第五章 運命の糸をたぐり寄せて(3)
次の土曜日。
カズホが、ナオの家の最寄りの駅で降り立つと、ナオが改札前で待っていた。
ナオの案内で、ナオの自宅を訪問したカズホだったが、既に父親とは会っていたことから、少しは気が楽だった。
「カズホ君、いらっしゃい」
「お邪魔します」
玄関に出迎えた父親に挨拶をしてリビングに入ると、母親と妹の沙耶がいた。
「こんにちは、初めまして。佐々木一穂です」
「初めまして。沙耶も『こんにちは』は?」
「こんにちは! お姉ちゃんと同じ髪の色だ」
「お揃いだよ。良いでしょ」
ナオが沙耶に言った。
「カズホ君、これから準備をするから、ちょっと待っててくださいね」
エプロン姿の母親が言った。
「カズホ君。今日は良い天気だ。少し、ベランダで日向ぼっこでもしないかね?」
父親はそう言いながらベランダへのサッシを開けた。
「はい」
ベランダに出てみると、思いの外、日光が暖かかった。
サッシを閉めると、二人はベランダの手すりに寄り掛かって、遠くを眺めた。マンションの五階で、その南側にはそれほど高い建物は無かったことから、結構遠くまで見渡すことができた。
父親がカズホの方を見ることなく、前を向いたまま、話し出した。
「カズホ君。君は、会長の息子さんだったんだね」
「どうやら、そのようですね」
「君は、ひょっとして、私のサウジアラビア行きを……」
「何の話ですか?」
「……そうだな。君には関係のない話だったな」
父親はカズホの方に向いた。カズホも自然と向き合った。
「カズホ君。君にお願いしたいことがあるんだが」
「何でしょう?」
「まあ、親であれば誰でも願うことだが、奈緒子を悲しませることだけはしないでくれ」
「……」
「奈緒子がまだ小学校一年生の時に妻が、ナオにとっては母親が、病気で死んだ。癌だったから、私はもう覚悟はできていたが、奈緒子には知らせていなかった。だから、妻が死んだ時、私は妻が死んだことよりも、奈緒子の悲しい顔を見ることが辛かった。妻の葬式の時、奈緒子は、もう一生分の涙を流したと思うほど泣きはらしていた。私は、奈緒子の悲しい顔をもう見たくないんだ」
「……約束します。ナオの悲しい顔を見るのは俺だって嫌です。絶対にしません!」
父親は大きくうなづくと、振り返って、ベランダのサッシ越しに、母親と楽しげに食事の準備をしているナオを見ながら言った。
「奈緒子の母親の三回忌が過ぎた頃、私の会社に派遣で来ていた香織と出会い、交際をするようになった。周囲の勧めもあり、それに、男手一つで女の子を育てる自信もなかった私は、香織に奈緒子の母親になってくれるように頼んだ。香織は、すぐに承知してくれたよ」
いきなり小学生の母親になることを承知した、今の母親の覚悟も相当なものだったはずだ。
「だが、それが奈緒子を変えてしまった。妹が生まれてからは、髪をずっと三つ編みにして他の髪型にしようとしなかった。笑ってもどこかよそよそしくて。……私も香織も悩んだ。時間が解決してくれるかと思い、中学校時代は、私の赴任先に奈緒子だけを連れて行った。しかし、東京に戻ったら、元のままだったよ」
父親は寂しげな笑顔を見せると、カズホに頭を下げた。
「カズホくん。君には本当に感謝している。本当の奈緒子を取り戻してくれて、ありがとう」
「俺だけの力じゃありません。軽音楽部の仲間や、それに、……ナオ自身の力もあると思います」
「……やっぱり、人間というのは、会って話をしてみないと分からないな。奈緒子から初めて君の話を聞いた時は、人の娘をたぶらかしやがってと一人怒っていたんだがな」
父親は自嘲気味に笑った。
