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神と怪獣としての世界  1

――ダサイ。ゴ注意クダサイ。『怪獣』ガ出ル恐レガアリマス!


 うるさい警報に起こされた。気持ちいい目覚めではなかった。

 最近、僕のまわりには、模糊とした出来事が多い感じがする。

何が模糊としているのか、分からなかった。もっとも、だから模糊としているわけで。すっきりした空気じゃないのは確かだ。

 目覚ましはとうに止まり、時間は正午近かった。寝過ごしてしまうなんて、珍しいミスをした。父さんがずっと昔に使っていた携帯電話をもらい、目覚ましに使っている。僕は小さいアラームでも充分起きられるタイプだ。起きられなかったのは何年ぶりだろう?

 僕は、むくりと体を起こし、便所で用を足した。――うぅ。起き抜けは寒くてたまらない。新しくはない木造住宅だ。改築の予定もない。

 下でごはんを食べようと思い、階段をおりていった。降りた突き当たりに台所部屋(ダイニング)のドアがあり、騒々しいテレビの音がする。父さんか母さんが消し忘れたな。昼まで寝てしまった僕も僕だけれど。

 ――あれ、なんで居るの?

 父さんは、スーツ姿の男性と一緒に、食卓に座っていた。会社はどうしたんだろう?

 ノートパソコンを見て、父さんは頭を抱えていた。四十年以上も前の、古いノートパソコン。父さんには骨董趣味があった。

 スーツの男性は無感動な目で僕と父さんを見回した。僕は父さんと似たような寝巻姿だから、わりあい恥ずかしい。ダイニングは、ストーブでカンカンに暖まり、とても酒くさかった。ゴミ箱には銀色のビール缶が山ほど入っていた。

「おまえか」

 父さんは赤ら顔で言った。僕のセリフを予期したかのように一言、

「会社を辞めさせられてな」

「なんで」

 僕は普通に、ボソ、と呟いた。

 じつは、びっくりして表情が動かなかっただけだ。

「いや、私にも、よくわからないんだ。不況は今に始まったことじゃないしな。もう不況という言葉も聞かなくなったくらいにな。必死に働いてきたんだがな」

 父さんは首をひねる。戸惑っているみたいだ。僕もだよ。

「しばらくは大丈夫だと思うが、私の貯金が底をついたら、自分で学費を稼いでほしい」

「急だね」

 僕は雰囲気を和らげるために苦笑した。父さんは昨日まで普通に働いていた。僕としてもクビになることなど想定していない。意外な現実が突然降ってきた。

 けれど、なにも今日クビになることはないと思う。

 息子の高校の合格発表の日に。

「大丈夫だ。少しでも貯えを増やそうと思ってね。こちらは証券会社の人なんだ」

「どうもお邪魔しております」

 スーツの男はぶっきらぼうに言った。二人は熱心にパソコンに見入っている。たえまないクリック音がテレビの音の隙間を埋める。

「ショウゾウさん、最近伸びている会社があるんですよ。これがホームページです。新規の除雪企業ですが売上は爆進的です。『場所を問わないオール10cm以下除雪』を謳い、業績を伸ばしています。除雪業界は競争が激しいですからね」

「たしかにスノー産業はホットスポット的な業界ではあるけどねえ。とは言っても入れ替わりも相当だからねえ。一週間で潰れたりされたら話にならんよ」

「そうですか? でしたらこちらの会社はどうでしょう? 国防産業だから暴落はないでしょう。手堅いですよ。買いですね」

「買いかねえ」

「買いですとも」

 僕は妙な感じがした。父さんが進んで株式投資するのは見たこともない。

 えと、あれ、除雪企業? 国防産業? 大っぴらにそんな事をやっている会社があるの?

 というか・・・・……何それ・・・


 ココマデA地方ノオ天気デシタ! 

 ソレデハ「今日ノ軍備」ノこーなーデス! 

