神と怪獣としての世界 34
*
僕達は合宿にきた。
日程は一泊二日。
宿はX山の山襞にあるロッジだ。
メンバーは羽前さんと泉さんと引込さんと僕の四人。一応、僕の知る限りの神が集まったサークルという雰囲気だ。でも、僕が神の自覚が足りないことは問題だった。合宿では神の事を学ぶ目的もあった。
みんなで何処かに行こうと提案したのは僕だった。念のために言うと、行きたくて堪らなかったとか、そんなわけではない。混乱した自分自身を整理するために気分を変える必要があったんだ。
あの後、泉さんの予測通り、麻形市と明神町は復元した。怪獣の気配も、どこへともなく消えた。
出所が不明な噂がある。あたらしい怪獣は、白い色だったという噂だ。周囲の雪と溶け合うような白い影であったそうだ。光線を吐いたのを見たという人も居た。その光線は眩く、かすかなライム色をしていたという。真偽のほどは分からない。
今のところまだ、怪獣は再来していない。
けれど変わらずに雪は降り続いていた。怪獣は見えない所に潜んでいて、きっとまた襲って来るだろう。
殺された人々は元のカタチで蘇生した。ふたたびジブンの存在を取り戻すことができた。
けれど、人々の記憶には、怪獣に殺された体験が杭のように打ち込まれていた。
人々は二つのタイプに分かれた。殺されたことを派手な悪夢を見たように喧伝する人達と、記憶はあるけど口をつぐむ人達だ。たとえば北東君なんかは、いつも通り腕組みをして黙して語らずという様子だ。
逆に麻形市では、「怪獣に殺されなかった超人」を自称する選民思想的な若者のグループが現れ、暴行や強盗事件を起こしているという話も聞く。第五高校にも「入信」した人が居るということだ。
それでも表向き、世界は再開した。ふたたび平常どおりに動きだした。学校も始まった……。
「町やジブンが復元した」という根本的なところは、人々には疑問視されなかった。少なくとも目立って追及されてはいなかった。そういう疑問は、ふつうのセカイでは、「頭がおかしい」とされる。羽前さんは『MECCS』で自然な設定を上書きする準備もしていたけれど、今のところ使う必要はないようだ。いや、もしや……。これは前の怪獣の時からだったけれど、人々を「ふつう」の範囲に留まらせるのは、怪獣の機能なのかもしれない。
ただ、これからどういう方向に行くかは未知数だった。怪獣は確実に再来する。僕達の日常の裏には、不穏が流れていた。ふつうと不穏が拮抗する、ぎりぎりの安定だった。
ふつうのセカイが再開し、日常が戻って来ても、僕には違和感が残っていた。町が壊れ、よみがえったことが、まだ整理がついていなかったのだ。壊された場所に自分が暮らしていること。とても違和感があった。
僕は、神のみんなで集合し、「怪獣事件」をおさらいしたかった。事件を自分の中で整理したかったのだと思う。会合は、僕の家や町の店で開いても良かったけど、やっぱり違和感があった。それに、週末は僕の家だと両親も居るから、あまり騒がしくするのも気がひけた。
僕は、怪獣の破壊を受けなかった場所に行ってみたいと思った。
と言っても、ちょっとした時間を使って行ける地点となると、現実的にはX山くらいしかなかった。それに、X山で必要充分だった。じつはX山クラスの規模のリゾート地は県内でも少ない。温泉は数え切れずあるし、[Xスノーパーク]も一日では滑り切れない。
町が破壊された時、避難したエリアでもあった。
行き先はX山に決まった。
日帰りのつもりだったけど一泊にした。日帰りよりも一泊したほうが得だったからだ。観光サイトを見たら、日帰り予算に二~三千円プラスすれば泊まれることが分かった。食事も付くし、温泉にも入れる。中にはスキー場の一日券がつく宿もあったほどだ。
どうせなら泊まったらいいんじゃありませんか、と引込さんが言った。ライブを見れば分かるけど、引込さんは引き込もりなのに仲間でワイワイやるのが好きな人だ。もちろん僕は賛成した。羽前さんは「どちらでもいいです」、泉さんは「『任せる』」ということだったので、週末に一泊することに決まった。サイトをくまなく見渡し、X山の中でいちばん安い宿をとった。お金は泉さんが渡してくれていた「滞在費」から拠出した。
宿はX山の中腹にあった。というかスキー場の中にあったのでリフトを乗り継いで着いた。アルプスのロッジをおおざっぱに意識した風味の建物だった。ひどく年代がかっていて、時代錯誤的な威圧感すらあった。チョコレート色の木の壁は元々の塗装なのか自然に黒ずんだのか分からない。
宿の前はすぐゲレンデに接続し、ここから他のゲレンデにも出て行けそうだ。スキーに来たわけじゃないけれど、安さで宿を選んだら新鮮な立地になった。
僕の中では、合宿に来た目的というか題目は「怪獣事件のおさらい」だった。事件で起きたこと、これからに生かせそうなこと、そして今も起きていること。みんなの知恵を借りれば、事件を分かりやすく整理できるし、統一的な見解も期待できる。
