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神と怪獣としての世界  32

 ……闘、う? 

 場違いな台詞を聞いた気がして、僕は顔を上げる。

 まぶしい光が、機内にシャワーのように入った。

 外の景色の変化に、言葉を呑み込んだ。

 怪獣に壊されたはずの街が、煌々ときらめいていた。ビルの下から、にょきにょきと、新しい巨大なビルが林立した。

 街が再生していたのだ。

 駅前は輝きで満たされた。宝箱の蓋を開けたかのようにだ。近未来のような街並みだった。……いや、けれど、どうやら雰囲気が妙だ。碁盤のような建物や、鋭角にナナメに突き出ている建物。地面からは巨大な光ファイバーのようなチューブが生え、海洋生物のようにのたくる。

 僕は直感した。これは生物の存在を意図していない街だと。前に羽前さんが「MS」を部分起動させたことがある。この景色は、あの発展形なのだ。街を偽装した防衛と攻撃設備。兵器で埋め尽くされた箱庭。

「これは、『MGT(マガタ)』――!? どうして。まだ工事は途中のはず」

「羽前さん、どういう事? 麻形市にも『MS』と同じ設備があったの?」

「ええ。怪獣が麻形市に出現して以降、『MS』と同様の設備を麻形市にも敷設していたのです。しかし工事は着工段階にすぎなかったはずです。それを、あの子は配備を最終段階まで加速させ、発動にまでこぎつけてしまった。恐るべき能力です」

 羽前さんは興奮を吐き出す。

[『わたしは敵対する神の能力を、ある程度再現できる。これは特別な能力ではない。どのような神も訓練の途中で習得する「模倣」の技能』]

 泉さんは、羽前さんの能力を再現したというのか。

「たしかに『模倣』は神の初歩の技能です。師匠の技術を習う過程で使います。ですが、通常は相手の能力の絶対値内で行われ、超えることはあり得ません。あの子の『模倣』はオーバーロードされてます。悔しいですがあたしなど比べ物になりません……っ」

 羽前さんはすがすがしく嘆く。

 泉さんは、【存在】を操るという、高すぎる能力を発動させている。「模倣」に至っても時間と空間を超越してしまい、羽前さんよりも格段にスケールアップしているのだ。

[『あなたはわたしが、塾で唯一、強敵(とも)と認めた人。ここで決着をつけたい。わたしと闘って』]

 泉さんは鏡のように淡く煌めく眼で僕を見た。それは、理解不能な訴えだった。なのに僕は何故か、熱い鋼線が胸に刺さるような気持ちになった。

「闘う……? どうして?」

 泉さんは、にっ、と口元を綻ばせた。言葉にするのは野暮だ、という表現か? 『名言集』は開いている。無言という台詞なのか?

 なぜなんだ? なぜ僕は泉さんと闘わなきゃならない? 闘い方が分からない。神の力の操作法を知らない。泉さんと闘う理由も分からない。

 でも、辻褄なら合う。

 泉さんが「探し物」をしていたのは、僕の神が目覚めるのを待っていたからだ。対等に闘える条件が揃うのを待っていた。

 泉さんは、僕と闘うのを待っていた。

 泉さんと、闘いたくない。

「今は闘ってる時じゃない。街が破壊されてるし、それに」

「『なら、いつ闘うというの?』」

 僕は戸惑った。

 僕は自分では泉さんと戦うことはしないだろう。つまり……闘うのは今しかない。泉さんは、そう言っているんだ。

「『いまは、闘う時。わたしはあなたと闘いたくて、中身がぐちゅぐちゅに溶けるくらい、うずうずしていた。もう、待ち切れない』」

 ……そうか。

 泉さんは、「いま」、続きを見せてと言った。

 それは、いまの僕・・・・が物語の続きを書くことだ。現在の状況の続きを演じることだった。「怪獣」と「正義」の闘いに介入した泉さんと闘うこと。泉さんは、神に成った僕・・・・・・との決着を望んでいる。