 コノタビ「行政管区軍」ハ防衛省ノ指令ニヨリ「特別町軍」ヲ管区ニ組織シ――

  

 テレビの音がうるさすぎる。寝起きの頭には堪らない。外で鳴っている警報と二重奏になり、部屋が攪拌(ランドリー)されるかのようだ。

「アーッ! しまった」

「こら、何してるんです。そっちは売っちゃだめです。優良株じゃないですか」

「どうしよう、もう取り消しはできないよぉ」

「慌てないでショーゾーさん。落ち着きましょう」

 カチカチ。クリック音。二人は取引に熱中している。父さんはいくらぐらい注ぎ込んでいるんだろう。一夜で貯金が吹き飛ぶようなことにならなきゃいいんだけど。証券マンの男性は、どこかしら胡散くさく見えなくもない。だいたい、父さんの名前は正三じゃない。正一である。

 僕は気にせず御飯を食べようと、冷蔵庫を開けた。いつもは母さんが目玉焼きぐらい置いておいてくれる。きょうは、何も無かった。

「母さんなら和室で寝てるよ」

 父さんが気付いたように言った。

「パートは行ってないの?」

「体調を崩したようだよ」

 それは、父さんがクビになったせいじゃないだろうか、もしかして。

 未来が不安になった。

 離婚、一家離散、無理心中。そういう語群が頭をよぎる。でもまあ、たぶん無いだろう。僕の周りでもそのレベルの悲劇はあんまり聞いたことがない。

 ダイニングを出て行こうとすると、父さんに呼び止められた。

「そういえば、合格発表は今日かい? 受かってるといいなあ」

「あ、心配いらないと思うよ」

 僕はふつうに答えた。たかが高校受験だ。落ちるわけがない。自己採点もしたしね。

 というわけで、ダイニングを出ようとすると、また引き止められた。

「ああユウジ。車に気を付けるんだよ」

「なに、それ?」

 さすがに苦笑した。父さん、朝から酔ってるなあ。何本ビール飲んだんだ?

 息子の名前を間違えられちゃ困る。

 僕は、二階の自室に戻り、出かける準備を始めた。洗面と歯磨きをして、ドライヤーで寝癖を直し、着替えをする。……合格発表には何を着ていけばいいかな。この前卒業した中学の制服が無難かな。現地での発表しかしないなんて、伝統か何だか知らないけど、絶対わざとだよなあ。地方の謎の習俗だよ。

 それから、受験票が要るな。コタツ横の黒いショルダーバッグに入っていたはずだ。バッグの中をまさぐり、ハガキ大の受験票を確認した。バッグへと戻そうとして、妙な感じがした。

 僕は、受験票をしばらく眺めた。

 ……ええと、これはどういうことなんだ?

 高校の名前が、違っている。

 ハガキに印刷されていたのは「第五高等学校」という、見知らぬ高校の名だった。裏面の地図や交通案内も変わっていた。

 所在地は、――明神町(めいしんまち)? 隣町じゃないか。合格発表の時間は十三時。ここは変わっていない。

 でも、どうして僕のバッグの中に知らない人の受験票が入っていたんだろう。

 そういうことになる。僕が受けたのは「第一高校」だった。市外の「第五高校」とやらじゃない。この受験票は本人に返さなきゃいけないんじゃないか。

 ここに印刷されている、「伊福部祐二(いふくべゆうじ)」という人のもとへ。

 僕の名前は「伊佐領(いさりょう)祐一(ゆういち)」と言うので、この受験票は僕のものではない。

 一つ妙なのは、「伊福部祐二」の住所は僕と同じらしいということだ。さっき父さんも僕のことを「ユウジ」と言っていた。ヘンな偶然だ。

 でも、もっと妙なことがある。それは、なんとなくだけど、この受験票は自分のもののような気がしたことだ。なぜかそう感じた。

 合理的に考えれば、第五高校を受けた伊福部祐二という男が伊佐領祐一であるわけはなかった。しかし、僕がこの受験票を持っているのは、別に不思議じゃないと思ってしまうんだ。ともかく、状況証拠から、僕はこの受験票を自分のものだと思うことにした。

