神と怪獣としての世界 17
*
降りしきる雪の中に泉さんが居た。
泉さんは門の前に立っていた。傍には機械が造ったような丸い雪玉がピラミッド状に積まれていた。それが、二つ半ばかりあった。
泉さんは雪球を一個掴むと、道の向かいの、除雪によりできた堆い雪の壁にぶつけた。
それを、繰り返している。
「何してるの?」
「『一人雪合戦』」
そう答えて、黙々と投げた。右でも投げるし、左でも投げる。器用だな。『名言集』は投げるのと反対の手に持ち替える。
そんな事よりも目を惹かれたのは、泉さんの格好だった。
黒の重層的なワンピースを身に着け、黒い編み上げブーツを履いていた。首には馴染みのゴーグルが提がっていたけど、きょうは泉さんにしては珍しく、「着飾ってみた」感じだった。手足どころか、肩も露出していた。上にコートを羽織るような服装ではないと思うが、厳格に見ても夏向きの服装に思えた。
「……寒くないの?」
「『肌襦袢は着ている。体を動かせばへいき』」
よく見ると、本当だ。肌が露出しているように見え、薄い肌色の生地に覆われていた。ていうか、いろんな服を持って来ているんだなあと今頃思う。
……さて、何から話したらいいものか。まずは服装の話題を続けるか。
「ええと。珍しいね。こういう、カチッとした服」
「『着る時は着る。しかしほんとうは黒は好きではない。むしろ嫌いな色』」
「なんで、嫌いな色の服を?」
「『あえて言えば、あえて着ている。世界が白いから』」
泉さんは、投げながら答える。軽く投げてはいるけど、雪球はほぼ同じ場所に命中する。
「世界が白いって……。つまり、黒は雪の反対色だから?」
こくり。泉さんは首肯した。
「『見つけ易いはず』」
ああ。そうか。たしかに、白い景色の中に黒い服があれば目立つ。
「『きょうは外へ出たい気分。連れて行ってほしい』」
泉さんは、運動によって通常よりまろやかに見える蒼白な面貌で言った。
ずっと探し物をしていた泉さんにしては、破格の珍しい言葉だった。――出掛けるつもりで、カチッとした服を着ていたのか? 僕は訊いた。
「探し物は、いいの?」
投げた球が、雪の壁を越え、向かいの家の敷地に飛び込んだ。もさ、と音がした。
泉さんは、ぺたりと膝をついた。
「『やられた』」
「……え?」
泉さんは、体じゅうにまぶれた雪を払い、立ち上がった。
「『行けるなら、言って』」
そう呟き、厖大な雪球を残したまま、家に入った。
「泉さん、ちょっと、話があるんだ」
僕は意を決して呼び止めた。
「『言いたいことなら、わたしもある』」
廊下を歩いてた泉さんは、立ち止まった。
ゆっくりと僕を見た。
「『あなたの父君が、消えた』」
「え?」
僕はそれを比喩か、「どこかに出掛けた」くらいの意味だと思った。
それは、言葉通りの意味だった。
忽然と、父さんは消えたらしい。
昨日までは、出掛けることはあったけれど、家には帰っていた。毎日、正午になると台所に来て、泉さんと一緒に食事を摂っていた。殆ど泉さんが介助する形だったと思うけれど。
今日の昼、泉さんは台所で待っていたが、父さんは来る様子がなかった。台所に置かれていた、父さんの専用の食器やスプーンも見当たらなかった。思うところあった泉さんは、父さんの部屋を覗いてみたところ、人の痕跡が無い部屋となっていたという。家出や失踪ではなく、引越ししたというレベルだった。そこで泉さんは、父さんが『消えた』ことを確信した。つまり、この世界において、父さんの存在が無くなっていることを察知した。それは、行方不明や死ぬこととは違い、『はじめから居なかったことになる』事だと泉さんは言った。なお、母さんについては『消えてはいないが存在が捩れているよう』だと推測した。
泉さんの仮説に対し、僕は疑いを挟まなかった。泉さんは「塾」を出た「神」であるから、常人離れした察知能力を持っていても不思議ではない。僕は、普通人を超越した能力については、羽前さんや泉さんの言うことを信用することにしている。そのほうが合理的だからだ。
それに自分でも、泉さんの説が正しいと思える根拠がある。
帰って来た時、駅前で見た母さんの姿だった。