「でも、こうやって、君と話をさせてもらうと、奈緒子が君を好きになった理由も分かったよ。我が娘ながら、男を見る目は持っているようだ」
カズホは穏やかな微笑みを返した。
「カズホ君。これからも奈緒子のことをよろしく頼む。しかし……」
「何でしょう?」
「二人は、まだ高校生なんだから、その、……節度のある付き合いをしてほしい」
「節度ですか?」
「あ、あの……、言いたくなければ言わなくても良いが、君たちは、その、どこまで……」
父親が訊きたいことはすぐに分かった。
「キスはしました。それ以上は何もありません。でも、これから何もしないという約束はできません。ナオが望めば……その、とにかく、ナオが幸せを感じてくれるのであれば、ナオが喜んでくれるのであれば、俺は何でもするつもりです」
きっぱりと言い放ったカズホを、最初は驚いた顔で見つめていた父親も、仕方が無いといった顔で微笑んだ。
「君は正直者だな。奈緒子が言っていたとおりだ」
カズホと父親が微笑みを交わしたそのタイミングで、ベランダの戸を開けて、ナオが声を掛けてきた。
「カズホ。お父さん。準備できたよ。美味しそうだよ」
「カズホ君。食べよう」
「はい」
カズホは、ナオの父親に背中を押されて、リビングに入った。
「どうもご馳走様でした」
外がすっかり暗くなった午後五時。
ナオの父親ともジャズの話で盛り上がり、あっという間に時間が経っていた。
玄関に出たカズホは、ナオの家族の見送りを受けていた。
「カズホお兄ちゃん、また来てね」
沙耶もすっかりカズホのことを気に入ったみたいだった。
「私、カズホを送ってくる」
「あっ、奈緒子ちゃん、これ」
母親が千円札を三枚差し出した。
「えっ?」
「お昼ご飯に全力を使ったから、夕食の準備ができてないの。二人で夕食を食べていらっしゃい」
「えっ、みんなは?」
「奈緒子ちゃんがいない間に、お寿司でも取って食べるわ。良いでしょ、あなた?」
「ああ、そうだな」
少しアルコールも入っている父親も上機嫌で答えた。
「今日は一杯ご馳走になったんですから、もうこれ以上は」
「そのお金は奈緒子ちゃんにあげるんです。奈緒子ちゃんが食べきれなかったら、もったいないから、カズホ君が食べてあげて」
二人は、ナオの家を後にして、駅に歩き出した。
「カズホ」
「うん?」
「今日は来てくれてありがとう」
「何で? 俺の方こそ、ありがとうだよ」
「うん」
見つめ合っていた二人は自然と手を繋いだ。
街のクリスマスイルミネーションが賑やかに灯った通りを、二人は、冷たい風に当たる部分を少なくするように、寄り添って歩いた。
「ねえ、カズホ」
「うん?」
「ベランダでお父さんと二人きりの時、何を話していたの?」
「秘密だよ」
「え~、ちょっとくらい教えてくれても良いじゃない」
「駄目だよ。まあ、ナオの悪口は言ってないから安心しろよ」
「ぶ~」
「そう言うナオだって、お袋と二人で俺の家まで来るまで、どんな話をしてたんだ?」
「秘密」
「じゃあ、あいこだ」
「ふふふふふ。そうだね」
「ナオ、そのもらったお金はそのまま返してくれ」
「えっ?」
「これからは二人きりのデートなんだから、俺が出すから」
「……カズホがそう言い出すと、絶対、受け取らないよね」
「分かっているじゃないか」
「ふふふふ。だって、カズホと付き合い始めて、もう半年以上になるんだよ」
「そうだな。あっと言う間の気がする」
「そうだね。楽しい時は、すぐに時間が経つって本当だね?」
「そうだな。……ナオ、何を食べたい?」
「カズホのお財布にも優しくて、クリスマスらしいもの!」
「……フライドチキンとか?」
「正解!」




