活動を再開しましょう」
羽前さんは足元のボタンを押した。
目の前を覆っていた壁が上がり、収納された。そして前には二つの窓と、コントロールパネルらしき部分が出現した。二つの窓は、若干というか、設計の欠陥というくらい離れていて、正面方向が見えなかった。と思っていたら、羽前さんが速やかに色々な箇所を押した結果、正面が透けて視界が充分確保された。マジックミラー仕様だ。システムの起動に応じて外が見えるようになるらしい。
景色はというと、吹雪一色だったけど。
「哨戒開始」
羽前さんは、タッチパネルになっている手元の平面を、つつつつ、と触れていく。青、黄色、赤。コックピット内に明かりが点灯する。側面にある何かのモニターらしき画面では、光の図形の列が規則的に流れる。
と、その時、胸を圧されるようなGを感じた。僕はまた、頭をぶつけた。
ロボットが立ち上がったらしい。視界が高くなった。たぶん、4メートルの視界。
シートベルトをしてくださいね、と羽前さん。言ってくれるのが遅い気がする。
「IBシステム起動。4R(4メートルロボット)、発進します」
僕達を乗せたロボットが、吹雪の中を、ゆっくりと進み始めた。
タッチパネルは三基あった。まず正面に一基。それから、右手と左手を広げた位置にも、各一基ずつ。
それぞれのパネルには、ボタンの形をしたランプが百個くらいずつ浮き出ていて、そこを押して操作する。単にボタンを押すだけの操作もあるし、二つ以上のボタンを組み合わせる操作もあった。
羽前さんは両手を使い、タッチパネルを器用に操作した。ロボットは、前進したり、後退したり、ナナメ方向に移動したりした。首を上げる動作をすると窓から空が見えたし、腕を挙げる動作をすると流線型の銀色の腕が映った。
こういった基礎的な動作は、正面のタッチパネルだけで事足りる。
ロボットを自在に動かし、縦横に戦闘を繰り広げるには、全てのパネルを使うらしい。羽前さんはパネルを三基同時に操作できるという。
「どうぞ」
一度、羽前さんはロボットの動きを止め、僕にシートを譲った。と言っても、ちょっと場所をずれるだけのことだ。あいかわらず狭いのは変わりない。
僕がやっていいんだろうか?
ちょっと緊張しながら、タッチパネルに触った。まず、前方に移動……。横薙ぎだった雪が、正面からぶつかってくる。確かにロボットが動いている。……それはいいけど、止めるのはどうするんだっけ。やばい、どこかにぶつかったらまずい。止めないと。
「ここです」
停止させるボタンの位置を羽前さんが示す。初心者の思考は分かっているみたいだ。僕は急いでロボットを停止させた。ふう。
次は、後退。これも何とかできた。斜め前方と、斜め後方の移動。できる動作のバリエーションが増える。おー。ちょっと楽しい。ラジコンみたいだな。
慣れてくると、周りを見る余裕が出る。
「ところで、ここは何処?」
「郊外の平原地帯です。何かにぶつかる心配はありませんし、どうせ雪ですから、人に見られる心配もありません。なお、左に緩いカーブを描きながら、そのまま前進してください」
僕は指示に従い、タッチパネルを操作する。
ここのボタンを右手で押しながら……方向ボタンを左手で入力……と。
なるほど、こうすると同じ方向に動き続けるんだな。
羽前さんはジッと僕の操作を見続けていて、
「適合性はそこそこありますね」
と言った。感情が見えない顔だけど、褒められたという判断でいいんだろうか……?
目が合った。地味な衣装や平坦な表情に隠れているけど、羽前さんの目は、深いところできらきらしている感じの、不思議な目だ。ロボットに乗っている羽前さんは、いつもよりも、そこはかとなく明るいように思った。
「祐一が塾に居たのは、無意味でなかったようですよ」
「そうかな」
僕は苦笑する。塾のことは覚えていないから。
「もっとも、簡単な動作だけを見ての意見ですが」
「そうだね」
使っているのは正面のパネルだけで、その中でも基本的な動きしかしていない。
このロボットは、なかなかすごい。感覚としては、実際に乗れるラジコンみたいな物だ。それと、ロボットは直立歩行しているらしいけれど、当然ながら歩く際には相当の上下動がある。景色が上下しているからだ。
しかし、僕達の座っているコックピット内は、ほとんど揺れは抑えられていた。高度な工学技術で作られているのが分かった。誰が作ったんだろう?
