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神と怪獣としての世界  25

 

 *

 

 泉サキは電車を降りて麻形駅の構内に居た。

 引込完は明神町の駅まで付き添ってくれた。そこからは一人で戻って来れた。

 明るい構内、交錯する雑踏、白色の床の泥色の水。

 男性が泉サキの肩を叩いた。ごくふつうのサラリーマン風の男性だった。齢の頃は30~40だろうか。若くはないが中年ではない。

 男性はローストビーフの断面のような赤ら顔をしている。何処かで軽く引っ掛けて来たに違いない。

「こんばんわ~、胸の薄いロリっ娘風味のお嬢ちゃん。ぼくと一緒にお茶でもどうだい?」

「『ひどく珍妙な語法。近未来の会話形式?』」

「え……? いや、真面目なつもりだけど、そんな変だったかな、まいったなハハハハハハハハ・・・・」

 男は手持ち無沙汰に、ネクタイをむやみに緩める。

 泉サキは瞬時に検討する。 伊佐領祐一の家に戻るつもりだったが、伊佐領祐一が居ないので、やるべきことはない。

「『支障ない』」

「本当? 何か食べたい? それとも飲もうか? やったぞ無口属性ゲット! よし、行こう、行こう!」

 男性は泉サキの手を握り、乱暴に引っ張って行った。

 二人は五分ほど歩き、細い道が蜘蛛の巣のように続くラブホテル街に入って来た。ホテル自体や看板の、フルーツのような色が眩しい。ふとんのように一面に積もった雪が明かりを反映している。夢の中ではよくあるような、ちょっときれいな景色だ。

「ねえ、いくらでやらせてくれるの?」

 男性は泉サキの肩を両側から掴み、問う。まわりはシャワーのような雪。近くしか見えないが、雪を介して人の気配が伝わってくるような空気だった。あたりには似たような人間達が会話しているのかもしれない。泉サキは傍にある、超高層ビルを縮小した形のホテルを見上げる。

「『――不要』」

 と告げて、男性にレースのフリルをつまませ、自ら先導してホテルに入って行った。

 

 二人は最上階の一室に来た。部屋の全面を占める窓では、夥しい夜景が暗がりに光っている。――という柄を印刷したパネルであった、奥はただの壁のようだった。窓は別の壁に、獄舎のような蓋付きの小窓があるだけだ。

 部屋に入った二人は、夜景が輝く窓を模したパネルの前で向かい合った。

「ほんとうに入っちゃったね。だいじょうぶ、後悔してない? ぼく、シャワー浴びなくてもいいのかな?」

「『不要』」

 泉サキはもう一度答えると、男性に対して笑顔をみせた。それは現実のものとも思えないほど整っており、男だけが理解する女神の概念を相手に痛切に突き刺すような肖像であった。――酔いが醒めたのか、興奮なのか、男性の手は激しく震え始めた。全速で泳ぐ魚のように目は混濁し、自我を保つ限界といった雰囲気だ。男性は泉サキに取り付くようにカラダを近付け、

 消えた。

 

 ぬうっと通過していった黒い肌の巨大ななにかが、ホテルごと男性をさらった。

 

 男性は崩落に巻き込まれ、消えた。

 町を破壊した新怪獣が、麻形市に到達したのだ。

「『――』」

 泉サキは乗り出すように覗き見た。怪獣の肌は見えず、白い雪が吹き抜ける。ごっそりと建物は削り取られ、ちょうど泉サキが立っている場所までしか残っていない。

「『わたしは、「無口」ではない』」

 下界に向けて呟いた後、泉サキは部屋を出て行った。

 

 *

 

 駅ビルにはデパートが入っており、売り場は賑わっている。隣接するビルもそうだ。古いか新しいか、デパートの名が日本語か横文字かの違いだ。駅を中心とした一帯は、再開発・再々開発を経て、今も市内で最も賑わう場所である。

 どんな階層の、どんな店にも、点々と客は来ていた。最上階のレストラン街などはひときわ客が多く、家族連れや暇そうな若者が訪れていた。要は、昨日までと変わらない風景がループのように続いているのだった。

 新怪獣の情報は誰にも伝わっていなかった。新怪獣が出現した情報さえもだ。明神町がどのくらい破壊され、どんな被害が出たのか。

 情報よりも早く新怪獣が来ていた。

「ん? なに? 怪獣? ああそう。うん。――町軍が壊滅した? 嘘だろぉそんなの?」

 最上階の中華飯店。

窓際の席の男は携帯端末で話しながら、ラーメンをすすり、スポーツ新聞を見ている。近くに居る家族連れの子供が、男を指差した。子供は母親にたしなめられる。人を指差すもんじゃありません。

 だが子供が指差したのは男ではなかった。

 次の瞬間、店があった場所には、なにも無くなった。

 怪獣は、敏速に破壊を進めた。破壊のありさまは速やかで丁寧だった。建物に近付いた瞬間、すでに破壊されているというほど、完膚ないものだった。人々は自分が居る場所ごと破壊された事に気付く暇すらなかった。怪獣にやられたとも気付かずに滅ぼされてしまえば、怪獣が居たことも気付かないのと同じだった。新怪獣は積もった雪を崩すように市街を(なら)して行った。