「『闘わなければ、闘わせる』」

 泉さんは指を掲げる。背後に控える『MGT』のチューブがざわめく。警告的なオレンジ色に発光する触手。バイオレットに帯光するミサイル台。ハニカム状のレーザー砲を装備した巨大ビル。目くるめく近未来設備。町全体が仄暗いブラックライトを浴びているようだった。無数の兵器が僕らにスタンバイしている。

 泉さんは、ためらっていなかった。闘いを受けなければ、全火力を注ぎ込んで僕達を殺すつもりだ。ごく自然に本気だ。

「待ってくれ泉さん。少し待ってくれ」

「『……なに?』」

 苛立ちを隠さない声。本当にうずうずしている。猶予はない。

「ま、まだ闘う準備ができてないから、時間ほしい。少しでいい」

 僕は苦し紛れに言った。

「『……許可する。こちらも全力のあなたとぶつかりたい。三分待つ』」

 泉さんは腕を下げた。街の活動は沈静化する。

 僕はとても深い息をついた。

 だが、どうする?

 僕は唇を噛んだ。たぶんもう後には引けない。泉さんが後に引く気がない。だけどやっぱり僕は理解できない。状況が、唐突すぎた。なんで泉さんと闘わなきゃいけないんだ? 僕は闘いたくない。説明して納得させてほしい。

 僕は今まで、泉さんが自分の言葉で喋っているのを確信できなかった。いつも『名言集』を開いていて、それを読み上げる形式。全部『名言集』からの借り物かもしれない。それでも泉さんは本心があって僕のところに来たはずだ。僕と闘うという本心があった。今、こっちを見上げて真の意図を吐露した泉さんは、僕には本心を喋っているように思えた。氷のような視線は、いつもに増して冷たくて熱かった。闘うという目的さえなければ、今ぐらい泉さんから真心が伝わってきた時はなかった。

 どうしてもっと早く泉さんの本心を汲み取ろうとしなかったのだろう。僕は泉さんの本心を知りたかった。もっと知りたかった。本心でもっとつきあいたかった。

 ひょっとしたら泉さんは孤独だったんじゃないだろうか。塾でも1位だったし、圧倒的な神の才能に恵まれた。本心を喋る以前に、喋る相手も居なかったんじゃないのか。才あるゆえの孤独。寂しかったんじゃないのか。才能が高すぎたために、喋る言葉は周りの誰にも理解されなかった。思いが通じなかった。共有できなかった。

 だから泉さんは、諦めたんじゃないだろうか。自分の言葉で喋るのをやめたんじゃないだろうか。『名言集』を手に持ち、借り物の言葉で何重にも蓋をして、自分の本心を奥に閉じ込めてしまった。

 唐突に闘いを突きつけられたけど、泉さんにしてみれば充分すぎる理由があるのだろう。

 僕達が本心を理解できないから、脈絡なく見えてしまうだけだ。泉さんは才能がありすぎるから、逆に言うなら、泉さん以外の全員があまりにも才能が無いから、理解することができないのだ。僕達が思う「泉さんを理解する」の意味は、「普通人の理解」でしかない。泉さんのレベルで、泉さんを理解したことにはならない。「ふつう」の理解をしていても、永遠に泉さんの心には通じ合えない。

 泉さんはどれほど失望してきたのだろう。

「ふつう」の世界に。

 才能のない者だけが存在する世界に。

 泉さんには世界全部がそうだった。失望しすぎて何も感じていないかもしれない。

[『失望は、してない』]

 僕はハッとする。

 泉さんは僕を見てる。思考を見ているように。そうか。ロボットの指揮系統は、泉さんが掌握している。コンピューターの機能も可能なのだ。僕の思考と同化する機能。思考を盗むことができる。

[『むしろ、逆。わたしはいつも喜びを感じている。世界のことは、見ていないから』]

 泉さんは無表情で伝えてくる。

 世界を見ていない――? 

 なら、何を見ているのだろう?