数メートル下の雪原を見下ろして進む迫力。ロボットの力感、量感。それなりに気分が高ぶっている自分を感じた。これは、まるで、そう、怪獣になった気分。
あれ?
いや、それじゃ駄目じゃないか。正義のロボットが怪獣気分を楽しんでいちゃいけない。
そういえば、ふと思った。
ここに来る時は、怪獣警報が鳴っていたはずだ。
怪獣はどうなっているんだろう。悠長にロボットを運転してていいのか。
ファ――――――――――ン
コックピット内で、甲高い音が鳴った。風船の空気が抜けるような奇妙な音。と同時に、室内が赤く点滅した。
その点滅の正体は、後ろにあるレーダーらしき画面だった。
同心円状の画面には、血のように赤い光点が出現した。
「代わってください」
羽前さんは僕を押し出すように、シートの中央に移動した。忙しくパネル操作を始める。前方にあるミラーで、時々、後方のレーダーを確認している。なるほど。何個かあるミラーは、背後にある計器を視認するためか。
「怪獣出現を探知しました。場所は外町1丁目2番地付近。これより急行します」
怪獣。
その言葉に僕は心拍数が上がったのを感じる。まだ見たことがない存在だ。
「では、いきます」
モーターの回転数が上がるような音が、室内を満たした。僕は、ちょうど膝の近くにあった金属製の取っ手を握った。強烈な加速が、掛かった。
ロボットは、飛ぶような速さで、雪原を駆けていた。
コックピット内の時計には[17:41:27]とある。ロボットの窓の外は、急速に昏さを増していた。時間は目安にならない。ずうっと雪が降り続けている町では、雪の密度と降り方、雪雲の厚さが、明るさを決める。そういえば何日も太陽を見ていない。
ロボットは細い一直線の道を歩いていた。道沿いに白壁の古風な建物が立ち並んでいる。ここが何処かは分からないが、レーダーの同心円が町をおおまかに表すとすれば、北の外れあたりだ。
今は、ロボットは、水面を漂う船のように静かに進んでいた。さっきのように虫が跳ねるような移動もできる。どちらも高等なテクニックではあるようで、羽前さんは手を止める暇もあらばこそという様子だ。
ロボットを示す緑色の十字の点が、レーダーの赤い点とかなり接近していた。
怪獣が近いということだ。
町外れだからか、人通りは無い。ただ、車とはたまに擦れ違う。といっても吹雪のためもっさりした影としか見えない。
「ところで、人に見られても平気なの?」
一応、訊いておく。
「ロボットはGTSという機構を搭載しています。ナビのようなものです。通行人や車などの人目をなるべく避け、かつ、目標物に最短となるルートを試算して表示します。それを表示しているのがCレーダーです」
羽前さんは操作の合間、親指で後方を示した。色々なレーダーがあり、どれがCレーダーかは知らない。ただ、道筋らしき表示に見える画面も確かにある。
前方から車が来た。羽前さんはロボットを跳ねさせてかわし、滞空時間の長いジャンプを経て、ティッシュが落ちるような柔らかさで着地した。雪が波状に舞った着地からすると、逆噴射のような機構もあるのだろうか。後方をロボットが振り向くと、車は何事もなかったように、雪道の奥へとかすみつつあった。
「もっとも、たまには目撃されます。全ての人目を回避できるわけではありません。それでもいいのです。ロボットの存在など、誰も本気にしません。見られても噂に上る程度です。『怪獣と戦っている正義のロボットが居る』という噂を信じる普通人は、居ません」
それは理解できる。人々は、この天気のことも、怪獣のことも、不思議には思っていない。今更4メートルくらいのロボットがそこに加わっても、不思議へと昇格するには充分じゃない。それに、たぶん自治体側、町軍というやつだと思うけど、装甲車なども見慣れているだろうし。
そんなわけで、忘れた頃に通行人や車が通るくらいの道路を、ロボットは静粛に進んだ。
怪獣は生き物だろうから、レーダー上をゆっくり移動している。ロボットの機動性に比べ、その動きは非常に鈍いように思える。
やがて、レーダー上に一個の新しい点が現れた。そこに英字が表記された。「衝突予測点」という意味だと思う。弧を描くように動く怪獣と、直線的に進むロボットが、出会うであろうポイント。
