神と怪獣としての世界 31
小さい発光体が近づいて来た。
最初、僕はそれを街灯か何かだと思ってた。
けれど天気は、周辺をカーテンのように閉ざす雪である。遠くの小さい街灯ならば、見えるわけがない。
ゆらゆらと揺れているように見えるのは、こちらにまっすぐ近付いているからだった。
小さい蛍のような光は、徐々に大きくなり、窓の正面まで来た。
それは、泉さんだった。
泉さんは、飛んでいた。
僕と敵ロボットの中間あたりで、泉さんは、空に浮いていた。間違いなく泉さんだ。左手には赤茶色の本を持っていた。
泉さんは光に包まれていた。まぶしい光ではなく、淡金銀色の自然な光だった。光を発しているというより、そこにある光に同化したような姿だった。日なたに出ると照らされるのに似ていたが、光がどこから来ているのかは分からなかった。体も光に包まれ、全体に白っぽいトーンを呈していた。
「『――』」
泉さんは僕達に呟いた。窓に遮られて聞こえなかった。
泉さんは黙って敵ロボットに向き直った。
泉さんは、空中待機の姿勢のまま、あいている右手をひかえめに中空に差し出した。
すると、両方の足元に、ピラミッド状に積まれた雪玉が出現した。
それは、見覚えがある。家の前で「一人雪合戦」をしていた時に使っていたものだ。
僕はここで、やっと我に返り、泉さんに叫んだ。危ない、泉さん、逃げろ!!
僕の中で、泉さんは不思議な事をしても不思議に思えないキャラクターに定着していたが、それでも敵ロボットの前に現れるのは危険だ。なんで飛んでいるのかとか、雪玉を家の前からどうやって運んだかとか、不思議は尽きないがそれは別にいい。そこに居たら身の危険があるから逃げるべきだ、とにかく逃げろ――しかし、もちろん、厚い窓のために聞こえない。
泉さんはピラミッドから右手で雪玉を取った。ぽんぽんとお手玉して握りを確かめると、しっかりと持ち、雪玉を前に投げた。
雪玉は頼りない弧を描いて下界に落ちて行った。
泉さんは照れ笑いして、ぺろりと舌を出した。
ロボットが怒りの機械声を響かせた。挑発されたと思ったのか。
……ひょっとして今のはロボットを狙ったのだろうか?
だったら無理だ。15メートルは離れていた。
泉さんは二個目の雪玉を握った。ぽん、ぽん、片手で弄ぶ。何か言っている。口の形からは、……「『だいじょうぶ』」……「『まだいっぱいある』」……だろうか……? いや、個数の問題ではないと思う。
ロボットは前傾し、頭突きの格好で泉さんに迫った。ぶつかる。やられる。泉さん逃げて! そう思った時、ぽん、と泉さんは雪玉を真上に投げた。左手に持っていた本を、右手に持ち換えた。投げ上げた雪玉を左手でキャッチ。迫って来るロボットに投げつけた。そういえば家の前では器用に両手で投げ分けてた事を思い出した。右で届かないなら、左か。しかもロボットは直前まで来ていた。もちろん、命中した。でも、雪玉なんかで、ロボットがどうにかなるわけが……。
ぱしぃん、と氷が割れるような音がした。
まばゆい閃光が立ち昇った。
雪の中で雪が降っていた。
「……ウソ、だろ……!?」
ロボットはパウダー状に砕け散ったのだ。
きらきらと光が反射し、破片が無くなると、あとには何も残っていなかった。
泉さんは三つめ、四つめと雪玉を手に取り、放り投げていく。
敵ロボットは、まばゆい雪の粉を残し、消滅する。
それからしばらく待っても、次の個体は登場することはなかった。
泉さんは地上に降り、40メートル下から僕達を見た。
「『きょうは雪の粒が均一できれい。』」
機内に泉さんの声が聞こえた。
どういう仕組みだろう? 電源は落ちているはずだ。泉さんは降る雪を掌で受けるような仕草をしている。気のせいではなかった。
「『あなたの戦いを見せてもらった。ロボットの仕組みは学んだ。「模倣」は可能。機体の通信系統を器官化して話している。バッテリーはここ』」
泉さんは自分の頭部に人差し指を当てた。
「あの子は神のようですね。前にお会いした時は気付けませんでした。燕雀鴻鵠です」
羽前さんが言った。……え?
「高位の神であることは間違いありません。既にロボットの仕組みを自分のものにしています。驚くべき力です」
泉さんが神であることは知っている。ただ、僕は、泉さんを怪獣神だと誤解してきた。
羽前さんは泉さんの神の力の質量面に驚いているようだ。いったいどういう、能力なのか?