 じつは、さっき起きた時から、身の回りが何となくおかしい感じはしていた。

 思い返すと、たおそらく昨日までは、おかしい感じはなかった。今朝から何となく変なんだ。父さんの突然のクビとか、おかしい受験票とか……。

 それから、ムリヤリ起こされた「怪獣」がどうのという警報。あんなにうるさい案内は聞いたことがない。だいたい、怪獣って何なのか。

 けどまあ、僕は気に留めないことにした。今のところは支障は無いし、たぶん以後も支障は無い気がしたからだ。僕は受験票をバッグに入れた。

 ――受験票に書かれてる第五高校。もともと受けた第一高校。どっちの高校に行けばいいんだろ。

 まあいいや。とにかく家を出よう。僕はそう考え、階段を駆け降りた。突き当たりのダイニングのドアからは、父さんたちの乱痴気じみた声が聞こえていた。僕は廊下を右に曲がり、

 車があった。

 ぶつかりかけて、車の側面に手をつき、何とか立ち止まった。……車!?

 ここは、うちの廊下。

 そこに、車。

 軽自動車がうちの廊下を占拠していた。

 車は激しく損傷していた。車体がへこみ、傾いていた。タイヤはパンクし海苔巻みたいだった。

 車は床をぶち抜き、埋没状態だった。僕は風がとても寒いのを感じ、どうして家の中で風が吹くのかと思ったら、天井にはデカい穴があいていた。

 ……えええええ。

 状況から判断すると、この車は上から降ってきたことになる。ミサイルが着弾するみたいに。

 おおい、大丈夫か、そこの車には気を付けろよ。――父さんが叫んでる。酔っ払ってたんじゃなかったんだな。父さんは車があるのを知っていた。それじゃあ、降って来た理由も、知っているんだろうか? 僕は台所に引き返そうとした。

 ピンポン。呼び鈴が鳴った。

 

 コンコンコン。ドアが叩かれた。玄関に行くには、車をまたぐように越えるしかない。僕は無人の運転席を横目に、車のボンネットに乗る。降り積もった新雪が冷たい。向こうに飛び下りると、僕はドアを開けた。

 ひやっとした空気の塊が入ってくる。

 細かい雪が吹き込む。

「はじめまして。伊佐領祐一さんですね」

 鈴を鳴らしたような声が響いた。

 肩くらいまでの癖のない黒髪をした、見知らぬ女が立っていた。肩から腰までを覆う黒の外套(ハーフコート)を着ていた。何世紀も前の外国の小説から出て来たような格好だった。雪の照り返しを受けて、黒髪は時折プリズムのように、薄緑色にも映った。

「はい。そうですけど。何の用でしょうか?」

羽前杏奈(うぜんあんな)。正義の味方です。あなたに用事があって来ました」

 女は頭をグルグル回し、粉雪を振り落とした。まとまった髪の毛がリズム感をもって動いた。

 落ち着いて見ると、僕と同じぐらいの齢と言って良かった。特異点のような格好に惑わされた。パッチリした黒い目は童顔に見えるくらいだ。

「……は?」

 正義の味方が僕に用事。

 それは嘘だ、と僕は思った。まず、僕は正義の味方に何か頼まれるような目立った人間ではない。また、たとえ自称でも、正義の味方が名乗り出て来る状態はふつうじゃない。

「大袈裟にとらえる事はありません。あなたは、あくまでも多数の『候補』の一人です。特別な人間ということじゃありません」

 少女は、僕の内心を読んだように、落ち着いて言った。ええと、名前は、何だっけ。

「あの、ところでですね」

「合格発表でしょう。わかってます。訪問する相手の予定を調べておくくらい、事前の礼儀と心得ます」

 またも言おうとした事を言われた。少女は表情を変えず、淡々と喋る。あまり感情がないのかあえて出さないのか、分からない。

「合格発表は、付き添いましょう。あたしの用件は、それからで構いません」

 少女は目を閉じぎみに一礼をした。合格発表を理由に辞退するのは無理になったと、僕は思った。予定を調べられた不信感より、少女の真面目な雰囲気のほうを信用してもいい気がした。僕のような小市民の予定なんて、どうにでも調べられる。真面目な客を無下に追い返す粗暴さはないつもりだ。