あと、50メートルくらいか。――もう少し。僕は唾を飲み込む。
突然。
横の民家が、爆発的な煙とともに、崩壊した。というより、文字通りの、爆発だった。雪の爆発。
衝撃波だろうか、対岸の家も傾き、屋根の雪が吹き飛んだ。
「まずい、察知された」
羽前さんは呟く。
レーダーの赤の点は遠ざかりだした。怪獣は反転して逃げ始めたらしい。
そのとき。僕は、見えた。見えてしまったというべきか。
最初の爆発の時、崩れる家の軒下を歩いてた人が、衝撃にあおられ、ごろごろと転がった。
今もその人は道の真ん中に寝ている。黒っぽい服や帽子を厚く着込んでいて、性別も年齢も分からない。意識はあるのか、ないのか、ぴくりとも動かない。頭を打ったかもしれない。
「羽前さん、ちょっと」
僕は助けを要請しようとする。
が、
羽前さんはその人を跳び越えて、レーダーのナビに従い、速やかに移動を始めた。
見えてなかった?
いや、見えてたから、跳び越えた。
「羽前さん、通行人が巻き込まれた」
僕は振り返る。もちろん、計器や配管類しか見えない。考えてみれば、後ろが見えないのは不便な造りじゃないか? いろいろな計器が搭載されてるから仕方ないのか?
「ちょっと? 羽前さん?」
「なんです」
ガチャガチャ。羽前さんは蟹と化したように機械的に手を動かしている。ここちよい加速。すでに現場からかなり遠ざかった。あの人は、まだ倒れているんだろうか。命に別状は無いんだろうか。車が通ったらどうなるんだろう。
「助けないでいいの?」
羽前さんは、しばらく黙った後、答えた。
「助けません」
それは、ハッキリした口調だった。
僕はなぜか、一瞬、言葉が出なかった。
改めて訊き返す。
「だって、それは……、いいの? 正義の味方だろ」
「では、祐一は助けたいのですか。ああいった人間を見るたびに、あなたは助けに向かい、介抱してあげますか。そのくらいの労力を費やす気持ちを、あなたは持っていますか」
羽前さんは僕を、まっすぐな目で見た。なぜか僕は、気おくれする自分を感じた。すぐには答えられない。
羽前さんは、もとどおりパネル操作に集中しながら、やや強い声で言った。
「勘違いしているようですね。正義の味方は決して『人間の味方』ではないのですよ? あたしたちは怪獣と闘うだけの存在です」
正義の味方は、怪獣と闘うだけの存在。
だから羽前さんは、さっきの人を助けなかった。
「あたしたちは、人間の利害闘争に巻き込まれることを避けているのです。正義の味方の運営は、お分かりのように、あたしの独力です。基地の設営や維持も、ロボットの開発もメンテナンスも、基地のLRたちを増設する作業も、みんなあたしがしています。もっとも、これは、神の力あればこそ可能なことですが」
そうだったのか。このロボットを開発したのは、羽前さんなんだ。たしかに、対怪獣用ロボットを作るなんて、町軍とかを除いたら、やろうと思うのは羽前さんぐらいだろう。
でも、神の力ってのは、ほんとにすごいんだな。ロボットや基地を当たり前のように作ってしまうなんて。
「神は、人間とは違うのです」
また、遠くで爆音がする。ロボットの隔壁ごしに、どこか現実感が無く、小さな荷物を落とした程度の音にしか聞こえない。「ジャンプ」、羽前さんは呟き、ロボットを跳躍させる。ロボットは恐らく何軒もの家を跳び越え、狭い路地に着地。バラバラと、変な方向からの雪が、窓を叩いた。怪獣が、近くに居る。さっきのように雪を巻き上げながら移動している。雪が一層激しい。視界は殆ど無い。ロボットは曲がりの多い路地を移動。頭が揺られ、くらくらする。
「正義の味方は、一般人間とは関係を持つべきでありません。人間が襲われても、助けません。助ければ贔屓につながります。いかなる個人も団体も贔屓しません。人間に関与するのは得策ではない。不利な面しかないのです。正義の味方は、人間からの資金援助や便宜供与は受けておりません。だから人間が必ず引き起こす利害対立からは無縁です。人間社会と繋がってしまうと、『憎い奴の家を潰させたいから怪獣を殺さないでくれ』、『正義の味方のクリーンなイメージを我が企業に使いたいのでスポンサーにさせてくれ』、そんな申し出が起きて来ないとも限りません。そういった人間並の事情を考慮していれば、怪獣を倒すという最大かつ当初の目的を見失いかねません。正義の味方は、人間の社会から、独立な団体でなくてはならないのです」