あとは、みんなの顔合わせの意味合いもある。
きっと僕達は近くに居たほうがいいと思う。
神どうし情報を融通しやすくすることは、何かと便利のはずだ。日常的にすぐに集まれる体勢を作っておくことは大切だと思う。
けれど、部屋に荷物を置くと、すぐに引込さんと泉さんが居なくなった。
僕は宿の中を探した。
二階は食堂とカフェと休憩所を兼ねたスペースになっていた。土産物も売っていた。
引込さんはカウンター席で優雅にコーヒーを飲んでいた。大きな窓からは、ゲレンデが一望できた。縦長のゲレンデでは、たくさんの豆粒のようなお客さん達が、思い思いに滑っている。色とりどりのウェアで着飾った小さい点が、ゆるゆる動いている。ずっと昔のPCのスクリーンセーバーのようだ。
「ここに居たんですか」
「ええ、せっかく外出したのですし、小さい部屋に込もっている法は無いでしょう?」
引込さんはコーヒーを味わい深げに飲んだ。夕食は出るけど、昼前に到着したからしばらく時間がある。僕達も自費で何か食べようか。
「ところで、泉さんが何処に居るか知りませんか?」
「あら、サキちゃんでしたら、ほら、あそこ」
引込さんは窓の下を示した。ほかの客にまぎれて、泉さんがスノーボードを履いているところだった。
僕は下りて行き、リフトに向かおうとする泉さんをつかまえた。
「泉さん、どこに行くつもり?」
「『秘密。言ったら心配する』」
「いや、秘密にしないでも滑りに行くのは格好を見れば分かる。そうじゃなくて」
今回は滑りに来たつもりじゃないんだけど……。
だけど泉さんは滑りに来たんだろうか。まあこうなるのも仕方ない。宿はゲレンデの真ん前だし、部屋の障子越しにすら、刺すような雪の気配が感じられるほどだ。引込さんじゃないけど、部屋に込もっているほうが不自然だ。
何と言うか、引込さんも泉さんも、怪獣のカの字も脳裏に残っていない感じだ。それは僕には斬新な驚きだ。自動的にも思える切り替えの早さ。これも神の特徴なのか。
「『あなたは滑らない?』」
「うーん、ちょっと考えて、後で行くかも」
そう答えてしまい、苦笑いが出る。まあ、スキー三昧の中身でも、神の親睦を深める目的は果たせる。それはそれでいいのかもしれないな。
「『そう。では、わたしは行く。スキー場でスキーする馬鹿が一人くらい居てもいい』」
泉さんはリフトに向かい、ざくざくと歩いて行った。
すると、何か思ったのか、戻って来た。
「『怪獣が何なのか、かんがえてみた』」
唐突に言った。
泉さんも怪獣のことを? 見透かされたような発言に、ごくりと喉が鳴る。合宿までの間、新しい発見があったのかな? 泉さんの考察には、期待してしまう。
「『雑談としてきいてほしい』」
「う、うん」
泉さんはざくざくと歩いて行く。
僕も一緒に歩き、耳を傾ける。
「『結論から言うと、わたしはいま、怪獣を一つの現象ととらえている』」
「現象……って?」
泉さんは『名言集』に目をやり、読む。
「『怪獣神が出現して十七日が経過。人間たちは、怪獣は確かに居るらしいと噂する。しかしはっきりした目撃談は少なく、信憑性も疑える。目撃談は「知り合いが見た」といった語り方がほとんど。それでいて異常に巨大な影を目撃した例は多い。局所的な破壊も多数。怪獣の実在を匂わせる断片は揃っている。だから「怪獣と結論するのが非常に妥当と思われる」という現象が「怪獣」の内容だとおもう。非常妥当性。一連の現象を「怪獣」と呼んでいるにすぎない。今後の何か画定的な事象の観測により、「怪獣」という呼称が全く異なるものに変更される可能性もある。羽前杏奈のMECCSを見るまでもなく、神であれば、人間催眠は可能。怪獣神が人間催眠の業を持っていても異常ではない。怪獣神は羽前杏奈の【正義怪獣】の機能を明らかに引き継いでいる。おそらく更に大きな力を持っている』」
「つまり、怪獣神は怪獣だと見せるような現象を起こしているだけで、『怪獣』の実体は蜃気楼みたいなものかもしれないってこと?」
「『なくはない』」
「それってもう、SFとかで聞く、世界改変のレベルだよね。あるいは、怪獣神が生み出したパラレルワールドに人間が送られてるとか」
「『わたしは「怪獣はいない」とは言っていない。「わたしが見ていない」と言っただけ』」
泉さんは足を止めた。
「『それに、怪獣は見られないままでいいかもしれない』」
「え?」
「『特徴的なのは、怪獣を憎悪の相手とみる人間が殆ど居ないこと。怪獣は住民の生活環境の一部となっている。この地方に違和感無く組み込まれている。怪獣が自然な支持を得た原因は、住民は否定するだろうが、深層意識では怪獣を許容しているからと思う。それは住民にプラスをもたらしているということ。住民は深層意識で心地良さを覚えている』」
泉さんは意外な推論を展開した。
怪獣が人々にプラスを? どういうことだろう?
