第一章 見えない視線(6)
噂をすれば何とやら。二年生バンドの部室に、山崎とミカが一人の男子生徒を連れてやって来た。
「マコト先輩。新入部員の新垣をご挨拶に連れて来ました」
二年生バンドのメンバーが全員、名前で呼び合っていることから、一年生バンドのメンバー達も自然にその呼び名に「先輩」を付けて呼ぶようになっていた。
新垣は、平均的な身長であったが痩せ形の体型で、七三分けにした髪は耳が隠れる程度に長く、銀縁眼鏡を掛けて、やや神経質そうな感じがする男子だった。
新垣は、マコトとレナの席の中間くらいの場所で山崎とミカに挟まれて立って、ミーティング用テーブルのそれぞれの席で立ち上がった二年生バンドのメンバーに向かって頭を下げた。
「一年三組の新垣慎一郎といいます。よろしくお願いします」
「おう、俺が部長の武田真だ。よろしくな」
「よろしくお願いします」
新垣は握手を求めてきたマコトに対して慇懃にお辞儀をしながら握手をした。マコトが続けて二年生バンドのメンバーを紹介をした。
「そっちがベースの佐々木一穂。その隣がキーボードの水嶋奈緒子。こっちがボーカル&ギターの立花麗菜。その隣がドラムの北岡晴彦だ」
ナオは、マコトが二年生バンドのメンバーを紹介している間、新垣が自分の方を凝視しているような気がした。ナオは新垣から一番遠い場所に立っていたから、新垣は全員を見渡しているだけで、自分の勘違いではないかと考えて、一旦、目をそらして再び新垣の方を見てみたが、やはり新垣はじっと自分を見つめているような気がした。ナオは、自然に、カズホの後ろに隠れるように移動して行った。
「よろしくお願いします」
二年生全員の紹介が終わると、新垣は、再度、みんなに向かってお辞儀をした。顔を上げた新垣の視線は、やはり、ナオに向けられている気がした。
一方、マコトは、そんなことにはまったく気が付いていないように新垣に話し掛けた。
「新垣は何か楽器はやっていたのか?」
「いえ、何もやっていません。でも、発表会の時の皆さんの演奏を聴いて、何かやってみたくなったんです」
「そうか。その気持ちが大切だからな。頑張ってくれよな。山崎、新垣は何を担当することになったんだ?」
「当面、ギターをやってもらおうと思っています。村上に特訓してもらう予定です」
「ミカだったらしごいてくれるだろうな」
「マコト先輩! 私を鬼のように言わないでください」
「ははは。俺も時間を見つけては指導するようにするよ」
「はい、お願いします」
山崎、ミカ、そして新垣の三人は揃って、マコトに頭を下げた。
マコトは、顔を上げたミカが憧れの視線を送って来ていることに気づかないように、ミカと話を続けた。
「今日、これから早速練習に参加してもらうのか?」
「はい。それで、これから部室のレイアウトをちょっと変更しようと思ってます」
「そうか。一年生だけで大丈夫か?」
「はい、新垣君を含めると男子が四人もいますから」
「はははは。ミカは男子に指示する係か?」
「あっ、いえ、私もちゃんと運びますよ~」
「ミカちゃん、いつもどおり男子をあごで使えばいいのよ」
「使ってません、レナ先輩!」
ちょっと気が強いが、根は真面目なミカも、ナオと同じように、マコトやレナに弄られるキャラになっていた。
「それじゃ失礼します」
山崎と新垣、そしてミカがお辞儀をして二年生の部室を出て行くと、マコトが新垣を見た感想を漏らした。
「何かちょっと気が弱そうな感じだけど大丈夫かな? ミカの特訓に音を上げて、あっという間に退部しちゃったりして」
「そうかな。意外と芯は強そうな気が私はしたけどな。マコトが虐めない限り大丈夫よ」
「レナ、俺が下級生を虐めたことは、俺の人生の中で今だかつて無いぞ」
「露骨に虐めなくとも、マコトの横暴に耐えられなくて辞めることもあるかもな」
「カズホまで~。どうやら俺という人間を、みんな誤解しているようだな」
「大丈夫だよ、マコト。僕はマコトの人間性を信じているから」
「ハル、お前だけだよ。俺のことを分かってくれているのは」
「ハルは、まだ付き合い始めて日が浅いからな。まだマコトの本性を知らないんだよ」
「私なんか小学校以来、ずっとマコトの横暴に苦しめられて、涙で枕を濡らしたことが何回もあるからね」
「だから、話を大きくするな~」
「はははは」
「ふふふふ」
二年生バンドのメンバーは、ナオが感じていたような、新垣の視線について気が付いていないのか、何事もなかったかのように冗談を言い合っていた。
(やっぱり、私って自意識過剰になっているのかな? 新垣君が私をじっと見ていたって、カズホもレナちゃんも気が付いてないってことは、私がそう思い込んでいるだけなのかも知れないなあ)
軽音楽部一年生バンドが練習場所として使用している第二音楽準備室に戻った山崎とミカ、そして新垣は、他のメンバーと一緒に予備のギターアンプを倉庫から出してきて、全体の配置を変更する作業に取り掛かった。
ミカは、自分が使用しているギターアンプを少し横にずらそうと、新垣に一緒に持ってくれるように声を掛けた。
「新垣君、そっち側を持ってくれる」
「ああ、分かった」
新垣がアンプの下を持とうと上半身を傾けた時、ワイシャツの胸ポケットから定期入れがミカの近くに落ちた。ミカが定期入れを拾うと、定期入れの中に美郷高校の制服を着た一人の女性の写真が入れられていた。
(ナオ先輩の写真?)
髪が金色だったことから、ナオの写真のように思えたが、ミカがそれをしっかりと確認する前に、新垣がミカの手から定期入れを乱暴に奪い取った。
「見たのか?」
「えっ、何を?」
「……いや、何でもない」
「……」
新垣は定期入れを胸ポケットに入れると、何事もなかったように作業を続けた。
新垣はミカと同級生だった。新垣は、クラスでも無口でやや根暗な雰囲気の男子であった。女生徒はもちろん、男子生徒とも仲良くしているようではなく、いつも自分の席で、本を読んでいることが多かった。ミカも新垣と話をしたことはなかった。それが一昨日になって突然、軽音楽部に入部させて欲しいと、ミカに話し掛けてきたのだ。リーダーの山崎と一緒に詳しく話を訊くと、先程、新垣がマコトに言ったように、発表会の時の二年生バンドの演奏に感激したからという理由だったが、ミカには、音楽に対する情熱のようなものが、新垣の発する言葉から感じられなかった。
ミカは、普段の無口な感じの言動と、さっきの定期入れを乱暴に奪った時の言動が一致しない新垣という人間が、どんな考えで軽音楽部に入部したのか分からなくなり、やや不気味な感じがしてきた。
一年生バンドの部室の配置の変更は十分ほどで終わったが、その間、新垣はメンバーと積極的にコミュニケーションを取ろうという感じではなく、黙々とみんなに従って作業をしているだけであった。