神と怪獣としての世界 16
今日の雪は、火山灰のように目の細かい降り方をしていた。風はあまりなく、しんと体の奥まで冷え込む。景色は青っぽく、どこか海の中のようでもある。たまに僕達の横を車が通る音は、乾いていて軽かった。気温は氷点下7~9℃くらいだろう。
気温や風向きにより、雪の降りかたは千通り以上もあるようだ。最近はそんなことを知った。雪は、怪獣について回る異変だから、怪獣を倒せば溶けて無くなるんだろう。そもそも今は四月だし。……しかし僕はもう環境に慣れてしまった。雪が消えた景色を想像するのは、とても難しかった。
「雪が激しく降る日は、怪獣が出る傾向があるのよ」
関山さんは言った。
「言い伝えやジンクスじゃなく、統計的にそういう結果があるの。視界が完全にゼロレベルとなる最も厄介な雪を、麻形大学の怪獣研究班の分類では、『劇雪』と呼んでいるわ。雪の天気には段階があって、『少雪』『中雪』『大雪』『盛雪』『劇雪』となるわ。これに雪の形状、ぼた雪だの粉雪だのが加わる。さらに風向や風速や湿度といった環境条件が加わるから、天気の呼称には千通り以上のバリエーションがあるわ」
そんなに細かい天気の分類があるとは初めて聞いた。そういえばテレビで言っていたような記憶もある。今まで興味が無かったから聞き流していたんだろう。
「誰も今更言わないレベルの話だけど、季節に関わりなくこの地方にだけ雪が降り続くのは異常よ。最近は全国ニュースに取り上げられることも全くなくなったけど」
関山さんは、強い、まっすぐな目で、振り返った。
「怪獣が必ず雪の中に出現するのは、冷気を活動のエネルギーに変換しているからという仮説を唱える研究者もいるわ。彼らによれば、動力は冷気だけではなく、雪から水素を抽出し核融合を行っている可能性もあるそうよ。つまり怪獣と雪とは別々の自然現象ではなく、ひとつに繋がっているとする、ワンセット災害説。これから派生した説が、怪獣が体内から塵を放出し雪雲を絶えず造り出しているという、気象生物説。ほかには、巨大な人工降雪機の実験であるという気象兵器説。政府であったり、外国の財閥や諜報機関などが関わっているとされる。この説によれば、季節を上回る気象操作を可能とする装置の開発こそ本題であって、『怪獣』の『破壊』は人の目を引くためのダミー現象にすぎないと言われる。政府レベルの関与があるとすれば、『怪獣保険』の整備や、怪獣による農作物損害の補償制度や、町軍の比較的速やかな整備が行われたことには違和感はない」
関山さんは諸説を挙げ、しずかに一つ息をつく。
「もっとも、どの説も絶対的に現実性の裏付けが不足しているわ。詳しいことは怪獣を生け捕りにしないと判明しないでしょうね。現状では怪獣と思われる生体組織が採取されている段階に過ぎないというわ。しかもその組織片を使った研究のデータさえ、殆どが偽造や隠蔽されているという噂もある。怪獣が未知の動力システムを持っていて、それが極めて画期的なものである場合、研究の公表や進展自体が、エネルギー産業に壊滅的打撃を与える可能性がある。エネルギー産業にはとどまらないわ。国防、軍事、医療、薬品、――既存の分野に与える影響は計り知れない。だから水面下で怪獣の研究をめぐる抗争が起こっているとも言われるわ」
「へえ」
僕は感心した。関山さんは怪獣の情報をよく知ってるんだな。
寄りたい所があると言い、関山さんは途中で横道に入った。知らない道を一分くらい歩くと、温泉街へと続いていた。そして僕達は、見覚えがある所に出た。
温泉街の建物に隠れるようにして、小高い丘のような場所がひっそりと見えてきた。
慰霊のモニュメント。
「私の知り合いは、怪獣に襲われて死んだのよ」
関山さんは立ち止まり、呟く。
僕は、前にここで関山さんに会った事に思い当たった。
この慰霊碑に来ていて、そして、知り合いが殺されたということは……。
関山さんはモニュメントの近くまで歩いていった。