[『神』]

 泉さんは答えた。

[『わたしに宿る神を』]

 そして続けた。

[『今は、(あなた)を』]

 迷いのない無表情。

 その時、僕は納得がいった。

 静かな毅然とした無表情。

 それが泉さんの、世界への結論なのだ。

 泉さんは世界を「こういうものだ」と解っているのだ。だから笑いもしないし、怒りもしない。解っているから、ただ見詰める・・・・・・。それは完成された無表情なのだ。まわりに同格の才能が居なければ、「そういうものだ」と見切って、もっと高いセカイに身を移す。神のセカイに熱中する。泉さんは、「ふつう」の人間に囲まれながら、神だけを見ているのだ。だからいつも、喜びを感じられる。自分に宿る神の才を高めることに、熱中している。毎秒、毎刹那、熱中している。冷めた顔に見えて、とめどもなく熱い女なんだ……。

 だから、さびしいなんて勘違いだ。

 まわりに言葉の通じる友達が一人も居ないからさびしいに決まってる、なんて思うのは、「ふつう」の価値観でしかなかった。凡人の凡見。神への「ふつう」のごり押し。この上なく厚かましい。泉さんはじぶんの孤独を幸せと言うのだろう。心から、言うだろう。孤独をこの上なく愛する、それが天上に凛々と存在する、神というものだ。

 僕は泉さんの「幸福感」を理解した。理屈で、理解した。でも、僕自身は同じ「幸福感」は感じられない。僕は泉さんほど、神じゃないからだ。泉さんよりだいぶ「ふつう」なんだ。だから僕は泉さんと同等の足場には立てない。

 でも、隣になら立てる。

 隣で「僕は泉さんのことを分かる」と言ってやれる。

「僕は、泉さんの分からないところと分かるところを、両方ちゃんと知ってる」と。

 それって大事なんじゃないか。越権もしない。卑屈にもならない。ありのままを見て、見たままを言うってこと。神の姿をふつうに・・・・見れる人間が傍に居れば、神も暮らし易いんじゃないだろうか? 

 そして僕は、泉さんと仲良く暮らしたい。今までみたいに、一緒に暮らしたい。そう思ってた。だから大丈夫だ。僕達は共通の方向を見れるはずだと思う。

 なのに。どうしてか泉さんは敵になって。

 ひとりでぽつんと、反対側から僕を見ていて。

 僕は、椅子から立ち上がった。

「……羽前さん、来てくれる?」

「どこに行くのですか?」

「降りるんだ。下に」

「――わかりました」

 羽前さんは当惑した表情をしたが、やがて頷いた。ロボットから降りることは危険だが、指揮系統は泉さんに乗っ取られている。いざという時は武器にならない。

 もうロボットは頼れない。自分達の力で何とかするしかない。

 僕達はロボットを下へと降りて行った。単調なラセン階段を駆け下りる。どこかハンバーガー屋を思い出す。

「あの、祐一」

 背後から羽前さんが、囁くように言う。

「あなたを『ふつう』の人間にしたのは、その、あたしのせいなのです。あたしが『MECCS』を祐一に使用しました。だから今まで、あなたの神の力を抑制してしまいました。あなたがもっと早く神に目覚めていれば、今の状況は避けられたかもしれません。ですからあたしは本当に申し訳ないと――」

「いいんだ。おかげで僕は神のことを学び直すことができた。神を外から観れたんだ。だから色々なことが分かったよ。羽前さんが家に訪ねて来てから、4Rに乗ったり、機械の羽前さんが転入してきたり、『正義のヒーロー』気分を堪能できたりした。神を見学するツアーは、とても新鮮だった。夢心地のアトラクションが続いてるような気分だった!」

 僕は、即答した。僕は羽前さんを信頼している。『MECCS』を使ったのは理由があるのだろう。責めるようなところじゃない。

 それに僕は、神から疎遠だったおかげで、答えを見つけられた。つまり、神々が居るセカイの景色を、新鮮味を感じながら、受け入れることができた。羽前さんには感謝してる。

 そして今は、僕の答えを、泉さんに伝えないといけない。

 僕達は階段を降り、ロボットの足首の連絡口を開けて外に出た。

 ロボットの輝きと『MGT』の光のパノラマ。

 いちめんに雪が真っ白に降り注いでいる。眼に痛いくらいの明るさだった。暗い機内にずっと居たからだろうな。

 すぐそこに、泉さんが居た。

 雪と反対色の黒いパーティードレス。白いけれど雪に溶けることのない淡い肌。浮き立つ『名言集』の枯れたワイン色。

 ロボット以上の存在感が、小さい体にあった。

「……物語(ノート)の続きを見せて、って言ったよね」

 僕は呟く。ロボットの中に居て、テレパシー状態でも、思考は伝わるだろう。だけど自分の声で言いたかった。僕は自分自身でも、自分の気持ちを確認したかった。まだ確認できていない思いを言葉にしたかった。

