神と怪獣としての世界 11
「……ちょっと待って。好きって、どうして僕が?」
僕は、復唱してみた。たしかに泉さんは僕に言ったらしい。体の内側が、ぞわっと熱を持つ感じがした。今までよりも、泉さんの姿がくっきりと見える感じがした。今までも輪郭や色合いがぼんやりしてたわけではない。より一層、だった。
「『それは、文脈という断層の移動力が、いずれ事実をひらく。わたしの口に語らせる理由は絶無』」
泉さんは答えた。理解困難なセリフだった。けれど、耳に入ってくる声は、流れる水のように心地良くも思えた。
しかし、僕が今すぐに感じたのは、「どうしよう」という焦りだった。
つまり今の状況はこうだ。
僕は怪獣を倒す役目をしているのに、怪獣を操る少女を家に秘匿している形になっている。
これは、まずいと思う。矛盾してるというか、歪んでいる。
この構造は、正さないといけない。
僕は深呼吸して、気持ちと情報を整理する。僕は正義任務を先に引き受けた。泉さんの能力が分かったのは、後だ。時間的な順序から言って、正義任務をやめるという選択はありえなかった。僕は腹を決め、泉さんに話すことにした。
「何て言ったらいいか……。じつは僕は、正義任務っていうのをやってるんだ。分かるよね? 怪獣を倒す役目なんだ」
ふつう、正義の味方が正体を明かすのは特別な場面だ。僕は見習いだから微妙なんだけど。泉さんは、理解してくれるだろうか?
「でも今は、泉さんの能力が分かっただろ? だから泉さんに頼みがあるっていうか、お願いしたいんだ。その、言いにくいんだけど、……怪獣を、あまり活動させないでほしい。とめてほしいんだ」
泉さんは足を揃えて椅子に座った。
「『それはできない』」
細い腿の生々しい白さが浮き立っている。ユニホームの化学染料の白っぽさも。
「『塾で教わったであろう原則を、改めて言っておく。「神は己の能力を完全に統御できない」。要は、怪獣が出現し、破壊を繰り返すのは、本人の意志と無関係』」
泉さんは、ふたたびスクリーンに体を向け、淡々と呟いた。
薄情にも聞こえたのは、たぶん、反対の答えを僕が期待してたからだと思う。
……そうだよな。いきなり怪獣を止めろだなんて、失礼に決まってる。羽前さんに正義の味方をやめろと告げるようなものだ。そんな強権は、僕には無い。
僕はふつうの人間で、神の気持ちは分からない。神という役目のやりがいも想像できない。だけどきっと、やりがいはあるのだろう。
それに「統御できない」なら尚更だ。本人も怪獣を止められないなら、どうしようもない。
羽前さんも似たようなことを言っていた。神の能力は本人の能力を超えていて、時には本人も歯が立たないものを創り出してしまうと。
だから、泉さんに怪獣を止めるよう頼むのは、さまざまな意味で効果が薄いと言えた。泉さんは、怪獣を止めることができない。
ヴウウウウウウウウウウ――――――――――――
警報が鳴った。ずっと鳴っていたのかもしれない。僕は自分の集中力が緩むのを感じた。脱力感と倦怠感。警報と一緒に、日常が戻って来たのを感じた。
ずしん、と地響きがした。いつもよりは大きい。震度3くらいだろうか。甲高いサイレンが繰り返され、爆発音が聞こえる。町内会か自警団か、それとも町軍だろうか? 意外に人間同士かもしれない。最近、「怪獣教団」といって、怪獣を信仰する教団があることを聞いた。好戦的な集団で、住民や警察との諍いが尽きないらしい。一方で、教団を「警察や軍の自演」とする見方もある。怪獣による過度のパニックを抑え込むため、教団に人心を引き付ける意図だという説だ。事実がどれほど含まれているか分からない噂が、吹雪のように飛び交っている。
僕は、念のため、カーテンの隙間から外を覗いた。もっとも、外には更にぶ厚い雪のカーテンがあるだけだった。青黒く暮れていく景色には、怪獣らしき姿は確認できなかった。
「『怪獣神がわたしだとしたら』」
泉さんの声に、僕は振り返る。
「『わたしを殺して止める?』」
あいかわらず、映画を見続けている。
殺す、か。
なるほど、たしかに、泉さんを殺せば怪獣は消えるだろう。そういう荒療治があるのだ。
できるわけがない。
泉さんはこちらに敵意がない。好きだと言われたりも、した。泉さんを殺す理由は、僕には見付からない。
だけど僕は正義任務をやっていて。
怪獣を止める羽前さんを手伝う立場にあって。
僕は、どうしたらいい?
