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神と怪獣としての世界  18

 

 *

 

 その通りには、他に目立つ建物は何もなかった。

 他の場所は平面的にも思えたほど、ライブホールだけが鮮やかに建っていた。

『Dreamtheater』の外観は近未来的だった。

 丸っぽくて、でも骨格としては四角くて、重厚にもチャーミングにも思えた。赤や白の細かいネオンが全体をほどよく彩っていた。しかし、携帯とかで調べたら、五十年前からある建物ということだ。壁をよく見ると、すでに模様のようにも見える黒いヒビがいっぱい入っていた。――近未来的という形容は、要するに、いつの時代の建築にも合致せず、それでいて余計に飾り立てていない雰囲気、みたいなものを言うんじゃないかと思った。

 僕達は時間前に着いたが、入り口のガラス戸は四枚すべて開放されていて、お客が外に出ている様子はなかった。雪のことを考えてくれての措置だと思う。入ってすぐにチケットのチェックを受け、中に進むのを許された。

 胴体にずんずん響く大きさで曲が流れている。

 施設の中は二重構造になっていた。休憩や待機できる広いスペースが外側にあり、ライブをやるホールが内側にあった。二つの空間は、劇場っぽい厚い扉で仕切られていた。

 お客はたくさん居た。人にぶつからずには歩けないような人口密度は、市内以外では久しぶりだった。合格発表以来だと思う。集まった人達は、淡々としてるようにも見えたけれど、中では熱く煮えているグラタンのような、静かな熱気があった。CDやTシャツやトレーナーを売ってるコーナーがあった。泉さんがトレーナーを一枚買っていた。

時間が近付くと、自然にお客がホールの中に吸い寄せられて行った。作法が分からないから戸惑った。人の流れに乗ってホールに着くものの、どのあたりに行けばいいんだろう。椅子は無いんだな。

 気がつくと周りは、人で溢れ返っていた。僕達は、ぎゅうぎゅう詰めだった。二階席や三階席みたいな所もあり、ステージをぐるりと囲んでいた。

 ライブは、薄いベールがはらりとほどけるように、あっという間に始まった。

 CGのように鮮やかに生身のバンドがステージに現れた。

 ギターが掻き鳴らされ、ベースが床を揺らし、ドラムは心臓のリズムとぶつかり息苦しいほどだ。照明の閃光は演奏に併走して立体的に舞った。いったい幾つの機材を使っているんだろう。いや、このホール全体が、演奏を増幅する一つの機材とも思われた。明瞭すぎる極大な音が、暗い空間にジュースのように満タンに注がれた。電柱のスピーカーから日常的に流れるBGMと同じ曲には聴こえなかった。ライブでの演奏は、メロディや曲調がどうという細部より、とにかく巨大なエネルギーの集合体だった。

 ボーカルは、地面を引き裂くような強烈な声を、観衆に向かって放った。これが、デスボイスというものか。前もってネットで調べた情報によれば、SNOWBLOOMはPPM(プログレッシブ・プログレッシブメタル)を標榜するバンドだが、ライブではデスメタルの曲から始めて勢いをつけて行くことが多いらしい。

 ボーカルの濁流のような金切り声は、メロディラインが存在しないように思えて、よく聴くと退色的な一定の音程が入っていた。つまり、他の楽器と厳密に調和していた。

 観衆はほとんど理性を失って叫んでいた。ネット情報によると、「SNOWBLOOMのボーカルの実力と存在感は唯一無二であり、歌声の全部に魂が込められていると評され、リスナーからは『ボイス・オブ・ゴッド』とも呼ばれる」そうだ。というか僕はまずボーカルが本当に女性であることに驚いた。下情報のとおりだ。

 もっと驚いたのはボーカルが引込さんだったことだ。

 つまり、引込さんは、怪獣の襲撃から無事に生還したことになる。

 そうとしか思えない。

 もちろん僕はSNOWBLOOMのフロントマンが引込さんだなんて知らなかった。ネットには本名が書いてあったわけじゃないから。

 僕は未だに信じられずにいた。

 ステージ上に居る引込さんは、あまりにふつうの光景とは懸け離れていて。物凄い機能をもった次世代型のアンドロイドがパフォーマンスしているかのように見えて。そっくりの別人だと言われたほうが納得できそうだった。本当に、放課後にお茶を淹れてくれた、あの引込さんだろうか? 

