第四章 恋人と家族を天秤に掛ける悪戯(3)
数日後。
ナオの自宅では、ナオと母親が、夕食が終わったテーブルで、カズホを招待しての食事会の話をしていた。
「せっかくなら、家族がいる間に、カズホ君を呼んであげたいわね。ひょっとしたら、奈緒子ちゃんがお世話になるかもしれないしね」
「お、お世話って?」
ナオは顔を真っ赤にして訊いた。
「だって、女の子が一人暮らしなんて物騒じゃない。カズホ君に奈緒子ちゃんの身辺警備をお願いしておこうかなって思って」
「ああ、そ、そういうことね」
「ふふふふ、何を想像してたの?」
「な、何でもない!」
「ふふふふ。……そうだ! せっかくだからクリスマスに来てもらうとか?」
「ああ、ごめんなさい! 言ってなかったけど、クリスマスイブには、軽音楽部でライブがあるの」
「あら、そうなの? つい、この前もやってたようだったけど?」
「うん。とにかく、うちの部員は音楽中毒が多くて」
「ふふふふ。……それじゃあ、あんまり年が押し詰まってからだと、カズホ君も色々と忙しいでしょうし、私達の引っ越しの準備もあるから、クリスマスの前にしましょうか?」
「ええ、カズホもライブの直前だと、けっこう忙しいと思うけど、一週間くらい前なら大丈夫じゃないかな」
そこに、仕事から帰宅した時には、いつもは玄関のチャイムを鳴らして、母親を迎えに来させる父親が、いきなりリビングに飛び込んで来た。
「香織! 大変だ!」
「こ、今度は何ですか?」
立ち上がることも忘れて、母親は戦々恐々とした表情で訊いた。
しかし、父親の顔は満面の笑みであった。
「どうしたの? 何か良いことでもあったの?」
ナオが訊くと、父親はナオ達が座っているテーブルに座った。
「良いことというか、悪いことが無くなったよ。サウジアラビア行きは無くなった!」
「えっ?」
「どこでどうなったのか分からないが、別の社員が行くことになったよ」
「それじゃあ……」
「ああ、今の職に留任だ。引っ越しも無しだ」
ナオと母親は思わず顔を見合わせた。
「本当に?」
「ああ、本当だ。しかし、一体、何だったんだろうな? 悪い夢を見てたみたいだよ」
まさに急転直下の出来事だった。
「うちの会社もトップが変わって、混乱しているところもあるからな」
「そうなの?」
「ああ、やっと、会長の相続問題も解決して、今の社長の体制が固まったからな。まあ、これで落ち着くと思うんだが」
「会長さんの相続問題って?」
「長男である前社長と、今の社長の二男との争いとか、……それから、会長には認知をしている不義の息子がいたらしくて、その息子が法外な要求を突き付けていたらしいが、それらも全部、顧問弁護士が説得して解決したらしい」
「そんなことが」
「ああ。遺産分割協議書に判子をもらう時には、会社の法務部の連中も弁護士と一緒に行ったらしいが、髪を金色に染めたチャラそうな男だったそうだ」
自分の娘も金髪にしていることを忘れているかのような父親だった。
「しかし、私もしばらくは冷や飯を食わされるかもしれない。今回の異動は無くなったが、次回の定期人事の時にはどうなるか分からないな」
「あなた、そんなに出世なんてしなくて良いですよ。こうやって、家族が一緒に暮らせることが一番じゃないですか」
ナオも母親の意見に大賛成だった。
「そうだよ、お父さん。早く帰れる仕事に変わって、ゆっくりとジャズが聴けたら良いじゃない」
「そうだな。……本当にそうだな。今回のことでよく分かったよ。これからは、自分からガツガツと上を目指すようなことはしないでおこう。……でも、お父さんも男として、与えられた仕事は一生懸命したいと思っているし、これまで世話になった会社に恩返しもしたいと思っている」
「うん。だから適度に頑張ってね。お父さん!」
ナオは、カズホがバイトから家に帰り着く頃を見計らって、カズホに電話を掛けた。
「カズホ。今、大丈夫?」
「ああ、丁度、家に帰り着いたよ」
「バイト、お疲れ様」
「ありがとう」
「それでね、……ふふふふ」
「何だよ? いきなり笑うなんて、気持ち悪いな」
「気持ち悪いってことはないでしょ! 本当に良いことがあったんだから」
「へえ、どんなこと?」
「お父さんの転勤が無くなったの」
「そうか。良かったな」
「う、うん」
一緒に弾けて喜んでくれると期待していたナオは、ちょっと拍子抜けしてしまった。
ナオの頭に、父親の話に出て来た「髪を金色に染めた」「不義の息子」という言葉が浮かんできた。
(まさか……)
父親の転勤が急に無くなったことに、「髪を金色に染めた」「不義の息子」が関係しているのかもしれなかった。そして、それは……。
「カズホ。カズホのお父さんって……?」
「俺の親父がどうしたって?」
カズホの声は明らかに不機嫌だった。
ナオが、カズホから告白されて生まれ変わる時に、カズホからその父親に対する生々しい憎しみを聞いていたナオは、それ以上、カズホに問い質すことはできなかった。
「ご、ごめんなさい。ただ、私のお父さんの転勤が無くなった理由を、ひょっとしたら、カズホは知っているじゃないかなって思ったから……」
「何で俺が知ってなきゃいけないんだ? 知る訳ないだろう」
嘘だと分かった。
「カズホ……」
「うん?」
「……ごめんなさい。……そうだよね。カズホとは全然関係のない話だよね。私に良いことがあると、全部、カズホがしてくれたのかなって思っちゃって」
「俺は福の神じゃないよ」
「うん。ごめんね」
「ああ」
「…………それじゃあ、明日、また学校で」
「ああ、そうだな」
「おやすみなさい」
「おやすみ」