と、予想外にも、泉さんからアドバイスがあった。
「『方法はある』」
「え?」
「『あなたが正義任務をやめること。やめれば怪獣に関与する理由が無くなる』」
それは、全くの正論だった。けれど、正論すぎて考えもしなかった。正義任務をやめることはありえなかった。僕は既に任務を引き受けていた。一度引き受けた任務をやめることは考えていなかった。
ところで、僕はなぜ、そもそも羽前さんの正義任務を手伝ったんだろうか。
僕はその動機を真面目に考えたことが無かった。
でも、じっくり考えると何かが分かるような気がした。
そういえば、じっくりとか、まじめとか、そういう行為は僕から絶えて久しい。そのことに今、気付いた。僕がふと思い出したのは、関山さんのことだ。関山さんが僕を頻繁に非難するのは、たぶん、僕がふまじめだからだ。そこを感じてたんだと思った。どこから見ても、関山さんはまじめだ。僕とは逆だった。
でも僕は、とうとう、まじめに正義任務のこれからについて結論を出さないといけなくなった。
なってしまった。
一言でいって、僕が正義任務を手伝った理由は曖昧だった。もちろん形式的には、羽前さんに参加を要請され、参加を受諾した。ただ、参加を決めた動機には、あまり決定的なものはなかった。冷静に考えると、下心的な動機しか無かった……かもしれない。つまり、羽前さんは可愛い子だったから、接点が消えるのは惜しいと思った。僕は、羽前さんに何となく興味を持ったから、正義任務に参加した。任務自体には、格別興味が無かった。
というか、たぶん、少しもなかった。
正義vs悪という構図は、ありふれている。世の中のよくある構図の一つだと思う。
ありふれたこと。
つまり、ふつうのことなんだ。
そういう、ふつうのものには、僕は刺激されなかった。興味を覚えなかった。
世界は何もかも、ふつうだった。高校生活だって。たぶん父さんが働いていた会社だって。社会全部だって。この国だって。国の寄せ集めの、この世界だって。みんなみんな、ふつうに違いない。ふつうなものでなければ、この世界には、存在もできないくらいだ。そんな気すらもしてくる。
映画だって、一見ふつうじゃないものを表現するかのようで、結局はふつうのことを言っている。正義と悪の戦い。なんて、ふつうだろう。怪獣映画に限らない。ハリウッド映画だって、そうだ。僕は、そんな、ふつうなものじゃなくて……。
いや、今はそんなことはどうでもいいんだった。世界がどう、なんて考えてる場合ではない。
端的に言って、僕は、「困っている羽前さんを放り出せなかった」。
そういうことだと思う。
きれいな顔や立ち姿とか、きれいな子への興味本位な関心とか、そういうものも含めてだけど、放り出せないと思った。
漠然とかもしれないけど、僕は羽前さんに協力する事を、たしかに自分で決めた。
もちろん、僕が勝手に思い込んでいる理由かもしれない。困っているといっても、羽前さんがそういう様子をしたわけじゃない。羽前さんは一度だって困ったそぶりを見せたこともない。弱音を吐いたこともない。
それでも、僕は勝手に、羽前さんに協力したいと思った。
それは、なぜだったんだろう……。自分でもさっぱり、理解ができなかった。もういい。僕はこう言うことにしよう。男ならかわいい女の子の頼みを放っておけるか、って。
それは、ふつうの人間の僕にできる、唯一の結論だった。
むなしかった。
ガタガタガタガタガタガタ・・・・…………家が激しく、揺れた。
経験したことがない揺れだ。
震度はいくらだ? わからなかった。並外れていた。
スローモーションに見えた。
視界に映るものが、すべて好き勝手に滑っていた。氷の上のようだった。
何が起こっているんだ? 嘘みたいだ。
泉さんは椅子から投げ出され、横倒しになった。