「『「怪獣のいる町」という非日常を与えている。ファンタジーのある空間をつくる。大人までが軽くわくわくできるレジャーランド。怪獣特区があってもいい。非日常が消えてほしくない。おおむねそのような無意識下の許容。住民は「少しの害がある非日常」を望むのかもしれない。つまり「刺激する日常」を。おそらく怪獣神は、そう思わせる業を持っている。そのような面も含めての怪獣だとわたしは思う』」
「……なぜ、そう思うの?」
「『ロマン』」
その考えは奇抜だが、刺激的だった。
もしかして怪獣にプラスの面が? と考えると、心が軽くなる。
泉さんは僕の耳元で言った。
「『あなたの迷いは察している。でも無用。神を信じる事。わたしも神を詳しく知りたいと思っている。あなたは、一人ではない』」
そう言い残して、リフトに乗って行った。
少しでも自分が他人から必要とされるのは、嬉しいことだった。セカイや怪獣のことは保留し、合宿を楽しんでいいように思えた。ふとロッジを見ると、引込さんが窓からくすくす笑っていた。
「あたしも滑ってみようかな」
羽前さんが呟くのが聞こえ、僕は振り向いた。
「あ、聞こえましたか。気にしないでください。ひとりごとです」
羽前さんは平常通りの無表情だった。内心読めないけれど、「正義」以外のことを口にする羽前さんは珍しい。
考えてみれば、「怪獣」が滅んだ時点で、「正義」も終了した。ほかのことを考える余裕も生まれる。羽前さんは俯いて自分の手を弄り回している。もしかして滑りたいのだろうか。
「羽前さん、滑れる?」
「経験ありません」
「じゃあ、昼ごはんでも食べて、ちょっと滑ろうか? 僕も初心者だけど」
「――はい」
羽前さんは答えた。深海のような瞳の奥に、微かな興味が気泡のように浮かんだ。
僕達は食堂に戻り、三人で昼ごはんを食べた。まわりのお客さんがカレーライスを食べてるのを見て、僕達もカレーライスを食べた。こういう場所で食うカレーライスはなぜうまいのか。
午後は引込さんも一緒に滑ることになり、三人でフロントに用具を借りに行った。羽前さんは黒いコートタイプのウェアと、ダークブルーのスキーを借りた。いつもの服と変わらない見栄えになった。
引込さんは[Xスノーパーク]のマスコットの着ぐるみをウェアの代わりに借りた。宣伝になるので貸出は無料らしい。ナスのようなずんぐりと膨れた体形で、安定は悪そうだ。デザインも遭難者が見ても逃げ出しそうな顔だった。かわいらしいデザインを目指したのが裏目に出たとしか言いようがない。体色は暗い蛍光ピンク。かなり微妙だ。「X山の精霊」を表しているらしい。
羽前さんは雪の上で立つこともできないレベルだったので、僕でも教えられることは結構あった。蟹歩きで斜面を登り、直滑降ぐらいまでできれば、いまは充分だろう。リフトにも乗れるようになったら言うことはない。でも、見たところ、ここのゲレンデは上のほうは急斜面で、コブもたくさんある。リフトに乗っても降りて来れなくなりかねない。
僕達は宿の近くの平坦な場所で地道に練習を始めた。まずはストックを補助にして立ち、板を前後に動かすところから。
ふとゲレンデを見上げるとコブ斜面を大胆に滑っている太ったマスコットが居た。華麗で大胆なモーグルだった。色々な意味でさすがだなあ引込さん。
降りて来た引込さんは、「中が空洞なので意外と膝が使えるのですわね」と言ってた。
お客さんが何人か集まって来た。スキー場のデモンストレーションだと思われたらしい。サインを求められた引込さんはマスコットの名前を書いて返した。写真撮影に応じたり、手を振ったり、ポーズをとったりの仕草もお手のものだ。マスコットだからか、お客さんの前では無言を通していた。ひとしきり対応を終えると引込さんは言った。
「頑張ってくださいね杏奈さん。基礎の反復は上達の早道ですわ」
「はい。理解してます」
引込さんは手を差し出した。羽前さんは両手で大事そうに握手した。そういえば羽前さんはSNOWBLOOMのファンだった。握手の拍子にバランスを崩して転んだ。
「わたくしがこのゲレンデを百本滑るのと、杏奈さんが十メートル滑れるようになるのと、どちらが早いか競争しましょうか」
「はい。おねがいします」
