神と怪獣としての世界 19
僕と泉さんは駅を目指して歩いて行った。
黒塗りのタクシーが僕達を追い越して、ウィンカーを明滅させて停まった。
幽霊のように、人影が降りてきた。
現れたのは、引込さんだった。
「この道を来れば会えると思いました。駅に向かう方々は、ここを通りますから」
引込さんは学校の夏服に着替えていた。
生身だし、無傷だし、手足もついている。半袖のシャツから伸びている腕は、ミルク味のアイスバーのように奇麗だ。
僕は駆け寄って行った。実際近くで見ると、やはり驚きが湧いた。
「引込さん、生きていてよかったです。何よりでした。他人事ですけど心配しました。ほんとに信じられない。一体どうやって助かったんです?」
「ありがとう、祐二さん。心配をおかけしてごめんなさい」
引込さんは僕の手を持ち、両手で握ってくれた。あたたかい。本当に生きてるんだと、やっと実感できた。
引込さんの場合、現実離れした助かり方をしても不思議には思えないところはある。この人は通常時も現実から浮かんで存在しているような面がある。一方、襲撃に遭ったビルは、修繕の工事の目途も立っていない。
「わたくしは死にませんわ。なぜなら最初から『生きていない』――のですから。人間の概念では『幽霊』……と言うのがいちばん適切でしょうか。そのような、ものなのです」
「は?」
僕は素で問い返した。
意味が分からない。いや、分かるが簡単には信じられない。
「ご周知のように、わたくしは引き込もりです。幼い頃からの筋金入りなのですわね。筋金入りのため、髪の毛は金色になりました。愛好する音楽もメタルでなければならないのですわ」
「は、はあ……?」
「引き込もりとして永い時を過ごし、その生活を突き詰めると、世界には安息の場所などないことに気付きます。一般に、引き込もりは世界から逃げ切れません。たとえば、怪獣に襲われたりしますものね?」
「ええ、そうかもしれませんね」
「世界には安心して引き込もれる一点の空間も無いのですわね。それは数学の完全な三角形が現実には存在しないことと似ています。ですが、わたくしは引き込もりでしたから、安心して引き込もれる場所を求めずには居られませんでした。――それゆえわたくしは『幽霊』となり、この世界を出たのです。世界から出ることによって、完全な引き込もりを実現しました」
「で、でも、引込さんは居るように見えますけど? 握手もできますし、」
胸が尋常じゃない質感なのも、知ってるし。
「ええ、居りますわ。『実在』ではないというだけの話です。それを『幽霊』と呼ぶのですわ」
引込さんは、栗味のソフトクリームのようなまろやかな金髪を、ふわりと撫で上げた。
「そういえば、祐二さんはライブに来て頂いたそうですね。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、すごく楽しみました」
「わたくしが時々ライブをしたくなるのも、『幽霊』と音楽が似た存在だからですわ。ふたつとも物質よりも波長に近いものです。存在していますが、実在と言うには疑義がありますよね?」
よね? と言われても……。
正直、引込さんの言ってる事が、さっきから頭がどうかしてるとしか思えない。
そういう時は、たいてい二通りに分かれる。
本当に相手の頭がおかしいか。それとも、こっちの理解を超えた高品質な事を言ってるかだ。
じゃあ、引込さんは頭がおかしいだろうか? そうは思えないし思いたくない。僕は、ありていに言って、最初にお茶を淹れてもらった時から引込さんをリスペクトしていた。
「でも、ライブをやりたくなる一番の理由は、音楽が好きだからですわ。ストレートでシンプルなモチベーションではありません? 人間時代からわたくしが真に安らげたのは音楽の中だけでしたわ」
という具合に、最後は僕にも解る概念と論法で、話をまとめてくれた。
「したがいまして、わたくしの『神』の個性は、『人間ではない存在』の方向に特化されたものということですわ」
「は?」
僕はふたたび、素で訊いた。
「ご存知でしたか? どうでもよい事ですけど、わたくしは『神』だということ。『塾』出身の『神』ではないですけどね」
「……え??」
「そういうわけで、あの破壊現象で私が無事だった理由を、察して頂けるのではないでしょうか」
「え、ええと……??」
加えて言うが、僕は引込さんを酔狂だなんて思っていないから、言われたことは全て、事実と思うことにしている。だから、塾だとか神だとか、明らかにマイナーでローカルな語が出ても、耳を傾ける価値はあることになる。
え!? どうして引込さんの口から塾とか神とかが出るのだろう?? そういえば羽前さんが引込さんを「神の可能性が高い」と言ってた事を思い出す。つまりそれは当たっていたということだ。神であれば建物の崩落から逃れることは可能かもしれない。知らないけれど、たぶん可能だろう。それに『幽霊』の話も、神のことだと読み換えると、漠然とした説得力が出てこないでもなかった。
「神って……。それ、本当なんですか?」
「事実なのですわね。わたくしは事実を好みます。『伊佐領祐一』さん」
失礼な話だ。それに間抜けだった。塾や神という言葉が当人以外から出る可能性は0に近い。普通人なら信じることもないし関わることもない。
しかも引込さんは、僕の本名を言った。以前「伊福部祐二です」と自己紹介した際、「ほんとうですか?」と言われた。引込さんは、異変に侵されていない世界の実像を知っている……。神には『事実』が見えるというのだろうか?