 僕は混乱して、音楽もあまり脳に入らなくなった。だけど僕は少数派なのだろう。

 引込さんは、最小限に観衆を煽り、観衆は目に余るほどついていった。頭や体を振り、手を差し上げる。歌うべき所では合唱の渦が起きる。何か胴上げされて観衆の上を波乗りのように流れていく客さえいる。

 音楽が純粋に技巧的で複雑に造り込まれている点を除けば、この場の空気は、隅から隅まで、常軌を逸していた。

 ライブが進んでいき、演奏はあらゆる歌い方や作風を網羅した不確定なスタイルに移った。

 PPMの基本線のスタイルだ。

 紅茶を淹れる時と同じ笑顔のままで、引込さんは歌った。

 引込さんは、男の声も、女性の声も、デスボイスやスキャットボイスも、スクリームもグロウルも、叙情的に歌い上げる声も、楽器的に聞こえる平面的な声も、コケティッシュだったりシアトリカルだったりする役者風味の歌も、あらゆる声を使いこなすことができた。

 しかも、どんな場面でも、穏やかな笑顔のまま歌えた。

 それは人間の可能性の限界が凄く遠くにあることを示しているようで、鳥肌が立つ感動を与えてくれた。

 これが、『ボイス・オブ・ゴッド』――。

 ライトが稲光のようにフラッシュし、整った幾何学模様を作っていた。

 その中心に、引込さんはいた。

 だんだん僕は引込さんの名人芸に酔ってきて、引込さんの口や顔ではなしに、体の中心から光のように声が放射されているように感じてきた。

 ――そうか。

 引込さんは文字通り、象徴なのだ。

 バンドを輝かせる存在だ。

 引込さんの背後には、見えない巨大なエネルギーのダムのようなものがある。それは、引込さん自身とバンドの演奏が一体となり、構築されたもの。引込さんはそこからエネルギーを解き放つ、蛇口のような人だ。派手に立ち回らず、歌うという作業だけに専念しているのは、全体的なエネルギーを最も高めることを考えているからだ。そういう印象を受けた。もちろん、自在で、タイトで、即興にも長けている、バンドの演奏もある。バンドの全部のピースが、とてもよく噛み合ってた。

「『――』」

「――?」

 泉さんが、何か言ったので、僕も「なに?」と訊いた。しかし、ホールを揺らす演奏と喧騒。ふつうの声は掻き消される。耳を近づけると、泉さんは言った。

「『なんという神演奏』」

「うん、そうだね」

 こんな時でも『名言集』は持ったままだけど、泉さんなりには熱中してるのだろう。でも、僕も同感だ。ステージに引込さんが居た時点で、公正な評価はしようもなかったけれど、非常にインプレッシブでエキサイティングなライブと感じた。ステージから発せられたエネルギーは観客席で感動に変換され、ホール全体を揺り動かした。その現場に居る感覚を、僕は多くの観衆の中で感じた。

 それは、ライブが続く限り続く、天国のようにも思えた。

 このバンドのようなパフォーマンスを、自在なステージング、なんて言うんだろう。

 僕はその時、ドラムを叩いてる女性に目を留めて、それっきり目線を動かせなくなった。

 淡々とした様子でバンドのリズムを支え続ける、眼鏡をかけた女性。

「どうもそうじゃないか」と「そうにちがいない」がやってくるのは、ほとんど同時だった。あの人は、関山さんだ。

 

 

「貴方の力を借りれません?」

 引込完は関山夏実に言った。

「聴いてみれば、主張しすぎない中にも、存分に豊穣な演奏でしたわ。しかもまだ余力が充分なのですわね。相当の経験がおありと見受けました。貴方の腕を見込んで、サポートメンバーに加わってほしいのです。わたくし達のバンドのフィーリングを満たしてくれるものと拝察するのですけど」