勝負を宣言し、ピンクのマスコットはリフトを登って行った。
山の日は速く暮れた。ロッジは日陰側の山襞にあるので、太陽が沈むと瞬間的に暗くなった。たちまちゲレンデは寒くなった。地形的にも冷気が溜まるらしい。切り上げることにした。
羽前さんは十五メートルくらいは滑れるようになり、簡単なターンもできるようになった。引込さんもちょうど百本目を滑り終えて降りて来た。引込さんはマスコットの頭部を取り、羽前さんが最後に十五メートル直滑降するのを見届けた。
「すごいじゃありませんか。わたくしの完敗です」
引込さんはいつものように崇高なほどの微笑で称賛した。羽前さんは軽く口元を緩めて頭を掻いた。悪い気はしていないようだった。
部屋に行くと、まだ泉さんは戻っていなかった。僕は畳に『名言集』が置かれているのを見付けた。忘れたまま滑りに行ったのか。……大丈夫なのかな。
羽前さんは引込さんに誘われて浴場に出掛けた。宿の売りは温泉で、浴場は三つもあるそうだ。僕は後でゆっくり入ることにして、部屋で留守番を引き受けた。二人が出て行ってから、僕はスキーですっかり湿った靴下を脱いだ。畳に素足をなぞると最高に気持ちいい。
二人が浴衣姿で戻って来た。引込さんが何を着ても似合うのは予想通りで、最高にキマっていた。
さらに、羽前さんが別人に見えるほど似合っていたのはびっくりした。率直に言って浴衣には洗い上がりの黒髪が一番だと強く思った。
「なんです?」
羽前さんは上気した顔で言った。恥ずかしがってるんだろうか? まさかな。風呂でのぼせているんだろう。
部屋に放送が入った。夕食の時間のようだ。僕達は三人で食堂に移動した。
他のお客さんもわさわさと集まって来て、各自で食事を始めた。
温かいお茶と料理の湿気がうっすら充満し、心地良い空気だ。僕達が座ると宿の人が配膳してくれた。僕は何となく、怪獣はここに来ましたかと訊いてみた。来なかったと言われた。X山の天上世界は以前と変わらず稼動していたのだろう。その事実を知って、どことなく嬉しくなった。
ただ、昼間の食事をちょっとだけ後悔した。夕食はカレーライスだったからだ。でも、寒さでカロリーを奪われた腹には、染み込むように入った。とてもうまかった。ちなみに昼と違ってハンバーグが載り、サラダと味噌汁がついた。厨房側のテーブルではカレーのおかわりを配っている。一杯目を片付け、もらいに行こうとした時、泉さんが雪だらけでテーブルにやって来た。
「『わたしの分も頼みたい』」
泉さんは椅子を引いて、埋まるように座った。体力を使い果たしている感じだ。手袋やゴーグルを外す力もないようだ。
『名言集』を忘れた反動で体力が制御できず青森まで行って来たそうだ。
*
ごはんを食べると引込さんたちはまた風呂に向かった。泉さんはぎゃーぎゃー言っていたけど引込さんが何かを耳打ちすると観念して連れて行かれた。何を囁いたんだろう?
僕も風呂に行ってみた。浴場の屋根は高いドーム型で、洗い場の壁で隔てられていたけど、湯煙にまみれたやけに色っぽい声が女湯から聞こえた。ある意味、合宿に来たことをいちばん強く感じた。熱くて気持ち良かった。
風呂上がりの泉さんは浴衣を着ていなかった。黒の生地にゴールドのラインが入った田舎のチンピラのようなジャージだった。男物かもしれない。意外に似合ってた。僕は女の子がだぶだぶの服をもてあまして着ているのも好みらしい。
部屋ではみんなして何をするでもなくだらだらした。
泉さんは部屋の真ん中に横になって引込さんの物らしいレトロな携帯ゲームをしていたけど、飽きたらしく五分もしないうちに『名言集』に切り換えた。羽前さんは窓際の椅子に座っていた。ちらちらと泉さんを見ているのは、話し掛けようとしているらしいけど、結局糸口がつかめず諦めた感じだった。そういえば二人の関係はいまだに微妙だ。でも、それはそれで、見ていると微笑ましかった。羽前さんは浴衣の風通しが気になるらしく、しきりに袖を振ったり衿を捏ねたりしていた。
「『枕投げ』」
突然、泉さんが呟いた。前触れのない一言に戸惑った。羽前さんもぴくりと反応した。気のせいじゃないようだ。言った本人は何もなかったように黙読している。……したいんだろうか?
