第八章 それぞれの恋の形(2)
同じ日の夕方。
と言っても、既に、辺りには、夜の帳が下りていた。
コートを着込んだレナとマコトは、それぞれがギターのハードケースを持って、駅前に向かって歩いていた。
「レナ?」
「何?」
「許可とか、いるんじゃないのか?」
「そうかも」
「おいおい! 大丈夫か?」
「警察が来たら、高校生なので知りませんでしたって言えば良いのよ」
「お前なあ」
「心配?」
「お前がな。俺は、もう、どうなっても良いけど、お前は、一応、優等生だし」
「ふふふふ、実は」
レナはコートのポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「許可は取ってるよ」
「何だよ!」
「やーい、だまされた」
「何、小学生みたいなこと言ってるんだよ?」
「ふふふふふ、こんな立花麗菜もたまには良いでしょ?」
「ああ、そうだな」
子供のようにはしゃぐレナを、眩しそうに見つめるマコトだった。
駅前広場に着いたマコトとレナは、許可書で指定された場所である、シャッターが閉まっている銀行の前で、ギターケースからアコースティックギターを取り出した。
そして、レナが提げていたトートバッグから、小さな書架のようなスタンドを取り出して、その上にA四サイズの看板を置いた。
『ペパーミント☆キャンディ☆ポップ☆クラブ☆バンド! 公開練習中!』と大きく書かれた看板には、小さく、ラスト・ライブの開催予定の場所と日時が書かれていた。
二人は、コートを脱ぎ捨て、ギターを抱えると、素早くチューニングを合わせた。
「マコト、行くよ」
「おう! いつでも良いぜ」
レナがピックでカウントを取ると、一斉にギターをかき鳴らし始めた。
イントロが終わると、レナは、マイクも使わず、生声で歌い始めた。
いきなり始まった演奏に、駅前を歩き人々も、思わず足を止めた。そして、その数はどんどんと増えていった。
もちろん、レナのビジュアル的な魅力もあっただろうが、みんなが足を止めたのは、その歌声が心に染み入って来たからだ。
曲は、二年生バンドで演奏するミディアムテンポの曲を、マコトとレナが共同で、アコースティックバージョンにアレンジし直したものだ。
レナは、目を閉じて、声量、声の張り、伸び具合、ビブラートなどを、自分の耳と体で確かめていた。
曲が終わると、レナ達を取り囲むように立っていた観衆から拍手が起きた。
レナは、深々と頭を下げた。
そして、目尻に少し溜まった涙を頬に伝わらせないようにしてから、頭を上げた。
「レナ」
後ろからマコトが近づき、声を掛けてきた。
「次の曲」
しかし、レナは、前を向いたまま、小さな声で言った。
盛大な拍手は嬉しかったが、自分の声に、まだ、納得ができている訳ではなかった。
今度は、マコトがアルペジオを奏でだした。
レナのオリジナル曲のスローなバラードだった。
囁くような歌い出しから、次第に声が大きくなっていき、サビになると、冷たい夜空の遠くまで届いているように力強く、かつ艶やかな声が響き渡った。
人垣ができるほど増えた観客は、息を呑んで、レナの歌に聴き入っていた。
曲が終わると、大きな拍手が起きた。
「ありがとうございましたー!」
マコトが叫ぶと、それに呼応するかのように、また、大きな拍手が返って来た。
「レナ、どうだ?」
「もう一回! 次の曲!」
レナは、後ろを振り向かずに言った。
自分が納得できるまで、何回でもやるつもりだった。
「良い?」
レナが、後ろを振り向いて、マコトの顔を見た。
「お前が納得できるまでつき合うぜ」
レナは微笑むと、また、ギターをかき鳴らしだした。すぐにマコトも跡を追った。
結局、二時間、レナはノンストップで歌い続けた末、これ以上は、喉に悪いと判断したマコトの意見に従い、帰路に着いた。
「どうだった、マコト?」
「俺は、二時間、レナの声に痺れっぱなしだったぜ」
「本当に?」
「ああ、お前の覚悟は聞いているんだ。今更、嘘を言っても仕方が無いだろ」
「うん。……私の声は確かに変わってる。私には分かる。でも、変わったこの声が酷い声じゃないってことも分かった」
「そうか」
「でも、この声で、ステージに立てるかどうかは、まだ、分からない」
「まだ、納得できてないってことだな?」
「うん」
「じゃあ、納得できるまで、毎日、路上をするつもりか?」
「ううん。後は、軽音楽部の練習で試していく」
「バンドの練習を続けるということは、ライブはやるってことで良いんだな?」
「うん」
「よっしゃ!」
交差点で信号が変わるのを待っていると、レナがマコトに言った。
「マコト」
「うん?」
「ちょっと、回り道して行こうよ」
「回り道?」
「だって、真っ直ぐ帰ったら、ゆっくり、話す時間が無いじゃない」