「二年前の2月21日に怪獣が初めて出現して以来、この明神町では二十三人の犠牲者が出ている。その犠牲者の一人が、私の知り合いだった。普通に言えば、彼氏というやつだった。私はこの町の中学の出身で、彼氏は同じ中学の一つ先輩だった。その人が卒業する日、私は好きだという思いを伝えた。告白は受け入れられて、付き合えるようになった。でも、その次の日、彼氏は死んだ。私がしている手袋は、彼氏が昔していた物。形見ね」
関山さんは黒い手袋で足元の雪を掬い、空中に放り投げた。白い粉がぱっと開き、さら、と落ちた。
「中学生の青臭い価値観で言うと、当時の私にとって彼氏は全てだったのよ。笑ってくれていいわ。当時は当時、今は今なんだから。私だって昔の私を見たら熱の上げように嘲笑したかもしれないわ。……なんであんたが深刻な顔してんの? おかしい奴ね」
関山さんは僕を見て、一瞬だけ、怒りながら悲しむような、精緻な表情をした。けれどすぐに平静に戻った。関山さんの様子からは、当時の悲しさや喪失感といった感情は全く読み取れなかった。まるで石ころについて話すような、とても突き放した顔だった。作り話に思えるほどだった。
「崩れた自宅の下敷きになって彼氏は死んだの。その時間、両親は共働きで出ていて、本人だけが家に居る状況だった。市内にデートにでも誘い出しておけば、最悪の事態は避けられたかもしれないって思ったりもしたわ。最近になって、やっと、怪獣災害を生命保険の範囲に入れるかどうかって議論が出てきているわよね。でも二年前は、そんな話は当然なかったし、彼氏の件は『怪獣に殺された直接的証拠は無い』と認定された。怪獣の進路上の建物は軒並み壊されているの。私が駆け付けた時だって、巨大生物の這った跡をこの目で見ているのよ。生物の尻尾にも見える、岩のように太い物体の痕跡も雪に残されていたわ。彼氏が怪獣に殺されたのは確定的に明らかなのよ? もちろん自治体の公式見解なんて愚劣なものだと分かっているわ。あてにするつもりはない。だから私は自力で怪獣を調べる決意をした」
関山さんは、そう言って、微笑むような目をした。
嬉しそうにも、寂しげにも見えた。
「彼氏が殺されるまでは、私は怪獣に無関心だった。ふつうに暮らしていたわ。理由は、ふつうに暮らせたから。怪獣は私から遠いところに居たから。勉強とか恋愛とか習い事とか趣味とか、私には怪獣以外にやる事がたくさんあったから。でも、そういうことになって、私は怪獣について考えたわ。考えなきゃならなかった。怪獣はなぜ出現するのか……。いったい何なのか……。知らずには居られない気持ちになった。だから私は一人でも調べようって決めた。知らない世界から目を逸らしていたら、世界のことは分からないままだって分かった。世界が分からないことが不幸だということが、分かった」
「……だから、自分なりに怪獣の情報を集めたりしてるの?」
「そう。わざと雪の強い日に町を歩いたり」
関山さんは首肯した。「まだ分からないことばかりだけど」と言った。でも諦めの色はなかった。引き込まれるような、いきいきした目だった。
「怪獣に繋がる決定的な手掛かりを見付けてやりたいわ。せめて、この目で怪獣の姿を見てやりたいのよ」
「危険だよ」
「危険でもよ。あんたはいいかげんだから、危ない目にもあわないかわりに、物事の大事な面も見えないのよ」
躊躇なく関山さんは言った。
「あんたのことが、私は嫌いだわ。憎悪しているわ。……だけど、あんたを、うらやましいとも思う。とりたてて優れたところもなく、何も達成せず、たらたら生きてるだけのあんたがね。どうしてかわかる?」
関山さんは問う。僕はなぜか恥ずかしくなる。気後れする。
「あんたは何もやっていないからよ。それは何でもできる可能性があるってことでしょう? 私は、あんたとは逆。ほとんど固まってしまった。マジメって言われてる事をマジメにやるしか能がない、硬直した人間。でも、このままじゃいけないことだって、自分でも分かってる。いつまでもマジメ人間ごっこを続けるつもりはない。私はより有能な人間になるために、自分の容量を拡大する決意があるわ。一度固まった鋼鉄を打ち直すのは簡単な事ではないわ。でも、私は、やってみせる」
関山さんは、自分で確認するように、しっかりと呟いた。