するとそこに、両手に大荷物を抱えた引込さんが戻って来た。引込さんは畳にどさりと荷物を置いた。二階の売店で調達して来たらしい。大きな透明のビニール袋には、お菓子がはち切れそうに詰まっていた。油っぽくて青海苔がくっつきそうな濃いめのスナックから、チョコレートとスポンジケーキでできた甘めの個包装の菓子まで。飲み物も二リットルのペットボトルが十本近くあった。
「『怪獣まんじゅう』はありませんでしたわ。まだ時期尚早ですわね」
さらに、お土産にしてもいいからと、雪山をイメージした名産のお菓子をLサイズの箱で幾つも差し入れてくれた。独特の堅いウェハースにホワイトチョコレートが挟まれた、食感のいいお菓子だ。
それらは宝の山のように見えた。食事の後だったので食べられないだろうと思っていたけど、お菓子や飲み物の山を見ていると妙に食べたくなった。手が伸びた。雰囲気がそうさせたんだと思う。
宴会が始まった。
泉さんは何度か中座し、そのたびにお色直しみたいにコスチュームを替えて出て来た。
まさにパジャマ、という印象の、狂った西瓜のような縞々のパジャマ。
怪獣映画の怪獣の着ぐるみ。
羽前さんをからかうかのようなハーフコートを纏った姿。
ある意味で非常にレアな、第五高校の制服姿。夏服のところからみて引込さんに借りたんだろう。サイズもゆるゆるだ。
そして最後に、浴衣で登場したのは意表を突かれた。正直、忘れられないだろう。さっきの田舎趣味のジャージは、このための布石だったのかもしれない。羽前さんも素晴らしかったが、泉さんも違う趣があり、勝るとも劣らなかった。
お菓子も飲み物もすぐ減った。スナック菓子のどぎつい油の旨味が脳内を突き抜けた。胃で固まってキャンディーができそうな人工ジュースの濃厚さも、くっきりと整った味に感じた。部屋の電灯も畳の細かな目にピカピカと反射して奇麗だった。そして、途切れない燃料のような会話は、空気のようなメインディッシュだった。つまり、いちばん希少なものに贅沢に囲まれていた。目から、耳から、鼻から、肌から、入る全ての情報が脳で一つに融け合い、食べたことがあるどんな料理より「おいしく」感じられた。
泉さんがチョコレートを追加で買って来た。四種類のフルーツやアーモンドの味が楽しめる、昔からあるチョコレート。泉さんは裏返したチョコレートをパズルのようにシャッフルし、一ピースをつまんでぼくによこした。ああこんな味だったよな。懐かしい味がした。「『なんの味?』」と訊かれ、「バナナ」だった言うと、「『思ったとおり』」と言ってニコッと泉さんは笑った。泉さんにしては今夜はよく笑っている。ところで、このチョコレート、売店で売っていたかな。まあ、いいか。
宿に着いた時、僕は宴会どころか、冬ごもりみたいな気分だった。
けれど、今は違った。
最後の晩餐的な悲壮感でもなかった。
単純に楽しんでいた。
僕は、朝とは違って、夜には笑っていた。
笑えた。
心から笑っている自分に気付いた時、僕は不意打ちのように驚いた。そして、じわじわと嬉しさが込み上げた。だらしなくも気持ちがいいパーティーの空気に埋もれ、ここちよく眠くなった。
つまり僕は、幸福感に包まれていた。
結局、「怪獣事件のおさらい」なんかしなかったけど、今はさほど懸案にも思わなかった。
考えてみたら、三人の神に囲まれ、僕は嬉しくないはずもなく、楽しくないはずもなかった。
冷静にみて、引込さん、羽前さん、泉さんという三人はふつうの高校生男子の審美眼的に天国的最上層の造形であるのは端的に明らかだ。造形だけではなく、それぞれの独自性にも、とても光るものがある。だから冷静にみて、三人に囲まれて一泊を過ごせる僕は幸福にもほどがあるんじゃないかと思った。そんな当たり前の事に、今更に気付いたんだ。いつもと違う場所に来ている高揚感もあったと思う。今の僕は、与えられている環境への感謝以外には、何も感じていなかった。この環境を、合宿に来たことを、今の僕の世界を、ありがたいと思った。僕だけではなくて、三人もそれぞれに楽しんでくれていたら言う事も無いし、僕も少しは役立てたかなと思えた。
僕は今まで、怪獣に取り憑かれてしまった下界のことで、心が塞いでいた。
だけど、僕は今、ふと思いはじめた。
下界が『一部可変ループ』の悲劇をたどるとしても、べつにかまわないのではと。
外から見るから悲劇に見えるんじゃないか。実際に確率で言ったら、極限的な生と死の体験をループできるなんて事は、ふつうの生活を送るのに比べたら、滅多にないチャンスじゃないだろうか。もちろん苦しんで死ぬのはイヤだけど、相手が怪獣なら人間は一瞬で殺されてしまう。苦しむ時間もない。
……そうだ、僕は何を塞ぎ込んでいたんだろう。
考えてみたら、怪獣は前から居たじゃないか。【正義】の内部の怪獣だったけれど、襲われれば脅威には変わりない。今の怪獣と同じだ。僕達は予行練習をしていたはずなんだ。
僕は正義任務で怪獣と闘ったとき、ずっと落ち込んで部屋でフテ寝してただろうか。「悲劇」を嘆き、浸っていただろうか。そうじゃなかった。