羽前さんは、自分の主張を確かめるように、一言一言を並べた。そして、羽前さんの「正義の味方」像には、たしかに一貫した論理が通っているように思った。
けれど僕は、人間を助けないという考えには違和感を感じてしまった。ある種、新鮮とも言える感覚だった。なんとなく正義の味方といえば人間を助けるものと思っていたからだ。
けれど、羽前さんが言うように、人々と関われば、人々の利害関係に引き込まれるのも確かだろう。僕はそこまで深い考えは無かった。
羽前さんは、ふう、と息をつき、少しロボットの速度をゆっくりにした。
「あたしの正義とは、この地方を、怪獣から守ることです。あたしはこの地方で育ったので、思い入れがあるのです。塾を出ましたし、神にも成りました。だから、この地方を怪獣が蹂躙することを、黙って見てられません。それだけです」
羽前さんは、一つ一つ、言葉を置くように言った。しかし、前のように冷たく積み上げる感じではなかった。どちらかというと、自分の言葉を味わうかのようだ。
「そして、祐一は、あたしを手伝うことに同意したのではないのですか?」
羽前さんは、ゆっくりと僕の目を見て、尋ねる。柔らかな表情に見える。気のせいだろうか?
「たしかに、そうだね。手伝うって言ったね。おかしいところは無いのかもしれない」
僕はそれなりに、納得して答えた。反面、それは、釈然としないところを自分に納得させる部分もある。羽前さんの「正義の味方」像は、ふつうのイメージとは距離があるものかもしれない。戸惑いは少しある。しかし僕は、実際に羽前さんを手伝ってみて、全体的には和やかな雰囲気を感じた。満足感とも言えるかもしれない。
だから、とりあえず、手伝いを続けてみようと思っていた。
回数をこなして初めて見えることもあるだろうし、ね。
ロボットが、停止した。ぷしゅうぅぅぅ。圧の高いガスが抜ける感じの音。甲高い駆動音も収束した。
「余計な話をしていたら、怪獣が逃げました」
羽前さんは、こころもち首を傾げ、きまじめな目で言った。
これは、羽前さんなりの不満の表明だろうか? なんとなくかわいらしく思えた。
レーダーの赤い反応は消えていた。怪獣は圏外へ出たらしい。それとも地中に潜ったりもできるのだろうか。……詳しく知るのは、これからだろう。
ともかく、僕は今回のことで、怪獣はどうやら実在するらしいと思い始めた。
「今度は倒したいです。そう願います」
羽前さんは呟き、ロボットを転進させた。
「引き上げるの?」
「はい。基地に格納させます。怪獣に逃げられた場合、当日中に再び捕捉できたパターンはありません。深追いは電気と燃料と労力の空費です」
ロボットは町の何処かをゆっくりと歩いている。
羽前さんは、コックピットの壁に掛かってる受話器を取って、何処かと連絡を取っていた。「格納」とか「E1地点」とか「LR」とか、会話の断片からして、相手は「基地」だと思った。
機内には、雪を踏む感触が、さくさくと響いていた。時間は[18:01:01]。僕はふと、自分の手の平を見た。じっとりと滲んでいた汗に、今頃気が付いた。
まもなく僕達は、見知らぬ街頭で、ロボットから降りた。
羽前さんはロボットを乗り捨てたようにも見えたが、騒ぎになったり、いたずらされる心配はないという。速やかに基地のLRが回収し、格納するそうだ。ロボットを町中に駐機したのは、僕に基地の場所を知られないためだった。まだ適性審査は続いている。
今は明神町駅に向かい歩いているところだ。ロボットの移動にカラダが慣れたのか、徒歩の移動はダニのように遅く感じた。
「あたしの基地には、じつは、最終兵器があります」
ふいに、突飛なことを、羽前さんは言いだした。
「最終、兵器?」
「はい。それを起動すれば、演算の上では、怪獣をほぼ確実に倒せます。基地の粋を結集して作られた兵器です。コードネームは『SMG』。Summum Mechanica Galam。『絶対完全機械』の意味です」
「どうしてそれを使わないの?」
「そのシステムは、起動不能なのです」
「え?」