「そうですか、わかりました。じゃあ、僕は早速、家を出ますけど……」

 少女は、僕の奥にある物体を、黙って見ている。

 例の車である。

「車屋を始めるのでなければ、早いうちに撤去したほうがいいですね」

「本当ですね」

「早目に撤去させておきましょう。それと、もう一つ」

 少女は僕を見詰める。青白い血色とあいまって、人間味が伝わってこない。たぶん、容姿は可愛いはずなのだけれど、その事に気付くのに時間が掛かった。

「普通に喋って頂いて結構です。あたしとあなたは同い齢です」

 そう言って、少女――ウゼンさんだっけ――は、手持ちのビニール傘を開けた。

 僕も傘だけ持って家を出た。

 上空は煙のような雪雲が広がっていた。数え切れない雪の粒が舞っていた。

 昨日までは雪なんか一ミリも積もっていなかったのに。

 

 *

 

 ――市民ノ皆サンニオ知ラセシマス! 本日ノ怪獣警報ハ解除サレマシタ! 念ノタメ引キ続キ放送ニゴ注意クダサイ!

 

 雪に反響を()がれながらも、うるさい放送が頑張っている。何本かに一本、スピーカーのついた電柱があって、そこから流れているのだった。

 そういえば、家の前の電柱が折れたように傾き、ちょうどスピーカーの部分が僕の部屋の窓付近にあった。だから、目が覚めた時、凄くうるさかったんだ。あとで直しましょうと、ウゼンさんは言ってた。

 僕は足を麻形(まがた)駅に向けた。第一高校なら市内だから電車に乗ることはない。受験票に書かれていたから、第五高校に向かうことに決めたのだ。

 それにしても、今日はどこも一面の雪だ。いつのまに降ったのか知らないが数十センチは積もっている。

 雪は現在進行中だった。雪と霧が混ざって立ち込めているようなひどい天気だ。大通りのビルの輪郭も溶けてしまい、看板だけが目立っていた。車はガサガサと雪を掘りながら自転車並のスピードで走っていた。

 スピーカーはあちこちに配置されているらしい。

今は、警報は流れていない代わり、音楽が流れていた。

 BGMというには激しい音楽。エレキギターは速く、ドラムは機関銃のようで、ボーカルは金属板を引き裂くような喚き声だった。そんな得体の知れない音楽が、静かな音量で流れ、町のなかをボワーンと漂っていた。

 駅が近付くにつれ、人が増えてきた。近くの人たち以外は、影のようにしか視認できない。僕は駅で切符を買った。羽前さんも黙って買っていた。

 

 

 第五高校のある明神町までは、電車で二十分ほどだ。一時間に一~二本、列車が出ている。ディーゼル音が過疎路線の感を醸し出している。二両編成のためか、列車の中は混雑していた。

 途中、僕が受験した第一高校の横を通った。

 驚いたことに、第一高校の敷地は高さ数十メートルに及ぶ防音シートに覆われ、校舎が見えなくなっていた。

「どうかしましたか?」

「いや……。あれって、第一高校だよね。なんの工事だろ」

 僕は一週間前にあそこを受けたのに。

 ――とは言わなかった。何となく。

「解体工事しているんです」

「解体だって?」

 反射的に訊き返した。解体と聞いて驚くが、当然のような羽前さんの言い方にも驚く。

「教育委員会の統廃合計画の一環で潰される、事になっています。今年からは生徒を募集していないはずですが。――それがどうか?」

「へ、へえ……。いや、別に」

 話を切り上げた。

 第一高校が潰されている。それで、僕は今、第五高校に向かっている。初めて・・・、向かっている。雪が溶けて靴下を濡らした。いやな感覚だった。

 第五高校のある、明神町(めいしんまち)の駅に着いた。名前は、明神町駅。ごくありふれている。

 ここでも相変わらず雪だった。むしろ、山に囲まれた田舎町だけに、こちらのほうが雪は深かった。

市内では目立つLEDや有機ELのネオンや電飾はあまり無く、駅の周辺にコンビニや軽食屋やコーヒー店などの看板が光る程度だ。

 商店街を形成している店舗も、もっぱら二~三階建てだった。建物の数は多いが、背は低いものばかりだ。道路は密に巡らされているようだが、市内よりは幅が狭かった。この町は百年前から時間が止まっているのではなかろうか。