むしろ、怪獣が町を襲いだしてから、羽前さんとの出会いがあった。泉さんとX山に来たりもした。引込さんのライブにも行ったりした。楽しい焼け付くような思い出が、いっぱい残っている。その時は夢中だったけれど、振り返ると貴重な体験だらけに思える。ふつうなだけの日々を、ふつうのペースで流していたら、絶対に体験できない出来事。
だから、悲劇なんかじゃない。
破壊と復元のループ・セカイ。こんなふつうじゃないセカイに暮らせる人は限られている。考えようによっては、とびきり結構とも思える。また僕達は、ふつうでは経験できない日々を経験できるかもしれない。
これからは僕達だけじゃなくて、下界に住む人みんながだ。
外からは不幸にしか見えなくても、中に居る人にとっては、違った世界が広がるはずだ。きっと不幸なはずがないと思う。外から見るのとはちがうから。
僕の内側の経験が、大丈夫だ、と言ってくれている気がする。
だったら、これからの僕達の世界が、日々の隅々が、今までより充実しますように。
奇麗で独自なものでありますように。
僕はしずかに、そう希望した。
これから下界に帰っても、怪獣とうまくやっていけそうな予感がした。
*
気付くと、パーティーが一段落したのか、しんと部屋が静まっていた。
時間を忘れる夜は過ぎた。
冷気のふとんに包まれたように部屋は寒かった。窓際のオイルヒーターは深夜になると止まるらしい。
泉さんは横向きで膝を抱えるように寝ていた。なぜか頭にお菓子のファミリーパックの袋をかぶっている。どうやったらそういう格好で寝ようと思うんだ? 「『明るかったから』」とか? だけど窒息したら危ない。袋は取ってあげた。これが本当に神? そう疑うような、あどけない寝顔だった。丸っこく開いた小さい口が微笑ましい。顔のあちこちに青ノリがくっついている。
「泉さん、風呂にでも行って来たほうがいいよ」
揺すってみたけど起きない。「『やだ……。やめて……。そんなの名言じゃない』」とか寝言をいっている。うなされてるらしい。
泉さんはただでさえ風呂が嫌いだし、このまま寝せることにした。
押入れのそばでは自分のふとんを敷いて既に引込さんが寝ていた。気配がないので危うく踏み掛けた。まっすぐ仰向けに寝たまま、呼吸音すらしない。奇麗な死体のようだ。あいかわらず存在の濃度が低い人だ。
今は何時だろう。僕は風呂に入ることにした。体をほぐしてから寝ようと思った。
泉さんにふとんをかけ、電気をぱちぱちと消して常夜灯にし、浴場に向かった。
しんと静まった廊下。とはいっても、明かりはついている。
古い自販機前のソファに、羽前さんが居た。
考え事をしているのか、僕が近付いたのにも気付いた様子がない。
「羽前さん?」
僕は声を掛けた。
羽前さんはハッと振り向き、立ち上がった。部屋の外は寒いためか、ハーフコートを羽織っている。
「どうしたの?」
羽前さんは黙って俯いていた。いつも通り、起動途中のロボットのような表情だ。内側は分からない。羽前さんは、しばらくそうしていた。
そして、静かに駆け寄って来て、僕に身を預けた。
僕は突然のことに、身も心も止まったようになった。
えっと……これは抱きしめ返せばいい……のか? 宙を漂っている自分の腕が格好悪い。羽前さんの髪の毛なのか、それとも体からか、枯れたハーブのような匂いがする。注意しないと気付かないかすかな香り。でも、悪くない匂いだ。
羽前さんは重力を切り離すように離れ、自分で驚いたように僕を見た。
顔を伏せて言った。
「――反省、していたんです」
「……反省って、何を?」
「――あたし、だめですね。知らないあいだに、怪獣の神を作ってしまっていたんです。これから怪獣に破壊される人々や町や麻形市を思うと、頭が真っ白になります。なんて巨大な罪でしょう。あたしはとても無能です。融通はきかないですし、『正義』の能力も終わってしまいました。役に立ちそうにありません。あたしは生きていてもしょうがないですね。でも、あたしごときの生きるの死ぬのという問題に皆さんを巻き込むことも申し訳ないですよね。この話は忘れてほしいです。聴かなかったことにしてください」
羽前さんはキュッと外套の裾を握った。まるで人間のような心細げな動き。
怪獣の神という途方もない存在を作ってしまったこと。にもかかわらず、自分が誰からも責められず平然と存在できていること。そんな状況に呆然としていた。羽前さんは悩んでいたのだ。でも、怪獣を作った本人にしか分からない戸惑いや諦めを、誰にも見せることができなかった。
事実上、【正義】の能力も、今の怪獣には効かない。ロボット怪獣が泉さんに倒された時、「正義の味方」の仕事は終わりを告げた。羽前さんが自信を無くすのも無理もない。
でも、そんなに悲観するようなことだろうか。
僕は宴会で知らず知らずに高揚していたのかもしれない。なんとかなる気がした。
怪獣の神は存在する。でも、羽前さんもきちんと存在している。その状況が今の世界の安定感を語ってくれている気がした。
だって、羽前さんは神だ。怪獣の神と同じで、神なんだ。それならどうして悲観することがあるんだろう?