「泉さん、聴いてくれ。僕は、ふつうだよ。神だなんて言われてもしっくり来なくて、それはたぶん、僕がどうしようもなく、ふつうの人間だからなんだ」

 僕は自分の考えを、思い浮かぶと同時に、吐き出す。泉さんにぶつける。それは、本心を教えてくれた泉さんへの礼儀だと思った。

「……だから、ふつうに成る・・・・・・。それが僕の、答えだ。僕が思ってる、物語の続きだ。僕が思っている、ふつうの世界を、僕は進みたい。今までみたいにだらだらじゃなくて、みんなを見倣って、まじめにやりたいと思ってる。僕はこのふつうの世界を支持する。この世界で、羽前さんにも、泉さんにも、引込さんにも、会えたからだ。だから僕は、泉さんと闘いたくない。どっちも傷付きたくない」

[『それがあなたの考え? わたしの意図は、聊かも揺るがない。あなたと闘うことは、わたしの情熱だから。はじけなければ、情熱は消えない。猶予は残り11秒。あなたの考え方は、セカイに対して無力。力なき宣言は、醜悪』]

 泉さんは答える。

 僕も答える。

「……そうだな。分かってる。ふつうに成るには……。ふつうであるためには、力が要る。僕はそれを、教わった。だらだらやってちゃいけないし、手抜きしたりしちゃ駄目なんだ。そんな事してたら、ふつうの人間は、怪獣に殺されてしまう」

 ふつうで居たいなら、ふつうを真面目にやらなければいけない。

 神のように。

「僕はふつうに暮らしたい。泉さんとも一緒に居たい。それがふつうだと思うから。……でも無理なら、泉さんが邪魔をするんなら、泉さんと闘う。……ふつうを守るために・・・・・・・・・!」

 泉さんは鉛のような半眼で、ぎらりと凝視する。威圧感が迫って来る。闘うことは決まっている。そういう目だと分かる。泉さんも自分の答えを持っている。それでいいと僕は思った。僕にも答えがある。これは、仕方ないこと、いや、当然こうなると決まっていたことなんだ。それぞれの「当然」が、ぶつかりあっている。それなら流れに乗るだけだ。そのままぶつかるのも「当然」でしかない。思いを吐き出したら、僕はすっきりした。

 今、僕にできることは、僕の全部をかけて、泉さんにぶつかっていくことだった。言葉でも、力でも。恥ずかしいセリフだけど、ほんとうにそうだった。それしかなかった。全体をさらけだした相手に、全体でぶつかること、それは本来は、恥ずかしくなんてなく、気持ちいいだけのことなんだ。すがすがしくて爽快なことなんだ――。僕は今、そういうふうに、ほんとうに感じてた。

[『わかった』]

 泉さんは頷いた。

[『(あなた)がふつうに成ること。それはとても、際どい。でも、魅力的。神の道のみを歩んだわたしには困難な発想。あなたが塾から脱線した意味は、あった』]

 泉さんはもう一度僕を見た。

 その顔が、はっきりと、微笑んだように見えた。

[『あなたは、成長した』]

 

 泉さんはそう言って、

 最も「らしくない」顔をした。

 

 僕はその顔を見ても昔の事は思い出せなかった。なぜ記憶がよみがえらないのか、とても悲しかった。だけど僕は昔からこの人を知っているんだ、知り合えてよかった、と改めて思った。そして、泉さんは「らしくない」ことをしても、すぐに自分のものにする。全部『名言集・・・に収められているから・・・・・・・・・・

[『この本はリミッター。わたしは自身の認識を一点に制限している。力が大きすぎて、セカイに何が起きるか分からない。しかし、あなたが相手なら、リミッターは解く』]

 泉さんは『名言集』を右胸の格子状のバンドに収めた。『名言集』はリミッター……? だからいつも読んでいたのか? 認識を制限し、自分の神の力を制限するため。

 たしかに泉さんの力は並外れている。むきだしの心でセカイに対したら、セカイが常に神の力によって改変されるような事態になりかねないのだろう。だから力がセカイに向かないよう、心を一つのものに引き寄せておく必要があった。それが『名言集』だった。

 いったい泉さんの真の力はどれほどなのか?

