第二章 頼りになる男じゃないけど(1)
一月が今日で終わるという日の夕方。
既に辺りは暗く、今にも雪がちらつきそうなほど冷え込んでいた。
二年生バンドの練習が終わり、今日も一番に部室を出たハルが、一年生バンドの部室の前を通り掛かると、丁度、ミカが出てきた。
「やあ、村上さん。一年生バンドも、今、終わり?」
「はい! ハル先輩も?」
「うん。それじゃあ、お先に!」
「あっ、ハル先輩!」
「うん?」
ハルが立ち止まり振り返ると、ミカが何か言いたげにしていた。
「何だい?」
「ハル先輩は、今日もこれから塾ですか?」
「うん、そうだけど」
「そ、そうですか」
「どうしたの?」
「あっ、いえ。ちょっと、お話をおうかがいしたいなって思ったんですけど」
「は、話?」
「あ、あの、マコト先輩とレナ先輩のことなんですけど。……でも、また今度で良いです」
ミカから「話がある」と言われて、あらぬことを勝手に期待していたハルは、自嘲気味に笑った。
「その話ね。……村上さん、帰り道は、途中まで同じ方向だったよね? 歩きながらで良かったら聞くけど?」
「あっ、……じゃあ、お願いします」
ハルとミカは共に電車通学だったが、塾に行くハルは途中で別の道を行くことになる。その分かれ道までと、二人は並んで歩き出した。
「マコトとレナさんのことって、どういうこと?」
「あ、あのですね。ちょっと訊きづらいのですけど、……マコト先輩とレナ先輩って、おつき合いしてるのですか?」
レナが「マコトを恋人として考える」宣言をしたことは、二年生バンドのメンバー以外は知らないことだった。口止めをされていた訳ではなかったが、積極的に打ち明けることも憚られた。
「えっと、その話は、前にも訊かれた気がするけど?」
「はい。その時、ハル先輩は、二人はつき合っている感じじゃないって、おっしゃいました。今もそうなんでしょうか?」
「どう言う意味? あの時から、何か変わったことがあった?」
「あ、あの、最近、マコト先輩とレナ先輩が一緒に帰っているって聞いたんです。私自身は見てないですけど、同級生で何回も見たという人がいて……。レナ先輩って、何と言っても我が校のクイーンですから、けっこう、話題になってるんです」
「そう」
ハルは、本当のことを言って良いかどうか悩んだが、言うのであれば、マコトやレナ本人が言うべきことで、自分が言うべきことではないと思い至った。
「練習の後は、今日みたいに、僕が一番早く出ているから、マコトとレナさんが一緒に帰っているってことは、僕自身も初めて聞いたよ」
「そうですか」
「それに、練習中も、二人のやり取りは、そんなに変わった感じはしないけどね」
ハル自身も、実際にそう感じていた。
「そうなんですか」
「って言うか、二人は、前から仲良しじゃない」
「それは、レナ先輩も言ってましたけど、幼馴染みとしてですよね? でも、最近、もっと仲良しになっているというか、まるで恋人同士のような気がするんです」
ハルは、女性の勘の恐ろしさを実感した。
「村上さん。マコトとレナさんが、本当に恋人同士になっているのかどうかを確認したいってことは、やっぱり、マコトのことが気になるの?」
「あっ、……いえ、あの」
明らかに動揺しているミカを見て、余計なお節介かもしれないけど、後になればなるほど、ミカの傷が大きくなるような気がしたハルは、ミカには早めに知っておいてもらった方が良いと考えた。
「村上さん」
「はい」
「たぶん、……たぶんだけど、マコトとレナさんの間には、もう誰も入り込めないような気がするんだ」
「えっ?」
「それは、二人が恋仲になっているのかどうかに関係無くにね」
「……」
「何だかんだ言って、二人は信頼し合ってるし、分かり合ってるし、認め合ってると思う」
「それは、……私もそう思います」
「うん。二人が恋仲になるってことは、それに『好き合ってる』ってことがプラスされるだけで、二人の関係が今と大きく変わることはないんじゃないかな」
「……確かに、そんな気もします」
「もし、村上さんがその間に割り込もうとしてたのなら、もう、できていると思うんだ。でも、マコトと知り合って、一年近く経つけど、マコトから、それらしいアプローチが無いということは、残念ながら、マコトの目は、レナさん以外の女性には向いてないんじゃないかな」
ハルも、我ながら屁理屈だと思ったが、意外と、ミカは納得しているようだった。
「……そうですよね。……そう……なんですよね」
「……村上さん?」
ミカの寂しそうな顔を見て、少し念を押しすぎたかと後悔したハルだったが、ミカは、すぐに笑顔になった。
「ハル先輩。お話を聞いてくれて、ありがとうございました。何か、ちょっとだけですけど、吹っ切れた気がします」
「いや、僕は、お礼を言われるようなことはしてないよ」
「そんなことないです。ハル先輩は、いつも真剣に話を聞いてくれて、真剣に考えてくれるから、すごく嬉しいです」
「いや、まあ、何というか、不器用って言うか、適当に済ませることができないんだよね」
「ハル先輩って、本当に真面目ですものね」
「そんなに言われると照れちゃうよ」
「本当ですよ。私が、こうやって、ハル先輩に話を聞いてもらうのも、ハル先輩が信じられる人だからです」
「ありがとう、ってお礼を言えば良いのかな?」
「あっ、すみません。何か、上から目線みたいなこと、言っちゃって」
「はははは、別に気にしてないよ。僕なんかと違って、村上さんはしっかりしてるし、はっきりと物が言えるし。僕も村上さんと話をしていると気持ちが良くなるよ」
「そ、そうですか」
ハルは、ミカが、本当は落ち込んでいるのに、強がっているような気がして、ハルなりに慰めようと考えた。
「村上さんは、一年生の女子の中でも、すごく人気があるって聞いてるよ。彼氏なんて、すぐにできるんじゃないの?」
「えっ! そんなことないです! 誰がそんなこと言ってるんですか?」
「マコトが言ってたけど、僕も正直、そう思うよ」
「あ、ありがとうございます。でも、本当に人気なんて無いですよ。ずばずばと物を言う、うるさい女だって思われていると自覚してますから」
「そうかな? 少なくとも、僕は、村上さんと話していて、うるさいと思ったことはないし、いつも楽しいけどね」
「た、楽しいですか?」
「うん」
「……ハル先輩は本当に優しいです」
「まあ、それしか取り柄が無いからね」
「そ、そんなことないです!」
「えっ?」
「勉強もできるし、ドラムだって上手いじゃないですか!」
「はははは、どうもありがとう。村上さんから褒めてもらえると素直に嬉しいね」
ハルも、今まで女性とつき合ったことはないが、別に、女性を苦手にしている訳ではなく、草食系で、のんびりとした性格のせいで、今まで縁が無かっただけであった。
「村上さん、僕が行ってる塾は、この公園を突っ切って行った方が近いんだ。僕は、こっちから行くよ」
駅までの道の途中にある公園まで来ると、ハルがミカに言った。
「私もそんなに急いでないし、もうちょっとお話をさせていただきたいので、一緒に行っても良いですか?」
駅に行くのには、少し回り道になるが、ミカが一緒に行くと言ってくれて、ハルは素直に嬉しかった。
「もちろんだよ」