「だから、何もやらないで、自分で可能性を消してるあんたは、すごくむかつくわ。一生そうして生きていればいいのよ。あんたに言うことはそれだけよ。長い与太話を聞かせて悪かったわね。――さて、のんびりしてると怪獣が出そうだし、あんたを駅まで連れて行くことにするわ」
関山さんは非難の言葉を浴びせると、せいせいした様子で口元を緩めた。
駅に着く前に、僕は足を止めた。
目の前には、ラセン階段が目印の、白い家がある。
「ここでいいよ。ここのハンバーガー屋に寄ろうと思うんだ」
「ハンバーガー屋……?」
関山さんは、こんな所に店があるのかと、二階の店を観た。地元の人にも店の存在が知られていないのは、意外でもあり、当然とも思った。ここは店だとわかりにくい。
「学校帰りの寄り道は禁止よ」
関山さんは風紀委員らしく注意した。でも、溜め息を大きくついて、言い加えた。
「……と言いたいところだけど、私も今から寄る所があるのよね。あんたには言っちゃったから白状するけど、今までも学校帰りに怪獣の探索とかやってた時もあったし。道草はお互い様ってことで、今日だけは見逃してあげるわ。でも、今度油を売ってるのを見たら、容赦なく叩き出すわよ」
関山さんはもう一度二階を見上げて、来た道を戻って行った。後ろ姿が薄暗い雪の中にぼやけた。
正義の味方になるなら、関山さんみたいな人の方が向いてるんだろうな。
ただ、実際には僕のほうが正義任務をしていて、なんとも不思議だった。僕が羽前さんから誘われたのは、一時期「塾」に居たからという、それだけの理由でしかない。ノイズのような些細な要因に、僕達は左右される。
僕はラセン階段を上がって入店した。いつものように「いらっしゃいませ!!」と店の女の人が愛想よく迎えてくれた。僕はふつうのハンバーガーを注文した。
昨日の全部と、きょうの午前中は、シートの訓練をしていた。
三日前の夜の襲撃が、普通人である僕の心に強いインパクトを及ぼしたのは確かだ。あれを切っ掛けに僕は訓練をはじめた。それまでみたいに悠長に正義任務をやってはいられないと思い始めた。僕なりに多少は切羽詰まっていたし、焦ってた。勢いで掃除をさぼった事もあったけど、訓練は少しは進んだ。
今は前より迷いは無かった。素直に訓練に心が向いた。訓練以外の時間が勿体ないと思えた。
早く訓練を終えて、正義任務の役に立ちたい。
怪獣が襲ってきたら食い止められる立場に立ちたい。
怪獣は悪だから倒さなきゃならないとか、正義は悪に勝たなければいけないとか、そういう概念的な議論はどうだっていい。羽前さんみたいに、「この地方」という漠然としたもののために努力する気もない。
僕は、身近な人が悲しい目に遭ったり、悲しい顔になったりするのは、もう嫌だった。僕は自分の生活環境を守りたかった。それだけだった。
いつもの席に荷物を置いた。直後、警報が鳴った。
なんだ警報か……。でも、安心はできない。僕は、バッグからシートを出していた手を止め、外の様子を見る。
かすかな地鳴りを感じる。骨に反響するような嫌な微震動。三日前と似た感じ。怪獣の襲撃時には、独特の高周波が起きる。それは強烈な悪寒を呼ぶ。
コップの水が規則的に揺れていた。
僕は、胸騒ぎがした。
まだ、関山さんは、近くを歩いてるはずだ。
ありえないとは思う。ふつうに考えれば警報は鳴っても怪獣は出ない。万が一出ても、関山さんが襲われる確率はほぼない。
だけど、おかしいくらい心配だった。
僕は一度見てしまっている。
引込さんが怪獣に襲われたところを。
僕はバッグを置きっぱなしにして店を出た。店の人が呼び止める声が聞こえた。まだハンバーガーを調理してる最中だろう。
ガスと雪。外は青く煙っていた。夕刻前とは思えない薄暗さだった。外では微震動は感じられなくなった。足元は埋まったり滑ったりだし、雪や風といった処理情報が増える。おそらく音や気配なども幾らか遮蔽されてしまう。静けさが、不気味だった。警報だけが流れ続けていた。除雪車が一台通って行ったが、逃げている人や車の姿も見られなかった。