 称賛と、勧誘。だが、関山夏実は戸惑った。ドラムを叩いていたとはいえ、防音扉は閉めていた。遠くに居たら、ドラムの腕前が分かるほど音が聴こえることはありえない。この(ひと)は偶然、近くに居たのだろうか。

 しかし、心は騒いだ。それは相手が着ている夏服を咎めなかったことにも現れた。相手の評価は正しいかもしれない、実態に則しているかもしれないと思えた。

 八年前にバイオリンを辞めてから、自分は小遣いやお年玉を使って電子ドラムを買い、慰みに叩きはじめた。突然ドラムを叩き始めた自分に、親は呆れ果てた。しかし、自分はバイオリンを辞めても、すぐには音楽から離れ切れなかった。練習は一日数時間くらいはした。バイオリンに比べれば格段に少なかった。そしてバイオリンのように苦痛ではなかった。

 ドラムを選んだのは、ただ本当に何となく、だった。相手の言葉でいえばフィーリングで選んだ。バイオリンのように何かを目指すつもりもなかったし、バンドに入ろうと考えることもなかった。もともと音楽的な素地はあったから、上達していくのが自分で分かったし、それは楽しかった。ひとりで叩いていて満足だった。関山夏実は、自覚してはいないかもしれないが、ドラムが好きだった。バイオリンより、自分の心や体質に合っていると思っていた。引込完は不思議な女性だし、非常識とも思える不思議な提案だったが、常識の防壁を超えたフィーリングを胸の奥に感じた。そういえば今までドラムを人前で叩いたことはなかった。

 どうしてなかったんだろう?

 関山夏実は、不意に、試してみたい思いを感じた。

 自分のレベルがどんなものか、バンドの中で測ったことはない。バイオリンの激しい競争で一度折れた自分を、無意識に守っていたのかもしれない。でもドラムならどうだろうか。コンクールでなく、バンドという形態なら、バイオリンとは違った世界があるかもしれない。

 一人で叩いているだけでも、それはそれで楽しい。趣味として続けると思う。だがドラムを始めて六年ほど経った。そろそろ自分のレベルを客観的に掴んでもいいと思う。その評価は今後の指針の一つにもなるだろう。バンドのレベルが高くてついていけなかったら、ご縁がありませんでしたと言われて、帰って来ればいい。

 関山夏実は告白する。

「ドラムは趣味で、人前で叩いたことはないわ」

「まあ、そうなの、本当?」

 引込完は興奮し、しばらく、目を大きく開けた。

「……私は、今と別の自分なんて、想像がつかないわ。私は、自分で自分を縛って生きているわ。だけど、今が正しいかどうかもわからない。今までしてきた生き方しか、私は知らない。だから、他の道に足を踏み入れる事は、とても勇気が要るわ」

 自分の思いを口に出し、整理することで、新しい種類の感情が組み立てられる。

 関山夏実はドラムセットから腰を上げた。

「でも、いい機会かもしれないって思うわ。セッションに参加して、バンドにフィットするって思ってもらえたら、やりたい気持ちはある。やらせてくれる?」

「わあ、ありがたいわあ。ちょうど今、バンドのドラマーが雪合戦で車の屋根から落ちて手首を骨折しているの。困っていたところだったんです」

 引込完は花の咲くような笑顔で答えた。関山夏実は、相手から目を離せないでいる自分に気付き、内心慌てて、落ち着きを装った。なぜなのか、この人にありがとうと言われるのは、十人や百人に認められて肩を叩かれたように嬉しい。やらせてくれと言ってみてよかったと、確信が持てた。バンドって楽しいものなのかな? この人はバンドで何の楽器をやっているんだろう?