僕は「母さん?」と呼び掛けて、話そうと試みた。何日も姿が見えなかったけど、こんな所に居たの? ここで何してるの? けれど母さんは、何も答えなかった。僕を見上げる目は、完全に他人の目だった。「僕の母親」という社会的な役割はもちろん、名前や住所も、もしかしたら血液や遺伝子も、繋がりが切れている他人の感じがした。あの時、僕は自分でも妙なくらい、悲しくなかった。そのことに僕は衝撃を受けた。事態はことのほか重大だと分かった。
異変は、拡大していたのだ。
そして、もしかしたら、今も急激に拡大中かもしれなかった。
「怪獣の出現」と「常時雪の天気」に始まった異変。父さんや母さんにまで及んでしまったのだ。
このままでは、もっと広い範囲に及ぶ可能性もあった。家庭にとどまらず、ほかの知り合いにも及ぶかもしれなかった。北東君や関山さんが、父さんや母さんのようにならないとは言えなかった。それに、この状況は、僕の家だけではないだろう。他の家庭では、誰も気付かないまま、異変が侵蝕している可能性が高い。いや、確実にそうなっていると思われた。僕の場合、たまたま気付いているだけなのだ。
異変は、怪獣や天気の時は、一瞬で全てが起こったのだろうか。それとも、今のように、虫食い状に進行したのだろうか。個人から家庭へ、家庭から近所へ、近所から町内へ、町内から世間へ…………世の中の全部の範囲へ。地味に石を一個ずつ引っ繰り返すように侵蝕していけば、「神」のような特殊な人間じゃない限り、気付かれることはない。
僕は泉さんと二人で、母さんの部屋に行ってみた。
布団が敷かれてあった。中に人形が入っていた。長形のゴミ箱を体に見立てた人形だった。顔はソバガラの枕にマジックで描かれていた。丸に点を書いただけの目。まわりを馬鹿にしてるような大きな口。歯は上に二本、下に一本。目よりも大きな歯。鼻に至っては描かれてもいない。子供の落書き並の絵だった。枕の中には押しボタンで動作する簡単な音声プレーヤーが仕込まれていた。ボタンを押し込むと、「ヤア、ユウジ、ワタシ、カアサン」「ワタシハ、キョウハ、ゴハン、イラナイ」といったセリフが流れた。薄気味悪い声だった。母さんが寝込んで以来、最近はドア越しにしか話さなかった事もあった。もしかしたら、その時すでに、布団の中身は擦り替わっていたのかもしれない。
なぜ、もっと早く気付かなかったのか。
*
部屋の窓ガラスは、こないだから割れたままだ。
父さんの経済新聞とビニールシートで覆って応急処置をしていた。もちろん寒い。ストーブもつけていなかったから、外気温と変わらない。ホームセンターに修理を頼んだけど、町じゅうの修理の案件で立て込んでいるから、すぐには来てくれない。
「『話とは―― 」
「僕は近いうちに――」
部屋に入ってきた泉さんが問い掛けたタイミングに合い、僕の声が被さった。泉さんは沈黙によって僕に続きを譲った。そこで、僕は続けた。
帰りの電車の中で考えたこと、振り返ったこと、そして決めたことを、泉さんに伝えようと思った。
「近いうちに留守にしようと思うんだ。たぶん、明日から」
「『?』」
「……あ、でも、泉さんは家に居てくれていいんだ。ていうか、留守番になってくれるから助かると思ってるほどで。探し物は自由に続けてもらっていいし、台所とか風呂も使ってもらっていいし……。あと、知らないお客さんが来たら無視してていいから」
泉さんは、床に正座して聴いてた。スカートの端から覗いているなめらかな膝頭があいかわらず奇麗だ。表情は変わらない。まばたきのリズムも変わらない。
予測できていたのだろう。泉さんはこの部屋で、僕よりも客観的に、僕を見てきたはずだ。怪獣が攻勢に出たら、正義任務をやってる僕がどういう行動に出るか、予測は自然にできたのだろう。
「ごめん。僕は、正義任務をやりに基地に行く」
僕は決意表明した。そして、泉さんに謝った。
「正義の味方」の活動にどんな意味があるか、なんてことは、僕は興味ない。
正義任務という仕事は、それを本当に好きでやってる人以外には、そんなに褒められた役目じゃないと思う。
はっきり言ってしまえば、羽前さんは間違ってる。いや、間違っていないにしても、正しくはないと思う。