別れてから三分と経っていない。そんなに離れていないはずだ。関山さんが戻った方へ、行ってみようと思う。
その矢先、上空に、黒いものがあった。
形は円柱そのものだった。
黒く長い横向きの円柱だった。
僕は初め、電柱と同じ高さにあったから、電柱の一部か、電線を保護するような部品だと思った。
けれどそれは、よく見ると電柱より太かった。直径は50~60センチ。長さは1メートル程度。
しかも滑らかに動いた。
高さを保ち、水平に動いていた。
物体は、たまたま電柱のところに在っただけだった。
観察を続けていると、物体は通りを横断し、向かいの建物の壁を突き抜けた。
僕は驚いて、おいかけた。ドスン、前から歩いて来たおじさんにぶつかった。
「馬鹿野郎、どこ見てるんだ」
体格がいいおじさんで、尻餅をついたのは僕のほうだった。
その時、地面にも、黒い円柱を見つけた。
円柱は半分埋まるような格好で、雪から背面を覗かせていた。おじさんの足元に近付き、……突き抜けた。
「うわっ」
僕は叫んでしまった。
物体は道路を渡っていった。雪で盛り上がっている箇所を音もなく突き抜けた。きれいな水平移動だった。僕は、這ったままおじさんに近付き、無事な二本の足を眺めた。おじさんは怪訝そうな、というか「頭がおかしいんじゃねえか」という顔で僕を眺めた。
今の現象を見ていなかったのか?
それともまさか、見えてない?
僕を変な奴だと思ったんだろう、おじさんは舌打ちして歩いて行った。
僕はわけがわからないまま、通りを横断した。さっき円柱が突き抜けた壁にも、異常は見られなかった。
「うわっ!!」
また、叫んでしまった。僕の胸から腹にかけて、にゅ、と物体が出て来たのだ。
物体は僕の体を通り抜け、向こうに動いていった。僕は体を触って無事を確かめ、胸を撫で下ろした。
もし毒性や破壊力のある物体だったらと思うと、ぞっとした。
ともかく、疑いはないようだ。黒い円柱は、三次元の物体を透過するらしい。
見ると、通りのあちこちに、ちらほらと、物体が漂っているのが見えた。にゅぅぅぅぅと伸びたり、す――っと縮む円柱もあった。なめくじとか芋虫に似ている動きだった。無視できない大きさの円柱が周りを通過して行く景色。見ていて気持ち悪かった。
どの物体も共通の方向を目指しているように見えた。町の中心からは、若干ずれた方角。僕はそっちに向かった。
段々と、物体の密度は増していった。
歩を進めるにつれて、視界の半分近くを黒い物体が移動しているような状況になった。
たまにすれちがう人達やタクシーは、誰も物体に気付いている様子がなかった。物体は、人々や僕の体を突き抜け放題、抜けていく。物体が向かう所に、何があるんだろうか。それとも、何が起ころうとしているんだろうか。
悪い予感がする。
物体を追って、僕はずいぶん遠くに来た。息は上がっていた。
温泉街の外れに当たるみたいだ。高層のホテルや旅館が雑然と立ち並んでいた。道幅は車がすれちがえないくらい狭い。
物体は水族館の魚類の群れのように、濃厚な密度で道を流れている。
視界は八割方、黒だった。
乱雑な情報が多すぎる。目が脳へと気色悪さを訴えてくる。
道の向こうを関山さんが歩いていた。
もちろん黒い物体には気付いていない。後ろ姿が円柱に次々にぶち抜かれまくっている。
「関山さん! 止まって!」
ありったけの声で、僕は言った。
黒い物体の流れは、二軒ほど奥の建物の壁へと吸い込まれている。
すべての物体がそこに集中している。
そっちへ歩いて行くのは、とてもまずい気がする。
「伊福部? どうして、ここに?」
関山さんは振り向いた。――瞬間、眩しいほどに、視界がクリアになった。
もちろんそれは錯覚で、本当は雪が降りしきっていて暗い。
物体の通過が終わった反動で、景色がはっきりしたのだ。
全ての物体が、向こうの建物の壁に消えた。いつものような、雪だけの平穏。
僕は肌に沁みるような危機感を感じた。
僕は全速力で走って行った。足をとられる。くそっ。関山さんを無理矢理抱えて、引っ張って、連れていく。「ちょ……何なのよ急にっ!!」――関山さんが、そう叫んでる。気にしてる暇は、ない。取り越し苦労ならそれで構わない。ていうか、そうであってほしい。でも、もしかして、たぶん――。