[『わたしはあなたに最高の奥義をみせる』]

 泉さんは静かに言った。

 両手を下ろし、脱力した姿勢で立っていた。しかし、ほとばしるスノーブロンドの神気(オーラ)は、何十倍にも高まっていた。揺れる髪の一本一本が、厳粛に美しかった。泉さんの瞳には、無限の余裕があった。何もかも飲み込みそうな蒼穹を湛えていた。

 どんな技が来るのか。一瞬で消し飛ばされてしまいそうだ。【存在】の力ですら、「想念通りにセカイを変える」という、桁外れの能力だった。それ以上の「最高」の技があるというのか。

[『どうしたの。あなたの力を見せて』]

 泉さんは力を発動するよう促した。

 僕は泉さんから「同等以上の力を持つ」と言われた。だけど僕なんかが本当だろうか? 本当にそんなことが? いや、泉さんの見立てだから、確かなんだろう。僕は泉さんに、どのぐらい迫れるだろうか。泉さんはそれを期待している。僕も、望んでる。――だけど僕は、力の出し方が分からない。隠されている力の使い方が分からない。泉さんみたいに、羽前さんみたいに、セカイを変質させられない。欠片ほども変えられない。どうやったらいいんだ、どうしたら。僕は何もできなかった。

 そのまま、時間が流れた。極度に張り詰めた時間。とうに正常な時間感覚は無かった。泉さんは僕達を見て、ただ立っていた。なのに攻めも守りも完璧。そう感じられた。無言で立っているように見えて、目には見えない厖大なデータ処理が実行されている気がした。現実世界を思うように改変するのも簡単なほどの力。正直、何が実行されているのか予想もできない。だけど途方もない力が溢れているのはわかった。泉さんを中心とした空間は完璧で厳密な制御下にあった。金縛りに遭ったように、体が動かない。動けば勝負が決まりそうだ。僕は何もできなかった。

[『来ないなら、こちらから行く』]

 泉さんが、動いた。

 来る。

 僕は羽前さんを守ろうと思い、振り返る。

 すると羽前さんは目をパチリと開け、朗らかに僕を見た。

 そして、黙って首を横に振った。

 これでいいんですと、言うようにだ。

 羽前さんは爽快な顔をしていた。偽りの顔ではなかった。虚勢にしては穏やかすぎた。なぜか羽前さんは完璧に状況を受け入れていたのだ。僕は戸惑う。この変化は、何だ……!? 

 そのときだった。

 僕も強烈な幸福感を覚えた。

 突然の変化。

 それは、劇的だった。けれど、全てが解った。

 この変化の正体――それは「幸福な空気」なのだった。泉さんの周囲の空間が変質している。

 なんていうことだ。空気が幸福そのものと・・・・・・・・・・化している・・・・・。僕達はその空間に、感染していたのだ。この空間では、雪の粒さえも、幸福に踊り狂っているように感じた。

 僕は、幸福だった。

 みんな、幸福だった。

 世界じゅうが幸福――。

 ――これが神の本気なのか。それとも、これさえ、力の一端にすぎないのか。まるで泉さんは、死の床で「救い」を与える神のようだ。

 泉さんは、じゃりじゃりと、雪を踏んで近づいてきた。

 す、と僕の前で座り込む。僕は、自分も座っていたことに気付いた。膝の力が抜けてしまっていた。

 泉さんは、僕の顔を見た。吸い込まれそうな目。宇宙を中心から裏返しにして、ぎゅっと凝縮したような目を、僕は忘れることはないだろう。といっても、もうすぐ死ぬんだろうけれど。僕は、観念した。心には一個の文字も浮かばなかった。勝負はついたのだ。催眠術にかかったようだった。何をされてもいいと思った。僕は泉さんが、文字どおりの神か天使に思えた……。

 泉さんは両手を上げてみせた。

 これも技のうちか?