下界を破壊ループさせる怪獣の神。
なぜそんな超越的な怪物を作ってしまえるのだろう?
答えはハッキリしている。羽前さんが神だからだ。「『神を作れるのは神だけ』」と泉さんは言ってた。
神すら作り出せるのが、神という人間の特性なのだ。
だとしたらその特性を、もっと良い方向に生かせないだろうか。
そうだ。正義の神の出番は、そこであるはずだ。
泉さんが「『備える時間はある』」と言ったのは、きっとそういう意味だ。
たしかに【正義】の神の、現在の役割は終わった。
だけど今からも、羽前さんには使命が残っている。
現在の怪獣に対応した中味へと【正義】の能力を進化させることだ。
それなら僕は、正義の味方の仕事を考えることで手伝えると思う。一緒に考えよう。怪獣という巨大な問題をなんとかできないか。設備を進化させるにはどうしたらいいか。分からないことがあったら、泉さんや引込さんも教えてくれるだろう。
一緒に神の勉強をしよう。
自分達のことを。
「……大丈夫だと思うよ」
「え」
羽前さんは驚き、顔を上げた。
「だって、羽前さんは神でしょ? これから神化すればいいんだと思う。羽前さんの『師匠』さんも、そう言ってた」
落ち着いた口調になっている自分に気付く。
神のことを話すのは、心地いい。どこかで深い仲間意識を感じるんだろうか。
「それに、僕だって、羽前さんを尊敬してる」
羽前さんは神の先達だ。次はどんな能力を見せてくれるのか楽しみだ。
僕自身も自分の神の力がどうなるか楽しみだ。
「いろいろ勉強させてほしいし、わからないところは一緒に勉強しよう。『正義』の仕事がなかったら、一緒に考えよう。学校の規制委員会なんかから始めたっていい。これからも『正義』の仕事を手伝うよ」
羽前さんはまた俯いた。……何か失礼なことを言っただろうか?
じっと黙り込んだ羽前さんは、顔を上げて、きっぱりと言った。
「助けなら、要りません。正義の味方は強いものですから。助けられなくても、やれます」
あ……そうか。僕は不用意だった。羽前さんの矜持を踏みにじることを言ってしまった。叱られても仕方ない。
「ですが、たまになら」
「え?」
「たまになら、助けてもらいたい時も、あるかもしれません……」
羽前さんは俯いたまま呟いた。そして僕を見た。わずかに柔和な輪郭の表情。肩の荷が下りてホッとしているような、穏やかな顔にも見えた。今の羽前さんは、ほとんどのパーツがロボット的な機械でできている、人間の女の子のようだった。地味めな佇まいの中から滲み出す色気があった。
僕は思わず、見とれてしまった自分に気付いた。羽前さんはますます自然な優しい笑みを向けてくる。僕はその時、神の親近感とも違う、もっと深い感情に引っ張られるのを感じた――ちょうどそこで、くしゃみが出た。寒い廊下に出て来たせいだろう。そういえば風呂に行くところだった。僕達の空気は、やわらかに弛緩した。羽前さんは僕を見て、塾時代のようにくすくすと笑った。何がおかしかったんだろう。
「……それじゃ、僕は風呂に行くから。羽前さんも部屋に戻ったほうが。ここは寒いし」
「そうですね。足止めしてしまい、申し訳なかったです」
僕は風呂の方へ歩いて行こうとした。
「あの、言いたいことが。いいですか?」
呼び止められ、僕は振り向いた。
羽前さんは歩いてきて、僕の耳元で、「これからもよろしくです」と言った。
そのとき、羽前さんの唇が、僕の頬に触った。
羽前さんは風呂に向かう僕を、カタログにだけ載っていてまだ発売されていない、かっこいいロボット模型のように見ていた。
*
ちょうど泉さんがむくりと起き上がった。なぜだか浴衣は帯から下に見事にはだけている。ひどい寝相だな! 白い小さな上半身があらわになっている。黒っぽいシュミーズ(だと思う)しか着ていない。え、これ、下着……。まずくないか!? 窓の障子からにじむ白い光が泉さんの体をやわらかく照らしていた。やや逆光ぎみになり、あまりあからさまには見えなかった。僕は素直に奇麗だと感じた。起き抜けで寝ぼけているんだろうか、いや、寝ぼけていても、泉さんのカラダが奇麗なのは事実の可能性が高い。