「あくまでも演算によって創り出された産物ですので、重厚長大なお荷物というのが現況です。演算によれば、システムを駆動させるには天才的な技術が要求されます」
僕は、この話に何の意味があるんだろうと思った。理由が分からない。もしかして、僕を信用していないから、陽動する意味があるのかも。
この話には、明らかに妙なところが一つある。
怪獣を倒すのは簡単じゃないように思う。今日も逃がしたことからも、手こずってるのは確かだ。僕は、苦笑気味に訊いた。
「だけど、『ほぼ確実に倒せる』兵器なんか、そんなに簡単に開発できるの?」
「できますよ」
羽前さんは、僕の苦笑の意図が分からないという、不思議そうな顔で言った。
「神の能力は、あたし本人の能力を超えています。たとえばロボットや基地の存在はその証明です。しかし、時として超えすぎるために、あたしには歯の立たない物をも生み出してしまいます。逆に無用の長物となるわけです。『SMG』はその顕著な代物です」
本人の能力を超えるゆえに、神の能力である――そういや、塾で暗誦した定型句には、そんなものがあった気もする。僕は、脳の奥深く、古く固まった所を突っつかれた感じがする。
だけど、無用な物を作ってしまうんじゃ、粗大ゴミ製造器みたいだ。神も大変なんだな。
「じゃあ、『SMG』というのは、お蔵入りの状態?」
「はい。基地は複数あります。『SMG』は遠隔地の別の基地に埋設されています。怪獣の無用な破壊を避けるためでもあります。あたしは『SMG』を起動できません。システムに一瞬だけ通電するくらいなら可能ですが……スタンバイへの移行がうまくできません。現状では、あたしの力不足と言えます」
話しているうちに、何となく見知った景色になってきた。
ボワッと明るい向こうのほうは、駅の近くの繁華街(と、いうほどでもない)だろうか。
「『SMG』の代替策があります。怪獣の襲撃情報を毎回インプットすることで、基地の中枢のコンピューターの充実を計っています。コンピューターにより『SMG』の駆動が確実となるのは、演算の上では、177年後です」
僕は笑いそうになったけど、こらえた。
「それじゃ、なんていうか、無理だね」
177年後では、町が壊滅してしまう。それか、怪獣が寿命で死んでいるかもしれないが。どっちにしても、コンピューターを使った起動は、現実的ではない。
「もしくは、あたしが11体同時に存在すれば、演算上は、駆動可能です」
僕はまた吹き出しそうになった。
「それも難しい……よね?」
「はい」
とだけ答え、羽前さんは黙った。
普段よりも更に硬く無機質な顔で、なにかを考え込んだ。
しばらくすると、ふと僕を見て、言った。
「あたしでは、力不足でした。システムを起動するには、基地の設備の全系統に対し、同時かつ重層的に命令を繰り出せる超人的技能がなければなりません。いつかあたしが『SMG』を動かすことが目標です。あなたができるようなら、やっていただいて構いません」
「い、いやいや、遠慮するよ」
僕は苦笑、というか閉口した。昨日や今日あたりから、正義任務というのだろうか、手伝い始めた人間ができる事じゃない。羽前さんにできないことが、僕にできるわけない。
「起動できるといいね、『SMG』」
「――はい」
一瞬、謎の間があった。ふつうに言ったつもりだけど、皮肉と取られたかな。
「というわけで、しばらくは4R(4メートルロボット)での怪獣対応になります。怪獣の出現ごとに出動し、攻撃と防衛を行う『IB法』が、現実解としては正しいのです」
「『IB法』?」
それは、おそらく長い英語か何かの頭文字を取ったもので、ロボットのパイロットに要求される難しい理論にちがいない。
「『イキアタリバッタリ法』の略です」
「どういう理論?」
「どういう理論と言いますか、――いきあたりばったりに闘うという方法ですが」
羽前さんは、平静な顔で、予想外の答えをしてきた。
この人、ものを考えているのか、いないのか、良く分かんない人だな。
駅が近付いてきた。ここまで来れば、僕でも道に迷うことはない。
「駅に到着できましたね」
羽前さんは立ち止まった。
「あたしはこれで戻りますが、お土産を差し上げます」
「え?」
これまた、いきなりだ。
お土産? なぜ僕に?