ず、ず、ず、ず、ず……。
空の蓋がズレたような、凶悪な音がした。音のような、波のような、それらの塊のような。そいつらが、ふわぁぁっと、降って来たように感じた。「伏せて関山さん!!」と僕は叫んだ。そして一緒に倒れこむような格好で伏せた。
ズドン、と猛烈な地響きが起きた。
地面が1メートルくらい跳ねたように感じた。僕達はボールみたいに体を打った。沸騰する鍋のように地面が揺れた。何が起きているのか分からなかった、いや、顔を上げるのも危険な状況だった。あの時と同じ高周波。一帯が掻き混ぜられるような強烈なG。腕一本の自由さえきかなかった。
脳だけが空転し、状況を客観的に俯瞰していた。引込さんの時の場面が回想される。建物の破片があの時みたいに降ってきたら。そして一個でも僕達に当たったら。無事では済まないだろう。自分達が豆腐のように脆い存在に感じる。
ズドンと再度、爆発音がした。
もうもうとした白煙が噴き出し、別の建物が半分ほど吹き飛んだ。
しかし、震動と高周波は弱まった。地面は揺れているが、手足は何とか動かせるようになった。まわりを観察する余裕が生まれた。
初めに物体が吸い込まれた建物があった所には、土台しか残っていなかった。そのかわりに、スクランブルエッグのように崩壊した、コンクリートの塊があった。凄まじい量だった。
コンクリートの崩落は、僕たちの一メートル手前にまで届いていた。
関山さんも呆然としていた。
「も、もしかして、……怪獣!? 伊福部、どうしてあんた、分かったの……?」
震える声で呟き、訊いてくる。僕は、答えようとして、なまなましい黒い巨大な何かが上空から降って来るのが見えた。
脳ではなく、カラダで反応して、関山さんを抱えて跳びすさった。異常な衝撃がカラダを貫いた。それでも僕は安堵した、歓喜した。その衝撃が僕達の隣に落ちたもので、直撃じゃなかったことが感じられたからだ。雪が弾丸のようにカラダに当たった。けれど問題ない。黒い何かは雪の奥に引っ込んだ。道は爆発的に削られ、シフォンケーキの断面みたいになった。
やがて徐々に騒擾は収束し、静寂が戻ってきた。高周波の本体は、向こうへと移動していった。
僕達のまわりには、原形をとどめない建物が、累々と築かれていた。
……それはまさに、蹂躙、だった。
僕は引込さんの時もあるから、たぶん、関山さんよりは慣れている。ひとつ、息をついた。
それでも心臓は飛び出しそうにバクバクしてた。
……最後の一瞬だけ。黒い何かが見えた。
去りぎわに地面を叩いていったもの。
それは、長い、黒い、ごつごつした物体だった。
20~30メートルはあっただろうか。
それはあたかも――巨大生物の尻尾のような形だった。
僕達は、雪まみれだった。関山さんは無事みたいだった。呆然としてた。メガネはズレていた。溶けた雪で顔はしっとりと濡れていた。雪の上に座り込んだまま、じっと目を開けて、怪獣が壊した跡を見ていた。起きた事が信じられない顔にも見えたし……。目に焼き付けようとしているようにも見えた。僕は、融けて濡れないうちに、関山さんの頭や服についた雪を払ってあげた。関山さんは、初めて僕に気付いたようにハッとして、煙たそうに僕を押しやった。
「大丈夫よ。自分でできるわ」
関山さんは、ゆっくり立ち上がろうとして、滑ってよろけた。転ぶ寸前で、僕は受け止めた。関山さんは怒って、また僕を押しのけた。
でも、よかった。
僕が行ってどうなるのか。考えずに出て来てしまったけど、来てよかった。
今度は、助かった。
「よかった。無事で居てくれてよかった。ありがとう」
「な、何いって……」
気恥ずかしかったのか、関山さんは赤面し、僕を睨んだ。
「必ず借りは返すわよ。次に襲われた時は、私があんたを助ける番だわ。これは約束よ。分かったわね?」
「え? ……う、うん」
一気にまくし立てて、関山さんはそっぽを向いた。
ぐちゃ、
ぐちゃ、
ぐちゃ、
ぐちゃ。
大きな機械音が聞こえた。破壊された地面を踏みつける音。
