返品不可な私
異世界トリップ、と言うものを私は経験してしまった。
何がどうなって異世界トリップなんてものを経験したのかは覚えていなかった。ただ、気がついたらこの世界にいた。
レーゼと呼ばれるこの世界は、地球のようにいくつもの国が各々の土地を統治して成り立っている。戦争をしている国もあるため、一概に平和とは言えない。
私――前川志保がトリップした先はトロレルリトラという国だった(しかもお城)。あまり大きくはない国だが、戦争もしていないし、のどかな国だ。
現代日本の快適な生活環境が手放せないというわけでなければ、充分暮らせる国だった。
どちらかと言えばのどかなのは確かだが、文化の発展が遅れているわけではない。機械技術の発展は遅れているものの、魔術がその遅れを補っているどころか出張っていて、冷蔵庫や洗濯機みたいなものはいくつもあった。遠く離れた相手との連絡のやり取りも魔術で行えるので、当然携帯電話は存在しない。魔術で連絡のやり取りは決して携帯電話には劣らないが、やはり携帯は便利だなと思っていた。電話やメールだけじゃないからね。カメラ機能もあるし、ネットとかゲームとか。テレビが無いのもちょっとつらい。こっちで言う身近な娯楽って舞台とか賭け事とか、自宅で寛いで堪能っていうのが少ないからね。
音楽もメロドラマも、お出かけしなくちゃ楽しめません、っていうのはちょっと慣れない。
異世界トリップと言うものはレーゼでは決して珍しくはないそうだ。地球以外からもよく来るらしい。
たびたび『異世界のもの』がくる。
厄災となる事も無いわけではないが、有益なものも多いため、概ね歓迎されるのだが――
「動物はこれまでにもあったけど、人間はさすがに初めてだなぁ」
私がトリップした先の宮廷魔術師は困った表情でそう告げた。
異世界の人間がレーゼに紛れ込んだ事自体はゼロではない。
トロレルリトラに異世界人が来たのが初めてだったのだ。
レーゼ全体の認識としては、地球の文化というのは概ね有益なものらしい。
だからその知識を持つ地球人は歓迎される。
志保もそれ故に歓迎された。すぐに意思疎通できなかった志保に魔術をかけて丁重に『扱われて』。
志保がレーゼにトリップした事にレーゼの人々の責任は無かった。誰かが益をを求めて召喚したからではないのだから、責めようがない。自然現象のようなものなのだ、と。そしてそれは、一方通行な現象で、異世界からレーゼへのルートはあっても、その逆は無いのだと――トロレルリトラの宮廷魔術師ソルディ・アグレルが教えてくれた。
「つまり返品不可ですかー」
「…自分の事なのに、発言が軽いね」
「取り乱して泣いた方が良いですか?」
「や、ご機嫌取りとか苦手なんで勘弁してください」
「あー泣き喚いた方が、私にとって有益な気がしてきました」
「ご機嫌取りで貢物とか期待しないでね。意識落とすだけですよ」
掌底で一瞬だから、とにこやかに言われて、私は「えー」と声をあげた。
「お城に使える魔術師さんなんだからそこは魔術じゃ? せめて掌底じゃなくて手刀で」
「魔術師だからって魔術以外に取り柄が無いのは三流だよ。戦争に駆り出される可能性だってあるから武術の心得位軽い軽い」
その発言の方が軽い。っていうか、トロレルリトラは戦争とかしてないんじゃなかったっけ? 周りの国との国交も友好だって聞いたばかりなのに。
「可能性の話だよ。努力を惜しんで悪い事はないからね。で、説明は一通り分かったかな?」
王宮の魔術師になるのには、知識や実力の他に見た目もあるのだろうかと思う程に、目の前の男は麗しかった。水色がかった銀髪に、瑠璃色の瞳。身体のラインを隠す様なデザインの服が黒色な所為か、肌の白さも目立った。
これで男とかもったいないよねー。とか思う。勿論、目の前にいる人は女顔ではない美青年で、これはこれで至宝並みの容姿なのだが……身体のラインが隠されているせいかもしれない。鍛えているという筋肉が今はすっかり隠されてしまっていた。
指も革製? の手袋で見えないし、首も隠れてるからノド仏も見えないし。
「いやー美人さんって得ですねー」
「脱線しないでくれる?」
思いの外じろじろと見ていたのか、美青年から冷たい視線をいただいてしまった。エムっ気もエスっ気も無いので、何とも思いませんが。
「だから結局帰れない、と。で、これは危ないから外してはくれないんでしょう?」
両手を志保がつきだせば、じゃらりと金属音が響いた。
魔術師さん――ソルディさんの髪よりも灰色がかったそれは、志保の両手を拘束する手錠だった。既に拘束されて時間の経過した手錠は、志保の体温が移っていて冷たくない。
手首にある手錠はとりあえずこのままらしい。
知恵の輪みたいに外れないだろうかとカチャカチャと弄んだが、一向に緩まなかった。
「それ、力技で外すの諦めてね。下手するとこの国滅んじゃうから」
「またまたー」
「あながち冗談でもないから。他国に来た異世界人の話は聞いたことあるけど」
ソルディさんの言葉を軽く聞き流しながら、私はここまでに与えられた情報を振り返る事にした。
どうやら私は持っている魔力が多いらしい。
現代社会では無かったモノを大量に持っていると言われて、正直な所戸惑っていた。
扱う術の無い私の魔力は現在ダダ漏れらしく、それは私の身体的にも周囲の環境的にもよろしくないのだとか。
実際、トリップした先はトロレルリトラ王宮内の中庭だったのだが、芝の方な背丈の低い草で整えられていたはずの地面はすぐににょきにょき伸びて私の腰ほどにまで生い茂り、色とりどりの花をつけた花壇も同様。ピンポン玉位だった花はスイカくらいまで花弁を大きくしていた。植えられていた木は縦には伸びなかったものの、ウエストは一回りどころか五回り位太くなっていた。
異常に良く育つだけならまだいいが、余剰に与えられた魔力で種が変質しては困る。
それに、ダダ漏れしすぎると、魔力が枯渇して死んじゃうかもしれないらしい。
いきなり現れた異世界人への対応にあたったソルディさんが最初に私にした事は、身体的な拘束ではなくて私の魔力の拘束だった。
そのために使ったのがたまたま携帯していた手錠……魔術師って手錠を携帯するモノなんだろうか?