今までの挙動から分かってたけど、たぶん羽前さんは冗談やツッコミが非常に通じにくい人だ。まず冗談を言う気にもならない。それは羽前さんだけのせいじゃなくて、僕がユーモアの心に欠けていることもあるんだろう。冗談を言って空気を和やかにする行為は、けっこうめんどうくさい。
羽前さんは外套に手を入れ、それを速やかに出した。
五百枚ほどあろうという紙の束だった。
特大のダブルクリップで閉じられている。
「どうぞ」
僕は紙の固まりを受け取る。ずっしりと重かった。僕は羽前さんの外套をしげしげと見てしまった。何処に入っていたんだろう。
「これは何?」
「解りませんか?」
僕は紙束をぱらりとめくった。すると、解った。
これはロボットの操作マニュアルだ。紙にはタッチパネルが描かれ、ある動作に使うボタンの位置と、ボタンを押す順番が指示されている。
「……格闘ゲームの、コマンドみたいなもの?」
「みたいなといいますか、同じです。バーチャルなキャラクターを動かすか、現実のロボットを動かすかの違いです。4Rをはじめ、基地内の対怪獣兵器には、すべてに共通のタッチパネルが導入されています。ロボットの操作を覚えて頂くと、他の設備の時も、何かと役立ちます。ちなみに4Rの操作は兵器の中では最も簡単です。基地の兵器には両手両足ともフルタイムで使用する物もあります」
「なるほどね……」
「ということで、全てのシートを暗記して下さい。パネルを頭の中で思い浮かべて実際に操作できるのが初級。指先が手順を記憶し勝手に動くレベルが中級以上です」
ぱらぱらと紙束をめくる。他のシートも同じ仕様の解説書となっていた。
一枚のシートにつき、一動作。つまり、五百くらいの動作を覚えれば、ロボットを一人前に操れることになる。というか、これで一番簡単って、どんだけ。シートの束の重さで、握力がなくなりそうだ。シートをバッグに入れると、ぱんぱんに膨らんだ。
「『五高生』に出す宿題じゃないよ」
思わず呟いた。この「課題」の量は、進学高の第一高校の生徒用だ。
「そうですね」
羽前さんは少し口角を上げ、軽く顔を傾けた。
僕は意外な表情に虚をつかれた。これまで無表情だっただけに。……冗談、通じるんだ。いい子だな。そう感じた。
羽前さんは、すっと、足を前に進めた。
端麗な表情が僕に近づいた。
なぜか僕の呼吸は、グッと停まった。
「もう一つ、お土産です。これをどうぞ」
羽前さんは銀色のカードを取り出した。材質はプラスチックだろうか?
