第四章 切れない音符たち(3)
――コンコン
ドアをノックする音が聞こえた。メンバー全員が楽屋の前室側のドアの方に振り向くと、開かれたドアを背にするようにして、一人の男性が立っていた。
オールバックにした髪型に、黒いワイシャツに銀色のネクタイを締めたスーツ姿の男性は、どうみても普通の会社員には見えなかった。
「岩本さん、どうも」
「何だ、橋本さんか。早速、この子達に目を付けたのかな?」
「ええ。図星です。ちょっと、リーダーの方とお話をさせていただきたいんですが?」
「リーダーは俺ですけど」
そう言って立ち上がったマコトに男性は近づくと、会釈をしながら名刺を差し出した。
「インディーズレーベル『ギグ・ファクトリー』の橋本と言います。よろしくお願いします。先ほどのライブを拝見させていただいて、是非、うちのレーベルからデビューしていただきたいと思いまして」
「えっ!」
「マジですか?」
「曲もポップで良い感じだし、ビジュアル面でもなかなかのものだ」
思いもしなかった突然のプロデビューの話にメンバー全員が驚いてしまった。
「もっとも、いくつか問題点もあります」
「何ですか?」
「それはリーダーの方とお話をさせていただきたいのですが?」
橋本はメンバーを見渡しながら勿体づけるように言った。
「全員で話を聞くことはできないんですか?」
「少し耳が痛いことも伝えなければいけないので……」
マコトが食い下がったが、橋本は言葉を濁して承知しなかった。
「それじゃあ、俺達は外に出ていようか?」
「いや、カズホは一緒に話を聞いてくれ」
外に出て行こうと立ち上がったカズホをマコトは引き留めた。
「それじゃあ、私達は席を外すわ」
そう言うと、レナが、ナオとハルを促して、両マスターとともに楽屋を出て、ドアを閉めた。
楽屋のテーブルに、カズホとマコトが並んで座り、二人に向かい合って座った橋本が話し出した。
「お二人はギターとベースの方ですね。正直、驚きました。とても高校生とは思えない実力をお持ちのようだ」
「ありがとうございます」
マコトも橋本の腹を探るような顔をしながらも、一応、礼を述べた。
「お二人とも背も高くて、ルックス的にもまったく問題がない」
プロのスカウトに褒められて素直に嬉しかったカズホとマコトであった。
「ボーカルは、見た目も実力も魅力的だ。キーボードは、実力的にはまだまだだが、基礎はできているようだし、ルックス的にはバンドにいて欲しい。問題は……」
橋本は、テーブルに両肘を着けて、少し前のめりになるようになると、声をひそめた。
「ドラムだ。プロとしてやっていくには実力不足だし、華もない」
「……」
「まあ、ドラムはそれほど目立つパートではないから、ビジュアル的にはそれほど重要ではないが、少なくとも、プロとしてやって行く実力が、今のドラムには無い」
「……」
「どうだろう? うちのレーベルにはフリーでやっているドラマーが何人もいる。メンバーを替えて、デビューすることを考えてみないか?」
マコトとカズホは顔を見合わせたが、声に出して相談するまでもなく、二人の結論は出ていた。
マコトは、きちんと座り直り姿勢を正すと、真っ直ぐと橋本を見つめた。
「橋本さん、すみません。この話は無かったことにしてください」
隣でカズホも無言で頷いた。
「何? またとないチャンスだと思うがな」
橋本は信じられないというような顔をしていた。プロにならないかと言うと、どんなミュージシャンも喜び、前向きに考えて、支障となる事実があれば、多少時間をもらってでも、それを無くそうとする。少なくとも、すぐに断るようなことはしなかった。
「君達は、プロになりたくないのか?」
「なりたいっすよ。めちゃくちゃ、なりたいっすよ」
「それが俺達の夢ですからね」
マコトに続けてカズホも、橋本を真っ直ぐに見つめながら言った。
「そうだろう? それならば何故?」
マコト達の考えていることが理解できないような顔つきの橋本に、マコトが穏やかな口調で話し掛けた。
「橋本さん。橋本さんは、バンドを組んだことありますか?」
「もちろん。今は、やってないがね」
「その時のメンバーと、ずっと一緒にやりたいって思わなかったですか?」
「そう思っていた時もある。しかし、プロとして音楽で飯を食うためには、バンドの意向だけで全てを決めることはできないんだ」
「そうでしょうね。でも俺達はまだプロじゃありません」
「それはそうだが」
「このバンドは、高校の軽音楽部の仲間で結成したバンドなんです。本当に音楽が好きで、バンドが好きな連中が集まっているんです」
「……」
「そして、そんなみんなとバンドをやっていることが気持ちが良いんです! さっきのライブも気を失いそうになるくらいに気持ち良かったんですよ」
「……」
「俺は、このバンド『ペパーミント☆キャンディ☆ポップ☆クラブ☆バンド』が大好きなんですよ。そして、誰か一人でも欠けると、それは『ペパーミント☆キャンディ☆ポップ☆クラブ☆バンド』じゃないんです」
音楽、そしてバンドについては、時にカズホ以上に熱くなるマコトの口から、とどまることなくその想いが語られた。
「そうか。……君達の気持ちは分かった」
橋本は残念そうな顔から一転、笑顔を見せた。
「君の話を聞いて、自分の学生時代のことを思い出してしまったよ。……そうだな。君達のことが少し羨ましくなったよ」
「すみません。せっかく声を掛けていただいたのに」
マコトとカズホが揃って頭を下げた。
「君達は、これからも音楽を続けていくつもりなんだろう?」
「少なくとも、俺達二人は。後のメンバーについては、ちゃんと訊いたことはないですけど、プロになるならないは別にして、音楽自体は続けていくと思いますよ」
「そうか。では、君達がその気になったら、私に連絡をくれたまえ。私も、まだしばらくはこんな仕事を続けていると思うからね」
「はい」
「もっとも、その時に、君達が今と同じ輝きを保っているかどうかで、また判断は分かれる。ずっと輝き続けていることを願っているよ」
「分かりました」
橋本は、カズホとマコトの顔を穏やかな顔でしばらく眺めた後、立ち上がった。
「今日のライブは素晴らしかった。また、気持ちの良い音楽を聴きに来させてもらうよ」
「ぜひ!」
カズホとマコトも立ち上がると、橋本と一緒に楽屋の入り口に近づいた。
「それでは、邪魔をしたね」
「いえ、ありがとうございました」
橋本がドアを引くと、レナとナオ、そしてハルが中腰になってドアの側に立っていた。
「ははっ、マコト。久しぶり」
ばつが悪そなレナが、中腰のまま、マコトに手を振った。
「お前ら……。聞いていたのか?」
「聞こえてたのよ」
橋本は、苦笑しながら楽屋から出て行った。