「塾に行かなくても、神になれるんですか」
「ええ。自然と神になる人もわりと居るのですわね。あなたの仰る『塾』のような機関に通わなければ、なれないわけではありません。『塾』のような機関は、神を『作る』のではなく、『認定』する所に過ぎませんわ。神の能力を引き出し、固定化させてくれる所なのですわね」
塾に行かないで神になる人間も居るとは、初耳だった。
引込さんは歌うように囁く。
「わたくしの場合、引き込もりで存在感が無いですから、塾に行ったとしても先生にも気付かれなかったことでしょう」
え、いや、それはさすがに存在感が無さすぎでは……?
しかし大袈裟でもないだろう。現に今も、SNOWBLOOMのボーカルが道端で立ち話をしているのに、ライブから帰途につく何十人もの人達が、ふつうに通り過ぎている。ステージを降りると気付かれなくなるタイプなのだと思う。
「それに、引き込もりはめんどう屋ですので、塾に入ったとしても、きっと行かなくなったに違いないのですわね。だからわたくしは居宅型の神でよかったと思います」
あ、それは分かるかも、と思ってしまった。登校の様子からしても……。
僕は、泉さんを見た。泉さんは、いつものように、格別興味なげに『名言集』を見ていた。神は神どうしで通じる感覚があると聞いた。すでに引込さんが神だと知っていたのか。引込さんの言うように、神はわりとよく居るのか。
「神という存在は、一般に思われるほど大したものでもないのですよ? なってみればわかりますけれども。わたくしの場合は人格も変わりませんし、心情的には一緒です」
「そんなものでしょうかね?」
「そうですよう。意外なほどあっけないものですよ。それに、意外に近くにも神は居るものです。たとえば、そちらのあなたも、神と見受けますけれど?」
僕ではなく、泉さんを見て、引込さんは微笑む。
「『神とは、世界という暗闇に散在する、星々のような存在』」
詩的な一節を、泉さんは映画のナレーション風味で呟いた。
引込さんは、僕達の関係や事情は、何も訊かなかった。気を使ってくれたのかもしれないし、――「めんどう屋」だからかもしれない。
「いずれにしましても、わたくしのことが明らかにされる文脈は、【ここ】ではないようですわ。自分の役どころはわきまえているつもりです。偶然は誰にでも平等なのですから」
引込さんは、理解困難で、妙に超然とした発言をした。
文脈、か。
前に泉さんも、同じ言葉を使ったのを思い出す。
神という、おそらく人間より色々な点で発達した存在は、人間レベルには見えない大局のようなものが俯瞰できるのかもしれない。
ともかく僕達は駅まで一緒に行くことになって、引込さんのタクシーに相乗りさせてもらうことになった。
だけどタクシーはいつのまにか居なくなっていた。
「あら。待たせてあったはずでしたけど。わたくしの存在感が無いので、行ってしまったのですね」
引込さんはポケットティッシュが一枚消えたような口調で言った。いや、それは冗談じゃありませんよ。引込さんの場合、その独特な存在感は、実生活に影響を及ぼしている可能性がある。
「こんなありさまですわ。神とは言いますけれど、わたくしの場合、人間と格段に違うわけではありません。むしろ殆どの性能において劣っているのですわね。ご周知のように、引き込もりは世界に対して無力なんですから」
気にするふうもなく、引込さんは言った。説法する釈迦のようなという形容が、この人くらい似合う人はいないだろう。おまけに(というか、メインだけど)、神がかって奇麗とくれば、もはや言うことはない。会話しているだけで無性に安楽な気持ちだ。思わず僕も引き込もりそうだ。
結局、僕達は、雪の中を歩くことになった。
駅が近付き、道幅が広くなってくる。すると、道端で人だかりがしていた。
人だかりは道路にはみ出している。あまり車は通らないし、通ってもゆっくりだが、安全とは言えない。
でも僕は人だかりの中心にある物を見て、唖然とした。
4メートルロボットが建物にめり込んでいた。