「ライブは明後日です。あなたなら、一~二度合わせれば、覚えられるはずです。明日、市内のスタジオまで来て頂けますか? 連絡先を交換いたしましょう」

 引込完は携帯端末を取り出した。

 こうして、関山夏実はSNOWBLOOMのサポートメンバーになった。

 

 

 関山さんはタンクトップを着てトレンチコートを肩で着ただけの、飾り気のない格好をしていた。長い髪は下ろしていて、いつもとは雰囲気が違ってた。

「寄る所がある」って言っていたのは、ライブの練習だったのか? 引込さんとは知り合いだったんだろうか? ――僕は、関山さんがドラムを叩いているのを見たら、ノドが凍るような寒気と興奮を感じた。単に学級委員長のキャラクターとのギャップとか、ドラムのうまさとかじゃなかった。いや、もちろん、いつもフィルインかと思うようなテクニックは目を見張るものだったけれど、テクニックならバンド全体が並外れていたから、特別に目立ったわけじゃなかった。

 僕は、「関山さんが」バンドの一員になっていることに、特別な感情があった。クラスでいつも一緒にいる人が、このホールの熱狂と向かい合っていることが、劇的にスリリングだった。

 関山さんは、バンドの音の一部になって、ライブを進めていた。リズムを刻むだけではなく、同時に曲の形も削り出していた。それはほとんど、この空間の全部を造っているような事だった。それがリアルタイムで、今、行われている。僕は手に汗を握って、祈るように見ていた。

 関山さんは何食わぬ顔でブラストビートを叩いていた。

 

 *

  

 ライブが終わり、満員の観衆は外に散っていく。人の数はすごいけど、人の影をたちどころに隠すほどの雪だった。粒は小さいけれど、コンクリートのような濃度で降っている。泉さんはゴーグルで防備した。

 僕は誰かに背中を叩かれた。

 かわいい少女が立っていた。知らない子だった。

 いや、よく見ると僕は、この子を知っていた。

 でも、おかしいな。その子は、知ってはいるけれど、現実に立ってるはずはない。僕はまだライブの高揚が収まっていないのか? 泉さんにも見えているようだ。

 けれど、グラビアでだけ知って・・・・・・・・・・る子・・が、なぜここに?

「怪獣は見れたの?」

 タンクトップ、ターコイズの首飾り、はだけているけど鮮やかな青のノーカラーコート。聴いたことがある声が合わさって、ようやく僕は、事実と現実を符合させた。

 女の子は、照れたように苦笑し、僕を叱る。

「いやらしい奴ねえ。何じろじろ見てんのよ? メガネを掛けてないと思い出せないの? だからあんたは物事の大事な面も見え・・・・・・・・・・ないのよ・・・・

 僕は、変転するその子の奇麗な表情を、ただ眺めてしまった。

 初めて……、というか、やっと気付いた。『赤川レナ』は、関山さんだったのだ。

 合格発表以来、彼女の姿は見掛けず、奇麗に忘れていた。

 けれど、彼女は居た。

 変わらずに、今まで居たのだ。

「あんた、知らない所で、何かやっているのね? 怪獣に関わること。抜け駆けするなんて、ずるいわ」

 関山さんは詰問する。うわ。こんなに美人だったのか。僕は感嘆した。いつもの真面目な格好とのギャップがとんでもない人だ。美人というアイデンティティが嵐のように僕を攻撃してきた。これなら確かにグラビアの仕事もできる。納得した。

「あ、ご、ごめん……」

 僕は謝った。何に謝ったのかあやふやだったけど。『赤川レナ』さんを忘れていた恥もあったし、今また見ていることの驚愕もあった。僕はグラビアページの写真は脳にしっかり保存していたから、その写真まで思い出してしまい、恥ずかしさが止まらなくなった。

 くす、と関山さんは笑った。『赤川レナ』の合間に、素の関山さんが交錯し、僕は心臓をキュッと(ひね)られるような気持ちだった。

「でも、まあいいわ。今回に限り、許す。だけど絶対に後で全部喋ってもらうから。分かったわね?」

「う、うん」

 関山さんは手の甲で僕を小突いた。僕がのろまな返事をしている時には、すでにホールへと引き返していた。

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