 外に居て、怪獣の巨大な影を見た者も皆無だった。

 真っ白な靄が立ち込め、雪が降りしきる環境。しかも、知られているように、怪獣の出現前後は雪の密度が加速的に増す。それは新怪獣でも同じだった。

 破壊が駅前の大半に及んでから、ようやく気付いた人間が現れる。

 情報は広がり、尾鰭を生やして伝播し、恐怖となって人心を包み込む。ビルに籠もっていた人間たちは吐き出されるように外に溢れ出た。雪崩をうって夥しく逃げだした。押し潰し合って道路を走る人々。

 もっとも逃げても無駄であった。足元の道路が盛り上がり、怪獣の岩のような肌が出現した。

「とてつもなく巨大な怖ろしいものを見た」という印象だけを最後に感じ、人々の認識は途切れるのであった。

 恐怖の対象が自分へと迫る感覚。最初のうちは、半信半疑で逃げながら、他の逃げ惑う人々を客観的に眺める余裕がある。フレームに入れて、見ている。だが、まわりの人間が次々に消えたり潰れたりしていく。次々に、圧倒的に波及する破壊。そうして、破壊が自分に及んでいないのは単に運がいいだけだと知る。

 そのとき、恐怖が足の下からすうっと入り込む。

 フレームの中が、破壊されていき、自分に迫ってくる。客観から主観へと恐怖が変わる、その重奏的な恐怖。――フレームは、ブラックアウトする。

 人間側が考えるあらゆる行動は不可能だった。

 通信したり、逃げたり、反撃したり、その全部の前に怪獣の破壊はあった。パニックは何処からも起こらず、静謐のうちに破壊は進んだ。人間集団が本格的逃走や通報に移るまでの時間を、怪獣は正確に把握しているかのようだった。

 したがって、偶然というのか不運というのか、このとき異変を目の当たりにしたのは、市外から入って来た限られた人間だった。かれらは街が異様な光や空気に覆われているのを、動物園のように外から見た。

 濁った不気味な空気の中心から、聴く者に「世界のおわり」を感じさせるような咆哮が響いた。



 泉サキは駅のほうに向かっている。人間が逃げる方向とは逆だったが、誰ともすれちがわなかった。

 駅前はあらかた壊され、残骸と化していた。残骸の上には、すでに新しい雪が1cm程度の覆いを掛けていた。

 ほうぼうで稲光が起き、ぱあっと雪を光らせた。電線がショートしているのか、それとも発火か。電気が消えつつあるのに、辺りはフワアと明るかった。このような発光現象はしばしば報告されている。怪獣のエネルギーによる帯電現象とする説もある。

 泉サキは物陰に気配を察知し、止まった。

 駅から続く建物の軒下に、汚れた服を着た、ぼさぼさの髪の女性が居た。

 女性は猫背で座り、手を軽く合わせ、祈るように何かを呟いていた。泉サキは歩いて行き、本を読むように二度三度まばたきした。

「『近くに怪獣が居る。死ぬかもしれない』」

 状況を教える。

 女性は泉サキに目をやり、静かな低い声で言った。

「わたしは以前、暖かいところに居ました。幸せだった。とても充たされた生活でした」

「『?』」

「しかし今は何の未練や感慨も無いのです。ほとんど忘れていて、記憶はぼんやりしています。わたしはどうしてあんな浮き世離れしたところにいたのか覚えていません。どうしてああいう生活を幸せだと思ったのかも分かりません。夢や幻のようにしか思えないのです。あれは本当に、実在したのでしょうか……」

「『……』」

「怪獣が来ているようですね。教えてくださって、ご親切に、ありがとうございます。わたしは逃げなくていいのです。ここで死ぬならば、ここで死ねということです。死ななければ、まだ生きろということでしょう。仏様の導きにしたがうだけです。なまんだぶー。なまんだぶー。あなたは逃げなさい。なまんだぶー。なまんだぶー。なまんだぶー」

 じゃら・じゃら・じゃら・じゃら――こすり合わせる数珠の音が闇に響いた。

 泉サキは跪き、女性の顔を覗いた。

――女性は正気づいたように、ハッと凝視した。

 泉サキは、女性の手を取って、ゆっくりと立ち上がらせた。

「『あっちへ行くこと。あなたの家族が、待ってる』」

 泉サキは指を掲げた。むかし女性が住んでいた家がある方角。

 女性は、ありがとうございます、行きます、と言いながら歩いて行った。

 泉サキは駅前を振り返った。

 駅ビルが消えてしまった駅。そのすぐ向こうでは、怪獣の影が悠然とゆらめいていた。泉サキをアップで映したら、怪獣の影は画面に入り切らず、何が映っているのか判らないほどだろう。

 その時、猛烈な閃光がまたたき、爆音が轟いた。

何かが怪獣を爆撃したらしい。外れたらしい一本のレーザーが上空を通過した。

 やがて遠くに、黒い飛行物体の影が出現した。

 泉サキは、駅へと近付いていった。

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