あぶない――僕は覆い被さるようにして、泉さんを守った。下手な正義感や、男が女の子をかばうふつうのフォーマットというわけじゃない。僕のほうが体が大きいので合理的だから。それだけだ。
家が傾いて地面に飲まれるんじゃないかと思った。
もう地鳴りや地響きという生易しいものではなかった。それ以上のことが起きてた。
ぞわぞわと空気が震えだすのを感じた。
皮膚が総毛立つような気持ちの悪さだった。
ぱりぱりぱりぱり――と、ガラスが割れる音が走った。一瞬で窓が、壊れたのだ。
そして僕達は、聴いたこともない音に包まれた。
金属が一瞬で蒸発するような音。それがずっと続いた。
すさまじいとしか、言いようがなかった。音と風が混濁した衝撃波が吹いた。おそらく高周波の帯域なのだろう。脳が揺らされる。手には汗が溢れる。
僕はもう、大声で叫び出したい気持ちだった。状況を認識するのを、やめてしまいたかった。これが恐怖という空間なのだろう。
でも、泉さんは倒れながらも『名言集』を放していなかった。大したものだと思った。物は散乱するが、意外と当たりはしない。背中に何かのカドが当たったけど、大した痛みもない。
泉さんは微かに笑ったように見えた。
今の状況を楽しんでいるんだろうか? 『かばってくれてありがとう』ということか? 『止められないと言ったでしょう』という自嘲なのか? 泉さんは、上になっている僕に、きゅ、と野球帽を被せてくれた。意外にも、そんなことだけで、僕は安心できた。こうなったら、慌てるのはよそう。今から逃げても無駄なのだ。家が崩れたら下敷きになる。外に出ても、電柱や何かが吹っ飛んでくるかもしれない。だったら中に居ても同じだ。この家には正義の味方の見習いが居た。けれど、何もできなかった。
それにしてもタイミングがよすぎる。あるいは、悪すぎなのか。よりによって、羽前さんの手伝いを続けようと決めたところなのに。
いや、違うな、と僕は思った。
これは怪獣に襲われる人間の、日常なんだ。
怪我したり死んだりする人は、最低限、これぐらいの経験はするだろう。
怪獣警報は一日に何回も鳴ってる。タイミングと言うなら、一日じゅう最悪なんだ。自分に当たるか当たらないか、それだけの問題に過ぎない。
僕は今まで、当たらなかった。車が一階の廊下に落ちてきた程度だった。だから、想像力を働かせなかった。
この地方の実際の姿を見ることを、避けてきた。
ドォーン。巨大な爆発音がした。打ち上げ花火に似た弛緩する音だったが、家はぐらりぐらりと揺れた。バツンという音とともに、プロジェクターの明かりが消えた。停電したみたいだ。
しかし、ほどなく高周波の嵐は終わった。
揺れも収まった。
……あ。
やばい。石油ストーブ。
僕は乱雑な部屋を手探りで進み、潜り穴を抜ける。
ストーブは倒れていた。火はドーム型の金網の中で暗くともっていたが、背面から倒れたのが幸いし、燃え移りはなかった。
窓が割れて冷気が垂れ込めていた。僕はストーブを立て直し、汎用機械の明かりを借り、灯油が漏れていないかチェックする。電気が戻るまでは、ストーブでしのげそうだ。
泉さんが押し入れから這い出てきた。
どうやら、一段落らしい。
しかし。
僕は冷静に、今の環境や状勢を考えてみた。
正義任務を続けるとは言っても、怪獣を倒すのはとても難しい気がする。
怪獣は圧倒的な攻撃力と破壊力を持っている。今のような猛威をふるってくるとすれば、予想以上に難渋しそうだ。考えてみれば、羽前さんだって半年近くの間、怪獣を倒すことはできていないわけだ。正義の味方は、僕達二人だけだし、いつでもスタンバイしてるわけにもいかない。不意打ちされる可能性だってある。僕は、今の襲撃で弱気になってるのかもしれない。ただ、それを差し引いても、形勢は不利に思える……。