振り向くと4メートルロボットが、小さな建物のように、そこに立っていた。
怪獣の襲撃を察知し、駆けつけたのだ。
「――羽前さん」
4Rは、学校に居る羽前さんのロボットよりも数段洗練されたフォルムをしている。全体に流線型で、頭身も小さく、手足はマッシブで、いかにも強そうだった。銀色のボディの中、二つの細い眼が、薄黄色に点灯して、僕達を見下ろしている。目の付近にあるコックピットは、外からは見えないようになっていた。
ロボットはしばらく僕達を見ていたが、怪獣が去った方角を見やり、そちらへと進路を変えた。雪まみれのガレキを、じゃき、じゃき、と踏みつける音が、遠ざかって行った。
羽前さんは、僕を乗せなかった。
正義業務のことが関山さんに知られると不都合だと考えたのかもしれない。
でも、僕は、今すぐにでも搭乗したかった。
怪獣が現れてる時が、正義任務の時だ。今やらなかったら、いつやるんだ。力不足なのは知ってるけど、ゼロよりはましなはずだ。ロボットを追いかけようと思った。僕は走り出した。
「あ、ちょっと待ちなさいよ、伊福部! あんた今、何て……」
関山さんが後ろから叫んだ。
「ごめん!」
僕も叫んで答えた。急がないとロボットを見失ってしまう。全力で後を追う。
しばらくしてから、遠くなった関山さんの声が、微かに聞こえてきた。
「怪獣の姿、見て来るのよ! 私に報告しなさいよ! 黙ってたら許さないから!」
僕は心の中で了解した。
でも怪獣もロボットも見失ってしまった。
遠くで聞こえる爆発音と衝突音が、どんどん遠くなり、山の向こうへと消えていってしまった。雪が激しく降り、それがボツボツと耳に当たる音しかしない。
こんな時に羽前さんと連絡が取れる手段があればいいのにと、つくづく思った。
僕は諦めて、町に引き返した。
駅のホームに電車が入って来た時、ハンバーガー屋にバッグを置き忘れたことに気付き、もう一度取りに戻った。よくある話だ。
結局、僕はとても疲れて、帰りの電車に乗った。
でも僕は一つ、決めていた。
すぐにでも、明日にでも、基地に行かせてもらおうって。
怪獣が暴れてるのを地面から見上げて、逃げ回るのは、もう繰り返したくない。
*
「正義の味方に加わりますか」と羽前さんから言われた時、どうして何となく誘いに乗ったのか。僕は今でも、ちゃんとした言葉では答えられない。
でも、もしかしたら、僕は変えたかったのかもしれない。答えがなくだらだらと続く、ふつうの生活を。
いや、そうじゃなく、ふつうの生活をだらだら続ける自分を。
僕は、ふつうの生活は、嫌いじゃなかった。飽きていなかった。どっちかと言ったら、好きだった。僕はふつうの生活を、ふつうの生活がある環境を、守りたいとさえ思ってた。だから正義任務をやろうとしているくらいなんだ。
平板に言って、僕は自分を変えたかっただけなんじゃないか。つまらない自分を終わりにしようと、どこかで思っていたんじゃないか。羽前さんの登場は、自分を変える刺激になるかもしれないと、どこかで期待していたんじゃないか。
今までの僕は、無意味だった。怠惰だった。それすら意識できなかった。関山さんは僕を、愚鈍、と言った。愚鈍な生活は、もういい。充分に堪能した。たぶん、したはずだ。
だから、これからは、別なことをしたかった。
できれば、もっとおもしろく生きてみたかった。
生きると言っても、大それた話ではない。
今までよりおもしろい生活をしてみたい。僕が思うのはその程度だ。もっとおもしろいやりかたを、あれこれ考えながら、毎日いろんな刺激を受けて、飽きのこない暮らしをしてみたい。そんなふうに思う。
今回の異変が落ち着いたら、あたらしい生活をしてみたいと思った。
*
市内に着き、駅から適当に吐き出されたような人の流れに乗って歩いていると、物陰で地べたに座ってる人が居た。ちょうど建物の軒下になっていて、雪が当たらない場所だった。男か女か分からない汚れた服を着て、ぼさぼさの髪をして、ゴム人形のような濁った目をしていた。僕は何故か気になり、立ち止まってその人を見た。
うちの母さんだった。
異変が進行していた。