 ふっと泉さんの目が元の様子に戻った。

 ふつうの佇まい。見慣れた目の色だ。まだ人間の範疇に入る目だった。

 まだ、僕は死んではいない。

 何かされたのか? 

 それとも、これからなのか?

 しかしどうも、妙だ。

 今までの有無を言わせぬ雰囲気が消えている。神気(オーラ)も消えている。力を感じない。いつもの泉さんに戻ってる。

 

 泉さんは正座をして、ゆっくりと、ていねいに座礼した。やわらかい髪の毛が雪に着く。

 しなり、という擬音が聞こえるような情景。


[『まいりました』]


 泉さんは言った。



「……………………え………………??」



 泉さんは雪を払い、立ち上がった。

[『久しぶりの好敵手の出現。あなたとの勝負には興奮した。最大の奥義で迎え撃った。しかし、わたしは、手も足も出なかった』]

 泉さんは自身を解剖するような口調で述べた。冷静に納得している様子。

 ……僕が、勝った? 

 そう言っているように聞こえる。

 闘いは終わったのだろうか?

「……どういうわけ?」

[『あなたはわたしの奥義を封じた。それがすべて』]

 僕は、何もしていない。泉さんも何もしなかったはずだ。たしかに異常な力に満ちてはいたけど、泉さんは技を仕掛けたわけではない。

 ひとりでに力の解放を止めてしまった。

そんなふうに見えた。

[『わたしの最大の奥義は、【潜在可能性】という力。【潜在可能性】の空間には、あらゆる可能性が完全な状態で存在している。この空間には、いかなる能力を持って来ようとも、相手の能力を完璧に打ち破る能力が存在する。あなたに何をされても、勝てるはずだった』]

 ……なるほど、あの時、「攻めも守りも完璧」だと感じたのは錯覚ではなかった。泉さんは確かに奥義を出したんだ。それは、「戦う前から勝っている」ような奥義。相手のあらゆる能力を封じ、それ以上の奥義で迎え撃つことができる。それは神の熟練者になるほど脅威になる能力なのだろう。将棋か何かで、達人同士が盤面を挟んで座った瞬間、「まいりました」と言う場面にも似ている。しかし僕は、達人ではない……。

 なるほど、つまり、僕は何もできなかった。何もしなかった事がよかったのだ。僕は自分の力を出す方法が分からなくて、なすすべもなくジッとしていた。僕の能力は、表には出なかった。能力が出現しなければ・・・・・・・・・・迎撃することもできな・・・・・・・・・・。泉さんは「最大の奥義」を出した。だけど奥義は発現できなかったんだ。

 僕が力を発現できないかぎり、泉さんの奥義も発現する機会は無い。

[『能力の出力が0とは予定外だった。追い込まれれば肉体的な記憶が甦ると試算していた。技能の想起を阻む不自然な因子が介入した模様』]

 泉さんはぶすっと口を尖らせ、羽前さんを見た。羽前さんは理解したように僕達を見た。そういえば羽前さんは僕に『MECCS』を掛けたと言った。能力を出せなかったのは、それも影響したのか。だとしたら僕は羽前さんに助けられたみたいだ。

 けれどなぜ泉さんは僕なんかに奥義を使ったんだろうか。【存在】の力だけでも、充分勝てただろう。雪球を投げるとか、ロボットで踏み潰すとか、何とでもなったはずだ。

 いや……だけどやはり、そんな半端な勝負はしないだろう。

 泉さんは、自分が認めた(あいて)には、絶対に最大の奥義で仕掛けて来る。そういう(ひと)なのはわかってる。

 つまり、結果的に外見としては、どうやら丸く収まったのだ。

 泉さんが作った、奇麗な球形をした雪球みたいに。

[『あなたには力を出す技術を学んでもらわないと困る。そうしないと、わたしは負けたまま』]