僕は正義任務を続けられるだろうか。怪獣と戦い続ける覚悟があるのか。
自信がないというのが率直な気持ちだった。
僕には、思慮と、覚悟と、勇気と、理性と、……要するに、正義の味方の全ての要素が足りていなかった。
ふつうの人間が気軽に首をつっこむものではなかったんだ。
正義任務をやっていたら、僕や羽前さんが殺されることは大いにあり得るのだ。
怪獣に殺されたふつうの人達の慰霊碑が、明神町にはあった。
正義の味方だから、ふつうの人間に比べたら、怪獣への備えはあるだろう。けれど、万全の安全なんか無い。正面から衝突したりしたら、死の危険は増す。
僕は今、初めて、そういう深刻な事態を考えた。
もし、考えられる最悪の事態が起こったら、僕はどうするだろう。自分のことなのに分からなかった。……何となく流れで首を突っ込んだ怪獣との戦いで、僕は死ねるのだろうか? とてもじゃないが想像がつかない。想像できない死というものが、僕は怖い――――怖い? そうではなかった。怖いかどうかも分からないから、死ぬことは特別なんだ。それは透明な異物のようだ。中身が見えないのに、たしかに明瞭に存在する。その不可解なものを拒否したいと僕は感じた。「存在」とは反対のものが、死だ。存在しているものを消し去るものが存在している。それは、不気味で、気持ちが悪かった。死ぬことを考えると、吐き気が込み上げた。くそ、なんでなんだ、なんで僕は首を突っ込んでしまったんだ? 答えは出なかった。
そして、
既に引き返せない状況だけが、僕のまわりにはあった。
怪獣が今よりも凶悪に暴れだしたらどうなる。僕の家や、麻形市や、明神町や、この地方は、無事で存在していられるのか。
いや、ちがう。それを守るのが正義任務だった。命運は僕が半分握っていた。怪獣との戦いは、羽前さんとの共同作業だ。僕がこの地方の未来を左右してしまうんだ。大きなミスをしたら、破滅に直結してしまうことだってある。
「『これ』」
泉さんが後ろに立っていた。
手にはあのノートを持っていた。
「『続きは?』」
さっきと同じことを、もう一度呟いた。
泉さんは、ノートを座卓の角に置き、押入れに戻り、戸を閉めた。
僕は、今更のように思い出し、下の階に行った。父さんは、無事だった。
母さんの部屋には誰も居なかった。出掛けているみたいだ。きょうは外に居たほうが安全だったろう。無事でいてくれればいいけど。
台所に寄り、落ちた物や割れた食器をざっと片付け、部屋に戻って来た。
窓からは氷点下の隙間風が入ってくる。ベッドのふとんをストーブの前に持って行き、寝ることにした。
落ち着かない夜だった。いつまた襲撃があるかと思った。気持ちを緩めるわけにはいかなかった。たまに起こる細かい震動に、びくりとした。怪獣にとらわれる心が感じさせる錯覚だろうか。遠くからじわじわと脅かすなら、いっそ踏み潰してくれよ。でも、じっさいに踏み潰されたら痛いから嫌だ。いろんな考えが脳の表面を滑った。ごろりごろりと、寝返りを繰り返した。窓の外では何人かの中年男性の声がくぐもって聞こえていた。電気の復旧工事だろうか。
深夜前に電気は復旧した。
もっとも、また消すだけだったけど。
その時、ふと、座卓のノートが目に入った。
表紙が黄ばんだ怪獣物語のノート。僕はノートを開いた。中には、自分でも忘れていた物語があった。
摘み読みしてみた。[怪獣vs人間の戦い]の筋書きになっていた。
小学生らしい安直な発想だ。
続き……続きか。当時の僕は、途中で飽きて、書くのをやめたのだ。もちろん、今更続きを書く気は起きなかった。[怪獣vs人間の戦い]なんていう話は定型的で、筋の運びも何通りかに決まっている。だから、わざわざ続きを考える価値を感じなかった。
僕はノートを放り出すように置き、部屋の電気を消した。そのうちに疲れ果てて寝てしまった。