「それもそうだな。でも、どこに行くんだ?」
「今日は、星が綺麗だよ」
マコトが空を見上げると、澄み切った冬の空に満天の星が輝いていた。
「そう言えば、星空なんて久しく見てなかったような気がするな」
「そうだね。マコト、来て」
レナがマコトの手を取って歩いて行き、川に掛かる橋の縁から河川敷に降りて行った。
河川敷にいくつか設置されていたコンクリート製のベンチに二人は座った。
「ねえ、マコト?」
「うん?」
「マコトは、いつから私のことが好きだったの?」
「いつからなんて憶えてないくらい昔からだ」
「それじゃあ、どうして、今まで告白しなかったの?」
「……何て言ったって、お前は、ずっと、クイーンだったからな」
「誰が言い始めたんだろうね? 私って、そんなに女王様キャラかな?」
「間違いねえだろ!」
「ふふふふ。マコトが言うのなら、そうなんだろうね」
「ああ、俺なんかじゃ、釣り合わねえ女だよ。お前は」
「だから、告白してくれなかったの?」
「たぶん、そうだな」
「たぶん?」
「自分でもよく分からない」
「……マコトは、私がカズホに告白したことは知ってるよね?」
「ああ、誰からもはっきりとは聞かなかったけど、ちゃんと分かったぜ」
「そうなんだ。それじゃあ、どうして、その時、私をカズホから奪い取ろうとしなかったの?」
「俺がカズホに敵う訳ないだろ。それに、カズホは、今まで会った男の中で唯一、こいつに負けても悔しくないと思った奴なんだ。レナを取られたとしても、カズホなら仕方が無いって思った」
「……本当にそうなの?」
「ああ、マジだ」
「それじゃ、私がカズホに振られたことも知ってるでしょ?」
「もちろん」
「その時に、どうして、私を奪わなかったの? それか……慰めてくれなかったの?」
「あの頃のお前は、俺なんかに慰めてほしいなんて思ってもなかったんじゃないか? お前が、もし俺に慰めてほしいって思ってたら、お前の方から俺にちょっかいを出していたはずだろ?」
「それもそうだね」
「軽音楽部を休部して、ちょっと時間を置くと、勝手に復活してくれると思っていたよ」
「意外と深傷だったんだけどね。でも、バンドをやりたいって、ずっと思っていたから、少し時間は掛かったかもしれないけど、勝手に復活してたかもしれないね」
「だろ?」
「……なーんか、マコトは、私のことで知らないことは無いみたいね」
「いや、知らないことは、いっぱいあるぜ。風呂に入って、最初にどこから洗い始めるかとか、寝る時の格好とか」
「すけべ! 知ってたら怖いし!」
「ははははは」
「……でも、恋人になるって、そう言うこともお互いに知るってことなんだよね?」
「そ、そうなんじゃね」
「ふふふふふ。顔が赤い!」
「見えねえだろうが!」
「ふふふふ」
レナは体をずらして、マコトの横にぴったりとくっつくと、その頭をマコトの肩に乗せた。
「マコト」
「うん」
「ありがとう」
「えっ?」
「私のこと、今まで、ずっと守ってくれて」
「まあ、俺が勝手にしてたことだ」
「これからも私の側にいてくれる?」
「仕方ないだろ。ここまでくれば腐れ縁だ。墓場まで一緒にいてやるよ」
「えっ……、それって、プロポーズ?」
レナが頭を上げて、マコトを見ると、マコトは本当に焦っているようだった。
「な、なに言ってるんだよ。俺達、まだ高校生だぞ」
「ふふふ。ありがとう、マコト。……私は、マコトに何をしてあげたかな?」
「お前はいるだけで良かったんだよ」
「それだけ?」
「ああ、……もし、これから、レナが俺に何かをくれると言うのであれば、レナの涙をくれ」
「えっ? ……どう言う意味?」
「あの時、お前が言っただろ? 初めて、泣くところを見られたって。確かに、あの時、俺は、幼馴染みという間柄から卒業できた気がしたんだ」
「……そう?」
「ああ、だから、お前の悲しい涙も、嬉しい涙も、全部、俺にくれ」
「……何、格好いいこと言ってるのよ! 何かの受け売り?」
レナは、そう言いながらも、うっすらと浮かんだ涙を指で拭って、マコトの頬になすりつけた。
「はい。あげる」
「……そう言うんじゃないんだけどな」
「ふふふふふふ……、あっ!」
レナは嬉しくてたまらない笑い声を上げたが、すぐに何かに気がついたように、マコトの顔を見た。
「……マーメイド・ドロップス」
「えっ?」
「……声を失った人魚の涙よ」
「……」
「私にも忘れられない曲ができたかも」
「俺にもその曲を教えてくれよ」
「ううん。その曲は、忘れられない曲だけど、……忘れたい曲でもあるの」
「そうなのか?」
「うん。……マコトとの忘れられない曲は、これから作るよ」
「……そうだな。絶対、作ろうな!」
「うん!」




