第一章 見えない視線(5)
その日の放課後。ナオはカズホと一緒に部室に向かっていた。
「ねえ、カズホ」
「んっ?」
「カズホは、昔から女の子に注目されていたでしょう?」
「何だよ。今頃になって気になるのか?」
「う、ううん。そうじゃなくって、誰かから常に見られているって、どんな感じなのかなって思って……」
「今朝、言っていたことか?」
「あっ、憶えてくれてたんだ」
「俺はナオと違って健忘症じゃないからな」
「私も健忘症じゃありません! 朝はたまたま思い出せなかっただけです」
「はははは。……でも、あの後も何か気になることがあったのか?」
茶化しながらも、ちゃんとナオのことを気に掛けてくれていることに、ナオは嬉しくなってきて、お昼休みの時のことや、体育の授業の後片付けの時のことをカズホに話した。
「……そうか」
「あ~、信じていないでしょ。どうせ、また、ボ~ッとして夢でも見てたんじゃないかって思っているんでしょ」
「ちょっとな」
「ぶ~」
ナオは頬を膨らませてカズホを睨んだが、すぐに自分が見たことに自信が無くなった。
「でも、自分でも良く分からないの。私、人から見られるってことに慣れていなかったから、自意識過剰になっているのかなって思うこともあるし……」
カズホもしばらくはじっと考え込んでいたが、今、特に打つ手だてはないと悟ったようで、大きく息を吐いた後、ナオに微笑みを向けた。
「ナオ」
「はい」
「ナオが悩んでいたら、俺もつまらない。やっぱり笑顔のナオを弄くるのが楽しいんだよ」
「べ、別に弄くらなくても良いじゃないですか~」
「はははは。でも、ナオにはいつも笑っていて欲しいから……。どんな小さなことでも良いから、気になることがあれば、これからも、すぐ俺に言ってくれ」
「う、うん。……ありがとう。カズホ」
万能精神安定剤カズホに相談しただけで、やっぱり心が軽くなるナオであった。
「おーす」
「こんにちわ」
カズホとナオが、軽音楽部二年生バンドが部室として使用している第一音楽準備室に入ると、マコト、ハル、そしてレナが既に部室のミーティング用テーブルの指定席に座っていた。
二年生部員がこのミーティング用テーブルに座る場所は自然に決まっていた。長方形のテーブルの短い一辺で部室の入り口に近い方に部長のマコトが座り、マコトから見て左側の長辺のマコトに近い方にカズホが、遠い方にナオが、一方、右側の長辺のマコトに近い方にレナが、遠い方にハルが座るようになっていた。カズホとナオが指定席に座るとマコトが話し掛けてきた。
「遅かったな。今日は二人とも掃除当番か?」
「俺が当番だったんだけど、ナオも手伝ってくれていたんだよ」
「相変わらず熱々だなあ」
マコトが茶化すと、ナオが顔を赤くしながら言い訳をした。
「ち、違いますよ。カズホの掃除当番が早く終われば、早く部室に来ることができるじゃないですか。私はいつも軽音楽部のことを思って行動しているんです」
「さすがね~、ナオちゃん。私も見習わなくっちゃ」
「本当だな。俺よりも部長の心得ができているぜ」
「…………」
レナとマコトにまで突っ込まれる、弄られキャラ確定のナオであった。
「でも、ナオっちが掃除当番の時はカズホも手伝っているのか?」
マコトは、レナのように仲の良い女子を名前の呼び捨てで呼ぶ癖があり、今では一年生部員の村上美香も「ミカ」と呼んでいた。しかし、ナオについては、やはり、カズホの彼女ということでマコトなりに遠慮をしているのか、一人だけ「ナオっち」と呼んでいた。
「俺は手伝っていないな」
「そうなんですよ。カズホは意外と冷たいんです」
「『先に行ってて』って言うのはナオじゃないか」
「そうですけど……」
「ナオっち。カズホに手伝ってもらいたいのなら、がつんと言ってやれよ。『私は手伝ってあげているのに、カズホって酷い! カズホの馬鹿ぁ!』って感じで」
マコトのオカマっぽくクネりながらの三文芝居に、レナの毒舌が炸裂する。
「マコト。マコトのお姉言葉の方が酷い! マコトの馬鹿ぁ! 変態! でべそ~!」
「ちょっと待て! お前の方が三倍酷くなってない?」
そんなマコトの抗議も馬耳東風で、レナはナオに笑顔を向けた。
「まあ、掃除を手伝って欲しいっていうより、掃除の時間だって、一緒にいたいってことだもんね。ナオちゃん」
言葉の最後に、レナからウインクされたナオは、真っ赤になって俯きながら、小さく「はい」と言うことしかできなかった。
結局、カズホとナオに当てられっぱなしのマコトは、もう一人の被害者であるハルに、静かに話し掛けた。
「ハルぅ。神様の辞書には『すべての人に愛を』という言葉は載っていなかったっけ?」
「そうだね。消されちゃったのかな」
「さ、さて、そろそろ練習するか?」
雲行きが怪しくなってきたことを察したカズホが練習を促したが、マコトが何かを思い出したかのように「あっ」と言った後、両手を広げながらカズホに言った。
「ちょっと待ってくれ」
腰を浮かし掛けたカズホがマコトの方を見た。
「んっ、何だ?」
「実はさ、一年生バンドに新入部員が入ったらしいんだ。もう、そろそろ山崎が挨拶に連れてくるはずなんだよ」
「へえ~、どんな奴だ?」
「俺もまだ会ってないから楽しみにしているんだ」