 僕達は駅からタクシーに乗ることにした。なにしろこの雪だ。歩いたら迷いかねない。

 タクシーでは羽前さんが訊いてきた。

「感触はどうです? 受かっていますか?」

「そーだなあ」

 僕は羽前さんと反対側の席で腕を組んだ。

 自慢じゃないが、僕は勉強はふつう程度にはできた。むかし塾に通っていたこともあるけど、正直それは関係ない。僕は最初からふつうに勉強できた。学校の勉強なら、授業に出ていれば分かった。分からない奴も居るようだし、そっちから見たら僕は「勉強ができる」ことになるんだと思う。

 だから僕は市内の進学校である第一高校に入れる学力はあった。家からも近いから、第一高校でいいと思った。受かったと思ってた。

 だけど、僕は今、第五高校の合格発表に向かっている。

「羽前さんは、高校は何処を受けたの?」

「あたしは、行かなくていいんです。正義の味方ですから」

「あ、そう……」

 羽前さんは何気なく言い、髪の毛の先端を指でいじった。きれいな髪だな。まとまっているけど、流れもある。

「さっき電柱を直すって言ったけど、羽前さんは市の職員とか? 市役所に『正義の味方課』みたいな部署があったり?」

「違います。しかし、あたしは多くのことを知っているんです。――正義の味方なのですから」

 他意のない質問のつもりだったけど、羽前さんは少しムッとしたようだった。顔は変わらないけど、声のトーンで分かった。



 高校の前の細い道には自家用車やタクシーがたくさん路駐していた。発表を見に来た若者達が、蟻のようにひしめいて、雪の中を歩いていた。市外の高校だけど、活況らしい。

 僕らはタクシーを降り、校門をくぐった。


 僕の番号があった。

 

 まあ、正しくは、受験票の伊福部祐二という人の番号だ。けど、そいつはどうやら僕と同一らしいので、僕が受かったのと同じことになる感じなのだ。第一高校よりも通学が骨になったけど、しかたない。僕は第五高校に行くことになるようだ。

「おめでとうございます」

 掲示板に群がる人間から抜け出すと、羽前さんが抑揚なく言い、ぺこりと一礼した。

「どうも、ありがとう」

 僕はお辞儀を返した。

 僕達は人の波に戻り、揺られるように歩く。今頃来る人間も多い。雪のせいだろう。

 大型の黒塗りの車が、向こうから走って来た。

 船が水面を滑って来るかのよう。雪を掻き分ける音がして、車は僕達のそばで停まった。うしろのドアが開いた。

 中から夏が現れた。

 と、思ったほどだった。

 劇的な美人と言える女の子が、雪の上にふわっと降りた。

 黒い半袖のブラウスに白いレースのミニスカートを着ている。細い太ももとスラリとした脛は、整った砂糖菓子みたいだ。さほど長くないブーツで、雪を踏みしめている。

 トルコ石をあしらったネックレスは非日常的だけど、その上部にはもっと非日常的な顔があった。雑誌から出てきたモデルそのまま・・・・と言えた。季節外れの服装からしても、撮影直後じゃないかと思えた。

 人間の女の子としては最上層と言える容姿。放たれる色気で、空気がぬるく感じる。

 さすがに半袖では寒いのか、その子は付き人らしい大人に、上着を持って来させ、それを羽織った。目が痛くなるようなスカイブルーのジャケット。

 くりっとした黒い目が、たまたま僕を見た。彼女はニコリと笑い、校門へ入って行った。僕は胸の底が、むずむずするのを感じた。虫酸が走ったほどに、完璧な色気なのだろう。

 あの子も合格発表を見に来たようだ。受かっていたらいいなと思った。刺激のない無色の高校生活より、金色の蜜がたまに垂れてくるほうが、刺激があっていい。

 ……などと思っていたら、羽前さんが僕を凝然と観察していた。

「あ、ごめんなさい、ちょっと」

 見とれてました。とは言えなかった。羽前さんの感情の乏しい瞳に非難の色を見るのは、自分の罪悪感の投映だと思う。

「……ええと。そういえば、そっちの用事があったよね?」

「はい。あなたの用件が終わったようですので、場所を移してお話しましょう」

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