「正義vs悪」自体が、間違っているからだ。そんなのは、自明のことだ。悪を倒しても、次の悪が出る。正義が悪の扱いを受けることだってある。人間を助けない「正義の味方」のことを、人々は罵るかもしれない。つまり、正義も悪も、あやふやなんだ。正義は悪にとっては悪だし、悪は自分を正義と信じているに違いない。結局、「正義vs悪」という構図は、ただ延々と続く「喧嘩」なんだ。喧嘩に巻き込まれる周りは堪ったもんじゃないはずだ。だから、正義の味方なんて間違っているし、つまらない役割だと思う。
でも、どっちか選ばなきゃいけない。
現実に僕の前にあるのは「怪獣」と「正義の味方」という二つの存在だった。泉さんか、羽前さんか、どっちにつくかってことだった。そんな選択は、馬鹿げてる。当たり前だ。でも僕は、馬鹿げた選択をしなきゃいけなかった。これは、今までだらだらとふつうな生活に甘えていた事への、お仕置きかもしれなかった。関山さんの平手打ちとおんなじだった。僕は「正義の味方」になって「怪獣」と闘おうと決めた。決めただけじゃなく、実際にこれから、やりに行く。「正義の味方」の仕事は、快感なんか無いだろう。きっと苦い味がするだろう。
「『あなたがそう言うことは分かっていた。だから、それでいい』」
泉さんはそう呟き、『名言集』のページを繰った。
「『こういう言葉がある。「好きな人に殺されるなら本望」』」
読み上げた『名言集』を膝に置いて、無言で僕を見た。
艶かしい濡れた瞳。僕の感情を反射する鏡のような目だった。泉さんの目は、かわいらしく、つつましい一方で、他の人と比べても愛くるしい光を保っていた。いつもそうだった。それは、透明に燃える炎のような、静かな力だった。僕は、泉さんは言葉が少ない分、目で人一倍多くの事を溌剌と語っていた気がした。
「『大丈夫。あなたはできる。きっとできる』」
泉さんは無闇に鼓舞するようなセミナー調で言い、卓上の湯飲みを僕に差し出してきた。僕は受け取って、とりあえず飲んでみた。緑茶は凍っていた。
ふと思い出し、僕は座卓の天板を持ち上げた。
ここは、意外と大事だけれどすぐには使わないような、ちょっとした物品を忍ばせる場所に使っていた。天板の下に、引込さんから貰っていたチケットを見つけた。SNOWBLOOMというバンドのライブ。チケットの事は忘れていたけど、なぜか泉さんの服装を見ていたら思い出した。
チケットは二枚ある。日付けは、今日だった。夜七時半から。
会場は明神町の『Dreamtheater』というライブホール。
泉さんを誘って、行ってみようかと思った。状況的にも、寒さ的にも、家に居ても気分が落ち込むだけだ。泉さんも、出掛けたがっていた。僕はまた明神町に戻ることになるけれど……。
泉さんに水を向けてみると「『うん』」と即答された。SNOWBLOOMや音楽スタイルを知っているのか訊くと、全く知らないそうだ。正直、深く考えていないっぽい。
いま家を出れば、電車の時間を入れても、開演までは暇がある。
「あっちに着いたら、会場に行く前に、食事していこうか? おいしいハンバーガー屋があるんだ」
「『任せる』」
泉さんは同意してくれた。僕は嬉しいというより、とても安堵した。できれば今回は泉さんと食事したかった。最後になるかもしれないから。一緒に出かけることも。僕達はすぐに、出掛ける用意をした。
泉さんが用意する間、僕は部屋の外で待った。前とおなじミスはしなかった。
僕が玄関の鍵を閉める横で、泉さんは『名言集』を身体に装着していた。今日の重層的なドレスは、右胸の範囲に格子状にバンドが張られていて、そこに『名言集』を閉じてナナメに差し込める仕様になっていた。こうなると装飾品の域だ。枯れたワイン色と、ドレスの黒の対比は悪くなかった。
僕達は手をつないで駅まで歩いて行った。
*
「いらっしゃいませ!! あら、さっきのお客様」
白黒ストライプの制服を着た店員さんが、営業スマイルから素の観察眼に切り替えて僕達を見る。カウンターの店員さんはいつも同じだ。何回か来てるから、僕の顔も知っているかもしれない。僕はふつうのハンバーガーを注文した。泉さんはぬまえびバーガーというのを頼んだ。僕はあたたかい紅茶を付けて、泉さんは冷製ほうじ茶を頼んだ。お金は僕が払った。それに対し泉さんは何の反応もしなかった。僕が先に払わなかったら、泉さんは全額払ったかもしれない。お金に頓着が無いのは、泉さんの性質のようだった。