「基地の認証キーです。ロボットを動かす時は使いませんが、基地の設備類を動かす時に必要になります。いま渡しておきます」
羽前さんは僕のコートのポケットにカードを入れてくれた。
「なお、話が途中だったはずなので、今、言っておきます」
「……え?」
羽前さんは、突然、話を移した。
途中だった話? ――何だっけ。
あ。
「ハンバーガー屋の時の?」
羽前さんは、目を動かさず、こくりと頷いた。
あの時は、途中で警報が鳴り、話が中断していた。
「祐一に、要請があります」
「要請?」
「はい。今回は偶然にも、怪獣への対応を経験して頂きました。とはいえ、怪獣はいつ出現するか決まっていません。場所も不明確です。ですから正義の味方の任務は困難なものになります。今回のように場所と日時を決めて集まる形では、迅速な対応は殆ど望めないでしょう。怪獣の相手は、大変なものなのです」
羽前さんは、どことなく力強く言う。
「あなたは、あたしの所に泊り込むべきです。家に帰ることはほぼ無理と考えて下さい」
もちろん冗談を言っている顔ではなかった。
表情に乏しい中にも、不思議な深い輝きを宿した目が、しっかりと僕を見据えた。それは、いつもの羽前さんの顔だった。
この人は本気で言ってる。
僕は、戸惑った。
どこに住んでるのか。一戸建て? アパート? 自分の基地? とにかく、泊まるようにと言ってる。
客観的に見て、羽前さんはきれいな人である。自分が同い年の男に宿泊の勧誘をする意味を考えたことがあるんだろうか。いやないだろうな。
たぶん、この人は、いつも本気なんだ。異様にまじめとも言える。僕が泊まり、正義の味方の手伝いをする、そこに言葉以外の意味は無い。本気かつ冷静に計画している。
「『安全ならば正義の味方をやる』と、祐一は言いました。市内の家に居るより、あたしのところに泊まったほうが、断然、安全です」
言葉に詰まる僕に、羽前さんはアドバイスする。
「攻防一帯道路。統計防御域。中規模破壊砲。遠隔操作によるCPC砲。この町には基地の技術が密かに網羅されています。いわば、町じたいが基地の基盤というわけなのです。おまけに町軍も付いてきます。最近は市内にも怪獣が現れています。逆説的ですが、怪獣から一番安全なのは、基地を有する当町です」
なるほど、羽前さんのアドバイスは正しかった。とても論理的だ。
いや、でもちょっと待ってほしい。
急に泊まれと言われても、どうしよう。僕はだいぶ上の空だった。羽前さんの声が遠くなっていった。
しかし羽前さんは、僕の無言を肯定と取ったらしい。話を一段階進める。
「やってもらうことは多いです。なにしろ祐一は正義任務の補助ですから。さっそく本日から――でも良いですが、家で片付ける用事などもあるかもしれません。あるなら、片付けてください。準備ができたら、すぐに来ていただきます」
そう言い終えて、よろしくおねがいしますというように、ぺこりと頭を下げる。
どうやら僕は、準備ができたらすぐに、羽前さんのところに赴くこととなってしまった。
僕は、正義の味方を手伝うと言った。
安全ならばやると要望した。
羽前さんのところが、一番安全である。
僕は、羽前さんのところで、泊り込んで手伝う。
うん。完璧だ。反論の余地がない。反論しようという動機自体が疑問視されるレベルだ。正しいことに文句をつけてもしょうがなかった。また、やると言った以上、反古にするつもりもなかった。だから僕は、羽前さんの要請を受け入れようと思った。
「それじゃ、準備ができたら、基地? に行くよ。準備は色々あると思うから、何日か掛かると思うけど。それでもいい?」
「はい。お待ちします」
羽前さんが準備の時間をくれたのは、素直にありがたい。たしかに僕には片付けることが色々あった。家のこともある。父さんはクビになり、母さんは寝込んでる。それと、泉さんが居候していることも思い出した。うちはふつうの尺度で言えば問題を抱えてると言える。それに、もらったシートの暗記も並行してやらなきゃいけないだろう。
準備は色々ある。
けれど、一番準備できてなかったのは、僕の気構えだったと感じた。
正義の味方、結構大変だ。
「では、今日はこれで。あたしのほうも、今から基地ですることがあります」
羽前さんはビニール傘を僕の頭上から外し、歩いて帰って行った。
僕は、キップの券売機の前で、思った。
お待ちしますって言うけど……次はいつ会うのか、聞いてなかったな。
「羽前さ……」
駅を出たけれど、視界ゼロに近い降雪で、追うのを諦めた。