「わかりませんが、一連の現象を見るならば、自由度の高い力であるのはたしかです。神の能力は自由度が高いほどエネルギーも高いのです。しかしその場合、操るのは極めて困難とされます」
羽前さんの口ぶりには静かな興奮が感じ取れる。
「神の能力とは、わかりやすく言うと、神の世界の法則が人間世界に運ばれたものを指します。神の世界の法則は、あたし達からは【存在】と呼ばれています。単に【存在】と呼ばれるのは、人間世界からは模糊とした『存在』としてしか認識できないためです。【存在】は通常、そのままでは、人間世界では形式を保てません。したがって、『具体』をまとうことで、はじめて具現化できます。これが各個の神の能力です。しかし、あの子には特定の『型』がありません。おそらく、【存在】を非常にありのままに近い状態で保持することができるのでしょう。生のままの【存在】を人間界に降ろせるというのは、恐るべきことなのです。【存在】は高位世界の法則であるため、生のままで出現した場合、三次元世界の法則という『存在』をマスキングしてしまいます。ですからほぼすべての場合において、『時間』『空間』などの『存在』が消去される事例がみられます」
「えっと……。つまりどういう事?」
「この世界で言う超常現象が引き起こされるということです。もしかすると彼女自身の想念の通りにです」
そう言われると、理解できた。
えっ。でも、つまりそれって……。
「それって、神じゃないか」
「はい。ですから神です」
いや、その神のスケールじゃなくて、もっと雄大なレベルの。僕が塾で神を習う前から知っていた意味での、神。
「『わたしは完璧な神などではない』」
泉さんが呟いた。会話が聞こえたのか。偶然なのか。
「『わたしの神の能力は、能力が明らかになる能力。そのたびごとに、違う。顕れる能力には、再現性は無い。同じ能力は二度と使えない。どういう能力が出るかも、出るまで分からない。わたしの能力は浮気性。特級ビッチ』」
泉さんは真鍮のように冷えた目で淡々と語った。ジョークめかしているけど、内容は事実だろう。羽前さんが感心した【存在】の能力は、たまたま今回がそうだということらしい。
ということは、泉さんは、いくつもの「神の能力」を有しているんだろうか?
「あなたも、神なのですね」
「『そう』」
「まず、お礼を言います。敵ロボットを倒してくれてありがとうございます」
「『根こそぎにしておいた。もう居ないはず。しかし、あなたのためではない』」
泉さんは羽前さんに冷たく言い放った。
僕の顔を見た。
「『めざめたようですね』」
「――え?」
「『神の能力。ロボットを操縦するあなたを見てわかった。駅の近くから見ていた』」
泉さんは駅に居たのか。戦いに巻き込まなくてよかった。いや、泉さんが巻き添えを食うわけもないのか。
「『おぼえてる? さがしもののこと』」
泉さんは『名言集』を読む片手間に話すかのように、言う。
「『わたしのさがしものは、あなたの神の能力。あなたが神を持ってるのは、知ってた。めざめるときを、待ってた』」
「えええっ――!?」
僕は驚愕したが、納得した。
うちに滞在してる間、「探し物」が見付からなかった経緯が、ようやく飲み込めた。僕の神の能力は、たしかに具体的なものだけど、家を探しても見付かるはずはなかった。泉さんは探し物の体裁で家を掻き回し、さざ波を立てるようにして、僕の中で神が目覚めるのを促していたんだろうか。
泉さんが塾生だったことは聞いてる。でも僕は、記憶がはっきりした今も、泉さんと会っている記憶は無かった。どうやら塾の記憶自体が少ないらしかった。塾は退屈でほとんど覚えていないし、勉強した記憶もない。もちろん自分が神に成った体験も無かった。泉さんが僕の神を知っていたと言うのは奇妙だった。
「『わたしは塾生だったが、ほとんど顔を出さなかった。行ったのは数えるほど。塾の成績も1位だったし、つまらなかった』」
泉さんは僕の頭の中が見えるのだろうか。答えるように語り出す。
「『それでも、実技試験や総合試験のある時は、区切りだから行ってた。わたしは今まで、一度だけ、他の塾生に負けたことがある。それがあなた。六年前の総合試験のとき』」
「え――? 覚えてない」
僕は反射的に言った。本当に覚えていないのだ。……いや、二泊三日のあいだ拘束され、色々な問題を解いたり、山や湖で皆と何かをした記憶は、かすかにある。
もしかしてあれが「総合試験」だったのか。
キャンプや旅行じゃなかったのか。だったら試験の順位を覚えてないのは当然だった。順位を知らされていないからだ。僕はあの二泊三日の行事の直後、それこそ次の日ぐらいに、塾を辞めてしまったんだ。というより、もともと辞めるつもりだったところに、偶然合宿試験が重なった形だった。
「『あなたが思い出さないのは、良いこと。当時のわたしは、今とは全く違っていた。記憶は保存されているはず。ゆっくり思い出せばいい。それも、楽しみのうち』」
「そうか。僕は1位を取ったことがあったのか。すごいまぐれだなあ」
僕は思わず独白した。昔の自分は、こっそりと凄いことをしてたんだな。今は凄さの片鱗も感じない。
「『まぐれではない。あなたは塾を退屈と感じていた。勉強もしなかった。それは必然。なぜならあなたは入塾した時点で神を持っていた。塾の課程を終えていたのと同様。あなたは自分の神のことを認識していなかった。それは、あたりまえに神を持っていたから。だから、塾に飽きて辞めたのも当然』」
泉さんは僕を見上げ、言う。
鼻先をかすめる懐かしさの感覚。
僕は、泉さんの目に、見覚えがあるのだろうか?
