第七章 歌えないカナリア(1)
手術から二週間後。
自宅療養も終わり、レナが登校して来た。
放課後には、早速、軽音楽部の練習に参加することになった。
「やっぱり、五人全員が揃ってこそだよな」
マコトの言葉に、メンバー全員が嬉しそうに頷いた。
「でも、もう、思い切り、声を出して良いのか?」
それほど晴れやかではないレナの顔を見て、マコトが心配した。
「うん。昨日、病院で最終検査して、お医者様の許可をいただいたわよ」
「そうか。でも、無理はするなよ」
「分かってる」
「とりあえず、やってみるか」
レナの復帰一曲目として、バラードを演ることにした。いきなりハードな曲だと、レナの喉に良くないような気がして、慣らし運転のつもりだった。
ゆったりとしたリズムに、ナオのピアノとギターのアルペジオが奏でるメロディに乗せて、レナの声が美しく響いた。
確かに、手術前の声とは違っていた。おそらく、二年生バンドのメンバー以外の者には、その違いは分からなかったはずだ。それだけの微々たる違いであった。そして、ナオは、今の歌声には、まったく、違和感を感じなかった。
しかし、当のレナは、納得をしているような表情ではなかった。
レナが急に歌うことを止めた。
マコトが手を上げて、演奏を中断させた。
「どうした、レナ?」
「……全然、駄目だ」
「えっ?」
「酷い声だよ。みんなも分かったでしょ?」
「……」
「マコト! 正直に言ってよ! 私の声、どうだった?」
「……確かに、前よりは声が出ていない気はする。でも、十分、魅力的な声だぜ」
「ああ、俺もそう思う。酷い声なんかじゃないぜ」
カズホもフォローした。
ナオもカズホが言うとおり、酷い声だなんて、思いもしなかった。
「ううん。自分の声は自分が一番分かるよ。全然、気持ちよくない」
「手術してから、まだ日も経ってないんだから、これからだよ。これから元に戻っていくはずだ」
「元に戻る? 私の喉は切られたんだよ。切られた喉が元に戻るはずがないじゃない!」
「も、もし、レナの声が戻らなかったとしても、それもレナの声なんだよ!」
「駄目よ。もう駄目なんだよ」
「……レナ」
「歌を忘れたカナリアと同じよ。歌えない私には、何の価値も無いのよ」
「そんな訳あるかあ! 歌を歌えなくてもレナはレナだ!」
「違うわ! 歌えない私は、もう私じゃない!」
「……」
「今まで何だったのよ」
レナが吐き捨てるように言った言葉に、マコトの表情が変わった。
「……おい!」
「えっ?」
「何だよ、その台詞は?」
「……」
「今まで、お前につき合ってきた俺達の立場はどうなるんだよ?」
「……みんなには感謝してる。私のことなんて忘れて、ずっと、音楽を続けてほしい」
「お前、レナじゃねえだろ?」
「何、言ってるの?」
マコトの言っていることが理解できなかったようで、レナは、きょとんとした顔をした。
「俺の知ってるレナは、どんな逆境に陥ろうとも、シニカルに笑いながら毒舌を吐きまくって、人を煙に巻いている。そんな奴だ!」
「……」
「泣き言ばかり言っているお前は、レナじゃねえ!」
「……それで良いわ。もう、マコトが知っている立花麗菜はいないのよ!」
「いいや! 目の前にいる!」
「もう良いから放っておいて!」
レナはそう叫ぶと、入り口近くに置いてあった、スクールバックを持ち、ドアの前で立ち止まった。
「今日は、もう帰るわ」
レナは、寂しげな視線をみんなに送ると、部室を出て行った。
「くそっ! 何だってんだ、レナの奴!」
マコトがギターをおろしながら悪態を吐いた。
「もう、練習は終わりだ!」
ギターをケースに仕舞おうとしていたマコトにナオが突っ掛かって行った。
「マコト君!」
ナオのそんな声を聞いたことのなかったマコトは、驚いた顔でナオを見た。
「このままで良いんですか?」
「あいつはレナじゃねえ! 俺の知らない女だよ!」
「マコト君の馬鹿!」
「えっ?」
「馬鹿ですよ! レナちゃんの気持ちが分からないなんて!」
「……」
「レナちゃんは強い人だけど、病気になって、手術をして、怖い思いをして、思い通りの声が出せなくて、悔しくて……。そんなことがあって、いつもどおりでいられる訳がないじゃないですか!」
「……」
「レナちゃんは、助けてほしいんですよ! でも、レナちゃんは強がる人だから、そんなことを言えないんです!」
「……」
「レナちゃんを助けることができるのは、マコト君だけじゃないんですか? 他に誰がいるんですか?」
「……そうだな。俺しかいないよな」
マコトはギターケースを背負って、鞄を持つと、みんなの方に向いた。
「ちょっと、行ってくるわ」
照れ隠しのように、安っぽく宣言をすると、マコトも部室を出て行った。