「『ん……脱がせたのは、あなた?』」
「え……いや、ちがう、僕じゃないよ」
僕は否定した。ただ、近くに寝ていたのは僕だから、疑われるのも当然だ。
「『そう。残念』」
「え?」
「『寝言』」
泉さんははだけた浴衣を羽織り直すと、かけぶとんごともそもそと這って行き、残り物の袋からチョコレートでコーティングされた棒状のお菓子を出して食べ始めた。
「お目覚めなのですわね。おはようございます」
見ると引込さんが座っていた。優雅な仕草で座礼をされると、つられてこっちも座礼をしてしまった。引込さんは浴衣の上にえび茶色の羽織を着ていた。なんでも穏やかに肯定する笑顔には和装もよく合った。自分のふとんはきれいにたたみ、荷物もきちんとまとめられていた。そして、引込さんの隣には、畳まれたふとんがもう一つあった。
……あれ。羽前さんは?
「少し前に朝食の放送がありましたわ。わたくし達もおいおい行きましょうか。……サキちゃんがお菓子を食べましたら」
と言って、引込さんは熱い緑茶を淹れてくれた。
朝食はシチューだった。昨日のカレーと材料が同じだ。ルーだけを変えたものとわかる。カレーには入っていないブロッコリーが入っていて、朝食なので味噌汁がついた。
僕達は窓に近いテーブルに座った。ゲレンデは強風で吹雪がちだった。外に出ているお客さんは多くなかった。引込さんは優雅に味噌汁をすすった。泉さんは僕にブロッコリーを分けて寄越した。好きじゃないんだな。
今日も帰る前にみんなで滑ることにした。朝食を食べながら、みんなで決めた。
チェックアウトのあと、フロントに荷物を預けて、昨日と同じようにスキーを借りに行った。今日は引込さんも泉さんに合わせてボードを借りていた。
宿の前のなだらかなスロープで羽前さんが練習していた。ごはんを先に食べ、一人で滑っていたのだ。食堂の窓からも見えた。きのうと同じ、黒い上下のウェアに身を包んでいたから、すぐ分かった。
その時、僕は強い違和感を覚えた。
それはとても新奇な印象。悪いものではなかった。
その違和感が頭上から来ていると気付き、僕は上を見た。
…………晴れ、た?
厚い灰色の雲間から、青い光が射し込んだのだ。天にできた、ほんの線のような裂け目。それは久しぶりに見る、空の色。それは、すぐそこにあるように、手で掴めそうなくらいに近く思えた。目に痛いほどなのに、心がみずみずしく潤される空だった。感動ものだった。
どうして……? 怪獣が君臨している今、空が見えるはずなどない。
……いや、ちがう。
もしかしたらこの現象は。
このスキー場にはいま、神が集まっている。だからこれは、ちょっとした奇跡。だけど、神には当たり前の出来事。僕は頭がくらくらしてきた。なにか、この世界を、とてもいいなと思った。
一筋の青空は、厚い雪雲のきまぐれのように、すぐに塞がれた。
光の名残の中で、雪が降り続けていた。
よし、いこう。
僕はスキー板を持ち、羽前さんに近付いて行った。
ふつうに生きよう。いまも、これからも。
きっと未来はどうにかなると思う。実際、一見ひどいことになっても、きっとうまい具合に収拾がつくはずだ。
町の人々や僕には、神が三人もついてる。
いや、そうじゃない。
つまり――僕達は、神なのだから。
(終)
【あとがき】
読んでくださった皆様へ。
終わりまで追っていただき、本当にありがとうございます。
お楽しみいただけたならば、この物語は、とても幸せであることでしょう。
物語という幸せが、幸せという物語が、変わらず皆様の頭上と足下にありますように。
[作品執筆期間:2012年11月1日~2013年4月19日]