僕のトレイには、ハンバーガーの包みが二つ載ってきた。
「さっき、お金だけ払っていって、食べていかなかったから、サービスしたよ!」
店員さんは小声で言った。いつもの営業スマイルより、個人的感情を強く出して笑った。いいんだろうか。でも、嬉しかった。
僕達はカウンター席に並んで座った。泉さんは『名言集』をテーブルに広げて置き、両手で包み紙を開けた。「ぬまえびバーガー」は、えびが丸ごと挟まってるような形じゃなくて、ボリュームのある四角形のフライがサンドされていた。
「『さよなら』」
と呟いて泉さんはバンズにかぶりついた。ハンバーガーに別れを告げたのだろう。『名言集』のページには、『さよなら』と記されていた。それを読み上げたのだ。泉さんが『いただきます』なんて普通の台詞を言わないことは判ってたけど、今、『さよなら』と朗読するとは思っていなかった。何かを喋った時に「名言」と言われる一番の要素は、流れや雰囲気みたいなものじゃないだろうかと思った。『さよなら』という「名言」は二回目だな……。そんなことを思いながら、僕はハンバーガーを食べた。
この店に居る時は、怪獣警報をよく聴いた気がした。警報が鳴っていない今を、貴重な時間だと感じた。怪獣の襲撃は今にも起きるかもしれない。店を直撃したら、泉さんも殺されるだろう。本人も殺す猛威。それは脅威的だ。おぞましいと思った。
だから、同じくらいおぞましいモノを使って、対抗する必要がある。
それが、正義の味方。シルバーの装甲を着た4メートルの恐竜型ロボットだ。上限6000℃・下限マイナス273℃の充分な耐熱耐寒仕様を備え、怪獣を追尾探知する5種のレーダーを持ち、小型ながらバルカン砲やアトミックランチャーや自在分離砲といった強そうな兵器まで搭載する。
今の僕は、シートの読み込みは一通り完結していた。もちろん実践での不安は大きいけど、あとは搭乗を待つだけだ。
僕は、まるで学校に来る羽前さんの姿のように、非人間的なおぞましいモノたに自分が変わる予感がした。
もし泉さんと次に会うことがあったら、と僕は思う(そう思った時、今、泉さんが隣に座っているという出来事は、二度とないような奇跡的なことに思えた)。――今度は、まったく違った立場で会う事になるだろう。それは、「再会」としては、悲しい部類に入るのだろうと思う。でも、もしかしたら、「再会」すること自体、無いかもしれなかった。それは、より悲しい事だった。
だけど、今はまだ、悲しむ必要は無かった。変わっていくのは、これからだ。今日まではいつもどおりでいいのだから。
「『あ』」
泉さんの口から声が漏れた。
見ると、ハンバーガーの中身が床に落ちてた。
四角形のフライの中は、あふれんばかりのエビで、うまそうなにおいの湯気が昇っていた。細長い剥き身のエビが、パセリの混じったホワイトソースと絡み、目にも鮮やかだった……が、ボリュームがありすぎたのだろう。齧った弾みでバンズからこぼれ、フライごと床に落ちてた。これはやっちまったなあ、と思いながら、僕は、拾おうとした。
何か柔らかいものが口に触った。ちょうど、生のエビの剥き身を連想させるような何かが。
状況を観察するとそれは泉さんの唇としか思えなかった。
僕は至近距離の、いや、本一冊も挟めないところにある泉さんの顔を見た。泉さんも同じことを思ってるんじゃないだろうか。いつもより開いた瞼の中は、さまざまな情報が混線しているような目だった。つまり泉さんもフライを拾おうとしたか何かで、体をこっちに傾けたんだろう。妙なタイミングが合わさって唇が接してしまった。
「ご、ごめん!!」
すぐに僕は慌てて離れた。くっついた後は離れるぐらいしかやる事がないよなとか、淡白な歯ざわりだったからホワイトソースよりも醤油のほうが合ったなとか、間抜けな事ばかり思った。たぶんそうやって、浮き足立つのを防いでいた。僕の顔は、今は真っ赤になってると思う。
泉さんを見ると、鏡面のような表情に戻っていて、フライを拾ってナプキンに載せていた。
スカートの裾には、エビが一匹落ちてた。泉さんは、スカートと体を両方動かして、唇で器用にエビをつまみ上げ、口の中に送った。
「お客様ー、代わりをお持ちいたしましょうかー?」
カウンター越しの店員さんがとても幸福そうに笑った。