「――ま、まさか。だって、僕は何も身に付いてないし、神の能力って言っても未だに良く分からないんだよ。ロボットは操縦できたけど、それだけだ。僕は特別な人間じゃない。何もできないし、本当に、ごくふつうだよ」
「『それは力を自覚していないだけ。確かにあなたは、力を使う技能については無能。入塾した時から初心者のまま。技能が身に付かなかったのは、才能がありすぎたから。あなたは神の能力を使うことが「ふつう」の出来事にすぎないと、子供の時に既に知っていた。この広いセカイでは、神の力の存在すら「ふつう」のこと。神が力をふるっても、セカイに吸収される。だから使う意味がないと、あなたは考えた。あなたは最初から神を卒業していた。「ふつう」のセカイには飽きていた。だから技能面において未発達。しかし力においては、わたしと同等以上のはず』」
僕は昔、自分が熱中していたものを思い出す。
怪獣映画。
怪獣物語の制作。
思えば怪獣は、神と同じだった。「ふつう」のセカイを破壊する破壊神。異能の力によって、「ふつう」を揺さぶる存在だ。
昔は僕も、神が好きだったのだ。
子供時代の僕は、神を通して、何を見ていたのだろうか? なにを探していたのだろうか? 怪獣は、セカイを壊す存在……。
――そうか僕は、痛快だったんだ。「ふつう」のセカイを壊すことが、爽快に感じたのだ。子供心に僕は、すでにセカイが「ふつう」だってことを知っていて、それをとても窮屈に感じて、壊す行為に痛快感を覚えたのだ。塾も僕にとっては、「ふつう」の象徴だった。だから塾をさぼって、怪獣物語の制作に熱中した。もしかしたら、塾がなかったなら、怪獣物語を書き始める熱狂的な動機は生まれなかった気がする。
でも、セカイを壊してもどうにもならないことも、すぐに僕は知った。怪獣物語を書き進めていたら、知ってしまったんだ。怪獣がセカイを壊し、人間がまたセカイを作る。破壊と再建のサイクル。それもまたセカイの「ふつう」の営みだった。無限の「ふつう」が延々と続くだけ。怪獣も、怪獣と戦う正義も、「ふつう」の一部なのだ。そのことに僕は、気付いてしまった。僕は物語を書くのが空しくなった。ぱたりと、書くのをやめた。あのノートの中では、「怪獣」と「正義」の決着は、ついていないはずだ。
怪獣をもってしても、「ふつう」からは逃れられない。僕はとてもがっかりして、大好きだった巨大な怪獣が、萎んで消えて、点になってしまった感じがした。セカイにはこの「ふつう」のセカイしか無いんだって分かって、この広がった鉄板のようなセカイに押し潰されそうな気がしていた。
僕は塾をやめて、怪獣物語を書くのもやめて、それから何も目立った行動をとらなくなった。僕はセカイの中に居ながら、セカイを流すようになった。「ふつう」という大きなセカイを。怪獣だけの話じゃない。正義。悪。ヒーロー。ヒロイン。そういう「神々」は皆同じだった。「神々」だって、「ふつう」でしかない。実際に「怪獣」が現れて、セカイはどうなった? 破壊されただけだ。せいせいなんかしない。後味の悪さ。後片付けの不毛さ。爆発的に散らかったセカイを片付ける厖大な作業があるだけだ。
「『あなたはふたたび、神に目覚めた。いまは、力を持った』」
泉さんは宙に向かい、くるりと手首を回した。手には古びた大学ノートが出現した。
怪獣物語のノートだ。
「『この物語は、完結していない。いま、続きを見せて』」
続き……? どういうことだろう。たしかに現実世界の流れは「怪獣」と「正義」の戦いという大枠を踏襲している。そして、ノートとは違って、現実は決着がついた。結果は「痛み分け」だ。「正義」が負けるかと思った時、泉さんという介入者の手で「怪獣」も殲滅された。夥しい残骸がのこった。
ノートの続きを現実で補完するなら、「痛み分け」という後味の悪いエンディングで完結しているはずだ。付け足すことは、もう無い。そうじゃないのか? ほかの「続き」があるとでも言うのか? 泉さんは何を要求しているのか?
泉さんはノートをぱたりと閉じた。ノートはまた、宙に消えた。
「『わたしはあなたと闘うために戻って来た』」
泉さんの呟きが機内に響く。