とにかく、手錠に魔力を拘束する力を持たせて手首に掛けられて、――――こうなった。
で、この後、私はどうやら離宮に移る事になるらしい。
自身がダダ漏れの魔力を制御できないまま、外に放り出すのは危険すぎる。
そして、異世界人である私の知識が国にとっては魅力的なんだそうだ。
一応地球では専門学校生だったけど、………こっちの世界で歓迎される様な専門知識はまだ習ってなかったんだけどなぁ。
ソルディさんをはじめとして何人かの人と話をした結果、私は当面国賓として扱われるらしい。
曰く、私の言う義務教育と言うものが実際どの程度の知識レベルなのか分からないという事。
そしてそれを他国は知らないという事。今のところは底なしの魔力もあり、戦争をしている国が戦力として捕まえに来るかもしれない可能性があるのだそうだ。制御の仕方は教えてくれるけど、魔術は私が人間性的に危険が無いか判断されるまでは教えてもらえないらしい。
とはいえ、今は国賓扱いされても、いずれはトロレルリトラに身を落ち着けつつも自立してほしいようだけど。
捕まったが最後、奴隷として働かされるかもしれないよ? って言われれば、勿論喜んでお受けします。離宮生活。
え? 警護がつくの? ああ、私の見張りも兼ねてる…はぁ、間者とかの疑いが完全にはれたわけじゃないって言われればそうですよねー。異世界人を間者としてけしかけるとか、可能性としてなくもないよね。未知の知識とか手に入るかもって、国がもろ手を挙げて歓迎するかもしれないからって納得。実際、今の私の待遇がそれだ。
で、念のために離宮に結界を張る? 私のため?
はいはい、もうお任せ…え? 警護ってソルディさんがするの?
は? 魔力の制御法教えるついでに研究させて?
………解剖とかは、しないでよね?
「ソールー?」
離宮生活には随分慣れた。
離宮生活って、侍女さんとかいるのかと思ったけど、甘かったよ。国賓扱いだって聞いたのに、実際には周囲から隔絶された大きめの別荘に引っ越しただけ。家事は自力どころか、ソルディの分までしてるよっ! そりゃ、専門学校通うために一人暮らしはしてたけど、そしてそれをトロレルリトラに来たばっかりの頃に喋っちゃったけど!!
詐欺だよ! 見張りも兼ねた警護つくって言ったのに、ソルディしかいないじゃん! しかも、魔術の研究の道具完備の離宮ってどういう事っ!?
「うるさいシホ。お茶と、なんか甘いもの」
どうやら警護も見張りもそっちのけで徹夜で研究に勤しんだらしい。
麗しい顔に目を覆いたくなるくらいの疲労を浮かべたソルディは、茶と菓子を所望して研究部屋へと引っ込んでいった。昨夜から何も食べていないはずのソルディは、お茶と菓子で朝食を済ませるつもりのようだ。
うるさいって叱られる程の大声出してない。
「って、朝食どころはもうすぐお昼ごはん……」
随分高く上った陽を見上げ、私は眩しさに咄嗟に手を顔の前にかざした。素早い動作に、手首を飾る細いブレスレットが揺れる。細い金属で作られたそれは、以前ソルディが私にはめた手錠と同じ効果を持っている。
いまだに魔力の制御はできない故の措置だ。
っていうか、なんかもうできないんじゃないかって思う。このブレス外さなきゃ問題ないなら、もうこれでいいやって気がするよ。
それよりも問題なのは自活。そろそろ国賓扱い卒業した方が良いんだけど、……ソルディ相談にのってくれないんだよね。他の人って食材とか届けてくれる御用聞きみたいな人が時々来るだけだし、用が終わるとすぐ帰っちゃうし。引き止めようとしても、すぐに帰っちゃうんだよね。
いや、現状のこれって国賓の扱いじゃないよね。 ソルディの助手…はさすがに言い過ぎだけど、家政婦くらいは胸張って名乗っても良い様な気がする。ソルディのパンツまで洗ってるんだから。
「……住み込みの、家政婦??」
ソルディの思惑を知らない志保は、彼女なりに現状を解析しつつ、今日も今日とてソルディとの同居生活を続けている。
勢いだけで書いて投稿。後悔は後日する予定。