神と怪獣としての世界 14
夜遅くになって、やっと僕は市内に帰って来た。
駅前にはふつうの人々が静かに行き交っていた。電飾やネオンは雪に映えていた。いつもの光景だった。
隣の町が怪獣に襲われている人々の生活の様子がこれなのか。怪獣の存在に慣れ、適応した結果がこれなのか。平穏すぎて、怖いくらいだった。
正直、家にはあまり戻りたくなかった。駅の近くの自由喫茶の看板が見え、泊まっていこうかと思った。けれど、今までこの手のカフェを利用したことがない僕は、いつものリズムを崩す理由がどうしても見付からず、ぶらぶらと何となく家に近付いていった。
家には、怪獣神の泉さんが居る。
怪獣を出現させてるのは、泉さんだ。
止められないと自分で言っていた。本人の意志とは無関係だと。
泉さんは『わたしを殺して止める?』とも言った。泉さんを殺さなければ、怪獣を止めることは不可能とも聞こえる。
もちろん僕は、泉さんを殺すつもりはない。そんなのは論外だ。
それに、怪獣を出現させたストレスを一番抱えているのも、泉さんなのかもしれない。意志と無関係に破壊し殺人する怪獣の能力。そんな能力を持ち、心から平静で居られるだろうか。静かな顔で『名言集』を読んでるように見えても、内心は別かもしれない。
だけど今の僕はそこまで考慮できる余裕がない。
怪獣の破壊は身近まで迫って来ていた。
僕自身の生活。僕と泉さんの生活。それ自体にも怪獣の破壊が迫ろうとしていた。僕自身を中心とした、極小な生活の圏内ぐらいは、さすがに守らなければいけない。
さっきの破壊シーンが瞼によぎって目がくらんだ。血が逆流するような緊張が、せり上がった。引込さんはどうなったろう。
泉さんは、破壊シーンを作り出している、おおもとなのだ。頭が混乱した。どういうふうに接したらいいのか見当がつかない。今まで当たり前に接していたのに、それができなくなるなんて、滑稽な気分だ。部屋に戻るまでに態度を考えようと思って、僕は、玄関を開けた。
台所の電気がついていて、おいしそうな匂いが豊潤に充満していた。
母さんが台所に立っているのかな……。寝込んでいたけど、復帰してくれたのかな。何よりだと思った。
僕はダイニングを覗いた。
いつもの三角巾を巻いて、いつものエプロンを締めた――泉さんが居た。
「『おかえり』」
にぱ、という擬音が似合いそうな顔で、笑った。
「え……」
僕は思わず唸り声を漏らす。
ポタージュスープのような凝縮された匂いが、食欲をそそる。遅れて鼻に届く香りは、肉団子、豚肉、鰹節などの風味が一体となったものだ。ダシがよく取れていることが窺える。土鍋の中で、満杯に喫水された食材が、ぐつぐつと茹でられている。濃厚かつ澄み切ったスープの色は、絶妙だった。オレンジ色のニンジンと緑色のネギが、鮮やかだ。テーブルの上にはカセットコンロがセッティングされていた。泉さんは鍋つかみをして土鍋をかかえ、カセットコンロに据えた。
「これ、……どうしたの?」
「『ん。たまにはと思って。作りたかったから作った。気持ち良かった』」
いつもより明瞭に早口に、泉さんは言った。一仕事終えた開放感が顔に出ている。
ガス台やシンクはピカピカに片付いていた。料理と片付けを並行してやる主義らしい。テーブルには取り皿と箸が二人分置かれてた。
泉さんはエプロンをほどいた。
「『お父様は出掛けられた。お母様はいらっしゃらない。あなたは今から食べる?』」
「あ、ええと」
僕は深刻な気持ちの輪郭が、ふやけるのを感じた。それは幸か不幸かわからない。
こんな時に呑気に鍋なんて、意図がわからない。
というか、そもそも泉さんの行動に、意図はあるんだろうか。……考えてみたものの、温かい汁の匂いに腹が稼動を始めてしまい、頭の歯車は停止した。とりあえず鍋を食べ終わったら思考を再開しようか。そう決めると、僕は思った以上に腹が減ってることがわかった。
コートとバッグを二階に置いて来ると、取り分けられた汁に、さっそく箸をつけた。
「食材がたくさん入ってるね。栄養、満点だな」
「『冷蔵庫を見たら、きのうの怪獣の襲撃で、食材が結構ダメになってたから。ちょうどよかったから鍋に投入した』」
一瞬納得したが、食材がダメになったのは怪獣のせいである。それって結局、泉さんのせいじゃないか?
泉さんは、自分の怪獣をまるで相手にしていない。僕はそこにとても奇妙な空気を感じる。
……そうか。つまり、制御できない怪獣なんて、自分のものじゃないも同じなのか。泉さんには、怪獣は他人事なんだ。
きのう僕達が襲われた時、泉さんは何もしなかった。何もできなかったからだ。自分が死ぬ可能性もあった。怪獣は、僕達にとってと同じで、泉さんにもふつうの災害なのかもしれない。怪獣との関係を忘れたようにふるまう事は、泉さんの生活の工夫の一つなのかもしれない。それを非難することは、僕にはできなかった。襲われた人間にとっては、怪獣は深刻な存在だ。でも、だからといって、泉さんは怪獣に対して何もできない。
襲われた人たちの気持ちをまとめて引き受けたら、ふつうの人間の心は、きっと崩壊してしまう。
僕は鍋のスープをレンゲで掬って口に入れた。
泉さんの料理は、劇的においしい味ではなかった。
でも、外が寒かったこともあって、体に沁みる味だった。おいしすぎて目が覚めるような衝撃はなかったが、温かくて、リラックスできる味だった。隠し味の味噌が味に奥行きを与えているようだ。口腔の上層をほのかに漂う爽やかな香りは、ハーブ系の香草だろうか。豆乳のしつこさを消し、食欲を増進させる。
「うん。おいしいね。独自の工夫でもあるの?」
「『工夫はしていない。味の決め手は、伝統調味料であるグルタミン酸ソーダの少量かつ正確な配合。料理で一番大切なのは味のバランス。精密な計算が必要』」
泉さんは大きめの具を小さい口に黙々と運んだ。
二杯目を食べたくなった僕に、泉さんは手際よく取り分けてくれた。
お玉をぶらぶらさせていた泉さんの頭から『名言集』がばさりと床に落ち、それを拾い上げた泉さんは、気付いたように言った。
「『そういえば、忘れていた。「べ、別に、スキー場や温泉に連れて行ってもらったお礼に作ったわけじゃないんだからねっ」と言うのを』」
何か、視点が入れ子状になりすぎて、わけがわからないな。
*
次の日、僕は学校を休んだ。