 泉さんは告げた。今回は猶予されたけれど、闘いの実現に意欲を示している。僕の力が未熟なままでは、泉さんは僕と闘うことはできない。つまり、泉さんの望みはずっと叶わないことになる。

 泉さんが望むなら、僕は神の訓練とやらをしてもいいかなと思った。もちろん闘うことは嫌だし、泉さんが手加減してくれるとも思わない。けれど、泉さんのように、神にしか解らない独特のセカイの見方があるのが解ったし、そういうセカイの景色が僕にも開けてくるなら、訓練は大いにしてみるべきかもしれないと思う。なにより、僕が神の技能において未熟でなくなれば、他の神の人達と共有できる話題も多くなる。考え方も理解できるだろう。今は分からない良好な関係を築けることもあり得るってことだ。その時は闘いについても今とは違う印象を持てるはずだと思った。

 ……ただし僕は「ふつう」だから、訓練についていけるか分からないし、本当の意味で神に成れるかも分からないんだけれど。でも、まわりに何人も神が居ることだし、ちょっとは感化されるところもある。感化されやすいのも、ふつうの証拠だろう。

「『わたしが教えることも可能』」

 泉さんは、さりげなく申し出てくれた。

 手にはふたたび『名言集』を持っていた。リミッターが掛かった。ずっと神モードで居ることは、泉さんにとっても負担が大きいのだろう。

「訓練でしたら、あたしがしてあげます。祐一が神を忘却したのはあたしの責任ですから」

 羽前さんが前に出て、確かな口調で言う。

何やら二人は互いの顔をジッと見ている。羽前さんには責任を感じてほしくはない。でも、訓練を担当してくれるなら嬉しい。

「『それならそれでいい』」

 泉さんはそう羽前さんに返すと、僕のところへ来る。

「『一連の事象を振り返ってみれば、あなたの才能は、神々を統合するという面において発揮されるものかもしれない。でも、あくまでも推測。わたしはあなたの力をまだ見ていない。見届ける必要が生じた。それまであなたの側を離れることはできない』」

 これからも泉さんは家に滞在してくれるんだろうか。本人が決めることだけど、居てほしいと思った。

「『あなたには【潜在可能性】がある。あなたを好きと言ったのは嘘ではない』」

 泉さんは無感情に読み上げた。もう泉さんの視線は殆ど『名言集』に向かっていた。何となく文脈に合うセリフを選り抜いて読んだのだろう。

 泉さんは言葉の意味ではなく、「気遣い」や「ニュアンス」というものでコミュニケーションする人なのだ。台詞は本に書かれたものでも、その台詞を選んだ気持ちを感じることはできたから。

 ぱたん、と泉さんは本を閉じた。本を人差し指の先に立てて、惑星の模型のようにゆるゆると回しながら、泉さんは言った。

「『さいごに二つ言いたい。一つは、あなたは誤解している様子。はじめも言ったけど、この本はわたしがつくった。全面的な意味で』」

 僕は泉さんが突然に部屋に居た時の会話を思い出す。……たしかに「わたしがつくった」と言っていた気はする。僕は「旧頁が自動消去されて新頁が自動充填される」という仕組みを泉さんが開発したのだと解釈していた。だけど、ええと、全面的っていうことは――。

「『もう一つ。わたしたちは早く退避したほうがいい。明神町あたりまで』」

「……え!?」

 僕と羽前さんは声を合わせる。

 泉さんは上空を見ている。雪の粒。しんしんと雪の粒。

 ……雪?

 そういえば、どうして雪が降っている? 異変が終わっていないのだろう? 「怪獣」は泉さんが「根こそぎにした」と言ったはずだけれど……。

 空が引き裂かれるような音が、響いた。

 カラダが分解されそうな激しい音。巨大な音の波はぶわんぶわんぶわんと伝わり、街の全域を土台から震わせた。

 今まで聞いた怪獣やロボットの鳴き声とは、異質の声。

 それは、はっきりと怪獣としか・・・・・・・・・・思えない・・・・、異世界的な咆哮だった。

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